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2008年10月30日 (木)

ロックからの進化:ヴァイオリンのジミ・ヘン=リリ・ヘイデン Lili Haydn

4th アルバム 「Place Between Places」

 ”2008 Coachella ミュージック・フェスティバル”で、注目のロジャー・ウォーターズの「狂気 Dark Side Of The Moon」全曲披露に加えての2006-2007年世界ツアーでの曲群の演奏に加わったヴァイオリニストのリリ・ヘイデン。ウォーターズの最近の曲”Leaving Beirut”そして、あのトリの”Comfortably Numb”の演奏は、まさに”ヴァイオリンのジミ・ヘンドリックス”の名のごとく、激しい精力的にして繊細、そしてダイナミックなヴァイオリンの演奏は記憶に新しいところであるが、彼女の今年の春にリリースした4thアルバムをチェックしてみた。

Liliplacebetweenplaces 「Place Between Places」Nettwerk Production 0 6700 30788 2 5 made in USA  2008.4
1.memory one
2.strawberry street
3.Can't give Everything
4.saddest sunset
5.place between places
6.i give up
7.satellites
8.the reverie
9.children of babylon
10.unfolding grace
11.the last serenade
12.powers of five
*magg of brain
12曲+ボーナス・トラック1の13曲から成っている。アルバム曲12曲のうち4曲は、彼女のヴァイオリンの堪能できるインスト・ナンバーである。
Lilihaydnb_2  1997年の1stアルバムは、ロックを基調としているといっていいが、その後のアルバムは次第に特殊な(彼女なりきの)世界になっている。ロック、ジャズ、クラシックのミックスされたかなり独特の憂鬱感のただよう(哀愁という表現も可能な)曲が展開する。彼女のヴァイオリンとともに、そのヴォーカルはかなり繊細な変化をみせる囁きから吐息ともいってよい味付けのあるものから、かなり訴える力のある歌唱も聴かれる美声である。高音部の消し去る発音が魅力あるところだ。
 もともと大学で政治学を学んで学士号を持っていて、クラシック・ヴァイオリンが基礎にあってのインテリと才能が作り上げる妙が感じられる。かなり特異な彼女の世界である。カナダ生まれのアメリカ育ち、しかもルーツはユダヤ人という、これまた多様な因子をバックに持ってのなせる技か。
 アルバム・タイトル曲の”place between places”は、インスト・ナンバーであるが、ベースそしてドラムスの刻むリズムにピアノが語り、それに乗っての彼女のヴァイオリンの響きはまさに圧巻である。
 その他、チェロの響きも重要な因子になっている曲7.9.10.そして11.などがあるが、それに重ねての彼女のヴァイオリンは非常に哀しく美しい。
 更に、最後の"the last serenade"と"powers of five"などは、聴き応え十分というか、彼女の世界にのめり込まされる。
 私としては、お勧めのアルバムである。

 今回、コーチェラ・ミュージック・フェスでロジャー・ウォーターズのバンドと共演できたことは、(多分、ロジャーはコンセプチュアルには彼女を受け入れていると思うので、これをチャンスに)これから一歩進んで、ロジャーと共作して、スノ-ウィー・ホワイトのギターを織り込んでの社会派コンセプト競演曲も作って欲しい思うのは・・・・こんな期待はどうなんだろうか?。

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2008年10月18日 (土)

ロジャー・ウォーターズとリリ・ヘイデン(女性ロック・ヴァイオリニスト)

