« 2010年1月 | トップページ | 2010年3月 »

2010年2月24日 (水)

ショスタコーヴィッチ交響曲(2) 第5番「革命」の解釈は??

LP盤に聴く世界から得た感動

Sym5bern カレル・アンチェル指揮の「ショスタコーヴィッチ第5」に感動して十数年後の1979年、バーンスタイン指揮のLP盤が登場した(左)。

「SHOSTAKOVITCH  SYMPHONY No.5 in D minor,Op.47 / LEONARD BERNSTEIN  New York Philharmonic」 CBS sony 25AC-808  1979

このLPは当時SONY自慢のMaster Sound シリーズのデジタル・レコーディング盤で、1979年東京文化会館でのライブ録音。 日本の技術を示した好録音で話題であった。この盤は当時になると私のオーディオ装置も神経質になっていたため、現在も殆どスクラッチ・ノイズなしで聴くことが出来る良好に保存されている盤だ。
 さて、この盤のライナー・ノーツは門馬直美が書いているが、その内容は、まだ前回も取り上げた「ショスタコーヴッチの証言」という衝撃的な暴露本が出版される前である。”社会主義体制の芸術批判のもとに、反省し追求して作曲されたものであるが、音楽を愛する人にとっては、そうした傾向などは問題にならずに、人間的な行動力あるいは迫力の普遍性といったことで、この曲は広く愛されている”と記している。つまり、”革命礼賛”ということより、”人間自身の発展性”に迫ったものとしての評価を尊重しての価値観を説いている。
Shostakovich  日本では「革命」という標題が必ず付くが、そうした社会主義リアリズムに迎合したものではなく、ショスタコーヴィッチ(左写真)の共産党統治下のスターリン体制の恐怖の中での人間そのものの苦悩から歓喜へと歩む力を信じての作品とみるべきものであろう。なぜなら彼が共産党機関紙プラウダで非難される前から着手していたと思われる作品であることからも推測されるのである。
 そして、この盤の演奏はバーンスタイン独特の感情導入による演奏がなされている。私が傾倒したカレル・アンチェル指揮盤とは明らかに異なっていた。まず演奏時間が長い(多くのこの第5の演奏と比しても再長であろう)。下に比較を記す。
    アンチェル指揮   バーンスタイン指揮
Ⅰ     14'11''                   17'40''    
Ⅱ             5'27''                    5'18''
Ⅲ            12'52''                  15'59''
Ⅳ            10'11''                  10'11''
 相違はこのとおりだ。特徴は第1及び第3楽章が3分以上長い。私の頭の中はアンチェル盤で固まっているわけで、そこでとくに第1楽章Moderatoのスローな展開は聴いた当初違和感があった。第3楽章Largoの長いのはむしろその意味は理解できる。この交響曲の最も意味をなす楽章と考えられる。ここには人間の濁りのない心情が叙情的に描かれていると言われる。ストリングスと木管だけで描いた世界は実に美しい。長年聴いてくると、マーラーの第5の第4楽章にも通ずる世界でもあり、この交響曲を愛する重要なポイントだ。バーンスタインはそこをジックリと描きたかったのであろう。
 そして敢えて言えば、第4楽章Allegro non troppoの叩き付けるがごとくの迫力とそのリズムは、諸々の演奏者が歓喜を持って描くところである。私がかって若かりし頃には最も関心を持ったところであるが、ショスタコーヴィッチが共産党当局への迎合があったとすれば、革命記念日に初演されたこの交響曲の意味合いにおいても、この第4楽章ではなかろうか?これによって彼は生き延びたと言っていいのかも知れない。

 ショスタコーヴィッチの交響曲の指揮者といえば、最も代表的であるのは、1934年からレニングラード・フィルハーモニー交響楽団の指揮を執り、1938年より50年間常任指揮者であったムラヴィンスキーということになるが、あまりにも誰もが知る代名詞的であるので、ここでは触れない。(後にその他の交響曲を考察するには欠くことが出来ないが・・・・)

Sym5ashken CD時代になって、2001年にはアシュケナージ指揮の第5が登場する。

「SHOSTAKOVICH Symphony No.5 Viladimir Ashkenazy Philharmonia Orchestra」 EXTON OVGL-00009 (SACD) 2001

ショスタコーヴィチと呼ぶようになっており、名前のスペルから”T”が抜けている(これが正しいようだ。ラテン文字転写を間違えたのであろう。従って・・・ヴィッチがヴィチと書かれるようになった。私が接した盤がヴィッチであったことから、それに馴染んでいるが、・・ヴィチが現在は一般的。ムラヴィンスキーの盤はやはり古くから”T”が入っていない)。
 アシュケナージ(Vladimir Davidovich Ashkenazy 1937-)はソヴィエト連邦出身のピアニスト、指揮者として日本でも人気があるが、彼はモスクワ音楽院卒業。1963年にロンドンに移住。アイスランド国籍となる。その為ソ連の彼の公式記録は全て抹殺されたという。(1989年になって改革の進んだソ連に二十数年ぶりに帰郷)
 しかし、ショスタコーヴィチによせる思いも深く、近年演奏を行っている。このアルバムは2001年7月日本のサントリーホールでのライブ録音。
 演奏の骨格は、どちらかというとカレル・アンチェルに近い。しかしこの第5の演奏も評価は良く、ショスタコーヴィチの苦難の中の生き様を見事に描いていると評された。この盤には意味があるかないかは不明だが「革命」の標題がない。

