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2010年3月31日 (水)

ジェフ・ベック Jeff Beck ニュー・アルバム「Emotion & Commotion」

7年ぶりのスタジオ・ニュー・アルバムは変身?

Emotioncommotion 「JEFF BECK / EMOTION & COMMOTION」 Deuce Music WPCR 13816 , 2010

 ジェフ・ベックの久々のスタジオ・ニュー・アルバムだ。まず残念なのは、このジャケ(左)のセンスはちょっと頂けない。なにか変ですね。それはそれとして、2003年アルバム「ジェフ」以来で、もう既に7年経過しているんですね。先般のライブ・アルバム「Live at Ronnie Scott's」で、間を埋めてくれていたので、なんとかひどい欲求不満にはなっていなかったんですが・・・。
 
 さて、このアルバム、まずはちょっと驚かされた。なんと殆どの曲がストリングスを中心としたオーケストラとの競演である。又、全体の印象が、アグレッシブという面はなくちょっと枯れたニュアンスを感じた。そもそもこれはワーナー・ミュージック移籍第一弾ということで、トレヴァー・ホーンのプロデュースによるもの。その為の変化とも言えるのか?。
 (収録曲)
    1.corpus christi carol
    2.hammerhead
    3.never alone
    4.over the Rainbow
    5.I put a spell on you
    6.Serene
    7.lilac wine
    8.Nessun Dorna
    9.There's no other me
   10.elegy for Dunkirk

 オープニングの1曲目は、非常に静かな聖歌をギターで歌い上げる。オーケストラのバックも静かだ。そして2曲目になってジェフ・ベックらしい熱いギター・サウンドが展開。バックは例のライブでお目見えのTal Wilkenfeld のBass、Vinnie Colaiuta のDrums、Jason Robello のKeyboards が支える。フュージョンっぽいロックといっていいのか。
 3曲目、これも哀愁のギターだ。そして4曲目にはなんとあの「虹の彼方に」であり、こうゆうのは期待している人は、ジェフ・ファンにどの位いるのでしょうか?。
Jossstone そして5曲目は、お待たせとばかりにジョス・ストーンJoss Stone (左)がヴォーカルで登場。私にとっての1960年代のロックへの入り口になった Jay Hawkins の曲で、CCRがヒットさせた”I Put A Spell On You”だ。いっや~~、懐かしい。そして又、ジェフのギターにマッチングしてジョスが熱唱。これは頂き。これだけでもこのアルバムを買った価値はある。
Ccr ちょっと余談ですが、今、懐かしのCCR(CREEDENCE CLEARWATER REVIVAL)ものを聴くには左のアルバム(「CCR / CHRONICLE」FANTASY FCD-CCR2-2)がある。
 特に、私のお気に入りは”SUSIE Q”であるのだが、この”I put a spell on you”もよく聴いたもので、今回ジェフ・ベックには40年以上も前を思い出させて頂いて感謝感激といったところか。
 いずれにしても、このアルバムではジョス・ストーンが9曲目の”There's no other me”にも登場して、フュージョンっぽい世界を展開。これでは例のメンバーのバックも乗っていて楽しい。このアルバムのポイントにもなっている。
Imeldamay2  更に、ジョスに続いて、アイルランド出身の人気ロカビリー女性シンガーのイメルダ・メイ Imelda May(左) が7曲目の”Lilac Wine”に登場。語りかけるようなヴォーカルにジェフのギターがゆったりと流して美しいブルース調の曲に仕上がっている。
 8曲目の”Nessun Dorma 誰も寝てはならぬ”は、プッチーニの曲で、サラ・ブイトマンがよく歌ってヒットした曲。これもオーケストラとジェフのギターが聴かせる。しかしこうした曲を取り上げるジェフのアルバムも珍しい。
 10曲目は、このアルバムを締めるにふさわしく、オーケストラとジェフのギターが美しくも哀愁を持って終わる。

 さてこのニュー・アルバムは、ちよっと大人っぽいと言うか枯れた雰囲気で仕上がったアルバムだった。しかし、なかでもやはり光るものはある。それはやはり、ロックそしてフュージョン流の曲であったというのは間違いない。ジェフの世界はしかし今挑戦というよりは、こうした安定期なのか?。

Bonustracks  ここで、一つ追加しておかねばならない。実はこのアルバムは日本盤は左の2曲が追加されている。”Poor Boy”は、イメルダ・メイが登場して、彼女のバンド・メンバーと共に何とも言えないスウィング・リズムが素晴らしい。又もう一曲”Cry Me River”もジェフの得意の聴かせもののブルース調のギターの調べ。感動ものである。
 と、言うことで今回は絶対にこの2曲のボーナス曲の入った日本盤(少々高いが)がお勧め。いずれ映像DVD付の輸入盤も登場するが、今回ばかりは日本盤だ。

(視聴) Poor Boy

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2010年3月28日 (日)

戦争映画の裏側の世界(1) 「戦場のピアニスト」:ポーランドと監督ポランスキーの悲劇

ユダヤ系市民の苦節の歴史から生まれるもの・・・・・

 映画の世界では歴史的にも、戦争を題材にしての作品は多い。古くはその内容も戦争の勝利までの作戦や戦いぶりを描いたものが多かった。しかし、近年は2002年のカンヌ映画祭にて最高賞であるパルムドールを受賞した「戦場のピアニスト」のような、戦時下に於ける一般市民の人間模様や、その他戦争と社会に眼を向けたもの、さらには戦争に従軍した戦士の人間的姿を描こうとするものなども多い。
 そしてその舞台は、かってのベトナムものは影を潜め、イラク、アフガニスタンが注目されており、一方ナチス・ドイツに纏わる作品も相変わらず多い。そんな作品に眼を少し向けてみたい。