コーチェラ(Coachella music Festival)にみたロジャー・ウォーターズの試み

アメリカ最大級のミュージック・フェスティバルであるCoachella Valley Music and Arts Festival (カルフォルニア州インディオにて1999年より行われている)は、今年は4月の25,26,27日の3日間大成功のうちに行われたが、その最終日のメイン・イベントは、ロジャー・ウォーターズの”Dark Side Of The Moon”と題された昨年来の世界ツアーの内容での演奏だった。ピンク・フロイド時代のアルバム「狂気Dark Side Of The Moon」全曲披露と、その他アルバム「炎」「アニマルズ」「ザ・ウォール」「ザ・ファイナル・カット」そして彼自身のソロ・アルバムからの曲群を約2時間の演奏であったわけだが、やはり彼の力の入れた曲は、大衆に訴えるべく、一般的には従順でおとなしいとされる羊が自己満足の無知状態から目覚め復習に燃え暴動を起こす「アニマルズ」からの”Sheep”、ブッシュのイラク戦争に反対しての「ザ・ウォール」からの”Bring The Boys Back Home”であったと思われる。そして締めくくりのトリの曲は”Comfortable Numb”であった。その”Comfortable Numb”においては、なんとあの魅力的な泣きギターの演奏部分を、女性ロック・ヴァイオリニストのリリ・ヘイデンLili Haydn を招聘してヴァイオリンで演奏させたのだ。
Coachellalilihaydn_2 本来なら、このツアーにおけるリード・ギターのDave Kilminster と Snowy White が演奏する部分であるが、彼らのギターは中間部のみであり、その他はリリ・ヘイデンのヴァイオリンの音色の熱演であった。まさにピンク・フロイド時代のギルモアのパートであり、ロジャーは意識してのことか?更にここにヴァイオリンを導入するという発想は聴衆をして驚かせた。彼女は1969年カナダのトロントに生まれクラシック・ヴァイオリンを学んだが、後にロック、ジャズ分野に進出して、1997年にはデビュー・アルバムを発表。注目の的となった。このコーチェラでは彼女のロジャー・ウォーターズとの競演で、我々にとっても彼女の存在に興味を持つことになった。更にCoachellaでは、その他前半においてウォーターズの最近の曲"Leaving Beirut"でも、このリリ・ヘイデンが熱演している。通常なら Katie Kissoon が哀愁のあるヴォーカルで聴かせるパートを、この日はリリがヴァイオリンとヴォーカルで歌い上げ、曲のスタート部と締めくくりにおいての彼女ならではの熱演が見られ圧倒された。
Lilihaydn 彼女のDiscographyを紹介しようLililili_2 LililightbluesunLiligoodbystrangerep Liliplacebetweenplaces

                                 ①Lili(1997)  ②Light Blue Sun(2003)  ③Goodbye Stranger Ep (2007)  ④Place Between Places (2008)

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2008年10月17日 (金)

ピンク・フロイドpink floyd を動かした女達(2)

「狂気 Dark Side Of The Moon」の大成功は・・・・??

Photo  ピンク・フロイドは1973年のアルバム「狂気」の大成功は、その年の夏の2回目のアメリカ・ツアー後は、信じられないほどの資産家となってしまう。そして11月にスタジオ入りするが、新しいものを求めつつも集中力に欠けていた。しかしロジャー・ウォーターズらしく、楽器を使わないという誰もが考えられないアイディアで’74年暮れには「Household Object」というアルバム製作にはいった。しかしメンバーの協力も薄く、結局ものにならなかった。その為「A Nice Pair ナイス・ペア」という過去のアルバム2枚を合体したもののリリースに終わり、彼らは休息を満喫する生活に入る。ようやく動いたのは翌年1974年の11月のイギリス・ツアーで、更に1975年になってアルバム作りにつく。

■ジンジャー・ギルモア Ginger Gilmour(1949-)

Ginger_gilmour メイスン(フランス南海岸)、ライト(ギリシャのロードス島)は別荘生活をしたりで、2人の子持ちになっており、どちらかというと音楽活動は二の次のような生活の中、デヴィッド・ギルモアは、プロンド・ヘアの活発で現実的なアメリカ人女性のジンジャーと生活をともにするようになった。彼女はロックを愛する画家で1975年にはギルモアと結婚した。そして3人の娘(サラ、クレア、アリス)と1人の息子(マシュー)をもうける。いずれにしても彼女は現実主義、打算的であってイギリス的品格を重んずるという面では疑問も多かった。このあたりが、将来ギルモア自身の方向性にも大きく影響することになる。