 演奏するもの、聴くものに単純でない解釈がつきまとうショスタコーヴィチの交響曲であるが、更に過去のLP盤を次回に紐解いてみたい。

| | コメント (1) | トラックバック (0)

2010年2月20日 (土)

LP-playerの復活(7) 感動のショスタコーヴィッチShostakovich交響曲(1)

若き心に迫ったショスタコーヴィッチ交響曲第5番「革命」

 LP用ターンテーブルの復活により、かってのLP盤の再聴をしている中に、私の若き時代が甦ってくる。その重要な位置にあるのがショスタコーヴィッチの交響曲だ。特に当時(1960-70年代)の私にとっては、ベートーヴェンでもなく、モーツァルトでもなく、マーラーとショスタコーヴィッチであった。この両者の交響曲は当時の私に対照的両局を成して迫ってきた。そして血気盛んな若き私にとっては両者に感動しつつ、特にむしろストレートな比較的解りやすい印象のあったショスタコーヴィッチDmitry Dmitriyevich Shostakovich (1906-1975) (最近はショスタコーヴィチと記すことが多い)に傾倒したのであった。

Sym5 「ショスタコーヴィッチ 交響曲第5番作品47 カレル・アンチェル指揮 チェコ・フィルハーモニー管弦楽団」 COLUMBIA(SUPRAPHON) OS-655-S  1966 (録音1961)

 この第5番は「革命」と俗称されるもので、最もショスタコヴィッチの交響曲としては代表的なもの。もちろん私が彼の交響曲を聴くようになったのはこの第5番から。
 そしてここにある紹介するLP盤は、45年前のもの。私にとっては当時購入し貴重な第5番のLPなんです(当時で\2,000 )。この盤ほど繰り返し何度と聴いたものはそうはない。そして今聴いてみるとLP盤には避けられない独特のスクラッチ・ノイズも多くなってしまっているが、実に録音が良い。最近の録音盤とも全く遜色がない。
 このLP盤(アンチェル盤)こそ、私にとってはショスタコーヴィッチの第5番の原点であり基本となっており、そして又曰わく付きのアルバムなのである。
 
 ショスタコーヴィッチの交響曲と言えば、レニングラード生まれの彼のソ連の激動の1930年から1940年代を知らずして聴くことは出来ない。プロレタリア革命進行の内戦の繰り返しによる社会主義国家の建設途上の国家情勢。スターリン独裁体制の確立した1927年以降のソ連における粛清政治下における苦悩。そして第二次世界大戦、ドイツナチスの侵攻との戦い。これらは当然文学、音楽その他芸術分野にも大きくのしかかってくる。特に1936年の600人以上の作家、詩人、芸術家が収容所に送られた大粛清。ショスタコーヴィッチとて例外ではない。いわゆる社会主義リアリズムの中、形式主義批判キャンペーンの対象となり彼自身の生死にもかかわる中にあり、既に作り上げ初演直前にあった第4交響曲を取り下げた(これを演奏したらいったいどうなっただろうか。誰が知ろう、おそらく誰も、なにも言えなかったに相違ない。わたしの生命は終わりを告げたかも知れない=「ショスタコーヴィッチの証言」から)。そうする中で、1937年1月21日、ソヴィエト革命20周年記念日にこの第5交響曲はムラヴィンスキーの指揮によりレニングラード・フィルによって初演されたものだ。
 一般的にはこの交響曲は「革命」という名がついているとおり、ショスタコーヴィッチを救った交響曲となった。それはソヴィエト各地での演奏に、この曲の支持者が増え、”それは逞(たくま)しい精神力と闘争から勝利に”という意味合いに解釈され、共感をおぼえさせたという結果であった。
 しかし後に(ショスタコーヴィッチの死の直後の1980年)、ショスタコーヴィッチの交響曲の解釈は、彼の友人であるソロモン・ボォルコフに託された彼の生き様の記録が、「ショスタコーヴィチの証言」として出版されたこと(西側に秘密裏に持ち出して出版)によって、大きな混乱状態となった。これは日本でも1980年に出版され、翌1981年私は購入した。そして彼の音楽に対する評価(国策迎合かヒューマニズムか)や芸術性について多方面から多くが語られることになる。(「証言」は偽書かどうかの議論が沸騰したもの。この事は次回に譲りたい)

Ancerl  ここでは、このアルバムの指揮者に言及したい。それはこのカレル・アンチェル(Karel Anc'erl  1908-1973)だ。彼を一言で表現すると”悲劇の指揮者”という言葉が適切かも知れない。彼はチェコ出身、1933年プラハ交響楽団の音楽監督になった。
 しかし1939年ナチスのプラハ侵攻によりチェコは併合され、彼の上演曲はナチにそぐわない、又彼自身はユダヤ系であったことから、幼い息子を含む家族全員と共にアウシュビッツ収容所に入れられ、ここで家族全員がガス室で虐殺される。彼自身のみ生き残ったが、その理由は最後まで語られていない。それは憶測では、彼は収容所の強制労働に向かわされたユダヤ人の送迎や収容所に着いた人々に対してのオーケストラ演奏を課せられていたらしい。この演奏というのはあくまでも収容されたユダヤ人の人々を強制労働、虐殺ということからカモフラージュするための手段であったようだ。まさに悲劇の中の彼の音楽活動であった。
 こうした暗い悲惨な人生を送った彼が、チェコがナチの支配から解放された後に、楽壇への復帰を果たしたのである。しかしソ連の衛星国化した中で反共運動家のもとにあったチェコ・フィルは低迷した。しかし彼の悲惨な現実を背負った中から生まれる努力はすさまじく、チェコ・フィルは再興したのだった。そしてこのショスタコーヴィチの第5交響曲の演奏が行われ1961年に録音されたものだ。(しかし、この後の1968年のチェコの反共的動きに対してソ連を中心としたワルシャワ条約機構軍の軍事介入「プラハの春」事件によりカナダに亡命)

