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2010年1月30日 (土)

サンタナ SANTANA の衝撃(2)

ブルースからラテン・ロックへ

 サンタナの衝撃のデビューに、もう少し焦点をもっていってみる。
 いわゆる’69ウッドストックのデビュー時は、ようやく彼らのサンタナがバンドとして纏まった時と言っていい。その直前の’68年のサンタナは若干メンバーが異なる。更にその前は、1966年にカルロス・サンタナとグレック・ローリーが中心に6人編成のサンタナ・ブルース・バンドとして活動が本格化したバンドだ。

Fillmore68 「SANTANA  Live At The Fillmore 1968」 SONY RECORDS SRCS 8300~1 1997

 このCDは、30年経てレガシー/コロンビアの”LIVE From The Vaults”シリーズのひとつとして登場したライブ・アルバムCD2枚組。収録は68年12月のフィルモア・ウェスト公演となっている。1stアルバム「SANTANA」リリース前で、メンバーも異なる。ブルース・バンドからロック・バンドとしての体制が完成しつつある時だ。
Photo_2  いずれにしても、”ヴッドストック”デビュー前の David Brown(B), Bob"Doc"Livingstone(Dr), Marcus Malone(cong), Gregg Rolie(Key.Vo), Carlos Santana(G.Vo) という5人メンバーのバンド。

 これがなかなか面白い。サンタナの荒削りなギターは、それこそ新鮮で、グレッグのヴォーカルが響き、やはりジャズ的なブルース・ロックといったところ。
 (収録曲)
    1.jingo
    2.persuasion
    3.treast
    4.chunk a funk
    5.fried neckbones
    6.conqueistadore rides again
    7.soul sacrifice
    8.as the years go passing by
    9.freeway
 ”jingo”とか”soul sacrifice”は、その後のサンタナのラテン・ロックの定番となるもので、ここではその未完成なるだけに面白さがある。 
 ”treat” は、グレッグのジャズ・ブルース調のピアノを基礎に、後半それにカルロスのギターが乗ってくる。”chunk a funk”もファンキーなリズムにジャズ手法のオルガンが熱演し、ブルース・ギターが色を付ける。”Fried neckibones”は、コンガ、ベース、ドラムスの延々と続くリズムが心地よく、いわゆる当時のクロスオーバーでフュージョンと言っていいだろう。
 ”as the years go passing by 時は流れて”はカルロスのスローな泣きのブルース・ギターが堪能できる。
 こうしてみると、やはりブルース・バンドとしての色彩が骨格にあって、それを基礎にラテン・ロックを展開していったことが良く解るのである。

Woodstock さてサンタナがロック・バンドとして成長する中、ドラムスは Mike Shrieve に変わり、Mike Carabello(cong) が戻り、そしてJose' Chepito Areasがコンガ、パーカッションとして加わり、ドラムス・パーカッション隊が強化され、6人体制のバンドとして、あのウッドストックに乗り込むことが出来た。

DVD「woodstock ウッドストック 愛と平和と音楽の3日間」 WB DL-13549 1994

これに、あの歴史に残る世紀の祭典(Woodstock Music And Art Fair 1969.8.15-17)を見ることが出来る。ここにはフィルモアのビル・グレアムが協力して、ゴールデン・タイムにデビュー前のサンタナをねじ込んだ。
Photo そのサンタナの快演が16日(土)に行われ、あのラテン・ロックが会場に響き渡った。特に”soul sacrifice”は、強烈なラテン・ビートと、マイケル・シュリーヴのドラムスの熱演に圧倒され、それに加えてのキー・ホード、エレクトリック・ギターのサウンドに酔って、会場はこの新人バンドにこの日の最高に近い喝采を浴びせたのだった。
 この姿が見事にこのDVD映像に収録されている。

こうしてサンタナは、この後あの1stアルバムのリリースにより、あっという間に世界にラテン・ロック・バンドとして多くのファンを獲得することになる。
 カルロスやグレッグの目指したものが、このラテン・ロック・ビートの音楽であったかどうかは知るよしもないが、取り敢えず世界には、これがアッピールして商業的にも成功する訳だ。
 

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2010年1月29日 (金)

LP-Playerの復活(5) 1969woodstock の衝撃:サンタナ SANTANA(1)

驚愕のラテン・ロック

LP時代といえば、特に1960-1970年代の熱い時代、それはやはりロックの花盛りであろう。私にとっては1968年、CCR(Creedence Clearwater Revival)の”スージーQ”、ピンク・フロイドの”神秘 A Sauceful Secret”でロックに開眼。それ以降40年以上、もちろんキング・クリムゾンを経て、諸々のロックに浸ってきたわけである。しかしその流れと並行して、’69年のウッドストックの衝撃は、Jefferson Airplane 、Janis Joplin、 Jimi Hendrix、 The Whoでなく、サンタナSantanaだった。

Photo  サンタナは、カルロス・サンタナCarlos Santanaとグレック・ローリーGregg Rolieによって’66年サンタナ・ブルース・バンドを結成したことからスタートしている。
 ’67年にはロック・バンドのサンタナとなる。この当時はもちろん我々の知るよしもなく、あの驚愕のパーカッションを効かせたラテン・ビートにロック・ビートが乗って、更にカルロスの泣きギターが圧倒したのは、あの自己意識、平和意識の広がる中での’69年8月ニューヨーク郊外ベセルの丘に40万人以上と言われる若者の集まった”愛と平和と音楽の祭典”ウッドストックだ。