 音楽ライターのニコラス・シャッフナーによると、この当時はライトは金持ちの生活を謳歌してプール・サイドで水着の美女コンテストなどもしたり、地元の婦人会から午後のもてなしをうけたりという音楽活動特にロック活動とは全くの縁のない遊離したいわゆるブルジョア的生活にうつつを抜かしていたようだ。
 
 一方、ウォーターズは逆で、世界の悲惨な状況に目を向けつつも、一方共産主義者の妻ジュディとの生活の中で、子供を望みつつも叶わず、この1975年に本人にとっても人生どん底の辛い離婚を迎えることになる。
 こうした中で、「炎」の制作に入る訳で、ウォーターズにとっては当時メインの曲であった”狂ったダイヤモンド”は憂鬱そのもののの曲として受け止め、その感覚で歌詞作りに取りくんだ結果、かってのシドへの複雑な思いがほとばしるのであった。しかし曲へはギルモア、ライトの協力も次第に深まって共同作業の形が取り敢えずは出来てきた。

 更にレコード業界からのヒット商品の要望が高まり、機械的に作り上げなければならないような環境の現実に、ウォーターズは敏感に反応してここに彼独特の皮肉が込められた”ようこそマシーンへ”、”葉巻はいかが”が挿入される。
 しかしこのアルバムは既に世界観の異なったメンバーではあったが、ロジャー・ウォーターズ主導の中で、それでもそれぞれの思いをバランスよく取り入れることが出来て、実質的には名実ともに4人の共同作品であり、見方によっては、当時の悪評とは逆に”ピンク・フロイドの結晶”であり、4人の共同制作という事からは最後の作品とみるべきものである。

■キャロライン・クリスティー Carolyn Christie(1946-)

Carolync1 1976年のピンク・フロイドが「炎」リリースした後、イギリス社会は失業と低迷する経済下に突入。そして起こったのはパンクの到来であった。上品な、哲学的な、音楽的かつサウンド重視のロックはまたたくもなく抹殺されていった。ウォーターズはもともと偏執的ともいえる疎外感の中で、政治社会構造への疑問、資本主義体制への激しい闘争的ロックへと向かうことになる。「アニマルズ」の制作だ。ここに体制派のライトは存在位置がなくっていくことになり、4人ピンク・フロイドは崩壊する。

 時も時、ウォーターズのエネルギーとなったのは、このキャロライン・クリスティーの登場だ。彼女はゼットランドのマーキー家の姪にあたり、貴族の血をひく上品なレディーで、ウォーターズに言わせると最初で最後の恋愛であっという。そして二人は結婚する。彼女は後に「ザ・ウォール」の制作に登用されたボブ・エズリン(キャロラインは彼の秘書として働いていたことがあった)を連れてくることになる。

 しかしこの上品で英国的貴族的キャロラインは、その後、ギルモアの妻の典型的な現実的アメリカ人のジンジャーとは、全くの共通点が見いだせず、二人の仲はビートルズのリンダ・マッカートニとオノ・ヨーコの関係みたいに多くの亀裂があったという。かっての少年時代からの4人であれば、なんとか解決できる問題も、結婚してそれぞれの妻達もかかわってくると解決も難しくなってくる。後のピンク・フロイドの抱える分裂騒動、特にウォーターズとギルモアの対立も、こうした女性達の問題もけっしてないとは言えないようだ。

Carolyne ウォーターズはそしてこのキャロラインとの間に男と女の2人の子供(ハリーHarry WatersとインディアIndia Waters)をもうける。それが昨年来の彼の”Dark Side Of The Moon ツアー”のキーボードを担当しているハリー・ウォーターズである。
 アルバム「ザ・ファイナル・カット」のジャケットはウォーターズのデザインであるが、写真はキャロラインの兄弟のウィリー・クリスティーのものが使われた。
 又、ウォーターズがピンク・フロイドから決別して、ソロ・アルバム(「ヒッチ・ハイクの賛否両論」)をリリースするが、そのギタリストのエリック・クラプトンを結びつけたのは、このキャロラインとエリックの妻パティ・ボイド・ハリソン・クラプトンの友情によると言われている。エリック・クラプトンはギルモアの尊敬するあこがれのギタリストで、そのクラプトンとウォーターズが組んだことにギルモアにとっては相当の衝撃があったと言われている。これも宿命の一つであったのか?。

