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2008年5月28日 (水)

モノクロ写真の世界(3)

ここではフィルム・モノクロ写真を掲載しています。(クリックにて拡大)

Photo_2 「初冬の戸隠鏡池2007.11」
Hasselblad503cx Distagon50mmF4.0FLE ,PL,  TMAX400
PLフィルター効果にて空などが異様な効果がでています。池の水は表面は薄氷の状態。空の雲が毎秒ごとに変化を示す北風の初冬。








Photo_3 「善光寺にて 1」
Hasselblad503cx Plannar80mmF2.8 , PL , TMAX400
草履に強い光線が当たっているため、プリント時この草履の表情を出したいところでバックが黒く 潰れました。もう少し木の表情が欲しいところです。









Photo_4 「善光寺にて 2」
Hasselblad503cx Plannar80mmF2.8 , PL , TMAX400
夕刻時の1カット。板塀の表情は一応納得。










Photo_5 「放課後」
Hasselblad503cx Plannar80mmF2.8 , PL , TMAX400
子供の動きが救いの風景。シルエット的描き方ですが、手前の木の葉や影がやや暗すぎて、印象が少し異様になった点を良しとするか、又は反省か?。








Photo_6 「裏の世界(その2)」
FUJI GA645ZiPro , Super-EBC Fujinon55-90mmF4.5-6.9 , TMAX400
裏の世界シリーズの2枚目、これも少々異次元世界を狙っている。なにか人の住む世界と違ったムードが感じられると成功なんですが。これは55mmあたりの広角撮影にて橋の威力を強調している。

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2008年5月13日 (火)

Bootlegから見るピンク・フロイドPink Floydの真髄(5)「エコーズ」(その2)

”エコーズEchoes”から始まるピンク・フロイドの挑戦

”Return of The Son of Nothing”(ECHOES エコーズ)は、1971年1月に4人のメンバーから持ち寄られた36種にも及ぶフレーズをスローな4分の4拍子を主体として構築して作り上げられた共同作業の結晶の曲であった。しかし、そうした共作ものであったが故に実験音の挿入とドラマティックな曲展開として音楽的評価が得られたことの裏腹に、ロックとしてのメッセージに欠けていたことも事実であった。(曲のタイトル自身、ビンソンのエコー・ユニットを使用してのライトのキーボード音、そして他の楽器にもエコー音を効かしたことより”エコーズ”に変えられた経過がある)

72floyd  もともと、演奏活動に反体制的批判精神とコンサートそのものに刺激的展開を試みていたロジャー・ウォーターズは、この”エコーズ”の成功こそが、彼にとっての反省と新たな試みへのスタートとなるのであった。

 1971年のNorth American Tour を終えて、1972年1月20日に UK Tourがスタートするに、”原子心母”そして”エコーズ”を中心とした演奏曲構成の冒頭に、彼はついに彼自身の作詞作曲の”Dark Side Of The Moon”をぶつける実験に入った。そして直ちに、”原子心母”を落とし、実験色の強い”Careful With That Axe Eugine”はそのまま継続させ、ピンク・フロイドの性格をロジャーの意志の方向に向け始めた。続いてのJapan Tour も同様であった。そして4月にNORTH AMERICAN TOURにおいても同様の選曲で、疎外感的ニュアンスと人間の狂気をコンセプトに持つステージに変えていく。この”Dark Side of the Moon”は、1973年のピンク・フロイドの歴史的最大のヒット・アルパム(「狂気」)のタイトルであるが、この時よりその試みがスタートしている。そしてこの曲は後の”Brain Damage(狂人は心に)””Eclipse(狂気日食)”となっていく。

 しかし、いずれにしても”エコーズ”はライブにおいても人気曲であり、この後1975年まで彼らのツアーではSet List に入っている。

 1973年は、ライブ演奏曲に、1972年リリースされたサウンド・トラック・アルム”Obscured By Clouds”が加わるが、この当時の彼らのライブは、次第にアルバム「狂気」への変化が窺い知れる。これこそがロジャー・ウォーターズの世界が進行していると言える。又、同時にギルモアのブルージーなギターにも磨きがかかってくるが、ライトの出番は少なくなってくる。