1st  そして我々の前に登場したのが・・・・
「SANTANA / サンタナ」 CBS SONY SONP-50179  1969

このライオンの叫ぶ顔の印象的なジャケ、30×30cm以上のLP盤では圧巻である。しかもこのライオンの顔は少なくとも6人以上の女性の顔から成っているという曰く付きのもの(カヴァー・アート : Lee Conklin)。そしてこの日本版アルバムは友人からプレゼントされたもので(当時¥1,800 , SX68サウンド と名付けられた新良好カッティング盤)、現在黄色みが帯びてしまっているが、私にとっては記念的貴重盤である。

(メンバー)Carlos Santana(G), Mike Carrabello(Perc.), Dave Brown(B), Jose' Chepito Areas(Tim,Conga), Mike Shrieve(Dr), Gregg Rolie(Pian,Org) の6人バンド

(曲)
   1.waiting
   2.evil ways
   3.Shades time
   4.savor
   5.jingo
   6.persuasion
   7.treat
   8.you judt don't care
   9.soul sacrifice

 ウッドストックで聴衆を驚かせた”soul sacrifice”が最後を飾っている。この曲はこの時以来、サンタナのライブでは現在でも必ず登場する。更に”jingo”なども常に登場する曲だ。シングルでは”evil ways”もヒット。
 彼らのコンガやパーカッションの刻むビート、ロック・ドラムスの響き、ハモンド・オルガンの叙情的とも言える音色、そしてエレクトリック・ギターの叫びと泣きは、とにかく斬新、新鮮であった。そしてラテン・ロックと表現され、サンタナは一躍世界に名を馳せる。

Abraxas そして彼らの人気を決定づけたのは、2ndアルバム「ABRAXAS 天の守護神」 CBS SONY SOPN 44004 1970

ここに登場するフリートウッド・マックの曲”black magic woman”は、全世界的ヒット曲となり、”oya como yaぼくのリズムを聞いとくれ”、”samba pa ti 君に捧げるサンバ” もヒットするという全米No1アルバムとなった。ラテンとロック、ブルースのポップな展開は広い層にアッピールした。A面最後の”Incident At Neshabur ネシャブールの出来事”にはジャズ的因子とカルロスの精神性、そしてこれから先への進歩する演奏スタイルが見える。
 私はもともとラテン・ミュージックという色分けも知らない頃、ペレス・プラード楽団のマンボに驚かされ、洋楽の楽しさに惹かれた時期があった。1950年代に日本に於いても一世を風靡した訳であるが(映画「海底の黄金」の主題曲”セレソ・ローサ”)、そうした中からラテン楽器の醸し出すリズムは結構好きであった為、このサンタナのロック界への登場は大いに歓迎したものであった。

 

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2010年1月26日 (火)

LP-playerの復活(4) ハービー・マン Herbie Mann の多様なジャズ・フルート

ロック、ボサ・ノヴァをこなすジャズ・フルートのハービー・マン

 長らく離れていたLP盤の再聴を今年のスタートに当たって行っていると、やはり1960~70年の熱き時代が、いまもつい先日のように感じられる。
 そんな中で、このところ触れてきた”セルジオ・メンデス&ブラジル’66”そして”バーデン・パウエル”のブラジル・ボサ・ノヴァの世界に足を入れたところで、当時ジャズ・フルートのハービー・マンに繋がるところをここで回顧するのだ。

Vossanova 「Do the Bossa Nova With HERBIE MANN ボサ・ノバ/ハービー・マン」 ATLANTIC P-6096A 1972
 
 日本でこのアルバムがお目見えしたのは、セルジオ・メンデスやバーデン・パウエルのボサ・ノヴァをベースにしての音楽が60年代後半に知れ渡ったことによる。実はそれより前の1962年に、ジャズ・フルート奏者のハービー・マンが彼らのブラジル音楽に注目して収録したアルバムがあった。それがこのアルバムで、日本では1972年にお目見えしている。

 当時、バーデン・パウエルはボサ・ノヴァ・ギターにその実績を積み上げているが、セルジオ・メンデスはまだ例のロック感覚を加味したブラジル’66の世界には至っておらず、むしろサンバにジャズ的アプローチを試みていたジャズ・ピアノ奏者だった。
 そしてこの両者は、ハービー・マンがブラジルを訪れた際に共演したのである。収録8曲の内、2曲にセルジオ・メンデスとボサリオ6重奏団が、さらに別の2曲にバーデンのギターが登場する記念的貴重盤だ。特にB面3曲目には、あのバーデンの曲”Consolacao コンソレーション”が彼のギターで登場し主たる旋律を奏でて、ハービーのフルートがバックを構成しながら合間にアドリブ的演奏で味付けしている。こんな共演が楽しめるのだ。
 このようにハービー・マンはクールでモダンなサンバ=ボサ・ノヴァに興味を持ち、彼のフルートを生かす方法論を作り上げたのだった。

Menphisunderground  日本において、ハービー・マンは「Memphis Underground メンフィス・アンダーグラウンド」ATLANTIC AMCY-1042  1969 で名を馳せたと言っていい。

 今でもこのアルバムには絶賛する人が多い。’60年代後半のソウル、ロック、ファンクなど取り入れたジャズ・スタイルが興味が持たれてきた中で、特にハービー・マンのそうした意欲は旺盛で、このあと大きなジャズ界のムープメントであったフュージョンの先駆者とも言える。
 アルバム・タイトル曲”Menohis Underground”は彼の作った代表作。リズム・セッションが流れる中に、ハービーのフルートとロィ・エアーズのヴィブラフォンが掛け合いを繰り返し、アドリブを効かせて進行する。
 メンバーは、フルートのHerbie Mann と ヴァイブラフォンのRoy Ayers、ギターの Larry CoryellとSonny Sharrock それに加えてのメンフィスのリズムセクションである。永遠の名盤だ。(デジタルリマスターした2007年のCD盤 WPCR-75356 がある)