 ショスタコーヴィッチの暗黒の世界からの作品を、悲劇の指揮者カレル・アンチェルによってチェコ・フィルが演奏したこの作品は、両者の壮絶な環境の中から生まれ出た名作である。アンチェルが単なるソヴィエト革命下のスターリン体制を礼賛の曲として演奏したとは思えない。そうであったら取り上げていなかったであろう。彼がこの曲に秘められたショスタコーヴィッチの政治的粛清による死の恐怖下の生き様に思い馳せていたと思う。実はそれがショスタコーヴィッチの第5交響曲なのかも知れない。

Sym5ancerlcd ところで、このブログを書きながらネットで調べてみると、なんと左のように私が45年前に虜になったこのアンチェル指揮の第5番が、コロンビアミュージックエンタテイメント(株)からCD(the classics 1000 シリーズ)としてリリースされているではないか。まさに驚きであった。(「Shostakovich SYMPHONY No.5 Festive Overture / Karel Anc'erl , Czech Philharmonic Orchestra」 SUPRAPHON COCO-70591 1961.11.11録音 \1,000 )
 当然手に入れたのは言うまでもない(まさしくそれは今日のことである)。そして1961年の素晴らしい演奏と録音に喝采を浴びせるのである。
  ・・・・・・・次回に続く

 

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2010年2月17日 (水)

健在なり元祖オリンパス・ペンF (OLYMPUS-PEN F)

デジタルで復活したカメラ=オリンパス・ペン

 カメラのデジタル化は驚くべき速さで進んだ。コンパクトから一眼まで、数え切れないほどのデジタル機がしのぎを削って販売されている。性能その他からいってもフィルム・カメラの135(35mm)機は既に末席に置かれ、そしてその存在も風前の灯火となっている。

Ep1  既にそのデジタル機もマンネリ化に入りつつあった昨年、強力なインパクトがオリンパスから出された。往年の名器”女王”と呼ばれた「オリンパス・ペンF」のイメージで作られた”オリンパス・ペンE-P1”の登場だった。ファインダーなしのマイクロフォーサーズ一眼レフで、そのデザインは明らかにペンFからの流れであった。
 オリンパス・ペンの登場は1959年、まさにこのE-P1の登場は50周年記念であったのだ。デザイン優先の思想は、こうしたコンパクトに近い機器であると、ストロボ内蔵から始まって多機能・高画素を売り物にするが、あえてその事よりデザイン勝負のカメラの登場だ。結果は大成功、2009年の目玉商品になった。

Penf1_2 左は、私のオリンパス・ペンF(OLYMPUS-PEN F)である。1963年発売時に初めて父親から買ってもらった記念すべきマイ・カメラ1号だ。(この写真のものは、後に買った2代目)このスタイルで一眼レフ(上に3角ペンタ部のないスマートさは類をみなかった)で、レンズ交換可能なハーフ・サイズ一眼なのだ。 当時貴重なフィルムも改良され、フィルム撮影枠18×24mmの大きさで勝負したカメラだ。
 この写真のように、露出計が内蔵されていないため、レンズの右のシャッター・スピード・ダイヤルに露出計を外付けして使用した。フイルムを横に巻くために、撮影枠はこのまま構えると縦位置となる。それが又新鮮であった。
 内部構造は、ポロプリズムというものを使ったユニークな一眼光学系と、チタン製の半月板を高速で回転ざるロータリー・シャッターのフォーカルプレーンシャッターで、1/500秒までスピードライトを同調出来た。このように機能的にも魅力的なカメラであった。

 思い返せば、このカメラの発売はあの60年安保闘争と東京オリンピックの間の日本がまさに成長してしてゆく時期で、大学卒の初任給は1万2-3千円という時に2万6500円もした高級機だ(今で言えば20-30万円)。当時はカメラはまだまだ一生ものの感覚があった。早い話が当時学生であった私にとっては宝物であったのだ。又カラー写真もこのころから一般にも撮ることが出来るようになってきた時でもある。

 いずれにしても、この美しいボディと斬新な機能のカメラとして花形であった。

Penft1_2  そして1966年になると、左(これも現在私の所有物:今も撮影に使う現役である)のTTL露出計内蔵とセルフタイマーの付いた改良機オリンパス・ペンFTが登場する。あの美しいドイツ式”F”という花文字の部にセルフタイマーが付き、フィルム巻き上げもFは1作動2回巻きであったものが1回となった。
 このオリンパス・ペンの生みの親は米谷美久(まいたによしひさ)氏である。確か早稲田大学理工学部卒であったと思う。彼の設計思想は自分で撮ることを考え、そして3世代後のカメラを頭に入れておくと言う話を聞いたことがある。
 今こうして、50年経ってデジタル・カメラという昔では考えられなかったカメラに”ペン”の名を冠して、デザインを尊重して作られたカメラが゜登場したことは、カメラの新しい認識を作ったともいえる。そしてこのデザインが若き世代に好まれたことは、実に快感である。既に高評の下に「E-P2」「E-PL1」と矢継ぎ早にオリンパスはペン・シリーズを打ち出している。