Blackholesinthesky
「Black Holes In The Sky」GDR CD 9101 Wembley,London Nov.16 1974
 「狂気」発売後の彼らの有名な BRITISH WINTER TOUR もの。音質良好、完成された”エコーズ”が聴ける。

Hogsinsmog75 「Hog's In Smogs '75」STTP 108/109 Ap. 27 1975
 既に発売されているアルバム「狂気」の全曲、そしてロジャー・ウォーターズの挑戦はエスカレートして、’74年FRENCH TOURに登場した”Raiving and Drooling””You've Got Be Crazy”(アルバム「アニマルズ」の主曲)が登場しているが、相変わらず”エコーズ”の演奏は続けられ、この時になると Dick Parry のSaxophone が加わり、「狂気」の演奏スタイルに近い”エコーズ”への変化がみれる。

Holeinthesky「HOLES IN THE SKY」HL 097/098 Canada 6.28.'75
 これはかなり観衆のうるさいオーディエンス録音もの。ここにもSaxophone の入った”エコーズ”が聴かれる。そして演奏の主体はアルバム「狂気」この年リリースの「炎」それに加えて”Raving and Drooling”(後の”SHEEP”)、”You've Got Be Crazy”(後の”DOG”)と、後のアルバム「アニマルズ」の展開で、中身も濃い。

Crazydiamond 「CRAZY DIAMOND」PYCD 059-2 USA June 18 1975
 当然、上記内容と同じである。アルバム「狂気」この年の「炎」そして1977年へ繋がる「アニマルズ」に及ぶ演奏。特に”Raving and Drooling””You've Got Be Crazy”の2曲となると、メッセージ性が高くなり、ここでも演奏されている”エコーズ”とは別のハード・ロック的曲展開が目立ってくるものとなっている。まさに、ロジャー・ウォーターズの世界が濃厚となり、特にライトの締める位置はなくなってきている。

 ”エコーズ”は、ピンク・フロイドの存在を繫ぐ大きな役割を果たした4人による共作の最も典型的な曲であった。しかし、メロディー重視のデヴィット・ギルモアとリック・ライト、コンセプト重視のロジャー・ウォーターズ、中庸をゆくニック・メイスンと、それぞれの考え方、生き様の違いは次第に浮き彫りになってゆく。そうした異なった4人のバランスがかえって相互作用により歴史的名曲を作り上げたことも、レトロスペクティブに見れば、間違いないことである。この流れは”エコーズ”で完成し、アルバム「狂気」で結実する。
 しかし、この後のパンク・ロック・ムーブメントの中では、特にロックの世界では、メロディー重視音楽趣向は叩かれ、多くのバンドがつぶれていったことも事実であり、そんな中でピンク・フロイドが唯一存在し巨大化してゆくことが出来たのは、ロジャー・ウォーターズの挑戦的コンセプト主義が最も重要な役割を果たしている。しかし次第にハード・ロックに傾く曲作りの中で、ピンク・フロイド色を失わずに色をつけたのはデヴィット・ギルモアのギターがやはりこれも重要な位置にあったと言えるのだ。

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2008年5月 7日 (水)

Bootlegから見るピンク・フロイドPink Floydの真髄(4)「エコーズ」(その1)