Goldenprize 左の「HERBIE MANN and Soul Flutes  GOLDEN PRIZE」 A&M  GP-204   1971 という如何にも大衆受けを狙ったアルバムもあった。

 アルバム名にある Soul Flutes というのは、このアルバムの為に結成されたグループのようであるが、全12曲あらゆる分野のポピュラーな曲をハービー・マンのフルートを中心に、主としてラテン・ロックに乗ったイージー・リスニング・ミュージックとして展開している。こうした大衆サービス的なアルバム造りをしたのは、当時あまりにも彼のフルート・サウンドが広く受け入れられた為であろう。そんな意味で、私にとっては若干魅力には乏しいところであったが、”Unchain My Heart”、”Scarborough Fair”、”朝日のあたる家”などなど続々ポヒュラー・ミュージックが登場する中で、私はディズニーの漫画映画からの”Trust in Me”が、彼らしいフルートの美しい世界が聴けて救いであった。

Pushpush さて、その後ATLANTICから、ロック・ギタリストのデュアン・オールマンを迎え、バックにはジャズ界のセッション・マンを集め、彼独特のロック、ソウル、ジャズのクロスオーバーを作り上げたアルバムをリリースした。
「HERBIE MANN  PUSH PUSH」 P-8164A  1971

 このあたりは、本当の彼のやりたかった曲なのだと思う。アルバム・タイトル曲の”push push”などは、フルートとパーカッションの掛け合いから、エレキギターのリードなどを織り交ぜて素晴らしい。これは当時、他にみない独特の感覚を呼び起こしてくれてハービー・マンのファンになったものだ。このアルバムはその他フルートとギターの掛け合いが面白い曲など、今聴いても素晴らしい。これがハービー・マンだ。

Mississippi もう一つ私のお気に入りのLPがあった。
「HERBIE MANN  MISSISSIPPI GAMBLER」 ATLANTIC P-8246A  1972

 
これは、ハービー・マンが余りにも多彩な音楽スタイルを取り入れて演奏する中で、再び彼自身の原点回帰をしたようなもので、あのヒットしたアルバム「メンフィス・アンダーグラウンド」の流れのアルバムだ。ディープ・サウスのミシシッピー一帯は黒人達のミュージックをもとにジャズ感覚の宝庫。彼はそこから多くを汲み取ってこのアルバムを作り上げたのだろう。彼の曲”mississippi gambler”は、コンガが刻むリズムにフルートが踊り、そしてテナー・サツクス(David Newman)、ギター(Reggie Young)が次第に色づけして行くスタイルで楽しい。

 1930年ニューヨーク生まれのハービー・マンは、残念ながら2003年に亡くなっている。テナー・サックス奏者からフルートに転向して、ワールドミュージュックの要素を多角的に取り入れて、ボサ・ノヴァをいち早く演奏したり、ニュー・ロックとジャズを組み合わせ一つの世界を作り上げたりして、一世をを風靡した。私にとっては、やはりLP時代の忘れ得ないミュージシャンであった。

(視聴)

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2010年1月21日 (木)

LP-Playerの復活(3) ボサ・ノヴァのギター名手バーデン・パウエル

私の愛聴LP盤の復活の最右翼=BADEN POWELL

 懐かしのLP盤を聴いていて、あの’60年代の熱き時代を回顧する中で、”セルジオ・メンデスとブラジル’66”を楽しんだ若き時の思い出の中で、ボサ・ノヴァとなると、どうしてもここで触れざるを得ないのが、ブラジル・ギター名手のバーデン・パウエルRoberto Baden Powell de Aquino(1937.8.6-2000.9.26) がいたことである。1960年代のことで、多くのアルバム(LP)を手に入れていたわけでなく、当時唯一惚れ込んで手に入れたアルバムがあった。

Bpauel Baden Pouwell TEMPO FELIZ テンポ・フェリス/バーデン・パウエルの芸術」 PHILIPS SFX-7299 (録音1966)

 
 このアルバムがリリースされたのは1966年であり、私が手に入れたこの盤は、来日記念盤という帯があるので1970頃か?と思うが、どうも正確なる記憶はない。ボサ・ノヴァ・ビートのセルジオ・メンデスを知った後に、ボサ・ノヴァに興味を持ったことにより、このアルバムに接することになったと思う。
1967bpauelphotob  このアルバムから受けるギターの世界は、静かな中に人間模様が描き出され、私にとっては、日本とは異なるブラジルという国に伝統的に流れてきた人間愛が感じられたというのが、愛聴盤となった所以である。
 演奏メンバーと楽器は下記の通りでクァルテットの構成である。
  バーデン・パウエル(ギター)
  マウリーシオ・アインホルン(ガイータ)
  エジソン・ローボ(ベース)
  シーコ・バッテイラ(ドラムス)
 この構成の中のガイータというのが、聞き慣れない楽器であったが、どうもこの盤の解説の大島守によると、鍵盤付のハーモニカか普通のハーモニカらしいという。音色からはまさにハーモニカであるが、この音がバーデン・パウエルのギターとマッチして、哀愁があって素晴らしい世界を与えてくれるのだ。