 元祖オリンパス・ペンに、私の青春時代の思いを馳せながら、デジタル時代の現在に復活したオリンパス・ペンも健闘して欲しいが、それでもまだまだフィルム時代の”女王”と言われた花形を大切にしながら撮影対象に向かっている私なのです。

| | コメント (0) | トラックバック (1)

2010年2月14日 (日)

LP-playerの復活(6) ハービー・ハンコック Herbie Hancock の衝撃

ブルー・ノート時代から驚きのファンキー・ミュージックへの着手

Secrets  懐かしのLP盤回顧シリーズで、このハービー・ハンコック Herbie Hancock に到達した。’70代ってほんとに面白かったんだなぁ~と改めて思う。

 「SECRETS / HERBIE HANCOCK」 CBS SONY 25AP-244   1976 (左)

 このアルバムは彼の1973年の衝撃新展開ジャズ・ファンクの「Head Hunters」以来3年経てリリースされたもの。この間なんと年2枚ペースで新アルバムをリリースしてきた。
 ’70年代はジャズ分野よりはロック分野に主たる興味のあった私であるが、当時は16ビートのファンキー・ミジックが世間の関心をよんで、ロック界でもかなりの影響を受けた。
 しかし、マイルス・デイヴィス・クインテットの一員としての活動や「処女航海 Maiden Voyage」などのストレート・アヘッド・ジャズ、スタンダード・ジャズのイメージのハービー・ハンコックが、あの1973年のアルバム「ヘッドハンターズ Head Hunters」以来、ファンキー・ミュージックを取り入れ、エレクトリック・ピアノを使い、その他電子楽器を駆使して挑戦してきたのだった。
 (personnel)
    Herbie Hancock (P, el.P, Syn )
    Benny Maupin (ss, ts )
    Wah Wah Aatson (g, syn )
    Ray Parker (g )
    James Levi (ds )
    Paul Jackson (b )
    Kenneth Nash (perc )
 このアルバムで、特に私が引きつけられたのは、B面トップの”Spider” という曲、聴きようによっては、ジャズというよりロックのファンキー化とも言っていい曲で、ギターからスタートするが、強烈に全楽器が何度と響き渡りそしてギターとベースがリズムを刻み、キーボードも並行してリズミカルに曲を進める。私はこれで完全にハービーの虜となってしまったのだ。更にこのアルバム全体に於いてもワーワー・ワトソンのギター(カッティング奏法がお見事)の意味が重要な役割が果たされているところも、私が魅力を感じた一つと言っておきたい。
 もともとプログレシブ・ロックのピンク・フロイドを愛する私が、彼らで言えば「炎」から「アニマルズ」に変身していく時であり、他方こうしたハービーの分野にも惹かれたのは、一つのところに止まらない時代背景の中での私自身の多様な変化もあっての事であったのかも知れない。
 いずれ又この後には、ハービーも一方にはこの年にあの有名な”VSOPクインテット”の時代に原点回帰して行くのであるが、この時代は今回顧してみると驚くべき変動の時代でもあった。

Speaklikeachild  ハービー・ハンコックで私が彼の世界に興味を持ったのは、実はこうしたフュージョン化していった以前のブルー・ノート時代の1968年のアルバム「Speak Like a Child」 BLUE NOTE LNJ-80124  1968 (左)だった。
 もともと、バド・パウエル、ビル・エヴァンスなどのオーソドックスという表現は変であるが、アコースティックなジャズの流れの中で、ハービーは展開していたと言っていいと思う。そうした中でのこの作品に関しては、上のアルバム「SEDRETS」とは私は全く別の感覚で接してきていたのである。
 このアルバムでは、ホーンセクションが支える中を、ハービーのピアノが美しく語ってくれます。ここには彼のピアノが非常に繊細に変化しながら曲を構築していく姿が浮き彫りになっていて、私の好きな昔の思い出のアルバムなのだ。

 しかし、ハービー・ハンコックはこうした二面性を持って進化してきた訳で、LP時代の遺産を顧みているとそのことが良く解る。それと同時に、私自身の若き時代の多面性にも思いが馳せて懐かしいのである。
Headhunters_3 Thrust Vsop   
 

当時のアルバム「Head Hunters」CBS SONY SOPL-238 1973,  「Thrust」CBS SONY SOPN-96 1974, 「VSOP:Live Under the Sky」CBS SONY 40AP1037-8 1979 などのLP盤も健在で、それらをとっかえひっかえして聴いていると、ハービー・ハンコックの挑戦の姿が見えて来るのだった。

| | コメント (1) | トラックバック (1)

サラ・マクラクランと上村愛子

スタートしたバンクーバー冬期五輪の話題

Parities  (話題1)やはりカナダですね。冬期オリンピックへの力の入れ方は凄い。12日(日本時間13日夜)の開会式は見事な華やかさであった。(残念ながら、4本の聖火の一本がオイル圧の不完全で立たなかったというアクシデントがあったが)
 その開会式で、昨年12月24日にこのブログで取り上げた左のアルバム「Sarah McLachlan / Rarities, B-Side, and Other Stuff  Volume2 」にある曲” Ordinary Miracle” をサラ・マクラクランがムードたっぷりに唄った。カナダでの彼女の存在感が如何に大きいかが解る。この曲は2006年の映画「シャーロットの贈り物」のエンディング・テーマに取り上げられた人気の曲だ。改めて楽しく聴かせてもらったというわけである。