最もバランスのとれた傑作か?「エコーズ ECHOES 」1971年

 「原子心母Atom Heart Mother」のヒットは、ロン・ギーシンの功績も大きかったが、いずれにしても初の全英No1に輝やいた。このことはピンク・フロイドのメンバーのロックに対する感覚の相違からの内部的葛藤とは別に、一般ロック・ファンに受け入れられたことにより、このバンド自身の方向性に周囲からの拘束も生まれることになる。
 彼らの実験的音楽思考、特にロジャー・ウォーターズの音楽そのものへの挑戦的実験性にある程度その先鋭化にブレーキがかかって、大衆音楽そのものへの方向性が保たれた。メロディー重視のライトやギルモアのニュアンスも手頃にバランスよく活動に生かされたのである。又このグループにギルモアの存在もシド脱退後居場所が明確になって、丁度4人の均衡がとれてきたといっていいのかも知れない。
 もともとロジャー・ウォーターズとニック・メイスンは音楽畑の人間でなく、建築学を学ぶことの中から共通の意志をもってシド・バレットという存在の下にロックへの関心の高まった二人であった。更にウォーターズの基礎には、ロックそのものの反体制的な指向というところにあり、それにひかれての活動のエネルギーを高めていた部分がある。それに対してファション・モデルとギターに生きようとしていたギルモアとは、世界観の違いは当然存在していたのだ。

 1971年11月ピンク・フロイドのニュー・アルバム「おせっかい MEDDLE」にて、一般的には”エコーズ ECHOES”のお披露目となる。このアルバムは当然前作の「原子心母」の評判の良さからも注目され、全英3位と評価は良かった。もともとピンク・フロイドはライブで新曲の実験を繰り返し、アルバム作りとなる手法をとるが、やはりこの”エコーズ”も例外でない。ほぼ年前の1971年1月に1ヶ月かけて4人のアイディアを持ち込み制作する。この時は4人がかなり対等にアイディアを出し、持ち寄られたかなり多くの曲をロジャーがうまく纏め上げたようだ。そしてこの曲は意外に初お披露目からほぼ完成していたという特徴がある。

Echmontreuxsep71 初の登場は、1971年4月22日、Norwich Lads Club(England)であり、まだ曲のタイトルは”Return of The Son Of Nothing ”である。そして5月15日ロンドンのクリスタル・パレスで行われたGERDEN PARTYで、この新曲の高い評価が得られ、彼らのグループとしての活動の価値観が高まったことにより、その存続が確定的となった。このことこそピンク・フロイドの後の傑作が生まれる原点となったのだ。そして9月18日左のブートCDに見られる(クリックで拡大)スイスのモントルー・ライブ「Live In Montreux1971」(THE SWINGIN'PIG TSP-CD-071-2)にて初めて”エコーズ ECHOES”と名付けられた。そしてこの後の”エコーズ”のライブ音源は非常に多数ある。この頃はピンク・フロイドも一流のロック・バンドとなり、多発するブートLPも売れ行きは良かったことにもよるのだろう。

Aphroditeaug71 Echojapaug71 これに先だって、あの日本の伝説の箱根ライブ・アフロディーテ(8月)、そして大阪フェスティバル・ホールでもこの曲は”原子心母”とともに披露されている。(bootleg CD:「APHRODITE」(Dynamite Studio DS94J058)、 「Echoes Of Japanese Meddle」(SHUT TO THE TOP STTP153)~この両CDは同一音源であり、しかもAPHRODITEと銘打っているが、大阪フェスティバル・ホールでのものと思われる)



Liveatpompeiild Liveatpompeiidvd       彼らの演奏映像は翌年1972年のポンペイでのライブ映像があまりにも有名だ(これはブートではなく、テレビ用映像版として収録されたもので、当時NHKでもモノクロで放映され、感動ものであった)。左のLD版と最近の再編集DVD版(Directer's Cut)がある。これにより日本での人気も決定的になった。
 この曲”エコーズ”は、リック・ライトの残響あるキーボード・プレイとメロディー、それにロジャーのベースとギルモアのギターが同時に刻んでゆくリズム、中間部のピンク・フロイド独特の各種実験音、ゆったりとしたヴォーカルと深遠な海の感覚の世界など魅力的と評判は良かった。これこそライトが対等に参加した結果であり、フロイドの4人がそれぞれの役割を果たしながら協力して作成した曲そのものだったのは事実と思う。
 だが一方、”この曲は映画のサウンド・トラックであって、そしてメッセッージがない”という批判もあったことは事実である。最もこの批判に敏感に反応したのは当然ロジャー・ウォーターズである。彼は後にこのようなピンク・フロイド作品から足を洗って行く方向を選んだ。選んだと言うよりは彼の本性を蘇らせたのだ。このバンドの実際の主導権はロジャーにあるがゆえに、その後はリック・ライトの出番は少なくなっていくのだ。ピンク・フロイドの四人が、ほんとうに対等に作成した曲はこの曲で終わるのである。


