« デヴィッド・ギルモア「狂気の祭典~ライブ・イン・グダニスク」 | トップページ | ロジャー・ウォーターズとリリ・ヘイデン(女性ロック・ヴァイオリニスト) »

2008年10月17日 (金)

ピンク・フロイドpink floyd を動かした女達(2)

「狂気 Dark Side Of The Moon」の大成功は・・・・??

Photo  ピンク・フロイドは1973年のアルバム「狂気」の大成功は、その年の夏の2回目のアメリカ・ツアー後は、信じられないほどの資産家となってしまう。そして11月にスタジオ入りするが、新しいものを求めつつも集中力に欠けていた。しかしロジャー・ウォーターズらしく、楽器を使わないという誰もが考えられないアイディアで’74年暮れには「Household Object」というアルバム製作にはいった。しかしメンバーの協力も薄く、結局ものにならなかった。その為「A Nice Pair ナイス・ペア」という過去のアルバム2枚を合体したもののリリースに終わり、彼らは休息を満喫する生活に入る。ようやく動いたのは翌年1974年の11月のイギリス・ツアーで、更に1975年になってアルバム作りにつく。

■ジンジャー・ギルモア Ginger Gilmour(1949-)

Ginger_gilmour メイスン(フランス南海岸)、ライト(ギリシャのロードス島)は別荘生活をしたりで、2人の子持ちになっており、どちらかというと音楽活動は二の次のような生活の中、デヴィッド・ギルモアは、プロンド・ヘアの活発で現実的なアメリカ人女性のジンジャーと生活をともにするようになった。彼女はロックを愛する画家で1975年にはギルモアと結婚した。そして3人の娘(サラ、クレア、アリス)と1人の息子(マシュー)をもうける。いずれにしても彼女は現実主義、打算的であってイギリス的品格を重んずるという面では疑問も多かった。このあたりが、将来ギルモア自身の方向性にも大きく影響することになる。

 音楽ライターのニコラス・シャッフナーによると、この当時はライトは金持ちの生活を謳歌してプール・サイドで水着の美女コンテストなどもしたり、地元の婦人会から午後のもてなしをうけたりという音楽活動特にロック活動とは全くの縁のない遊離したいわゆるブルジョア的生活にうつつを抜かしていたようだ。
 
 一方、ウォーターズは逆で、世界の悲惨な状況に目を向けつつも、一方共産主義者の妻ジュディとの生活の中で、子供を望みつつも叶わず、この1975年に本人にとっても人生どん底の辛い離婚を迎えることになる。
 こうした中で、「炎」の制作に入る訳で、ウォーターズにとっては当時メインの曲であった”狂ったダイヤモンド”は憂鬱そのもののの曲として受け止め、その感覚で歌詞作りに取りくんだ結果、かってのシドへの複雑な思いがほとばしるのであった。しかし曲へはギルモア、ライトの協力も次第に深まって共同作業の形が取り敢えずは出来てきた。

 更にレコード業界からのヒット商品の要望が高まり、機械的に作り上げなければならないような環境の現実に、ウォーターズは敏感に反応してここに彼独特の皮肉が込められた”ようこそマシーンへ”、”葉巻はいかが”が挿入される。
 しかしこのアルバムは既に世界観の異なったメンバーではあったが、ロジャー・ウォーターズ主導の中で、それでもそれぞれの思いをバランスよく取り入れることが出来て、実質的には名実ともに4人の共同作品であり、見方によっては、当時の悪評とは逆に”ピンク・フロイドの結晶”であり、4人の共同制作という事からは最後の作品とみるべきものである。

■キャロライン・クリスティー Carolyn Christie(1946-)

Carolync1 1976年のピンク・フロイドが「炎」リリースした後、イギリス社会は失業と低迷する経済下に突入。そして起こったのはパンクの到来であった。上品な、哲学的な、音楽的かつサウンド重視のロックはまたたくもなく抹殺されていった。ウォーターズはもともと偏執的ともいえる疎外感の中で、政治社会構造への疑問、資本主義体制への激しい闘争的ロックへと向かうことになる。「アニマルズ」の制作だ。ここに体制派のライトは存在位置がなくっていくことになり、4人ピンク・フロイドは崩壊する。