アネッテ・リントンAnnette Lynton

Nickandnettiemason 「狂気」の成功でフランス南海岸に別荘を持ったりで、リンディーとかなり豪華な生活ができるようになったニック・メイスンも、二人の娘の親としても充実していた。
 しかし恵まれたところに、人間関係は難題も持つのは良くあることで、「ザ・ウォール」作成の頃より不安定な関係になり1980年には離婚。
 その後、1990年になってSecond Wifeとしてアネッテ・リントンと結婚する。彼女は木管楽器を演ずる才能を発揮しており、メイスンと音楽的にも良き伴侶となった。結婚してからNettie Masonと呼ばれたのが彼女である。
 メイスンは当時ドラマーとしての能力的評価は既に低空飛行で、ウォーターズは勿論、ギルモアにもピンク・フロイドにおいて同等の力は発揮できる関係になかった。既に下ろされたリック・ライトとまでは行かなかったのは、彼の人間性であったのだろう。もともとウォーターズとは学生時代からの親友と言うことでもあった。
 さらに、この女房からの支持によってメイスンは意外にプラス指向でその後も生きて行けたのであった。二人の間には2人の息子がいる。

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2008年10月13日 (月)

デヴィッド・ギルモア「狂気の祭典~ライブ・イン・グダニスク」

「On An Island」ツアーの最終章ライブ・アルバム

Gilmourgdansk1_2

 既に、この「On An Island」ライブの模様はオフィシャルDVD「覇響」にて全容は観ているが、今回はむしろCDニュー・アルバム・リリースとして捉えていい。つまり2枚組CDアルバムを中心としてDVDにて色づけを加えたものとして制作された。このライブ(2006年)はポーランドのグダニスクで、独立自主管理労働組合「連帯」の結成26周年記念として行われたようだ。このあたりはもともと政治色のないギルモアとしては、異様にもとれるが、ピンク・フロイドの歴史からみればロジャー・ウォーターズの盛んなりし頃の「ザ・ウォール」からの流れもあって、不思議で無いとも言える。ベルリンの壁崩壊を記念した1990年のウォーターズの「ザ・オール~ライブ・イン・ベルリン」の巨大イベントが思い起こされる。あれまでは巨大ではないが、いずれにしてもポーランドの地での大きなイベントの成功は喜ぶべき事だ。今回のリリースは5種類の仕様があるが、特に豪華版はCD3枚+DVD2枚であり、更にVINYL BOX SETのアナログLP5枚セットは注目される。
Gilmourgdansk2