(曲リスト)
  1.VOU POR AI
    2.APERO (哀訴)
    3.A CHUVA(雨)
    4.DEIXA(離別)
    5.CONSOLACA~O(なぐさめ)
    6.SEM SABER
    7.PRO FORMA
    8.TEMPO FELIZ(幸福な時)
 曲1.は、静かにハーモニカとギターで語りかけるように曲が展開して、もうこれで虜になってしまう。  曲2.、は愛の心の訴えるギターの音色が聴きどころ。 曲3.は、静かな心休まるギターが美しく、後半登場するハーモニカも全くの精神安定剤だ。 曲4.は、パーカッションが入ってリズミカルな曲。離別というタイトルとイメージが異なるが、どうも”放っておきなさい”という意味でもあるようだ。  曲5.は、セルジオ・メンデスも演奏しているバーデンの曲、旋律を冒頭ではハーモニカが旋律を奏でて、ギターがむしろリズムを刻んで、この関係が見事である。次第にドラムスをバックにギターが主役となってメロデックな演奏を聴かせる。 曲6は、ギター演奏のテクニックが素晴らしい。 曲8は、なんと言ってもアルバム・タイトルになっている曲で、締めくくりの曲として美しく心地よい。
 とにもかくにも、このアルバム、私にとっては歴史的宝物と言いたいものだ。

Bpauelbest  ところで、ここに来て2009年になって、彼のベスト・アルバムが ユニバーサルから例の高音質のSHM-CDでリリースされている。さっそく先日手に入れて聴いてみた。
 「Baden Powell Best Selection 華麗なるボサ・ノヴァ・ギター バーデン・パウエル」 UICY-80009
 
 これには、1960年代の演奏21曲が集められていると記されている。上に紹介した私の愛聴LP盤に収められた曲は5曲ここにお目見えする。ただし、テイクが異なっていて、ここでは愛聴盤クァルテットのものは収められていない。主としてパーデン・パウエルのギターの演奏が前面に出たものが多く、それにフルートとの競演ものが多い。これはこれなかなか聴かせてくれるもので、音も良好でお勧め盤でもある。ただ、私にとっては紹介したハーモニカの加わるクァルテットのLP盤のイメージが強烈であり、ちよっと寂しい気持ちでこのベスト盤と接しているというのも事実である。

 LP盤を、過去を懐かしんで最近聴いている中で、どうしても離すことの出来ないアルバムのあったことを、40年ぶりに再認識しているところだ。


 

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2010年1月20日 (水)

ニュー・ボサ・ノヴァのセルジオ・メンデス ~Part2~

進化するセルジオ・メンデスの歩み

 ”セルジオ・メンデス&ブラジル’66”は、1971年には”ブラジル’77”となり、更に’70年代末には”ブラジル’88”と発展して行くわけであるが、彼の音楽スタイルは、ブラジルを基盤としての多彩な時代の流れを取り入れて多様に変化しつつ現在まで繋がっているわけだ。特に’70年代はスティービー・ワンダーも参加する交流があったり、フュージョン系のアルバム(アルバム・タイトル「SERGIO MENDES」1975年)もリリースしたりと多彩である。

Segiomendes2006  特に、私の思い入れはブラジル’66時代であり、その後の流れには希薄になってしまったが、近年2006年には、少なくとも10年の音沙汰無し後の復活で、左の「SEGIO MENDES -timeless-」Concord/Hear 0013431231523 リリースして驚かされた。
 このアルバム、ヒップ・ホップ&RAP と彼のかってのブラジル’66時代のニュー・ボサ・ノヴァ・ビートとの混成ミュージッックを開拓したのだ。とにかく40年経過して、その時代の流れを吸収する能力には恐れ入ったというところ。これはヒップポップアーティストであるウィル・アイ・アムとの合作と言っていい。特に私の知らない分野の多くの面々をゲストに迎えてのこのダンス・ミュージックは、世界の若い世代にブラジル・ミュージックを広げたという成果も大きかったようだ。
 とりあえず、昔のブラジル’66時代からの変化を知ろうとして、このCDアルバムは手元にあるが、一口で言うと、楽しい世界と言っていいと思う。

 とにかく、私にとってはセルジオ・メンデスは60年代のある意味でのラテン・ロックというブラジル’66時代が全てであって、その当時の女性ヴォーカルのラニ・ホールなんかは非常に懐かしい。彼女は当時のプロデューサーのハープ・アルパートと結婚して、その後の音楽活動も長く、映画007の主題曲”never say never again”の世界的ヒットなどもある。

Sergio66besto  昔のLPでは少々頼りないため、何年か前に買ったブラジル’66時代のベスト盤が左のアルバム「SERGIO MENDES & BRASIL'66 BEST SELECTION」 EMC-504 である。
 これには、”mais que nada”を代表に18曲が収録されている。復刻のためノイズありの断りがありますが、取り敢えずはベスト盤としての意味はあるものだ。ただ欲を言えば、ビートルズの”Daytripper”は収められているが、”Fool on the hill”がないのが寂しい。などなどそれでもCDのベスト盤として、ときには聴いてきたわけであるが・・・・。

Sergio66bestn  ところが、2008年には、UNIVERSAL CLASSIC & JAZZ から「SERGIO MENDES & BRASIL'66 BEST HITS THE LOOK OF LOVE」 UCCU-8009 がリリースされている。
 これはブラジル’66時代のかなり出来の良いベスト盤で20曲が収められ、取り敢えず私は納得の一枚である。音質も改善が計られていて、セルジオの60年代衝撃のボサ・ノヴァ・ビートを知るにはお勧めの一枚である。

 私にとっては、セルジオ・メンデスは、ブラジル音楽のボサ・ノヴァというもののポップな発展形を楽しませてくれた若き時代の宝でもあり、古きLP盤を再検証しているなかで、懐かしき思い出を引き出してくれたアーティストである。彼は1941年生まれで、今年は69歳になると思われるが、なんか70歳記念の新展開なんかもありそうな雰囲気を感じているというところだ。
 

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2010年1月18日 (月)