Photo  (話題2)ちょっと残念だったのは、日本時間今日の午前第2日(現地13日)の女子モーグル決勝での上村愛子だ。4度目になる五輪挑戦で初のメダルを狙ったが、残念ながら四位に終わった。う~~ん、やっぱり若干予想はしていたが、彼女のピークは世界選手権優勝のあたりだったのかも・・・?。とは言え、まだまだ頑張って欲しいと思うところもある。 
 しかし、かっての冬期五輪を考えてみれば、優勝を狙う競技があるというだけ、いいのかも知れない(長野五輪にて優勝という快挙の里谷多英は19位に終わったが、今考えても長野の結果は驚くべき事だった)。

 

 

| | コメント (0) | トラックバック (1)

2010年2月 9日 (火)

サンタナ SANTANA の衝撃(5) ソロ・アルバムのパフォーマンス

宗教心とブルースからのジャズ心と・・・・・

  LP盤の復活による1960-70年代を回顧する中で、カルロス・サンタナに関してバンド活動(SANTANA)を中心に語ってきたが、どうもなかなか十分に彼の姿を表すことが出来ていない。彼のどん欲とも言える多くの音楽に関わってきた中に、実は彼の姿が浮き彫りにされてくる。それを知る為には10枚以上に及ぶソロ・アルバムが重要だ。

Buddymlive 「Carlos Santana & Buddy Miles Live!」 CBS SONY AP 15AP-636  1972

 カルロス・サンタナの初のソロ。丁度サンタナ(バンド)の1st,2nd,3rd とラテン・ロック・ビート・パワーを世界に示し圧倒的な支持を獲得した直後、ジャズ的ニュアンスを取り入れた傑作4th「キャラバンサライ」に向かっているときに、71年~72年にかけてバデス・マイルズ(ds)とハワイで実現したライブもの。(実際はスタジオにて手直し、取り直ししたといわれているが)
 ソウルやファンクぽいところに、ロックそしてラテン的要素も加わったという感じの世界。バディのヴォーカルも入ってなかなか全体的に聴き応え十分のアルバム。
 私は現在はLP盤のみであり、CD盤もここで仕入れたいと思っているもの。

Photo 「魂の兄弟たち Love Devotion Surrender / Carlos Santana &Mahavishnu John McLaughlin」 Columbia KC32034  1973

 サンタナの5th「ウェルカム」の直前にだされたもの。サンタナ・バンドはこの時はニュー・メンバーになっている。
 ヒンズー教の導師スリ・チンモイに感謝してのマクラフリンとの競演盤。アルバム・ジャケのとおり、彼らはロッカーというよりはまさに信徒の姿(いままでのカルロスとは想像もつかない短髪の清楚な姿、1960年代の自己反省?)。
 ジョン・コルトレーンへの傾倒がそのままというアルバム。オープニングの”至上の愛 a love supreme”で、二人の競演が実現する。右マクラフリン、左カルロスという録音。この曲はこの後のサンタナではよく登場するが、ここでの仕上がりは、宗教観たっぷり。そしてやはりコルトレーンの”naima”もアコースティクで静かに聴かせる。マクラフリンの曲も2曲登場。アルバムとしても私は良盤といいたい。

Photo_2 「ワンネス ONENES silver dreams-golden reality / Devadip」 CBS SONY 25Ap-1337  1979

 カルロス4枚目のソロ。これがなかなか捨てがたいアルバム。とにもかくにもA面の導入はまさにお経。
 A面はなんと1977年大阪公演の新メンバー・サンタナ・バンドのライブ盤。
 B面こそ、このアルバムの中核をなしている。スタート曲の”oneness”が気持ちの統一感をもたらすべくカルロスのギターが訴える。そして次の”life is a passing parade”で彼独特の官能的ギターが響き、”golden dawn”はアコースティック・ギターが心に浸みる。
 A面の”silver dreams golden smiles”などもスローに歌い、ギターがフォローする曲で、印象深い。

 続いて、1980年前回取り上げたVSOPとの競演「Swing of Delight」をリリース。ここでは宗教心からジャズ心への変化がみれる。

Photo_3 そして1983年「ハバナ・ムーン Havana Moon」 Columbia FC-40272  1983

 ここには、カルロスの迷いのないアメリカ音楽へのアプローチが感ぜられる。オールド・ジャズ、ブルース、ラテン・トラディッショナルなど彼の世界観でギターを弾きまくる。面白いことに父親のホセ・サンタナまで一曲に参加、まさにカルロスの育ったメキシコをベースに、彼自身の原点回帰を成し遂げている。美しいアルバム・ジャケが印象的、是非LP盤で見て欲しい。

Photo_4 「サルバドールにブルースを Blues for Salvador」 Columbia FC-40875 → Columbia CK-40875(CD)  1987

 もはや迷いのないカルロスのギターが快調だ。9曲中最後のタイトル曲の”blues for salvador”が最も聴きどころ。ジャズ系の流れは相変わらず、前ソロとの流れの中にある。しかし、美しい中に時には激しい彼のギターは完成の域にいる。彼の描く人生のブルースがここに結実している。これはグラミー賞ベストロックインスト部門に輝いている。

