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2006年12月31日 (日)

2006年 記憶に残る音楽DVD(ROCK)  -4-

「End Of An Era」 / NIGHTWISH SPINEFARM records

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  昔のパソコン通信といわれた時代の仲間はいいもので、その仲間より教えてもらったのが、このフィンランドのNIGHTWISH。女性ヴォーカルを擁したメタルバンドで、いわゆるゴシック・メタルといっていいのかも知れない。とにかくこのヴォーカルのターヤTarja Turunenはクラシック畑での修行を経てきていると言うだけあって、歌唱力はなかなかのもの。リーダーであるキーボードのツォーマスTuomas Holopainenがほとんどの曲を作曲しているようだが、メリハリの効いた曲は見事。私にとっては近年一番の獲物でした。

Onceb  私のこのバンドの入り口は右の4thアルバム「ONCE」であるが、このアルバムでは、彼らのシンフォニック・メタル・バンドとしての完成度が高く、又ターヤはオペラを学んだ歌唱法が更に活きているし、一方ネイティブ・アメリカンのジョン・トゥー・ホークスをゲスト参加させての伝統的なフルートを効かせての曲を織り交ぜての会心作である。

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 このDVDは、タイトルどうり、NIGHTWISHというバンドからヴォーカルのターヤが解雇されることになったが、その最後のライブ映像を納めている。
  しかし、イメージの大きな役割を果たしてきたターヤの解雇は、次作には新女性ヴォーカルでどこまでファンの心を掴むことが出来るか?大変な第2期のスタートであるようだ。まあとにかくシンフォニックでヘヴィで、聴くものに大いにアタックしてくるこのバンドは、今後も頑張っていくでしょう。そう期待したいものです。お勧め度の高いDVDでした。

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2006年 記憶に残る音楽DVD(ROCK)   -3-

「SCORE」 / DREAM THEATER   WANER MUSIC VISION

Dtheaterscre_1   日本でもこれだけ人気がでるとは思っていなかったドリーム・シアターですが、もう20年の歴史を踏んできた。そこでのアルバム「Octavarium」からの曲を中心としてのライブ映像。やっぱり「IMAGE AND WORDS」のあたりが非常に懐かしい。あの時の日本でのライブにもなんとか飛び込んだ私ですが、時の経つのは早く、彼らは既に重鎮のイメージすらある。時にはピンク・フロイドもやってみたり、芸達者な・・・というよりは、やっぱり技術の高いバンドなんでしょうね。ここではオーケストラをバックにしてまでの充実ぶりをみせるが、彼らもプログレ・メタルと言われるところはそうしたアプローチが曲にも反映しているのかも知れない。ただ私が好きだったケヴィン・ムーアがいなくなって淋しい。しかし、今のジョーダン・ルーデスもなかなかムーアとは違ってはいるが、高い技能の持ち主らしい点は、ここに来てハードな曲作りには貢献しているのかも知れない。このDVDは歴史に残る価値あるものとして扱われそうだ。

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2006年 記憶に残る音楽DVD(ROCK)   -2-

「LIVE IN ATHEN」 / FATES WARNING  INSIDEOUT 2005

Fates1_1  なかなか、いいジャケです。彼らの11枚目になるのかな?アルバム「FWX」発表後のライブ映像だ(2005.2.20)。ここでは"a pleasant shade of gray"も上手く取り入れていて、ベスト曲ライブという感じです。
 彼らはなんとなく哲学的アプローチを感ずるグループ作品(アルバム)が多いのですが、ここに来てキーボードの位置が薄れている。最近ケビン・ムーアが時としてゲストとして登場している彼らのバンド構成ですが、このライブではキー・ボードなしの構成でちょっと淋しい。ヴォーカルのRayはどうも映像的にはプログレ・メタルのイメージに合わず、私自身は彼らはCDアルバムで聴いているほうが、どうもイメージはいい。しかしライブ映像も、こうして見てみたいのは、私は長い彼らのファンの一人であるからだ。
 ドリーム・シアターとよく比較されるが、むしろ彼らに影響を与えた大御所であるが、その風格はそれほどない。ライブ会場も馬鹿でかいところでなく、メタル・バンドの親近感も出ている。このDVDもそうは売れているというシロモノではないと思うが、私にとっては「AWAKEN THE GUARDIAN」とか「NO EXIT」とかの頃が懐かしく、今も彼らのニュー・アルバムを楽しみにしている。

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2006年12月30日 (土)