LP-Playerの復活(2)   ”セルジオ・メンデスとブラジル66”のニュー・ボサ・ノヴァ

熱き時代の’60年代後半の花 :  圧巻のニュー・ボサ・ノヴァ・ビート

 1960年代は、日本ならず世界が一つの転機を迎えていた。英国のビートルズのニュー・ロックは世界を巻き込んで一大革命をもたらした。昨年末に、私はLPターン・テーブルを復活させたことにより、過去のLPアルバムを紐解いている中で、60年代後半は非常に熱くそして密度が高かったことが思い起こされる。
 ロック畑では、私の場合はビートルズにはいまいち興味は薄く、CCR、ピンク・フロイド、キング・クリムゾン、サンタナと言う流れでロックに開眼したわけであるが、その当時一方で私が傾倒した中で、”セルジオ・メンデスとブラジル’66”があったことを思い出したのだ。

Photo 当時手に入れたセルジオ・メンデスとブラジル’66の1stアルバム「SERGIO MENDES & BRASIL'66」A&M Records AML15 1968
  昔からブラジルにあるどちらかと言えばクールな大人のイメージのボサ・ノヴァを、ブラジルのサンバとロック・ビート、ゴーゴーのインパクトを加味してのセルジオ・メンデス独特のニュー・ボサ・ノヴァの出現は、当時の若き私にとっては強烈だった。
特に”Mais Que Nada マシュ・ケ・ナダ”の新鮮なビート、そしてリズム感たっぷりの女性ヴォーカルは、今までになかった新しい世界だった。今ここに破れて落ちそうになっている帯付きのLPを再生していると、私の音楽を愛する一翼であるポピュラー・ミュージュックの世界のスタートをみる思いである。
 このアルバムには、ビートルズの”DAYTRIPPER”も演奏されているが、まさにビートルズの世界とは全く異なったリズム感と女性ヴォーカルの醸し出す世界は魅力的で、お見事であった。更にブラジルの世界を醸し出す”おいしい水Aqua de Beber”、スロー・ナンバーの”Slow Hot Wind”などは私の好む世界である。

  (メンバー) ジャニス・ハンセン(女性ヴォーカル)
         ラニ・ホール(女性ヴォーカル)
         セルジオ・メンデス(ピアノ)
         ボブ・マシーズ(ベース)
         ジョアン・パルマ(ドラムス)
         ジョゼ・ソアレス(各種打楽器)

Photo_2これは、彼らの3rdアルバム「LOOK AROUND」 A&M Records  AML-16 1968 
  この盤を聴き直しているが、意外に当時の印象が少なかった。しかし、このアルバムではビートのみでなく、ストリングスがバックに登場しての女性ヴォーカルの美しく歌い上げる流れも一つの聴きどころとして受け止めた記憶がある。
 B面のトップに映画「カジノ・ロワイヤル」の”The Look of Love”が登場するが、このセルジオ・メンデス流の編曲が楽しめる。又それに続いての”Pradizer Adeus さよならをいうために”は、ビートはあまり前面に出さずに、甘いムードで構成していてこれも聴きものだ。

Photo_3

 さて、いずれにしても一番私が何度も聴いたのは、この4thアルバムである。「FOOL ON THE HILL」 A&M Records AML-23 1969
 言わずと知れたビートルズの”Fool On The Hill”をサンバに近いタッチで、そしてラニ・ホールらの女性ヴォーカルが妙にクールな印象を醸し出す。これを聴いたとき、ビートルズの原曲以上にインパクトがあったのを思い出す。
 実は、このアルバムからこのブラジル’66はメンバー・チェンジをしている。オリジナル・メンバーはセルジオとラニのみである。他の4人はむしろブラジルの実力者を集めている。”FESTA”という曲も聴いても解るが、サンバ・ロックを聴かせその後それに変わってスロー曲への変調を取り混ぜて、曲の構成を複雑にしている。
 これまでのアルバムは全て中村とうようがライナー・ノーツを書いている。そしてかなりセルジオの曲分析には説得力があると思う。彼はこのアルバムにおいては、彼らの曲はボサ・ノヴァと言うよりは、むしろ”ラテン・ロック”と表現したほうが的確かもしれないことを、セルジオのインタビューも含めて紹介しているところが興味深い。
 いずれにしても、このアルバムは私にとっては愛聴盤であった。ラス前の”去りゆく夏 When Summer Turns To Snow”などの美しさは忘れられない。

Photo_4 6thアルバム「モーニン YE・ME・LE」 A&M Records AML-51 1970
 このアルバムには、4thアルバムと同メンバーであるが、そこにギターが加わった。そして更にブラジル色を発展させている。又ビートルズの曲は何時も取り上げてきたが、ここでは”ノールウェイの森”が登場する。やはり彼ららしい編曲でかなり活性度が高い印象に変わっている。
 このアルバムになってセルジオの曲の完成度は更に高まっていると言っていい。それはある意味ではスタート時より、若干マニアックになってきていると思う。
 こうして40年前のLPを現在に再現してみている中で、このアルバムはあまり印象に残っていないのだが、むしろ今となって新鮮な感覚で聴いているところが不思議である。特にセルジオが歌っている”Where are You Coming From あなたは何処から”は、何か現代調といってもおかしくない説得力のあるものだ。

 LPターン・テーブルの復活から、過去に虜になったと言ってもよいアルバムを今にして聴き直していると、不思議に当時の若かりし頃の気持ちになれるところが実に楽しい。ロックの開花と並行してのセルジオ・メンデスとブラジル’66の活動は、私にとっての一つの花でもあったのだ。
 

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2010年1月12日 (火)