 ビートで売ったラテン・ロックから、宗教感覚に流れ、そしてそこから何かを掴んだ彼がここにブルース・ロックを完成してきたのであった。彼のソロ・アルバムこそ彼の心の姿であり、彼の曲であり演奏であることが解る。
 

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2010年2月 7日 (日)

久々の雪中撮影行

 豪雪後の晴れ間の撮影行

Photo

Photo_5

Nogiri1247

1271

2010年2月7日 野尻湖 NIKON D700 SIGMA 24-70mm 1:2.8 PL
                                                ( click 拡大)

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2010年2月 5日 (金)

サンタナ SANTANA の衝撃(4) 2004モントルー・ジャズ・フェスのパフォーマンス

まさに不死蝶の歩み:サンタナ

 しかし、サンタナというバンド、そしてそのリーダーのカルロス・サンタナは、意外性の衝撃を我々に与えながら来たというのが、彼(ら)の過去40年以上の歴史だと思う。
 我々の知るところのウッドストックのデビュー、そしてアルバムデビュー(1st, 2nd, 3rd)の過去になかったラテン・ロックの衝撃は、ロックの一つの時代を作ってくれた。その後のカルロスの世界観による変化自身も、原点に於けるジャズ・バンドの感覚の上に構築されたこれもある意味でのプログレッシブな進化であったと思う。

 しかし、音楽自身の進化そのものが必ずしも大衆受けするわけでもなく、そんな中でその後のサンタナ・バンドの原点回帰、一方又カルロス自身のソロ・アルバム活動という両面を持ちながら(私自身は、彼のソロ活動アルバムのほうが好むようになっていたが)、なんとか自己の音楽活動を維持してきたと言っていい。
 あれは何年の来日だったか?(もう十数年前)、大阪でのサンタナ・バンドのライブでは当日券でも入場出来、決してソールアウトする人気は亡くなっていたが、しかし入ってみればこれだけ楽しいライブもそうはないと思ったものだ。

Carlos_santana_2  それこれしているうちに1992年の「Milagro ミラグロ」も楽しいアルバムではあったが、その後は私の世界から決して主たる対象群からは外れていたサンタナではあった。ところが、1999年「Supernatural スーパーナチュラル」の大ヒットには驚かされたものだ。もう10年以上も前であったのに、つい先日のような感覚になる。
 彼のテクニックからしても、その時代の若い世代やあらゆる分野の音楽を、自己のものへの昇華することはもはや難題でないということを証明してみせた。それは見事であった。そして、デビュー以来30年を経て世界No1のヒット・アルバムを作り上げたことには敬服の至りである。

Bluesatmon

Hymnsforpease  ここに、2004年のカルロス・サンタナの企画によるサンタナ・バンドと多くのジャズ・ミュージシャンによるスペシャル・コンサートの2つのDVDによる映像とサウンドの記録盤がある。
 スイスはモントルーでの2004年7月のジャズ・フェスティバルである。
1)DVD「Carlos Santana plays Blues at Montreux」VABG-1263 2004
2)DVD「Santana HYMNS FOR PEACE(平和の賛歌)」 VABZ-1294 
 彼は、成功アルバムの後には必ず彼のジャズ心の企画が行われるが、そんな意味でも興味深い。

1)は、7月12日には”カルロス・サンタナ・プレゼンツ=ブルース・ナイト”として、カルロスの敬愛する3人のブルースマンが集まってコンサートを展開。それにカルロスがゲスト参加という形で、彼らと競演を果たした映像記録である。
 コンサートに出演したのは、ボビー・パーカー Bobby Parker、 クラレンス・ゲイトマウス・ブラウン Clarence 'Gatemouth'Brown、 バディ・ガイ Buddy Guy というそうそうたるブルース界のメンバー。彼らがそれぞれ自分のステージをこなしたわけだが、そこにカルロスがブルースマンとしてギターを持って参加したのだ。
 これを見ても如何にカルロスはブルースが好きか良く解るし、又彼自身のベースにはブルースがあることが良く解る。
 クラレンス・ゲイトマン・ブラウンは、肺ガンで2005年に亡くなっているが、この2004年の演奏では、ほとんどカルロスは脇役に回っているが、まさに楽しい競演だ。
 ボビー・パーカーとは、彼のストラト・キャスターによるブルースに更にカルロスのブルース・ギターが競演して圧倒される。
 バディ・ガイはシカゴ・ブルースの第一人者の貫禄十分に、カルロスのブルース・ギターを生かしながら盛り上げていく曲造りには感動ものだ。

2)は、7月15日に、このフェスティバルのハイライト「HYMNS FOR PEACE (平和の賛歌)」として、カルロスの永遠のテーマである世界平和の為に行われた一大イベントである。
 カルロスの呼びかけに答えてハービー・ハンコック(私は1970年代、彼の音楽の虜になったことがあった)、チック・コリア、ウェイン・ショーター、スティーブ・ウィンウッド、ジョン・マクラフリンらが結集。このイベントはカルロス・サンタナのみでなく、サンタナ・バンドが演奏して、それにゲスト参加者がそれぞれの持ち味を披露してジャズ演奏の曲を展開する形はパワフルそのもの、圧巻である。カルロスの体当たりの演奏も見物で、彼にとっては最高の舞台であったと思われる。