 時も時、ウォーターズのエネルギーとなったのは、このキャロライン・クリスティーの登場だ。彼女はゼットランドのマーキー家の姪にあたり、貴族の血をひく上品なレディーで、ウォーターズに言わせると最初で最後の恋愛であっという。そして二人は結婚する。彼女は後に「ザ・ウォール」の制作に登用されたボブ・エズリン(キャロラインは彼の秘書として働いていたことがあった)を連れてくることになる。

 しかしこの上品で英国的貴族的キャロラインは、その後、ギルモアの妻の典型的な現実的アメリカ人のジンジャーとは、全くの共通点が見いだせず、二人の仲はビートルズのリンダ・マッカートニとオノ・ヨーコの関係みたいに多くの亀裂があったという。かっての少年時代からの4人であれば、なんとか解決できる問題も、結婚してそれぞれの妻達もかかわってくると解決も難しくなってくる。後のピンク・フロイドの抱える分裂騒動、特にウォーターズとギルモアの対立も、こうした女性達の問題もけっしてないとは言えないようだ。

Carolyne ウォーターズはそしてこのキャロラインとの間に男と女の2人の子供(ハリーHarry WatersとインディアIndia Waters)をもうける。それが昨年来の彼の”Dark Side Of The Moon ツアー”のキーボードを担当しているハリー・ウォーターズである。
 アルバム「ザ・ファイナル・カット」のジャケットはウォーターズのデザインであるが、写真はキャロラインの兄弟のウィリー・クリスティーのものが使われた。
 又、ウォーターズがピンク・フロイドから決別して、ソロ・アルバム(「ヒッチ・ハイクの賛否両論」)をリリースするが、そのギタリストのエリック・クラプトンを結びつけたのは、このキャロラインとエリックの妻パティ・ボイド・ハリソン・クラプトンの友情によると言われている。エリック・クラプトンはギルモアの尊敬するあこがれのギタリストで、そのクラプトンとウォーターズが組んだことにギルモアにとっては相当の衝撃があったと言われている。これも宿命の一つであったのか?。

アネッテ・リントンAnnette Lynton

Nickandnettiemason 「狂気」の成功でフランス南海岸に別荘を持ったりで、リンディーとかなり豪華な生活ができるようになったニック・メイスンも、二人の娘の親としても充実していた。
 しかし恵まれたところに、人間関係は難題も持つのは良くあることで、「ザ・ウォール」作成の頃より不安定な関係になり1980年には離婚。
 その後、1990年になってSecond Wifeとしてアネッテ・リントンと結婚する。彼女は木管楽器を演ずる才能を発揮しており、メイスンと音楽的にも良き伴侶となった。結婚してからNettie Masonと呼ばれたのが彼女である。
 メイスンは当時ドラマーとしての能力的評価は既に低空飛行で、ウォーターズは勿論、ギルモアにもピンク・フロイドにおいて同等の力は発揮できる関係になかった。既に下ろされたリック・ライトとまでは行かなかったのは、彼の人間性であったのだろう。もともとウォーターズとは学生時代からの親友と言うことでもあった。
 さらに、この女房からの支持によってメイスンは意外にプラス指向でその後も生きて行けたのであった。二人の間には2人の息子がいる。

|

« デヴィッド・ギルモア「狂気の祭典~ライブ・イン・グダニスク」 | トップページ | ロジャー・ウォーターズとリリ・ヘイデン(女性ロック・ヴァイオリニスト) »

ピンク・フロイド」カテゴリの記事

ロジャー・ウォーターズ」カテゴリの記事

音楽」カテゴリの記事

ROCK」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.f.cocolog-nifty.com/t/trackback/193563/24570370

この記事へのトラックバック一覧です: ピンク・フロイドpink floyd を動かした女達(2):

« デヴィッド・ギルモア「狂気の祭典~ライブ・イン・グダニスク」 | トップページ | ロジャー・ウォーターズとリリ・ヘイデン(女性ロック・ヴァイオリニスト) »