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2009年9月21日 (月)

私の映画史(3) : 衝撃の映画「情婦マノン」(仏 1948)

ファム・ファタール Femme fatale の魅力と悲劇

 

 人生の中で、映画というものはある意味では文学と同じに、人一人にインパクトを与え、その人間にとって忘れられないものとして存在す因子を持っている。
 そんな意味で、ここに私の10代に衝撃を受けた映画「情婦マノン」を、アイ・ヴィー・シーからDVDとしてリリースされており、ここに回顧してみたい。

 

Manon1 仏映画「MANON 情婦マノン」 1948製作   IVCF-5099

 ファム・ファタール(男達を破滅させる魔性の女)であり、妻である女(マノン)の残酷な環境の砂漠での悲惨な死に遭遇した男(ロベール)が、愛するが故に、置き去りに出来ずにその死体を抱きかかえ砂漠をさまよい、死体にたかるハエを払い、体力を失って行くに従ってよろめきながら、今度は両足を背に逆さに担いで歩く。担がれた死体は衣服が破れ、肌があらわになり、そして逆さのため眼は白目となって開き、口からは血が流れる。
 男は、その女が死んだことで、初めてその女の全てが自分のものになったと、幸せと満足感を感ずるという哀しさ。そして残る力もなくなり、砂漠に女を顔のみ残して埋め、それに自分の顔を寄せて死を迎える。究極の愛の姿として・・・・。

 

 このような壮絶な最終章を描いたこの映画は、1949年ヴェネチア国際映画祭でグランプリを獲得する。

STAFF
  監督:アンリ=ジョルジュ・クルーゾー
  原作:アベ・プレヴォー(「マノン・レスコー Manon Lescaut」1731)
  脚本:ジャン・フェリ/アンリ=ジョルジュ・クルーゾー
  撮影:アルマン・ティラール
  音楽:ポール・ミスラキ

 

  出演: ミシェル・オークレール(ロベール)
       セシル・オーブリー(マノン)


Manon2
 左のマノン役のセシル・オーブリーは、私の目から見てもそれほど美人というタイプでもなく、さりとて小柄ではあるが見るものを引きつける肉感的エロチシズムを感じさせるとして話題になった。そして彼女の熱烈なファンのモロッコの王族の息子と結婚。その為女優生活は短期で終ったようだ。後に離婚し童話作家としての才能を発揮したという。
 一方、マノンを愛したロベール役のミシェル・オークレールは、後にオードリ・ヘップバーンの「パリの恋人」(1957)などや1980年代までフランス映画に脇役で何本かに出演している。

 

 さて、この映画1950年代に私は観る機会があって、若年の私にとっては、愛というものの感動というよりは、最終章のその鮮烈というか、恐ろしい凄絶な映像に圧倒され、脳裏に焼き付いている映画であり、その為何時かはもう一度その内容をしっかりと観たいと思いつつ、ここに来てリリースされているDVDにより、鑑賞できたものである。

 

Manonlescaut ストーリーは、18世紀のプレブォーの「マノン・レスコー」を現代版として脚色して、第二次世界大戦末期のフランスを舞台としての人間模様とユダヤ人の悲劇と絡ませ描いたもの。

 

 レジスタンス運動に加わっていたロベールは、ドイツ人相手に売春をしていたためにリンチにあおうてしているマノンを救ったが、マノンの魅力の虜となって運動から脱落。共にパリに向かったが、マノンは贅沢のために平気で娼婦家業をするほどの悪女であるが、その官能的魅力にロベールは振り回される。その為殺人を犯すことになり逃亡するが、それを奔放な女であるマノンも、本当の愛を自覚しロベールを追う。二人はユダヤ人のパレスチナへの逃亡する群れに紛れるも、アラブ人にマノンは撃たれ死亡してしまう。そしてロベールはマノンの死体を担いで砂漠をさまよい、最後は”マノンは僕のものだ”と言いながら、壮絶な死を遂げる。

 

Manon3  しかし監督クルーゾーの世界は、強烈な印象を残すべく描かれる恐ろしい光景の中にも、逃亡する2人を助ける船長の人間性とか、殺人を犯して逃亡するロベールに本当の愛に目覚めて、まさに手に入ろうとしているあれだけ執着した贅沢な富をも捨て必死に追うマノンの姿、更にマノンの死体を手から放せないロベールの常軌を逸した激しい愛などを、人間の深層に迫る独特のタッチで見せてくれることが、今になって理解できる。
 こうして、初めて観てから50年の経過を経てこの映画に接してみると、もちろんあの死んだ女を担いで歩く恐ろしい映像も重要なポイントではあるが、一方砂漠の中を逃げて行くユダヤ人の一連隊を美しいシルエット画面で描いていることなども眼に映る。それなりに過去と現在では異なったところにも、この映画の価値観を認識できることに気づくのである。

 

Img_1521trw

 

(映画一シーン)

 

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コメント

風呂井戸さん,こんにちは。TBありがとうございました。

この映画が製作された約70年前という時代において,この映画,特に後半部の映像,あるいは表現が強烈なテンションとインパクトを有していたことは想像に難くないです。

それを現代の目で見ると,やはり時代の成せるわざってところがあるとしても,そうした時代を振り返ることは重要だと思えました。昔の映画には現代の映画には感じられない昔の映画なりのよさがありますよね。

ということで,こちらからもTBさせて頂きます。

投稿: 中年音楽狂 | 2019年1月13日 (日) 14時12分

中年音楽狂さん、コメント・TB有り難うござい伸す。
いやはや、中年音楽狂さんがどうしてこの映画にたどり着くことになったのか??、これも不思議の一つですね。日頃JAZZ話で納得しているのですが・・・なんか私の世界にも顔を出してくれたと、ひたすら嬉しくなりました。こうした映画を10代に見ていた私は何だったんだろうと?、自分でふと懐疑に陥ります。当時はほんとに映画の最盛期で、私は撮影所まで出入りしていたことを思い出します。・・・時代は変わりましたね。

投稿: photofloyd(風呂井戸) | 2019年1月13日 (日) 22時38分

50年前に観られたとのことですが、私が「マノン」に出会ったは60何年か前でした。高校生高校生でしたからで、衝撃はかなり処ではなかった。初恋も吹っ飛んで、セエシル・オーブリィは生涯の女となり、今回(H30)ヴィデオでそれ以来の対面で、殆どすべてのシーンが焼き付いているのに、自身驚きを感じました。80歳の爺様ながら、この再会で、少年のごとき涙が流れました。出会いのシーンなど震えがでるほど。 オーバーに言って 実際にもこのような女に出遭って振り回されましたし、人生ツマラナクモあり、オモシロクモあり・・です。
 昨日は「狂熱の孤独」(サルトルの唯一の脚本)
もみたし。・・ワンカットごとの絵が中々ですね。
人の感性は80歳でも衰えないですな 【83老】

投稿: hosei イワサキ | 2019年1月28日 (月) 15時40分

hoseiイワサキ様、コメント拝見しました。この映画との出逢い、そしてヴィデオでの再会などの感想等有り難うございます。
 このブログにこれを書いたのは、2009年ですので私もこの映画との出逢いはやはり今となれば60年前と言うことになりますネ。
 人間年齢を重ねても感性は衰えないことが・・・・良きにつけ悪しきにつけ、生きている実感ですね。

投稿: photofloyd(風呂井戸) | 2019年1月28日 (月) 18時42分

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