Bbcfinalsess  ブートでこの曲を聴いていると、なんと言っても、71年9月30日のBBCに於けるライブ・レコーディングの音源は凄い。まさに4人の演奏のパートが一つ一つ手に取るようにクリアに録音され(25分45秒)、アルバム「おせっかい」の”エコーズ”の音質を確実に超えている。ファンには必聴品である。「Pink Floyd BBC Final Session」 (Ayanami-032)


Echoes 1971年アルバム発売前のライブ音源CD「ECHOES」 。 これは録音 Oct.12,1971となっているが、どうもそれは眉唾物、12日ライブの記録なく、15日にはNORTH AMERICAN TOURに出ている。音質B級、演奏内容も特に特徴はない。



Echretsonnotnov71 USAツアー・ライブ音源 「Return of the Sons of Nothing」(THE GOLD STANDARD RAL-515, NAV-537~Nov.16.1971WashintonDC) 。これはまさに、アルバム発売当時のライブ録音もの。音質良好、完成”エコーズ”を聴ける。このツアーでのセット・リストを見ると”原子心母”が目玉曲で、この日のアンコールで”エコーズ”がお披露目され、注目を浴びた。


 1971年はこのUSAツアーで彼らは幕を閉じるのであるが、セット・リストの中では新曲はこの”エコーズ”のみであった。 
 翌年1972年には、UK tour を開始、ここには”原子心母”に変わり”エコーズ”を目玉曲として演奏活動をしている。しかしこのツアーでは、ロジャー・ウォーターズは、”エコーズ”を演奏曲群の中心の曲とはしているものの、この曲のロックとしての物足りなさ、つまりメッセージのないロックであるとの批判に対して、彼の持っているコンセプトをいよいよ打ち出してゆく活動に入ることになる。これにより、ピンク・フロイドは又新しい世界に突入するきっかけを掴んでゆくのだ。    (「エコーズ(その2)」に続く)

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2008年5月 3日 (土)

ジャック・ルーシェとプレイ・バッハ(その6)

ジャック・ルーシェに求められたもの

1997年のヴィヴァルディから2005年のモーツァルトまで、バッハから離れ多くのクラシック作曲家の名曲への挑戦が行われたわけであるが、一方やはりジャック・ルーシェ・ファンはじめジャズ・ファンのジャック・ルーシェ・トリオに求められたものは1960年代、そして1985-1995年のプレイ・バッハにあった。

Playbachn1Playbachn4

 TELARCからは諸々の作曲家のジャズ化したジャック・ルーシェ・トリオのCDがリリースされる中、2000年にはジャク・ルーシェが初めて認められプレイ・バッハを録音したDECCAからは1959年から1963年の初期プレイ・バッハを、オリジナル・プレイ・バッハ・シリーズ」としてデジタル・リマスタリングして音質の向上を図ってCDとして発売した。(これが、私が大切にして所持しているLPのCD版である)これもなかなか好評で、如何にこのトリオに対してのバッハ演奏の期待が大きいかが窺い知れた。(このシリーズの#4は、カンタータ、コラール前奏曲などをルーシェはピアノとオルガンを演奏し、プレイ・バッハの中では最も異色である)

Jltbachbrandenburgs こうした流れの中で、2006年になってTELARCから、ニュー録音の「ジャック・ルーシェ・トリオ:バッハ ブランデンブルグ協奏曲」UCCT-1173 が発売された。
 久々のプレイ・バッハで、しかもブランデンブルグ協奏曲の第1番から第6番まで全てを網羅した。過去にブランデンブルグ協奏曲はこのトリオは2回挑戦している。これが3回目となるが、ただしその前2回ともオーケストラをバックにおいての共演であったが、今回はトリオのみにて演奏しきった。このアルバムを手にしてみると、やはりいかにものびのびした彼らの演奏が聴かれる。こうして70歳を超えたジャック・ルーシェは再びバッハへの思いを演奏してゆくことになるのかも知れない。