LDの復活(3)ピンク・フロイドの分解と新生

LD(レーザー・ディスク)にみるピンク・フロイドの解体時代

 映像メディアとして、過去の遺産になりつつあるLD盤を回顧再生させることから始まった今年であるが、奇しくもピンク・フロイドの20年前の歴史的変化とCD、LDというデジタル時代の始まりが一致しているところが妙に興味をそそる。
 取り敢えず、保持している約20年前のLDを懐かしながら再生させて、現在進行しているというロジャー・ウォーターズの”新ウォール・コンセプト”、”新ピンク・フロイド時代の開幕”などなど憶測される2010年、諸々期待を込めながら回顧してみたいのだ。

 ロジャー・ウォーターズがエリック・クラプトンを起用してのピンク・フロイドを離れてのソロ・アルバム「The Pros and Cons of Hitch Hiking ヒッチハイクの賛否両論」のリリースは1984年。これはアルバム「THE FINAL CUT」以上に、ウォーターズの個人的テーマ過ぎると、フロイド・メンバーから拒否されてやむなくソロとしてリリースしたわけであるが、この時はまだLP盤であった。
 その後、ウォーターズがフロイド・メンバーの協力得られずで、独自で活動を決意したコンセプト・アルバム、それは米ソの冷戦時代の影に見え隠れする核による最終戦争の危機を取り上げたアルパム「RADIO K.A.O.S.」であった。この1987年、この時にはLPに変わってCD盤となり、デジタル時代の開幕だ。
Radiokaos そして、映像盤として1988年LD singleというタイプで「RADIO KAOS」(CBS/SONY 27LP132)をリリース。
 この時は、ウォーターズはピンク・フロイドとの訣別を意識して ”Roger Waters & BLEEDING HEART BAND” を結成している。
 実はこのアルバムで興味深いのは、最後の曲が ”The Tide is Turning 流れがかわる時” で、ここでは"世界がどんな形であろうと、流れは変わりつつある" と、東西冷戦の終止符を予感している。そしてベルリンの壁は1989年崩壊するのであった。

Photo_2 一方、1984年のソロ・アルバム「About Face 狂気のプロフィール」リリースそしてツァーに入ったデヴィット・ギルモアは、その寂しい結果に終わりったことより、ピンク・フロイド名義に固執。ニック・メイスンと共にピンク・フロイドとして「A Momentary Lapse of Reason 鬱」を1987年リリース。そのライブ映像版として左の1989年「Delicate Sound of Thunder  光」(CBS/SONY 42LP136) を出す。これは過去のピンク・フロイドの人気サウンドの再現をとにもかくにも追求したもので、人気は上々で成功裏に終わり、来日も果たした。しかし、残念ながらウォーターズのようなプログレッシブなアプローチには欠けていて、AORショーとしてのニュアンスの強いフロイドの出発点にもなった。

Wallberlin しかし、人気面では自分がかって渾身の思いで作り上げたピンク・フロイドに破れたとはいえ、こうした中でもウォーターズの反戦をかざした活動は、1989年11月のベルリンの壁の崩壊を機に、ベルリンに於いて、戦争等の被害者に対しての災害救済基金の為のチャリティ・コンサート”ザ・ウォール:ベルリンライブ”を1990年に敢行。その映像が左の「THE WALL Live In BERLIN」(VIDEOARTS VALP-3180) だ。
 近年、DVDで再リリースされてはいるが、ウォーターズのBleeding Heart Bandを中心に、多くのゲストを迎えたこのライブは、ベルリンのポツダム広場に15万人が集まるという大イベントとなり、その模様はこのLD盤で我々の眼に映されたのだった。
 こうして、ウォーターズの活動は、反核の映画「When The Wind Blow」のサウンド・トラックなども含めて、社会問題に迫るロック活動が形作られて行く。

Lacarrera さて、ギルモアが率いるようになったピンク・フロイドはどうかというと、なんと1992年左のLD映像盤「La Carrera Panamericana 道」 (SONY SRLM-822) をリリースした。かってのメキシコ縦断カー・レースが1991年に復活して、それに参加したメイスンとギルモアの映像。そしてサウンドは主として「鬱」収録曲。
 カー・レースに興ずるこのピンク・フロイドを名乗る2人の脳天気な映像に対して、世界問題に真摯に対峙しているウォーターズとの違いが歴然としてしまった。更に、この中に”ザ・ウォール”の"Run Like Hell" が使われており、それを知ったウォーターズは、彼の精神でもあったかってのピンク・フロイドを愚弄(ぐろう)するものと怒ったのだ。
 このLD盤は、ギルモアの過去のフロイド・サウンドの再現に喜んで、そして支持してきたもの達にもさすが反感が生まれ、その後ギルモアは自分の記録の中にこれを載せていない。

 今ここに、1980年代後半から1990年始めにリリースされたビンク・フロイド関係の4枚のLD盤を並べ、懐かしく視聴していると、あれから25年の経過の中で、ウォーターズは自己の作ったピンク・フロイドと戦いながら、社会問題に挑戦して来た姿が良く理解できる。又、一方ギルモアはいわゆるロック魂とは離れても、音と音楽志向で生きてきたところにも一つの世界があったと思う。ライトの亡き今、ピンク・フロイドにまつわる噂は、両者の過去の遺産を持った二人への期待で満ちているし、ウォーターズは例のオペラ活動も一段落して、間違いなく”新ウォール・コンセプト”で動いている。今年は何か新しい展開がピンク・フロイドにはありそうだ。
 
 

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2010年1月 7日 (木)

LDの復活(2):ピンク・フロイド他サイケデリック・ロック

1960年代のサイケデリック・ロックの世界

 レーザー・ディスク・プレイヤーを復活させて(この”PIONEER CLD-99S” は、今でもそれなりの良好な音質でCDも聴けると言うところが泣けます)、過去にためこんできたLD盤をあさっていると、DVDに慣れてしまった今となると、この光った大きな実質のある盤に存在感を感ずる。そして既に忘れていた面白いモノも出てきて結構懐かしがりながら、この新年は遊んでいます。