Thepianist 「戦場のピアニスト The Pianist」フランス・ドイツ・ポーランド・イギリス合作 2002年 監督:ロマン・ポランスキー

 この映画は、既に多くが語られているのでここではそのストーリーなどには触れない。ナチス・ドイツのポーランド侵攻、ユダヤ人への迫害をユダヤ系ポーランド人のピアニスト、ウワディスワフ・シュピルマンの体験記(伝記)がストーリーとなっている。このシュピルマンはドイツのベルリン音楽大学で活動していたが、ヒトラー政権樹立からポーランドに帰り、ポーランド放送のピアニストであった。ドイツ占領下では家族全員が収容所送りとなったが、彼は生死の境をさまよいながら逃亡中、奇跡的にも音楽を愛するドイツ将校ヴィルム・ホーゼンフェルトに救われた。この経験の伝記「ある都市の死」を1946年出版。これがこの映画の原本であるが、しかしポーランド共産主義政権により絶版となってしまっていた。

Polanskiiffkv  1999年になって、イギリスにて「The Pianist:The extraordinary story of one man's survival in Warsaw,1939-1945の題名で復刊され、ポーランド人のロマン・ポランスキーRoman Polanski(左  1933-)により製作・監督されて映画化されたもの。(日本では佐藤泰一訳、春秋社、2000年)
 この監督は、やはりユダヤ系であり、第二次世界大戦中に、ナチス・ドイツによりユダヤ人ゲットーに押し込められての生活に追いやられる。しかし彼の父親の力によりゲットーより脱出、その後は転々と逃亡劇となる。
Photo  戦後、ポーラントに戻り映画畑にて俳優として活動したが、ポーランドの共産党統制下から自由を求めてフランスに移る。(この当時のポーランドの悲劇は、この私のブログの初回(2006.12.24)に取り上げたアンジェイ・ワイダ監督の1958年の映画「灰とダイアモンド」(左)にて知ることが出来る)
 そして1962年「水の中のナイフ」で監督として映画界に頭角を現す。その後アメリカを活動の場とするが、1977年には13歳の子役モデルに性的行為をした容疑で逮捕され、有罪判決を受ける。本人は冤罪として訴えたが受け入れられていない。その保釈中にアメリカを脱出してフランスにて市民権を獲得する。

 そうした波瀾万丈の人生の中で、2002年になってこの「戦場のピアニスト」の中で、ユダヤ系ポーランド人としてどうしても訴えたかったのであろう。そして更に一つの人間的総括として監督・制作に力を注いだ。そして見事アカデミー監督賞を受賞するも、アメリカに渡ると逮捕されるため、授賞式には参加していない。2009年にはチューリッヒ映画祭の”生涯功労賞”授与式に出席のためスイスに行き、スイス司法当局に身柄を拘束されてしまった。
 日本では、この映画は久々に戦争におけるナチス・ドイツ占領下の市民の悲惨な姿を訴えたものとしてヒットした。そしてこの映画の救いは、ナチス・ドイツ兵にも人間的な面あったことを描いたところにあったとも言える。しかしその裏には監督自身の暗い過去と現実の状況があったことがここにきて注目されるのだった。

 さて、この映画のもう一つのポイントは、主人公シュピルマンが弾くショパンの夜想曲第20番嬰ハ短調「遺作」の美しさにあるだろう。もともと日本では第1番変ロ短調、第2番変ホ長調などは誰にも愛されてきたが、この第20番は1975年になって遺稿として出版されたもの。意外にショパンの若いときの作品であるが、奥深い魅力があり、この映画で取り上げられ多くにの人の心を打った。

 
 

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2010年3月25日 (木)

BD&DVD映画鑑賞:「2012」

CGによる映像とDTS-HDサウンドを楽しむ

 最近のブルー・レイ・ディスクによる映像も多発されて来て、家庭におけるプロジェクター投影による楽しみ方にも、それなりに豊富になってきた。しかし、音楽モノ(ライブ)は意外にまだまだの状況であり、そこで、映画によって映像とサウンドをこのあたりで楽しんでみようと、そんな意味で手に入れたのがこのBDである。

Bddvd BD-ROM,DVD 映画 「2012」SPE BRL-60620, 2010 (2009年アメリカ映画)

ディザスター・ムービー(災害映画)超大作という触れ込みで昨年公開の映画。なんといってもCGによる圧倒的に迫力のある映像が売り物、それと同時にDTS-HD Master Audio の5.1サラウンドのサウンドの迫力とということで、この3月にBDが発売された。

 映画の筋書きは、マヤ文明の残した暦によると2012年12月21日は世界終末の日となり、それが現実となって迫ってきた。かってない規模の地震、火山の噴火、そして起こる津波など、世界各国で連続的に起こる。アメリカ、ロサンゼルスの大都会の壊滅から脱出しようとする家族を中心に、既に地球上には逃げ場のない状況下での姿を描いている。