Jltbestsacd なお、ジャック・ルーシェが70歳を迎えた2004年には、TELARCから記念アルバムとして1963年・1964年録音もの(第2期トリオ)の「ジャック・ルーシェ・トリオ/ベスト・オブ・プレイ・バッハ」UCGT-7001として、SACDのHybrid Disc で5.1サラウンド版としても発売している。このあたりはやはりバッハ演奏の彼らの絶頂期であったのであろう。


 とにもかくにも、第3期トリオのバッハ演奏もスタートしている。この後も彼らの演奏に期待したいものだ。

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2008年5月 2日 (金)

ジャック・ルーシェとプレイ・バッハ(その5)

ジャック・ルーシェの試み

 約10年前にTELARCに移ったジャック・ルーシェは、バッハのジャズ演奏から多くのクラシック作曲家の名曲にアプローチするようになったが、それらは既に取り上げてきた。
「ヴィヴァルディ”四季”」、
「プレイ・サティ」、
「ラヴェル:ボレロ」

「ドビュッシー”月の光”」

そして、トリオとしては3代目のメンバーとともに、更にその世界は広がっていった。
Jacques Loussier : piano
Benoit Dunoyer De Segonzac : bass
Andre Arpino : drums


Jltbaroques_2 2001年
「バロック・ヒッツBaroque Favories」UCCT-1045

 対象がバロックとなると・・・・ヘンデル、スカルラッティ、アルビノーニなどのバロックの名曲へとジャズ化を進めたのがこのアルバム。
 私としては当時は興味半分で面白く受け止めてはいたが・・・。



Jlthandel2002年
 こうした成り行きでは、ヘンデルへの”水上の音楽”まで至って行くのは、当然であったのかもしれない。

「ヘンデル:水上の音楽・王宮の花火の音楽」UCCT-1061
 これがリリースされた時には、実はここまで来るとは思ってもいなかった。
 しかしこうしたヘンデルジャズ化の軽快さというものは、一つには、ルーシェのプレイ・バッハと共通していた部分であったろうと言えるのだ。

Jltbeethoven2003年
 遂に来たるところが来たかと思わせるベートーヴェンの登場となる。

「プレイズ・ベートーヴェンAllegretto from Symphony No.7 Theme and
Variation」UCCT-1087
 これは彼としても新しい試みであった。交響曲第7番のアレグレットの主題を10通りの変奏をトリオで演奏することを試みたのである。

Jlchopin2004年
 ジャック・ルーシェは今度はソロで、ショパンのノクターンの制覇をする。

「J.LOUSSIER Impressions on Chopin's Nocturnes」UCCT-1107

 これぞルーシェの真骨頂か?>1番から21番全曲のルーシェ・ジャズ・ピアノを聴かせる。バッハ以外のルーシェの代表作だ。



Jltmozart 2005年

「ジャック・ルーシェ・トリオ/モーツァルト ピアノ協奏曲第20番、第23番」UCCT-1146

 ここまで来ると、いよいよ行き着くところに来たかという印象だった。これはストリングス・オーケストラとの共演で仕上げたものである。
 私にとっては、ちょっとモーツァルトとの印象の違いから、あまり素直に受け入れられないアルバムではあったが・・・



 こうして、ジャック・ルーシェの挑戦は、良きにつけ悪しきにつけ楽しませてくれたことは事実である。しかし、彼の築いたバッハ演奏とは、やはり異なった世界であることも私は強調したい。これらの中ではショパンのソロは、それなりに出来上がっているが、それはトリオでなくソロとしての作品であったことが良かったのかも知れない。
 そして2006年になって、彼の方向は再びバッハに向かうことになる。(次回)

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