2006年 記憶に残る音楽DVD(ROCK)  -1-

「LIVE8 july 2nd 2005the long walk to justice / V.A.
    ~ Pink Floyd Reunion ~

Live8_3

  ボブ・ゲルドフの企画による1985年の「ライブ・エイド」から20年、スコットランドのグレンイーグルズで行われた主要8ケ国首脳会議に対してのキャンペーンとして「LIVE8」がポール・マッカートニー、U2、ピンク・フロイド、コールドプレイ、マドンナ、ザ・フー、ビョーク、ボン・ジョヴィ、マライア・キャリー、ロブ・トーマス、スティングなど70アーティストの競演で開催。世界9会場での30億人に上ると言われた目撃者。アフリカ問題を訴えた。このコンサートの模様のDVDであるが、多分2005年リリースと思うが2006年ジックリお世話になったのでここで取り上げる。

 私にとっては、なんと言ってもピンク・フロイドの話題に尽きる。あのロジャー・ウォーターズがピンク・フロイドのベーシストとして復帰。22年ぶりのピンク・フロイドの4人による演奏が行われた。これもあのピンク・フロイドのというかロジャー・ウォーターズのというか「THE WALL」の映画化での主演(ピンク)を演じたボブの企画となれば、ロジャーも黙って見ている事は出来なかったであろう。ロジャーからギルモアに持ちかけられたReunionであったらしい。やっぱりピンク・フロイドはこの4人なんでしょうな。彼らのリハーサル風景まで収録公開と、このDVDはなかなかやってくれました。

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2006年12月25日 (月)

音楽(ROCK)=映画サウンド・トラック「風が吹くとき」

音楽(ROCK)  ORIGINAL SOUND TRACK 「WHEN THE WIND BLOW(風が吹くとき)」 
 ROGER WATERS & THE BLEEDING HEART BAND他   Virgin Records (UK / 1986)

Photo   レイモンド・ブリッグス著「When The Wind Blow」のジミ-・T・ムラカミ監督により映画化された映画のサウンドトラック。特に聴きモノは、後半ロジャー・ウォーターズによる10曲。そしてその他、DAVID BOWIE, HUGH CORNWELL, GENESIS, SQUEEZE, PAUL HARDCASTLEらの5曲より成っている。

 ロジャー・ウォーターズがピンク・フロイド脱退しての最初のソロ・アルバム「THE PROS AND CONS OF HITCH HIKING(ヒッチハイクの賛否両論)」を1984年リリース。そしてそれに続くアルバム「RDIO K.A.O.S」(1987)をリリースする間の時期に作られたモノ。特にこ映画は核の恐怖を実直な老夫婦の日常生活を通して描いたアニメーション映画で、その中に流れるウォーターズの10曲は、当時結成していたthe bleeding heart band の演奏である。それらは主としてインストゥメンタル・ナンバーではあるが、あの彼の所属していたものとしては最後のピンク・フロイドのアルバムとなる「The Final Cut」から流れている彼の核の恐怖、無意味な戦争に対しての”警告”が再びここに見られるのだ。更にこの後には、彼はアルバム「RADIO K.A.O.S」、「AMUSED TO DEATH(死滅遊戯)」とその意志は営々として繋がって行くのであった。

Photo_2 この映画「風が吹くとき」の日本版は大島渚が監督を担当したことでも話題になったが、この映画タイトルである「When The Wind Blows」を曲名にとったデビット・ボウイの曲はシングル・ヒット曲でもあった。

 さて、このサウンド・トラックCDであるこのアルバムを日本で発売された際の、ライナー・ノーツを担当している市川哲史氏が書いた内容について触れてみたい。
 この映画の「核の恐怖」のリアルなシーンに使われている曲を作りそして演奏しているのはロジャー・ウォーターズだが、彼はかって所属していたプログレッシブ・ロック・グループ=ピンク・フロイドの”精神”でもあり”核”でもあった。そしてそのピンク・フロイドについての解説はあらゆるところで目につくのであるが、真にリアルタイムに彼らのアルバムやライブに接して来ていない偽解説者の話はうんざりする。そんな場当たり的解説内容に極めて不満を感じている私であるのだが、このCD(アルパム)にみる市川哲史氏の解説は、ロジャー・ウォーターズから原点のピンク・フロイドに言及し、その内容には一見の価値があることを知っていただきたいと思うのである。
  