Movie_12 監督・脚本は、「インデペンデンス・デイ」、「デイ・アフター・トゥモロー」などのドイツ人監督ローランド・エメリッヒの作品。
 登場人物は、アメリカのよくある夫婦危機の一家族、米国黒人大統領、チベット僧侶、ロシアの富豪等々と世界的に手広く集めて、その逃避行の物語は展開する。
Movie_14 しかしこの映画、その物語はどうでもよく、とにかく人間の眼では通常見れないような、圧巻の崩壊していく文明の姿。これをCGを駆使して、観る者に迫ってくるところと、それに伴う圧倒的な轟音を、サラウンドの音の世界で体感するところにポイントがある。
 そうした意味では、古き昔の日本の”ゴジラ”などのトリック撮影とは、全く異次元の真に迫る画像は見事で一見の価値はある。
Movie_16 とにかく、プロジェクターによる大画面向きの映像、そしてサブ・ウーファーを持った5.1サラウンドでの臨場感を楽しむための音。その点にだけに期待して相対すれば、それなりに納得は出来る。とにかく暇つぶしにはうってつけ。
 ただし、一言難を言えば、BDにしては、映像の解像感の緻密性は若干甘い。もう少し出来のよいBDも現在はリリースされているので、まあ70点の出来だ。音質はほぼDレンジ、バランスなどからみて80点か。ただし値段はこのところBDも下がってきて、定価3,990円と手頃。ただし実際はもっと安く売られている。そんな値段から、今回買ったという事情も実はある。そして面白いことにBD盤を買うとDVD盤が付いてくる。
 近所迷惑にならない状態で、大音響、大画面でお勧めの一枚でした。(キャストその他は省略)

 

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2010年3月22日 (月)

今にして知る レナード・コーエン Leonard Cohen の世界

とにもかくにも波瀾万丈多彩な人生から生まれる音楽

 いやはや、ロックと一言では言えないモノであり、そしてフォークやブルースの因子の加味されたものと・・・・・単純に表現するのも当たっていない”詩人の音楽の世界”に遭遇した。
 それは、レナード・コーエン Leonard Cohen だ。カナダ出身の父はユダヤ系、母はロシア系のようで、いわゆるフォーク・ロックと一般には表現されている音楽を奏でるシンガー・ソングライター。1934年生まれと言うから既に今年76歳、そのロンドン・ライブ(2008年)に遭遇してしまった。コーエンと言えば、ロック畑で名前を聞いたことがあるのは事実だが、私の興味の世界では無かった。しかし、今そのライブCDとDVDに接しているのである。それは私から求めたわけでなく、既に○○歳になろうという友人から、おまえも歳なんだから、こうゆうのを聴きなさいと言わんばかしのプレゼントであった。

Lcohenlivelondon  「Leonard Cohen /LIVE IN LONDON」 SONY SICP 2232-3 (Recorded Live in Concert at O2 ARENA , July 17 , 2008) 2009  (左)

 とにかく、人生の酸いも甘いも知り尽くしたと思われる老人の粋な歌には圧倒される。そしてCD2枚組全26曲の精力的ライブが展開する。
 スタートの”Dance Me To The End of Love 哀しみのダンス”を聴くと、ええ!これがロック?、むしろシャンソンっぽい展開に、もうここで粋な高齢な男のイメージが作り上げられてしまう。とにかく低音部の厚いヴォイスはオーディオ装置を振るわせる。
Leonardcohen2hat  このハットに手をしたポーズが、何とも言えない歴史あるそしてダンディーな男の味が出ている。
 彼は16歳の時から”詩”の世界に入り、そして恋い多き人生をスタートさせ、ニューヨーク、コロンビア大学に入学して、そこでの生活でジャズ心を知り、後にロンドンに住み、小説を書き、さらには革命後の社会主義キューバに興味を持ってキューバに住んだこともあるという。

 その後に、ようやくミュージシャンの世界に入って行くことになるのだが・・・・。既にそのデビューは32歳となっていた。
Songlc これがデビュー・アルバム
「レナード・コーエンの唄 Songs of Leonard Cohen  」 1968年 SONY MMCP-1333

これを聴いてみると、現在のロンドン・ライブよりは40年前であるから、如何にも声は若く、特に低音部の響きは全く違う、現在のような歴史を感じさせる厚みと深さはない。そりゃーーそうですよね。アコースティック・ギターをバックに唄う若いなりきの声の張りは現在よりはやっぱりあるが、しかし味という面では、現在の足下にも及ばない。
Leonardcohen (左は彼の若いときのスナップ)

 とにかく、今回初めて接した「2008年のロンドン・ライブ」は、私にとっては全てが初物ですから”なるほどねぇ~~
、こうゆう世界もあるんだなぁ~~”と、ただただ感心して聴き入っているわけです。
 幸いにDVDによるライブの映像物があって、これが初めて知る私にとっては非常に有力。特に、録音が非常にダイナミックでいい。5.1サラウンドでも聴け、まさに会場に引っ張り込まれる。このO2アリーナというのは、世界最大のドーム会場であり、この映像でみても満席である。もともと彼は当初、米国よりは英国にて人気が出たようである。この歳でこれだけのショーを展開できるのであるから驚きだ。