それはさておき、今回の目的はあくまでも2枚組CDとしてきちんと演奏を残しておきたいというギルモア・ミュージックの記念アルバムをリリースしたというところにある。それはDVDでは、当日冒頭の演奏の「狂気」よりの数曲が演奏ミスがあって取り上げられていない。しかし、ギルモアにとっては記念すべき重要な部分でもあり、CDでは後に修正してでもここに納めたかったようだ。確かにCD版は、バンド全体による曲作りというよりは、ややギルモアのギター録音が大きめで、とにかくギルモア・ギターを聴かせたいという意志がはっきり出ていて、かなり念を入れた録音に仕上がっている。今回のこのツアーは確かに各地においてはロックとしては小規模会場が多くをしめていて、それはギルモアのメロディーとサウンド重視の世界観によるところがあるのだろうが、最後の7月からこのグダニスクまでの7回の欧州ツアーは、大規模会場で演奏され、しかもこのグダニスクでは地元ポーランドのオーケストラをバックに盛り上げた。
Gilmourgdansk3  とくに参加ミュージシャンの中ではリック・ライト(残念ながら死亡)とフィル・マンザネラは当然であるが、ジョン・カーリンがキーボードはもちろんであるがスライド・ギターそしてヴゥォーカルでも貢献しているのが注目される。彼はロジャー・ウォーターズの世界ツアーでも重要なメンバーで、こうしてみるとピンク・フロイドの2つの潮流に貢献している貴重な人材である。
 ギルモアは今回のツアーで、”ピンク・フロイドのヴォイスとギタリスト”という看板を下げて行ってはいるが、彼の個人のツアーとしては、初めて成功したモノである。「狂気のプロフィール」ツアーの失敗から、ピンク・フロイドのビック・ネームの必要性を知って、ピンク・フロイド名義の「鬱」「対」ツアーを成功させ、そして個人名義のツアーは20年以上経てここに結実したのである。彼の感動は大きかったと思われる。
 しかし、今回の内容を見てもピンク・フロイドのアルバム「狂気」、「炎」、そして「ザ・ウォール」の”Comfortably Numb”、更には「おせっかい」の”Echoes”が最も受けているところをみると、ロジャー・ウォーターズの「狂気」世界ツアーも同様であるが、やはりピンク・フロイドは偉大であったと知らされるのである。
 いずれにしても、この後、2007年~2008年には、ロジャー・ウォーターズが「The Dark Side Of The Moon ツアー」世界各地で成功させた。面白いことにギルモアの世界、ウォーターズの世界は、それぞれ特徴が出ていて、ピンク・フロイド時代からそれぞれに異なった個性を持って発展していることが解る。
 さて、このアルバムはじっくりCDで、ギルモアの演奏を聴くところがポイントとみる。DVDは、それなりに色づけしてくれているが、映像はこの前の「覇響」で十分目的を達している。ギルモア・ギター・サウンドは、やはり偉大なるAORとして発展して、ここにある。それをそれなりに聴き込むところが我々にとって有り難いのだ。このアルバムには、ギルモアがピンク・フロイドでなくギルモアとして成功した記念として祝いたい。彼は相当に自信を持ったことであろう。

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2008年10月12日 (日)

ピンク・フロイドpink floyd を動かした女達(1)

偉大なり、ウーマン・パワー

 Photo
 
若き少年達が一つの夢を見て結束したグループも、それぞれが成長し家庭を持つ事になると、当然お互いの生活の中から異なった因子も生まれてくる。
 特に女性関係は重要なポイントであったことは、ビートルズその他多くのバンドでみられるように、ピンク・フロイドも例外ではない。彼らも大きな影響を受けながらぎりぎりのバンド・メンバーとしての協調を保ちながら、ロックの道を追求して行くのだった。

■リビー・チィスマン   

 
なんと言っても、ピンク・フロイド結成時のシド・バレットは輝やいていた。その当時のシドのガールフレンドがリビーだ。
 奇才をはなったシドのバックで若き青春の一時をロックとして形成して行く力になったのは間違いない。
 しかしそれも短期間での関係で幕を閉じた。

■リンゼイ・コーナー  Lindsay Corner

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 彼女はピンク・フロイドが軌道に乗った頃のシド・バレットと同棲していた。
  シドの当時のサウンドを地で行くサイケデリックなファッションにシドと共に身を包み行動していた記録がある。若きエネルギーをそうした感覚に投入し、ピンク・フロイド・サウンドを助長させた因子となっていたようだ。
 彼女はどちらかというと控えめであり性格のいい女性と言われ、シドを支えた。
 しかしその後の別れについては詳細は不明。当然シドの生活への正常なる姿がみられなくなることによって、破綻したであろう事は想像に難くない。


■メアリー・ウォーターズ
 Mary Waters(1913~)