~市川哲史「風が吹くとき」ライナー・ノーツ(一部)~
 ・・・・・・・抽象性がそうした明確な意志を持って展開したのが「狂気」であり、その意志とはウォーターズそのものに他ならなかった。誰の心の中にも存在する不安感と、その究極の形である狂気を、真摯な言葉と周到な音楽でもって表現したのである。イマージネーションが牙を剝いたのだ。
 続く「炎」は狂気による破綻者になれない自分たちの敗北宣言であったし、「アニマルズ」は直接的な社会風刺、そして「ザ・ウォール」は個人をないがしろにする社会を徹底批判するにまで発展する。それがウォーターズの意図である事は、今更言うまでもあるまい。
 ・・・・・・・この「弱者の文学性」があったからこそ、幾多のプログレッシブ・ロツク・バンドが音楽的に行き詰まり自然消滅する中、フロイドだけが長く生き残れたのだ。~~優秀な批判性を備えたバンドとして。
 では何故、ウォーターズは「個人」の存在に対して、ここまで真正面から対峙せねばならなかったのだろうか。図らずもウォーターズ最後のフロイド作品「ファイナル・カット」で、その理由が明らかになった。直接的には82年4月に勃発した「無意味な戦争」フォークランド紛争が契機となってはいたが、実は第2次世界大戦で死んだ父親へのレクイエムであり、そしてウォーターズは自らのトラウマに決着をつけるべく、「ファイナル・カット」を作らざるを得なかったのだ。
 ・・・・・・自らが狂気寸前にまで追い込まれるほど、自己の内面を強力な被害者意識と共に探求してきたウォーターズだけに「アニマルズ」以降、彼は一貫して「警告」を発して続けてきた。だからこそ「風が吹くとき」におけるウォーターズの10曲には、単なるサウンドトラックに終わらぬ真摯さが満ちている。
                                   (以上一部)


Roger  1960年代からその若者の音楽として生まれ今日に至っているROCKというのは、その時その時のその時代を背景に生まれ育ってきたものであり、時代背景なしに語れるモノでない。
 ロジャー・ウォーターズが自分の父を第二次世界大戦で失い、顔すら知らず母のもとで育ち歩んできた彼の人生の中にROCKの存在があり、彼のコンセプトも築かれている。ウォーターズにとっては音楽の追究と同時に、彼の被害者意識と人生の不安をベースにして、社会において批判的立場から主張するといったことにおいてROCKが存在しているのだ。
 プログレッシブ・ロック(いずれこれについても私の分析を書きたい)の世界の中で、音楽性のみにとらわれて来たものは消滅する運命にあった。その中で、ピンク・フロイドが生き長らえた重要なアルバムは「ANIMALS」(1977)にある。このアルバムについてはサウンド的には、過去のピンク・フロイドからの変化に一般の評論家はついて行けず、当時はその価値観を見失っていた。しかしあの時代は、形骸化したROCKに対しての反作用としてパンク・ロックが勢いを持った時であり、まさしくその時にウォーターズは、このアルバムによりピンク・フロイドをして時代の批判者に仕上げることでその価値を高め、自己のむかう方向を明解にしたのである。つまりウォーターズにとっての「ロックの価値」とは、”彼の人生の中から生まれるものとしての価値観”にゆき着くことになったのだ。
 そして彼がその後も築き上げたアルバム作りがコンセプトを持った「THE WALL」を産み、「THE FINAL CUT」を作らせるのである。そうしたシリアスな彼の生き方や音楽作りに、ついてゆけなくなった他のメンバーとの亀裂が生まれ、そしてピンク・フロイドの崩壊に至った。しかしその後において、一メンバーであったギルモアによる彼(ウォーターズ)抜きのピンク・フロイド再結成となり、彼の裏切られた心情は、実はこの「風の吹くとき」にも繋がっているところが・・・注意すべきこのアルバムの重要なポイントでもある。
 「ANIMALS」にはあまり深くは触れてはいないが、そんな裏にある重要なポイントをライナー・ノーツで解説している市川哲史氏の観点は、ピンク・フロイドそしてロジャー・ウォーターズを語るに十分な視点を持っていると私は評価する。今日はそんな点を強調して、一度はこの「風が吹くとき」のアルバムや映画に触れて欲しい事を望んで締めとする。
                      (2012.12.26 加筆)

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2006年12月24日 (日)

<序言> 「灰とダイアモンドの世界」は・・・・映画「灰とダイヤモンド」、Rock「The Final Cut」

 松明のごと、なれの身より火花の飛び散るとき

  なれ知らずや、我が身をこがしつつ自由の身となれるを   

 持てるものは失わるべきさだめにあるを

  残るはただ灰とあらしのごと深淵に落ち行く昏迷のみなるを

    永遠の勝利のあかつきに、灰の底ふかく   

 さんさんたるダイアモンドの残らんことを・・・・・・

(ポーランドの詩人ツィプリアン・カミル・ノルヴィットcyprian kamil norwidの作品「舞台裏にて」にあるという一節である。訳は映画「灰とダイアモンド」の日本語字幕から)      