 もう一つは、バックに3人の女性ヴォーカルを引き連れているのであるが、このヴォーカルとのマッチングが、何とも言えない味なんですね。このあたりは対女性も百戦錬磨の彼の成せる技かと思うのである。バック・バンドも安定感たっぷり。
 そして、一曲一曲丁寧にジックリ唄う響きは、まったく聴くものを疲れさせない。もともとそうした曲であるところに、彼の丸みのあるヴォイスが作り上げることによるのであろう。ブルース調あり、ときにタンゴ調やもあり充実した世界だ。
 私のロックを愛しての人生の中で、全く知らなかったこの世界、こうして聴いてみるのも掛け値無しの価値を感じている。

Jennfer1 左のアルバムも、その友人からのプレゼントであるが

「Jennifer Warnes / Famous Blue Raincoat = The Songs of Leonard Cohen 」 BMG BVCM-37388 

 これは、彼のバンドで女性コーラスをしていたジェニファー・ウォーンズが彼の唄をカヴァーしてリリースしたアルバムらしい。
 1980年代、彼の活動も下火になって頃、このアルバムの出現によって再び彼は注目を浴びるようになったというのである。そして彼のピークは50歳代になって迎えたという事のようだ、恐るべし。

 基本的には、この日本では後期高齢者という表現で顰蹙(ひんしゅく)をかった高年齢者の表現であるが、しかしそこにある世界は、それなりに哀愁と感動と希望があるのだと言わんばかしのこの歌声は多くの人の心に打つモノがあるのであろう。

 特に今回DVDでも鑑賞できたのは、幸い日本語による歌詞の訳詞が見られることが、これも理解を深める大きな因子であったとも思う。もともと詩人のコーエンだけあって、なかなか味のある歌詞が歌われる。決して明るくはないのだが、さりとて悲観した世界でもないところが不思議である。(人生、反省の繰り返しというニュアンスが共感を呼ぶか?)
 私自身では決して接触することはなかったであろうアルバムを視聴しての音楽の楽しさをここに記しておく。

(視聴)

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2010年3月16日 (火)

ウィズイン・テンプテーションのアコースティック・スタイルの賛否両論

アコースティック・シアター・ライブはそれなりに受けた

 2008年にウィズイン・テンプテーションWITHIN TEMPTATIONの「Black Symphony」(CD+DVD) をここで取り上げてから、もう一年以上になる。

Withintemptacoustic  現在に於いては、左の2009年のアルバム(ライブものであるが)が 最新のもの。

「WITHIN TEMPTATION / An acoustic night at the theatre」 ROADRUNNER RRCY 21355 , 2009

 シンフォニック・ゴシック・メタルといっていいこのグループが、エレクトリック・ギターに変わりアコースティック・ギターを取り、メンバー6人が椅子に座っての演奏。それにヴァイオリン、チェロ、ヴィオラなどを加えての作り上げた世界は、彼らのどういった意味なのか?興味は沸いてくるところでもある。

 そもそもこのライブ・アルバムがリリースされたのは、2009年10月で私が購入したのが12月、そしてそれから3ケ月経ての現在である。いつもなら聴いたら直ちに感想を書くのが私の習性であるが、この盤に対してはどうも評価が難しかった。あのオーケストラと合唱隊をバックに、ゲストも迎えての彼らのパフォーマンスは全開で壮大な「Black Symphony」のライブ(Ahoy,Rotterdam , 2008.2.7)は成功であったと思うが、その印象を変えた今回のスタイルは何か意味があるのか?と思いつつ見守っているうちに3ケ月を経過してしまった。つまりこの間には特に特別の事もなかったと言うことである。

Within2acousticb_2 ただしどうもこのライブ録音は2008年11月30日であることより、そして2009年には(6月)にはあのヴォーカルのシャロンの第2子出産があったようで、このことからも椅子に座った落ち着いたシアター・ライブを行ったとも言えないことはない。(余談であるが、あのナイトウィツシュNightwish のヴォーカルのアネッテも妊娠で、目下活動休止中。Tuomas は新曲を書くに時間を費やしているようだ。従ってニュー・アルバムも2011年で、しかも後半になってしまうようだ)

 そして、よくよく考えてみれば、このアコースティック・スタイルも彼らの初の挑戦でもなく、あのパフォーマンス全開の壮大な「Black Symphony」ライブでも中盤におて、”Forgiven”、”Somewhere”、”The Swan Song”、”Memories”の4曲は、このスタイルで演奏している。つまり、今回のアコースティック・ライブも、特に彼らの音楽的な新しい展開と言うことよりも、諸々の事情から単にこのスタイルで一貫して行ったと言うことに過ぎないのであろう。
 結果的には、このスタイルではシャロンのヴォーカルが更に前面に出て、ま~いわゆる彼女のファンにとってはたまらないと言うことでもあろうし、結果的にはそれなりに受けも良かった。やってみるとこれはこれ行けないこともないと言ったところか?(しかし、一方には、やはり彼らの圧倒的なパワーのシンフォニック・メタリックな展開を期待したいというところもありそうだが)。どうも私の結論は難しく考えない方が良いというところに落ち着きそうだ。

 もう一つ、こうした小編成の落ち着いたアコースティックな音というのは、かなり繊細なところまで要求される。従って彼らの演奏技術もそれなりに進歩し、又音楽的な完成度にも至ってきたことでもあると考えられる。聴いてみてもそれなりに出来上がっている。
 一般的に、多くのミュージシャンも、一度はアコースティックなバージョンに挑戦したくなると言うのも良くあることであるし、このことは歓迎して良いのであろう。
 