Roger20waters スコットランド出身でロジャー・ウォーターズの母親であり、父親の戦死(ロジャーの生まれた直後に出征し戦死)で父を知らない第3子のロジャーを可愛がり、又兄弟3人には正しい教育をしたといわれている。
 彼女は学校の教師であり、又左翼主義者であった。少なくともロジャーがピンク・フロイドの成功により金銭的には恵まれた時にも、プロレタリア生活者の中に拠点を構えたという事の原点であったのであろうし、反戦思想にも大きな影響を与えたのは容易に想像できる。
 又、彼女の親友の息子がストーム・ソージャーソン(ピンク・フロイドの評価の高いアルバム・カヴァー・デザイン担当者)である。
 彼女は近年のロジャーの話では90歳を過ぎて健在という様子であったが、果たして現在は?。
(追記: この記事記載時は健在であったが、2009年に96歳で亡くなった)

■ジュリエット・ゲイル  Juliette Gale

 ウォーターズ(ギター)、ライト(ギター)、メイスン(ドラムス)という布陣で結成されたピンク・フロイドの前身6人バンド”シグマ6”。そこにはクライブ・メットカーフ(ベース)、ジュリエット・ゲイル(ヴォーカル)、キース・ノーブル(ヴォーカル)がいた。

Tumblr_o0ca02ig0c1rtx8x1o1_500 当時リック・ライトと同棲していたのがジュリエット・ゲイルで、後にライトと結婚することになりバンドを辞める。その当時ライトはギターからキー・ボードに変わるが、工芸学校を成績不良で退学させられて、ロンドン音楽学校に通う。こうしてジュリエットに支えられ、ライトのキー・ボードが形成されて行く。ウォーターズもギターのボブ・クローズが入って、リード・ギターからベースに格下げされた。当時シド・バレットも加わった。最終的にはボブはシドと衝突して去り、ロジャー・ウォーターズ、シド・バレット、リック・ライト、ニック・メイスンの四人バンドとなり、バンド名も”ピンク・フロイド・サウンド”となるのだ。
 ライトは彼女との結婚生活の中で、かなりの影響を受けている。それはライトの消極的な因子に対しての彼女の後押し(むしろ気合いを入れられたと言ったほうがよいのかも)が、相当に力になっていたと思われる。しかしアルバム「炎」の後には、二人の間には次第に溝が深まり、「アニマルズ」を経てそして「ザ・ウォール」作成時においては離婚騒動となり、ピンク・フロイド活動にライトはほとんど貢献できない状態に落ち込む。
 まさにその時は、ピンク・フロイドもロック界はパンク、ニュー・ウェーブの嵐のまっただ中で終わりの時とも言える状態に沈下しており、ロジャー・ウォーターズが奮い立って一意専心進路を探っていた時でもあった。そんなバントの危機的状態にもかかわらず、当時の全く無気力で協力のない役に立たなかったライトをみて(もっともライトはウォーターズの感覚にはついてゆけなかったこともあった)、この時既にウォーターズは彼を切ることを決意したのだ。そしてそれは「ザ・ウォール」で現実のものとなる。


リンディー・ルッター Lindy Rutter

Lindy_mason_2
   ピンク・フロイドの本格的始動から1980年までの全盛期に、彼女はニック・メイスンと結婚し、しっかりと支えていた(1968-1980)。特に「狂気」の成功で、ロンドン市内にそれなりの住宅を持ち、かなり充実した生活をしていた。そして二人の間には、Chloe と Hollyの二人の娘が生まれた。
 しかし「ザ・ウォール」の作成から完成してのライブ・ツアーの頃、彼の活動はかなり低下し、ウォーターズから見放されかかっていたのは、1980年に離婚していることをみても、家庭的にも不安定であったと想像される。それはライトの離婚騒動の直後でもある。
   しかし1980年にメイスンは二番目の妻としてアネッテ・リントンAnnette Lyntonと結婚する。その後は「ザ・ファイナル・カット」でも取り敢えずはピンク・フロイドとして活動できたのは、新しい出発があった事によったのか。

■ジュディ・トリム Judith Trim(1943-2001) 