Swingofdelight
 こうしたカルロスの活動は、この最近に限ったことではない。LP盤の復活で思い出したかっての左のアルバムもあった。
「DIVADIP CARLOS SANTANA  THE SWING OF DELIGHT」 CBS SONY 52AP 1951-2  1980

 サンタナ・バンドでなく、カルロス・サンタナのソロ・アルバムとしてリリースされたもの。LP2枚組で当時話題の MASTER SOUND (Digital Recording マスター・カット)盤。
 1980年に、ここでも、ハービー・ハンコック、ロン・カーター、ウェイン・ショーター、トニー・ウィリアムスなどのジャズ・メンとの競演を行っている。
 このように、彼は商業的ラテン・ロック・アルバムを成功させた裏には、彼のギターによるジャズ・センスの世界を必ず構築する作業がある。ここに彼の姿が見えてくるのである。

 

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2010年2月 3日 (水)

BDによる"Audio Visual"環境の構築

もはや”Blu-ray Disc” の時代

 Video Tape からLD、そしてDVDとなり、既にBD(Blu-ray Disc)の時代に突入した。あの手この手で攻められる我々もたまらないが、しかし少しでも良い映像、良い音を求めているのも我々である。取り敢えず試験的に安いBDプレイヤーを購入して、これも最近購入した液晶テレビに接続して映像見てみると、かってのDVDとの差は歴然としている。やはりBDなのである。
 東芝のHD-DVDとの対立から時を経て、取り敢えずBDに統一された感のある現在(他の国では、HD-DVDが主力のところもあるようだが)は、そろそろ私もそのあたりに対応せざるを得ないところに来たと感じたのである。

Dvd2900_2  Z2_2

 もう何年か前から、ホーム・シアター派であった私は、DVDプレイヤーはDENONのユニバーサル・プレイヤーDVD-2900 ,そしてプロジェクターは、SANYO LP-Z2 で、部屋の環境から80インチの16:9のスクリーンで長らく鑑賞してきたのだが、いよいよここに来てBDに対応すべく変更に着手した。
 まず、DVD-2900ではBDに対応していないため、ここでDENONのBDその他対応OKのユニバーサル・プレイヤーDBP-4010UDに変更してみた。結果は、もちろんBDの再生は当然対応OKとなり音の改善も特に高音部が繊細になって納得したが、しかし残念ながら一向に映像の改善がない。
Dbp4010ud Ehtw4500 これは、この長年使用のプロジェクターLP-Z2の限界と判断せざるを得なかった。その為、ちょっと出費が重なって切ない状況ではあったが、EPSONの液晶プロジェクターEH-TW4500 に注目して購入することとした。

 この環境改善計画は結果として功を奏して、見事な映像改善が得られた。ホーム・ユースのプロジェクターも近年進歩はめまぐるしいと言われているが、もともと買い換えはDLP方式のプロジェクターを目論んでいたが、買うにお手頃のMITSUBISHIのLVP-HC3800は投影距離が短く(私の部屋の構造から80インチ16:9スクリーンに最低4.5mはなれてプロジェクターを設置する条件に適応しない)、又レンズ・シフト機能がなく扱いにくい。と言うことでEPSONのこの液晶プロジェクターを選んだ。結果は思った以上にコントラストの改善、映像のシャープさの改善、暗部のディテールも見事で、取り敢えず満足している。中級機での構成としては、あまり間違っていなかったと一応の納得をしているところだ。そんな訳で、しばらく私のホーム・シアター環境はこれで行くことになった(もっとも最新のAVアンプも欲しいのですが・・・)。
 さて、こうした改良計画を実行したわけであるが、映画関係のBDソフトはかなりの勢いで出されているが、まだまだ音楽BDのソフトは豊富とは言えない。かっての名盤も是非BD化して映像と音質の改良盤をリリースしてほしいものだ。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2010年2月 1日 (月)

サンタナ SANTANA の衝撃(3) 「キャラバンサライ」からの新展開

形作られたものは一種のプログレの世界だ・・・・

 カルロス・サンタナが本当にやりたかったのは何なのか?・・・ 1971年マイルス・デイヴィスとの交流。1972年には新アルバムレコーディング中に、バディ・マイルズとの共演を果たしたのは何か(アルバム「ライブ! Carlos Santana & Buddy Miles! Live!」)?、そしてバンド結成の友グレッグ・ローリーの脱退。
 又一方にはジャニス・ジョプリン、ジミ・ヘンドリックスの死に遭遇してということもあってか?・・・・・・、さらに’60年代末の自己意識改革の時代背景の中で、アメリカ白人社会にロックという手段で穴を空けたとはいえ、ラテン系メリカ人の潜在意識から生まれたものか?いずれにしても追いやられた究極の精神状態から、東洋思想を基盤にした精神世界への傾倒していく姿が現れる。

Photo 4th 「キャラバンサライ Caravanserai」 Columbia KC31610 1972 → CBS SONY SOPN-38

 混迷の中からこの新アルバムが誕生した。今回私のLP盤の回顧として、実はこのサンタナのアルバムは私にとっては、貴重盤の一つである。LP盤の特徴として再生時のスクラッチ・ノイズは避けられないところだが、それが次第に強くなったため、当時買い換えた2枚目のLP盤がこれだ。それほど、サンタナのこのアルバムはお気に入りであった。特にこの盤は”SQ4チャンネル・ステレオ録音盤”で、今で言えばサラウンド盤である。(当時もサラウンド・サウンドには魅力があって、このようなカッティングされたものと、マトリックス・サラウンドという方式もあった)
   肉体は溶けて宇宙に変わる
   宇宙は溶けて静寂の音に変わる
   音は溶けてまばゆい光りに変わる
   そして光りは無限の歓喜に抱かれる
    (from "形而上学的瞑想" by Pramahansa Yogananda)
・・・・・・・と、このアルバムには記されている。