 このアルバムを聴いてみて、改めてシャロン・デン・アデルというのは、良しきにつけ悪しきにつけ、やっぱり高音の歌手だなぁ~と思った次第である。ただ、私自身の好みからは、バンドとしての演奏が好きなタイプで、時にヴォーカル抜きのインストゥメンタルな曲も一つのアルバムには二、三取り入れて欲しいと思うところでもある。



 

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2010年3月12日 (金)

ショスタコーヴィチの交響曲(7) 取り敢えず理解のための参考文献(2) ローレル・ファーイ著書など

激動のソヴィエト社会に生きる音楽芸術家の生き様

 ショスタコーヴィチを知ろうとする流れは、一つにはソヴィエトという国の歴史的内情を知ろうとする事や、一方ショスタコーヴィチが何故あのスターリンの文化粛清を逃れられたかということなど、世界の歴史の中でも類をみない激動期であり他国にはない社会を経験した音楽家としての興味などが重なり合って今日に於いても激流に近い。

Photo そうした中で、注目度の高いのは前回紹介したヴォルコフの「ショスタコーヴィチの証言」であり、そしてもう一方は現在の日本では左のファーイ(フェイとも言う)の著書であろう。
ローレル・E・ファーイ著、藤岡啓介・佐々木千恵訳「ショスタコーヴィチ ある生涯」(改訂新版)アルファベータ発行 2005年

 なんと言ってもファーイはヴォルコフの「証言」の真贋説に関しては、決定的な役割を果たした。つまりある意味での捏造を証明し決定づけた研究家である。
 しかし、この著書を読んでも解るように、ショスタコーヴィチの姿勢に対して、ヴォルコフが言わんとしている”御用音楽家ではない姿、反体制派的創造活動”を否定しているわけではない。この著書を見ても資料が膨大である。その分析にも、ショスタコーヴィチが非常に筆まめであって、現在も多くの記録や、手紙などが残っていることが幸いしている。
 この著者ファーイとは、米国のロシア・ソヴィエト音楽研究家で、1971年以来ロシアを何度か訪れ研究を続けているという。コーネル大学哲学博士号取得している人物だ。
Photo_3(左写真:右よりショスタコーヴィチ、ムラヴィンスキー、ロストロポーヴィチ) そしてショスタコーヴィチ自身の書簡、当時の新聞記事、彼を知る人の批判や日記など、更にコンサートのプログラム・記録などの膨大な資料を下に検証し、この作曲家の実態に迫ろうとしている。(本文350頁に対して、資料は150頁に及ぶ)
 特に第4番の取り下げから第5番の成功までのショスタコーヴィチの複雑な心情がひとひしと伝わってくる。全世界未体験の共産主義社会建設下における全体主義的なスターリン大粛清という社会において、文化活動者にとっての恐怖の実態。そしてここには芸術家としての求めるもの、社会主義リアリズムのよって求めるもの、これら相容れないと思われる事情にも、それに対して真摯に貫いた彼の心情が読み取れるのである。

Photo_2  日本人によるショスタコーヴィチ研究も盛んで、幾つもの著書があるが、非常に纏まってしかもショスタコーヴィチ音楽解説から生き様まで、丁寧にしかも解りやすく扱った著書がある。
千葉潤著「作曲家・人と作品シリーズ:ショスタコーヴィチ」音楽之友社 2005年

 この著書は、既に発刊されてから5年を経過しているが、私にとっては、近年非常に参考になったものである。私のように音楽というものに精通しているわけでもなく、又楽器の演奏する能力もなく、単に聴く者として感動したり、心が惹かれたり、そうしたところにジャンルを問わずアプローチしているものにとっては、こうした解説書は貴重である。
 ソヴィエト社会の情勢にも研究の跡がみられ、その中でのショスタコーヴィチの占める位置をも探求している姿があり、この音楽之友社のクラシック音楽ガイド・ブック・シリーズとしては、なかなか内容のレベルも評価に値すると思う。確かに取り敢えずショスタコーヴィチを知ろうとしたら、最も第一に接して良いと思われる書として薦められる。
 勿論、作品一覧、年譜なども付いている。ここでも、交響曲第4番、第8番、第10番の重要性に言及している。やはりショスタコーヴィチの音楽の奥深さと芸術性と人間性との関わりが興味深い。

Kgb 更に余談ではあるが、ショスタコーヴィチそのものの音楽芸術論とは若干離れるが、ソ連というものを少しでも知る上には興味深かった本を紹介しよう。

①アンドレイ・イーレシュ著、瀧澤一郎訳「KGB極秘文書は語る~暴かれた国際事件史の真相」文藝春秋 1993年
②ヤコブレフ、シュワルナゼ、エリツィンら著 世界日報外報部訳・編「”苦闘”ペレストロイカ~改革者たちの希望と焦り」世界日報社 1990年

 
ソ連に於ける「雪解け」から「ペレストロイカ」に至る経過から、その国の実情に少しでも迫ろうとする書である。①は、国家体制が崩れるときに流出した秘密資料にもとづいて、スターリンのまともな死に様でなかった事件などを始め興味深い。②は、ゴルバチョフ書記長のペレストロイカ路線と社会主義体制との相容れない姿を実際の重要人物の声をソ連メディアから集められたもの。ソ連の実態に迫る。この年ベルリンの壁は崩壊した。