    女性は偉大なる支配者であるとある人は言ったとか言わないとか?、そうした強さと影響力を持った女性である。それはさておきピンク・フロイドが、新しい出発の契機となったアルバム「原子心母」の頃、ロジャー・ウォーターズは彼女と結婚していた(1969年~)。

Judytrim  彼女は極左翼のトロッキー派で、ウォーターズには相当の影響をもたらしたと言われる。
 当時それなりの収入もあったフロイド・メンバー、そのリック・ライトは父親になっており、メイスンも結婚して共にロンドン市内に住宅を購入し生活。しかしウォーターズはアイリントンのプロレタリア階級の住む地に居住し、貧困層に住宅を提供するという活動も行っている。当時のジャーナリストは、ロック・スターがそんなわびしい環境を選んで住んでいたことに驚いたと記されている。更に社会主義者としての行動に理想を持ち、常に現在の自分の生活スタイルに矛盾を感じていたようだ。
 ロジャーは彼女との間に子供を熱望したが、願いは叶わなかった。そして次第に二人の関係は破綻に向かい1975年離婚。
 その後彼女は自力で陶芸家としての人生を歩み、多くの実績を残すという力強い女性であった(2001年乳癌のため死亡)。

 更に彼らのピンク・フロイドとしての活動の中で、諸々に関わる女性の登場をみるが、かなりの影響力を発揮することになる。(続く)

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2008年10月 9日 (木)

映画の話(4)  「大いなる陰謀 Lions for Lambs」

 少しは気楽に映画の話でも・・・と、思いつつも何か結構重い感覚を持ちながら話さざるを得ない映画を取り上げてしまった。
Lionslambs 「LIONS for LAMBS 大いなる陰謀」
  
2007, 20世紀フォックス映画 日本公開2008.4 ,DVD発売2008.8
監督:ロバート・レッドフォード
脚本:マシュー・マイケル・カーナハン
制作:ロバート・レッドフォード他
キャスト&スタッフ:
 マレー教授=ロバート・レッドフォード
 ジャニーン=メリル・ストリーブ
 アーヴィング上院議員=トム・クルーズ
 トッド=アンドリュー・ガーフィールド
 アーリアン=デレク・ルーク
 アーネスト=マイケル・ペーニャ
 これはこの夏のDVDで観たんですが、アメリカ映画としては、なんか久々に考えさせられる映画と言っておこう。目下大統領選で熱いアメリカではあるが、又ある意味では反ブッシュ、反共和党キャンペーン映画ともとれる。3大スターの共演というだけでも興味はそそるところがあるが、イラク戦争、アフガン戦争をテーマとしてのアメリカという国における政治の貧困、マスコミの風見鶏的行為の罪悪、そして教育者と若者の立場をうまくミックスさせて話を進めていく。今現実に動いているアフガンに問題意識を持つが故に軍人として志願する大学生の純粋さと、又それは一方貧困者の選ばざるを得ない道であるという面まで追求している。9.11以来のアメリカのテロとの戦いとしてとってきた道は、結果的に何をもたらしたか?、今戦場で失われていく若者の姿はどう生かされていくのか?。
Lionsslambs2  T・クルーズ演ずるは、対テロ強行派の次の大統領を狙う野心家上院議員、ジャーナリストの対イラクにおける対応について反省と批判精神をもつM・ストリーブ演ずる女性。そして戦争を経験したレッドフォード演ずる大学教授の若者に対しての挑戦。アフガンで無惨にも死んで行く非白人の大学生志願兵をとりまいて、それぞれの立場での対話を延々と描くところは、アメリカ映画としては珍しく単なる派手なアクションを無視した作品で若干引きつけるところとしては弱い面もあるが、それでも3スターの演技はそれを救っているとも言える。
Lionsslambs3  今、現実に起こっている社会現象に、はっきりと問題意識を訴えたところは評価して良いのであろう。
 日本に於ける我々にとっても、政治とマスコミの貧困は同様の問題を抱えているとしか思えない。少なくとも教育畑ではそうでないことを祈るしかないが、果たして・・・・。
 

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