Psychomania_2 「Psychomania THE BEST OF PSYCHEDELIC ROCK サイケデリック・ロックの奇跡」 videoarts japan 1991 (元はUK盤)
 ここに登場する1960年代のロック・ムーブメントであったサイケデリック・ロックとして登場する映像は、17のグループもしくはアーティストと多彩である。 ここでサイケデリック・ロックについて語っているので、それを紹介しよう。
・・・・・ある種の精神状態であり、R&B、ソウル、メタル、フォーク、そして勿論ロックといった様々なスタイルから成る一つのスタイルである。あらゆるタイプのサイケデリック・ミュージックには、ルールは破られるためにあるという哲学があり、それは商業的成功よりは重要なこととされる。・・・・・
 と、表現されている。このサイケデリック・ロックは、かってはアシッド・ロックとも言われ、LSDとの関係も意識されていたもので、あの60年代の世相ともマッチングしたものと理解される。それはさておき、ここに登場するバンドをちょっと紹介しよう。

Pink_floyd_2 ピンク・フロイド=彼らは、シド・バレットが在籍した当初は、やはりサイケデリックといって良いだろう。ここに収録されているものは、シド脱退後のギルモアが加入しての”太陽賛歌”、”神秘”である。後に1970年の「原子心母」からプログレッシブ・ロックと言う世界を開拓したした彼らであるが、この両曲を盛んにライブで演奏していた世界観は、やはりサイケデリックを基礎としてのイメージも強い。しかしウォーターズのドラマチックな曲展開とライトのキーボードによる浮遊感は後のプログレへの発展的形態をとっている(この収録は多分1968年と思われる)。

Jeffersonairplane ジェファーソン・エアプレイン=米国がベトナム戦争を開始した1965年にサンフランシスコで誕生した彼ら。メンバー交代もあるが、’67年のヒットの”ホワイト・ラビット”がここに収録されている。彼らは特に東洋志向があって、広島の原爆(アルバム「クラウン・オブ・クリエイション」(1968))を問題視して取り上げたりもしている。その外、泥沼化したヴェトナム戦争、黒人暴動など社会問題に積極的に関わった活動をしたところが、60年代のムーブメントとしての象徴のようなバンドであった。

Soft_machine ソフト・マシーン=カンタベリー出身の仲間で結成したグループ。フリー・ジャズに影響を受けたと思われる彼らの現実離れした音楽は、’67年頃ロンドンではかなりの評判を勝ち取った。その後はメンバーが変わっているが、この結成当時の彼らはやはりサイケデリックと言っていいだろう。ここには”We Know What You Mean”が収録されている。

Newsfrank_zappa フランク・ザッパ&ザ・マザーズ・オブ・インベンション=60年代中期に出現した、とにもかくにもサイケデリックというか奇妙なバンド。ロックが歩む自由で、そして訴えていく活動の典型のようなこのバンドには全世界が圧倒された。”The Sun of Suzy Creamcheese”の演奏が見られる。

 このLDには、その他ジミー・ヘンドリックス、スティーブ・ミラー・バンド、バーズ、ファミリー、イッツ・ア・ビューティフル・デイ などなど、ロック創世記の姿が映像を通して見られる。
 ビートルズやローリング・ストーンズもこうしたロックの流れには何かしの影響を受けながら(と言うか共存していたところもあり)ポップなロック・バンドとして世界制覇をするわけだが、このサイケデリックな感覚はロックの重要な原点でもあったと言える。

 今、LDは過去のメディア(媒体)となってしまったが、多分まだその遺産は多く存在していると思われる。このプレイヤー自身の寿命もないわけではないため、他の媒体に移しておかざる得ない緊迫感を実はここに来て実感として持っていると言った状態なのだ。

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2010年1月 6日 (水)

キング・クリムゾン回顧でLDの復活

レーザー・ディスク(LD)の財産を生かす

 キング・クリムゾンの40周年企画で、DVDにて懐かしの彼らの演奏映像を見せてくれるものですから、なにやら刺激が続いています。
 私自身にとっては、フリップ、ブラフォードは勿論ですが、クロスのヴァイオリン、そしてミューアのパーカッションのあった時のクリムゾンはやはり最高です。そしてミューアの健在なりし頃の映像が懐かしいわけですが、それは今となってみると過去のもの、いわゆるLD(レーザー・ディスク)ものとして所持しているわけです。そこでその映像を復活すべく試みました。

Cld99s  取り敢えずは、眠っていた”PIONEER Laservision/CD/CDV Player CLD-99S” を呼び起こす作業から始まった。これは20年以上も前のパイオニア得意のLD・CDコンパチブルプレイヤーで、当時定価158,000という代物。こうしたモーターのある機械ものは寝せておくと大抵言うことをきかなくなるのが一般的なので不安であったが、特別なことなく無事復活できた。