 ソヴィエト社会主義社会での世界的作曲家ショスタコーヴィチの交響曲を取り上げて、私自身の興味の歴史や、ショスタコーヴィチの生き様にも触れてみた。これからも更に愛されるであろう彼の音楽に喝采を浴びせつつ・・・取り敢えず締めとする。

 

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2010年3月10日 (水)

ショスタコーヴィチの交響曲(6) 取り敢えず理解のための参考文献(1) ソロモン・ヴォルコフ編書など

ソヴィエト社会からのメッセージと人間としてのメッセージと・・・

 ショスタコーヴィチの交響曲を知ろうとすると、彼ほどその時代考証が必要な作曲家もいないのではないか?。しかし、もともと私自身はショスタコーヴィチは、最も誰もがそうであろうと思うところの”第5番”から興味と感動を持つことになったが、それは付けられている「革命」という俗称に興味を持ったからでなく、たまたま当時のラジオ放送でこの曲を耳にして興味を持ったに過ぎない。そして何とかLPを手に入れたのは1960年代である。
 先日紹介したアンチェル指揮ものは、ようやくステレオ盤も定着してきたときのLP盤である。ローカルな地にいた私にとっては、ようやく手にした記念盤でもある(それでもその後に手に入れたムラヴィンスキーの「第11番」はモノラルである)。若き私にとっては、あのダイナミックな最終章の締めくくりには圧倒されたものだ。
 こうしてショスタコーヴィチの世界にのめり込んでいった訳であるが、当時の私のショスタコーヴィチへの理解の原点は、それぞれのLP盤のライナー・ノーツが重要であった。

Photo  しかし、ショスタコーヴィチの解釈の難しさを本当に知ったのは、先にも紹介した1980年発行の・・・・・・
ソロモン・ヴォルコフ編・水野忠夫訳「ショスタコーヴィチの証言」(中央公論社)
・・・をみてからであった(当時かなり私も意識して購入したと考えられるのは、1981年6月2日と購入日が記してあることだ)。
 まさに衝撃であった。”ヴォルコフによるショスタコーヴィチの回想録”としてスターリン体制の恐怖、諸音楽芸術家の否定的回想には驚愕した。古くからのロシアの音楽芸術には評価をおいていた私であるが、ただ単にその一連の中でのとらえ方しかしていなかった訳である。しかしソヴィエトという世界初の社会主義国家体制における芸術・文化の存在の意義、そしてその環境下のショスタコーヴィチの活動について、初めて思いを馳せることが出来たのである。

 しかしその後、この「証言」の真偽に関しての多くの真贋論争が混沌とする中で、直後(1980年)にソ連で公刊されたグリコーエフ&プラテーク編「ショスタコーヴィチ自伝・時代と自身を語る」が反論に近い内容を展開したという(私は未読)。又その後分析において最も有力であると言われているローレル・フェイの論文がある(むしろ私は最近になって、このフェイ(ファーイとも言う)の著書に接することが出来た。次回に紹介したい)。

Photo_2 その後15年経て・・・・
「ショスタコーヴィチ大研究」(春秋社 1994 )
・・・・・をも手に入れている。
 この本は、森田稔以下十数名によるショスタコーヴィチの生涯についての解説や、曲の分析、時代の話題、関連キーワードの解説などなど多方面からのショスタコーヴィチに対してのアプローチがなされている。
 しかし、既に形が付いたと思われる「証言」の真偽なども含め、諸著者それぞれが決して統一されていない意見があるところもこの本の面白いところでもある。
 しかし、いずれにせよ、単なる御用音楽でないと解されるショスタコーヴィチの世界は、ソヴィエト社会主義革命、ナチスドイツとの戦争とあまりにも激動期の芸術として、その興味が沸くことと同時に評価が高まるところを知らない。

2005aug 更に10年を経て、ショスタコーヴィチ没後30周年を記念しての特集が、雑誌「レコード芸術 2005年8月号(ショスタコーヴィチ・ルネサンス)」でもなされた(左)。
 ここでも、多くの研究家による分析や解説がなされていて興味があった。
 巻頭言として亀山郁夫の”恐怖の自足と刻印”から始まって、後にショスタコーヴィチ研究に精をだしている千葉潤、工藤庸介の解説や、増田良介の曲評価や演奏アルバム紹介など・・・・かなりの充実である。
 いずれにせよ、ショスタコーヴィチの人生、社会環境、政治環境などなど我々には経験のないが為の余りにも理解が難しい点、更にベールに隠れた部分が多いと同時に、彼の創作した音楽の多様性も含めて、議論に事欠かないところが、今日までこうして多々語られる所以であろう。それはソヴェエト社会からのメッセージというところも察知しなければいけないし、又ショスタコーヴィチの人生からの人間的メッセージなのかもしれないし・・・。
(続く : 次回さらにもう少し参考文献を考察したい)

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2010年3月 6日 (土)

ショスタコーヴィチの交響曲(5) 第2番・第3番:若き時代から見えるもの

共産主義保守派と前衛音楽の間の中で・・・・・

 LP盤の再聴・回顧から、私の1960年代に遭遇したショスタコーヴィチの交響曲を再検証しているわけであるが、一般的でない彼の初期の交響曲LPも当時関心が深かったためか手に入れている。それを聴いてみるとショスタコーヴィチを知る上にも興味深い。

Sym23 「SHOSTAKOVICH Symphony No.2 "To October" , Symphony No.3 "May Day" 第2番 「十月革命」、第3番 「メーデー」 / Morton Gould conducting ・ Royal Phil. Orch. & Chorus」 RCA SRA-2546  発売日不詳