 巨大な太陽をバックに浮かぶラクダの隊商のシルエット、そしてもう一つの得体の知れない冷徹な光りを放つ物体のジャケ。そしてLP盤に針を落とすとコオロギの泣く声に続きサックスとベースの音が静かに物語の開始を宣言し、キーボードとパーカッションがスタートして、
2曲目の”Waves Within 躍動”に繋がってギターの叫びが開始する。当時の感動が今でも記憶に残っている。
 ある人はこのアルバム前の3枚でサンタナは終わったと言い、私はこのアルバムから私の期待するサンタナがスタートしたと言ったものだ(ロックからみれば、コンセプト・プログレであった)。確かにこのアルバムは情熱的ラテン・ロックと一線を画した。インストメンタル中心のフュージョン系アルバムとも言っていい。これは旧サンタナとニュー・サンタナの混成で作り上げられたアルバムで、両方の良さが凝縮したあだ花でもある。

 その後のニュー・サンタナ・バンドによる新作録音が1973年春に行われ、直後7月に初来日を果たす(アルバム「ロータスの伝説 Lotus」)。
 又、カルロスとジョン・マクラフリンとの共演盤「魂の兄弟たち Love Devotion Surender」(ヒンズー教の導師スリ・チンモイの教えがテーマ)が登場する。

Welcome 1973年5thアルバム「ウェルカム WELCOME」 CBS SONY 25AP 819  1973

 メンバー・チェンジによって、このアルバムはデビュー・アルバムのメンバーは、カルロスとチェピート、マイケル・シュリーヴの3人のみ。
 スタート曲はあの”家路”をシュリーヴの尊敬するアリス・コルトレーンの編曲を取り入れた。全9曲中5曲がインスト曲。締めくくりのタイトル曲”Welcome”は、ジョン・コルトレーンの曲、カルロスの静かに歌い上げるギターも聴きどころ。このアルバムのジャズ/フュージョン系のサウンドは、前作の「キャラバンサライ」からの流れでもある。しかし単なるフュージョンといってもカルロスのギター・サウンドには彼なりきの色があって訴えるものがある。そうは言っても、かってのラテン・ビートを期待したものからは落胆の声。反対にこうした進化は私の歓迎したところ。
 トム・コスター(org, ei-p, acous.p)の軽快なプレーもみられ、又フルートとエレピのユニゾンも楽しい。女性ヴォーカルの導入はセルジオ・メンデス風のところもある。
 B面トップの”母なるアフリカ mother africa” では、シュリーブのドラムスが堪能できて楽しい。取り敢えずニュー・サンタナ・バンドは私の興味をそそったアルバムだった。

Photo_2 6thアルバム「不死蝶 Borboletta」 CBS SONY SOPO-17  1974

 一般的にはサンタナのアルバムとしてはあまり評判が良くなかったもの。しかし私にとっては極めて愛着のあったアルバムだ。リターン・トゥ・フォーエヴァーの面々の参加で、フュージョン的色彩は相変わらず。
 このアルバムは確かに多彩すぎるほど、各種の音楽スタイルが交錯する為、アルバムとしての纏まりに疑問を持った批評が多かった。しかし、カルロスが彼のミュージシャンとして、 宗教感覚を持ちながら広い分野のジャズとロックの融合をはかりながら作り上げたものは、一種のプログレッシブ・ロックであって、そしてサンタナとしての世界を形作った名作であると私は確信している。
 オープニングのサウンド・エフェクト”春の訪れ spring manifastations”から”花の歌 canto de los flores”への流れは広がる世界への導きを感ずる。そして”新たなる旅立ち life is new”でレオン・パティロが歌い上げ、続いておもむろにカルロスのギターが登場する。この導入は見事である。そして”果てしなき世界 give and take”でリズムは満開。私から見るとかなり計算された曲の配列でトータル・アルバムの色彩を感ずる。A面の最後”熱望 aspiration” は、まさにジャズの世界、バックにコンガがリズムを刻み、サックス、ギターか゜絡んで聴き応え十分。
 B面では、”here and now”、”シナモンの花flor de canela”、”漁夫の契promise of a fisherman”の3連発は、再び不死蝶の世界に、パーカションの連打に乗って各種の楽器が盛り上げる。決して散漫でないアルバムだと思う。私の愛するサンタナでは最右翼のアルバムだ。

 こうして、この3年間の3作はデビュー当時のラテン・ロック・ビートを引っ提げてのサンタナでなく、ここには、カルロスの精神的世界感覚が作り上げられ、又アルバム作りにもプログレッシブにジャズ手法の取り入れとその形作りが完成したと言っていい。非常に貴重な3連作であった。
 これに続くアルバム「AMIGOS」、「FESTIVAL」は、再び大衆受けする商業ベースに回帰したカルロスが見られ、支持を回復する。これで良いのかも知れないが、もはや私の興味は半減していったのである。

 
 

           
 

| | コメント (7) | トラックバック (1)

« 2010年1月 | トップページ | 2010年3月 »