Beatclub  そこで、登場は左の西ドイツのRADIO BREMEN で1965-1972年に放映されたテレビ番組”ビート・クラブ”の映像を記録したレーザー・ディスク盤「FRONTIERS OF PROGRESSIVE ROCK プログレの先駆者達」 SM048-3227 である。こうゆうものはきちんと保管してあるので、非常に綺麗で再生に問題はない。
    (内容)
    1.E,L&P : Knife Edge
    2.King Crimson : Larks Tongues in Aspic
    3.The Nice : Hang on to a Dream
    4.Soft Machine : Composition based on 3 Tunes
    5.Yes : Yours is no Disgrace
    6.Kraftwerk : Truckstop Gondolero
    7.HIGHLIGHTS
      ・・・・・・・と言う、豪華きわまりない内容である。
Muir  この2.のクリムゾンには、あの ミューアJamie Muir のパーカッション、ドラムスそして笛など、このバンドに動と静を引き出すポイントとして活躍している姿が見事に記録されている。 彼は半年ほどでクリムゾンを去ったわけであるが、この間に残した”太陽と戦慄”は、まさにその後のクリムゾンを形成する大きな因子であったことは間違いない。Larks'Tongues (ヒバリの舌)のような繊細さのパーカッションは、彼の真髄であったと思う。
Cross ここにみるもう一つのポイントは、クロス David Cross のヴァイオリンであろう。この音こそ危機感、スリルというものを描き出すポイントであったと言える。
 こうして懐かしい映像は今となっては再び見ることのないクリムゾン・メンバーの若き時代の挑戦を描き残してくれているのである。(ここに収録されている映像は、1972年アルバム収録前のものと推測される)
 その他、このLDにて見ることの出来るE,L&P、YES、SOFT MACINE、THE NICE など、どれも貴重映像である。そしてさすがドイツもの、KRAFTWERKも登場させている。
 
 プログレッシブ・ロックが台頭して、ロックという世界にジャズやクラシックの手法を取り入れたり、インプロブィゼーションのライブにおける展開の味付けや、その他各種の音楽性の意味づけを網羅してのロックを作り上げた時代でもある。この流れはいずれは後のロックの原点回帰の流れのパンク・ニューウェーブに潰されていくわけであるが、彼らの活動は今でも多くの支持を受けているわけだ。

この新年はLDプレイヤーを復活させての回顧から始まった。


 

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2010年1月 2日 (土)

謹賀新年/今年はキング・クリムゾンでスタート

Photo 昨年来の企画ものから・・・禁断のキング・クリムゾンへ

2010年の幕開けですね。こちらに目を通していただける皆さん、今年もよろしくお願いします。

 昨年のスタートは、ピンク・フロイド「原子心母」でした。今年は昨年後半にキング・クリムゾンの40周年企画ものに刺激され、フリップ翁の術中にまんまと引き込まれて、年末を過ごしてしまった。その影響で、この新年の幕開けは、キング・クリムゾン King Crimson の黄金期であった1974年のUSAライブもの、しかも最後の最後1974年7月1日ものを久しぶりに聴くことでスタートとなった。(かって、クリムゾンに関しては”ブートの泥沼”にはまって、救いようのない期間を過ごした経験のある私にとっては、実は最も避けていたのが、このクリムゾンなのだ)

Lastlives 「King Crimson LAST LIVE SHOW」 4-401-2 promotion not for sale "In Central Park. NYC. New York July 1st 1974"

  あのDavid Cross のいた最後のキング・クリムゾンの黄金期の最終ライブもの。この直後クロスの脱退があり、そしてなんとか早急に完成させたアルバム「Red」(この時は3人になってしまった)リリース直前にフリップによる解散宣言があったわけだ。
Lastlaves2  もともと私は、キング・クリムゾンは「宮殿」で感動し、その後のJamie Muir のいたキング・クリムゾンを最も愛していたわけであるが、この4人クリムゾンが完成期クリムゾンとして受け入れ、そしてクリムゾンはこれに終わったと思っている。(現在のキング・クリムゾンはあくまでも”ディシプリン”1981年からの世界なのだ)
 いずれにしても、 John Wetton のヴォーカル、ベースを前面に出した彼らのライブは、ジャズ的手法とインプロヴィゼイションに熱意を持った William Bruford のパーカッション、ドラムスが構築する世界、スリリングな演奏、そして David Cross の卓越したヴァイオリンを主体としたセンスは、今もっても圧巻である。
 この涙した最終ライブものは、なんとかCDとしてブート・リリースしてくれた盤を大切に今日まで聴いてきたわけで、これを今年のスタートとしたわけである。

Usa  いずれにしても彼らの1974年「Starless And Bible Black 暗黒の世界」リリース後のヨーロッパ、アメリカ ツアーは、聴衆の熱狂とそれに伴う演奏はすざましく、特にアメリカに入ってからは、この左のアルバム 「KING CRIMSON USA」(1974.6Live)のごとく LPアルバムとしてリリースされている(1975年)ほどである(彼らのライブは定評があり、かってはカセット録音の音質など無視してのライブ盤があの1972年の「Earthbound」だ)。この「USA」は Eddie Jobson のヴァイオリンをダビングしてあるが、スタジオ盤をしのぐ出来に、我々は酔ったわけである。当時ここまで演奏機器のギリギリまでの音を使っての曲造りにはロックの世界で類を見なかった。
(ここに紹介したのは、待ちに待ったオフィシャルのCD盤(PCCY 01616 2002年)であるが、かってはブートでCD盤が巷に流れ、それは当然手に入れて聴き入ったものである (ILPS9316) )

Kcrim4

 しかし、キング・クリムゾンで新年を迎えてしまった事になる今年であるが、思い起こすとこの時代のクリムゾンは、フリップの進めるプログレ感覚と、ウェットンのシンフォニックなドラマチックな世界観の対立から両者相容れず、又インプロヴィゼイションのブラッフォード、更にこの壮絶感に恐れをなしたクロスという4人で、完全に分裂感覚で経過していたライブ活動は、危機そのものであったわけだが、それだけに今となっても興味は尽きない。(現在においても、ウェットンのキング・クリムゾン活動へのアプローチがあっても、フリップは彼を受け入れていない)

 今年はこのブートCDでスタートということになって、なにやら不安にはなるが、これから過去の私の狂想曲の復活がないことを祈りつつ、そして更に今年が安らかな年であることを祈りつつ新年の挨拶としたい。

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