 このLP盤は、ショスタコーヴィチの第2・第3交響曲の世界で初めてレコードとしてリリースされた記念的代物。私の若き時代の取得物だ。(ジャケット写真の中央に”World Premie're Recording”と記されている)
 これは、アメリカのモートン・グールド指揮というところが、見方によっては皮肉でもある。

*交響曲第2番ハ長調作品14「十月革命に捧ぐ」は、1927年ショスタコーヴィチ21歳の作品。ソヴィエト社会主義革命10周年に記念するものとして、ソ連国立出版局音楽部門の宣伝部からの委嘱されたものだという。
*交響曲第3番変ホ長調作品20「メーデー」は、1929年レニングラード音楽院大学院の修了作品。初演はレーニンの命日の1930年1月21日。

 このショスタコーヴィチの初期の両交響曲の誕生は、1925年のレニングラード音楽院卒業作品の第1番の成功があったからに他ならない。
Sym115inb_2 (参考:左CD 「SHOSTAKOVICH SYMPHONIES Nos.1&15 / Eliahu INBAL conducting WIENER SYMPHONIER」 DENON COCO-70709 録音1992 2004  = このDENONのインバル指揮のシリーズは、ショスタコーヴィチ(ウィーン交響楽団)の他マラーもの(フランクフルト放送交響楽団)と合わせて充実しており、又現在はそのサービス・シリーズで発売されていてお買い得である)

 この第1番は、いわゆる交響曲の伝統的4楽章構成であるが、ピアニストとしての訓練は積んではいたとはいえ、19歳の作品とは思えない傑作であった。特に内外の新しい音楽に興味を持って吸収していた時で、どちらかと言えば前衛的な多彩な楽器の変化をもった展開はソヴィエトのモーツァルトと言った人もいるとか。当時ショスタコーヴィチ自身は、この曲をグロテスク(異様)という表現をしたようだが、聴くものに印象づける効果は絶大で、初演から好評であった。
 この年にレニングラードに客演したブルノー・ヴァルターはそれを評価し、ベルリンで国外初演し、海外でもショスタコーヴィチは注目されたのだった。

 さて、第2番、第3番交響曲の話に戻るが・・・・・・
 こうした経過は、新生ソ連の音楽界の芸術的展開は、西欧の新しい動きすら敏感に反応する環境があったことにもよる。その中でショスタコーヴィチは次第に前衛的な流れに傾倒して行く中で、第2番が生まれた。又当時知り合うことの出来たソレルチンスキーは、マラー、ブルックナーの研究評価に余念がなく、その姿勢がショスタコーヴィチの創造活動におおいに影響したという。
Photo (左写真:レーニンの演説) 第2番の革命10周年記念という背景を背負って、あの十月革命(言わずと知れたレーニンらのソヴィエト共産党(ボルシェヴキ)指導による労働者プロレタリアートの武装蜂起による社会主義革命)を描くという標題交響曲(当時は”十月革命への交響的捧げもの”と言われたようだ)は、ある意味ではプロレタリア派のプロレタリアートにふさわしい文化活動というモダニズムを否定する領域での制限された活動でもあったのだ。
 しかしこの曲は、ショスタコーヴィチの新らしい手法が散りばめられた音楽に仕上がった。聴き方によってはなかなか難解な曲でもあった。しかし、当初は多くの讃辞を得ることが出来たが、スターリン時代には完全にその手法は否定され、1965年までなかなか日の目をみなかった曲でもある。
 かって私が聴いた印象からは、この第2番は、その後の最も一般に愛されている第5番とは全く異なり、非常に難解である。最後に革命賛歌のコーラスも微妙にアンバランスで、彼の交響曲でも評価の難しい部類に入る。
 しかし標題音楽という制約の中でも、これに続く第3番「メーデー」になると、始めは哀愁ある主題で出発するが、弦の流れも表現豊かに静と動を織り交ぜる。小太鼓の連打、そして弦の急速の流れ、最後のコーラスによる賛歌と意外に纏まりのある曲として印象は良かった。しかし、後の円熟期の交響曲と比すと、やはり如何にも圧倒的に迫ってくるところにおいては未熟といっていいであろう。
 しかし、ここに見るショスタコーヴィチの音楽は、以降に顕著になる体制音楽と芸術的前衛性の間(はざま)での苦闘が既に見えているところに興味が持たれる。

 天才的な音楽的センスのあったショスタコーヴィチも、ソヴェエトの歴史の中での芸術活動の困難な時代を過ごしながら、人間に迫る作業をしてきたという評価が今日的である。そしてその最も新鮮な初期の曲が意外にも彼の音楽を表しているように思えるのだ。

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2010年3月 4日 (木)

ショスタコーヴィチの交響曲(4) 「血の日曜日」を描いた標題交響曲第11番の示すもの

”形式主義の烙印”からの名誉回復は?=秘めたる”国家による民衆への迫害”の悲観論

Sym11 「SHOSTAKOVICH SYMPHONY No11 in G Major , OP.103  "1905" (ショスタコーヴィチ交響曲第11番”1905年”) / Yevgeni MARAVINSKY ・Leningrad Phil.Sym.Orch 」 新世界レコード SH-7710 Recorded in U.S.S.R  発売日不詳