<映画>
アンジェイ・ワイダ監督「灰とダイアモンド」=私の映画史(1) 1958 ポーランド映画

Dvd  第二次世界大戦後のソ連体制下のポーランドにて、共産派新政権に対してレジスタンスに生きて悲惨な死をとげる若き闘士(マチェック)を描く。
 バーにいた美しい給仕クリスチナとの愛を知り、生きることの意義を知る中で、自分のテロリストの意義は何か?悩みながらノルヴィットの詩”灰とダイアモンド”(廃墟と化した教会で、マチェックとクリスチナは愛を確認する時、そこの墓銘に”君は知らぬ、燃え尽きた灰の底に、ダイアモンドがひそむことを”を見る)と交錯して、ズビグニエフ・チブルスキー演ずる主人公の若者マチェックは、同じ国の人間同士の戦いに無惨な死の時を迎える。壮絶な彼の死のシーンは、観るものにポーランドという国の歴史的状況の複雑な厳しさとその悲劇を訴えてくる。
Photo_2
監督:アンジェイ・ワイダAndrzej Wajda
原作:イェジー・アンジェイエフスキーJerzy Andrzejewski

キャスト
 ズビグニエフ・チブルスキーZbigniew Cybulski :Maciek
 エヴァ・クジイジェフスカEva Krzyzwska : Krystyna
 アダム・パウリコフスキーAdam Pawlikoski : Andrzej

 世界歴史上(もちろん日本に於いても)、「灰とダイアモンドという言葉が我々の耳にすることになるのは、やはりアンジェイ・ワイダの映画が大いにその役割を果たした結果であろう。その言葉の意味は、若き人々の生き様に強烈なメッセージを送っている。ポーランドの作家であり詩人であるノルヴィットは、歴史的な困難を抱えた国において、人間を深く見つめ、懐疑と聡明なる知力にて、人というものに迫ったという。   

Photo_3                 

 *          *          *          *

音楽(ROCK)
 
 Pink Floyd / 「the final cut」 1983 

 ロック・グループPink Floydを語るとき、結成当初のシド・バレット(今年2006死亡)は忘れられない存在であることは論を待たない。しかし、世界に彼らの存在を知らしめることになるのは、当初からのメンバーであるベーシストのロジャー・ウォーターズのコンセプト(その一つは「狂気The Dark Side of The Moon」=”月の裏側の世界”)、そしてブルージーなディヴィット・ギルモアのギター・サウンドが主役である。しかしウォーターズの存在したPink Floydの最後のアルバムとなるこの「the final cut」こそは、数多いロック界に残る名盤の中でも、一際灰の中に光る一粒のダイアモンドのごとく存在する。

Thefinalcut a requiem for the post war dream by roger waters と記し、彼の父親(彼が生まれた直後に戦争に出征し、その戦いで死亡したためその後一度も会っていない)に捧げられたところに、彼のソロに近いアルバムであるとの評価は間違っていない。
 ロック・アルバムというものの考え方や評価、音楽論に於いても、グループ活動が長い年月を経ると、その中には次第に相違が生まれ、亀裂が生ずるのは多くのグループが経験することだ。ピンク・フロイドも例外ではない。そして分裂の危機感ある緊張の中で作られたのがこのアルバムである。そのようなものであるだけに、逆に中身は濃い。ウォーターズの主張は先鋭化して前面に出る、そうしたことに対立したギルモアであるが、彼の奏でるギターのサウンドは極めて哀しく美しい。
Thefinalcutart

 このアルバムの最後の曲である”two suns in the sunset”に、ロジャーによって書かれた詩には、”灰とダイアモンド”という言葉が登場する。

   ついに ボクは理解した 

    後に残された少数者の気持ちを・・・・

    灰とダイアモンド

    敵と友人

    結局 僕らは皆おなじなのだ

                    (山本安見 訳) 

 (注: 最後の文章"結局 僕らは皆おなじなのだ"は、むしろ"最後の時を迎えたときは、僕らは全ておなじになってしまうのだ"と、訳す方が解りやすい)

 と、ここにこのように”灰とダイアモンド”が・・・・・・・・。

 この「Final Cut」の世界は、ウォーターズが英国の”フォークランド紛争”の悲惨な現実を見たときに、彼の問題意識による血が騒いだ結果であり、父親の戦死と交錯して、若い命を奪われていく無惨な世界に黙っていられなかった結果でもある。それはPink Floydとして長く繋がれてきた仲間とも袂を別にしてでも、このアルバムを通して訴えざるを得ないところに追い込まれたとみてよい。つまりそれは彼の生涯の戦いのテーマでもある為に。
  そして一方、このアルバムの曲"southampton dock"には、息子を戦場に送る悲痛な母親の姿が歌われ、特に英国市民の善良な兵士の母親達の涙をさそうことになった。

 このブログのプロローグでは、ここまでにとどめよう。しかし、この「灰とダイアモンド」のテーマはこれがスタートである。 

(このブログには、各種の本の表紙、話題対象の写真、人物写真、音楽CDジャケ、映像DVDジャケ、又それらの内容の写真等多く登場するが、公開されたものに限定し使用いたします。”研究用にとして公開されたものを使用”という理由により、著作権には抵触しないと判断しています(著作権法32条)。・・・なお問題があればご連絡ください>真摯に対応いたします)

 

  

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