 私の歴史的LP盤は、このムラヴィンスキー指揮の第11番「1905年」である。
 なんとモノラル録音盤ではあるが、録音日の記載がない(1959年か?)。初期の盤はスタジオ盤とライブ盤があるようだが、これはスタジオ盤だ。そして私が購入した年も覚えておらず(多分1970年代前半だろうと思うが)、日本ビクターよりリリースされているが、その日時もスリーブに記載されておらず、今日考えてみれば、いい加減と言えばいい加減な話である。

 しかし、このムラヴィンスキーとレニングラード・フィルハーモニー管弦楽団の演奏は、その緊迫感が凄い。ここまでに緻密さをもって繊細に構築された演奏はそうはない、名盤だ。
 この曲の初演は1957年10月30日、革命40周年を祝う首都モスクワで、ナタン・ラフリン指揮のソヴィエト国立交響楽団によって行われた。

 この第11番の意義を知る為には、そこに至る考察を以下にする。・・・
  前回考察した第7番のその解釈は、ショスタコヴィチ自身の意識は別にして、戦時中の反ファシズム闘争の英雄的戦いとして捉えられ、世界的にももてはやされ、ソヴィエト政府もそれを歓迎して受け入れた。すなわち彼は粛清から逃れられたのであった。
 しかし彼の交響曲への意欲の根源は決してそのようなものでなかったのは前回考察したとおりである。
Sym8 そしてその後の第8番(左:私の推薦するショルティ指揮盤LONDON FOOL-20462)は、戦争の現実(悲劇)に眼を向けた深刻性のある作品(第8は、戦争交響曲と言われた第7.8.9番のなかでは、人間的な思索の芸術性に長けた作品として今日では最も評価が高いが、当時は抹殺された) となったが、ソヴィエト当局のその評価は厳しかった。
 更に1945年、スターリンにより戦争勝利の賛歌が期待された第9番も、まさにスターリンの期待を裏切ったショスタコの抵抗的パロディー作品となった。その結果、再び形式主義作品と断定されてショスタコの評価は地に落ちてしまう。(モスクワ、レニングラード両音楽院教職をも解雇される)

Sym10  そして8年後のスターリン没によってその体制の終焉した1953年になり、ショスタコーヴィチの長年の結晶第10番が発表された。
 (参考:(左CD) 
 「SHOSTAKOVICH Sym.No.10  / Evgen Mravinsky ・Leningrad Phil.Sym.Orch. 」1976録音 VICC-40256)

 ソ連のスターリン統制下のプロパガンダ音楽に飽きていた多くの聴き手にとっては、ショスタコーヴィチの主張性の濃いこの交響曲を聴き、”自由への目覚め”を感じて絶賛した。ここにはスターリンを代表する国家による民衆への迫害を如何にも哀しく暗く描ききっていたのだった。(私の推薦交響曲である)
 一方スターリン体制の実践家ジダーノフの一派からは交響曲全体を覆うペシミズム(悲観論)にソ連社会にとっての不健全さを指摘し、強い疑惑を向けられた。1954年、作曲家同盟の公開討論会においてその評価は2分した論争に至った(「第10論争」)。そして結果としてこの作品には国家的支持は行われなかった。しかし勇気あるショスタコの実践によって、まだまだ行く末の不明瞭な国家情勢においても、特に芸術界における自由化運動は確実に進行したのである。

 さて、ここで交響曲第11番の話に戻る。・・・・・・・
 時は流れてスターリン体制が崩壊3年後の1956年には、フルシチョフの”スターリン批判”が共産党大会で行われるに至った。息を吹き返したショスタコヴィチは翌年の1957年の革命40周年のために標題交響曲として革命評価をする交響曲を作り上げる。それがこの第11番だ。
 第一次革命闘争の発端ともなる1905年1月9日のペテルブルグの広場における市民の請願デモに対して当時のロシアツァー政府側の一斉射撃によって血の海と化した事件。この「血の日曜日」事件はロシア革命運動展開の発端となった悲惨な事件であった。これによって、多くの難題を克服して人民の革命闘争が蜂起するのであった。これを取り上げたこの第11番の標題交響曲は、フルシチョフの時代になって、ショスタコヴィチが初めて国家体制の民衆への迫害をあからさまに批判し、革命の意義を評価し描く対象とすることが出来たのである。もともとレーニンの革命運動の評価を心に秘めていたショスタコヴィチにとっては、非スターリンの時代となって、一つの結実をみる。しかし発表前年にはソヴィエトによるハンガリー自由化弾圧の”ハンガリー動乱”もあり、ほんとに極めて真摯に革命評価が出来たのであったかどうかは解らない。
 私にとっては、この第11番の”静と動”のメリハリの効いた曲、第3楽章の弦による崇高さ、最終章の”警鐘”の暗示的な世界は非常に愛してきた交響曲である。

 ショスタコヴィチは、第5、第7によって、”社会主義リアリズムに即した作品”と言われて、スターリン独裁粛清下でも生き延びることが出来たわけであるが、それはその解釈を説明する言葉は彼からは示されていない。むしろ逆に前回触れた「証言」にあるような、体勢批判と国家的弾圧を悲観する彼の生き様は実は真実であろうとする事が現在の評価の趨勢である。
 しかしこの第11番にして、彼は今度は本当にソヴィエト体勢の中で自分になりきれたのかどうかは不明だ。この社会の中で芸術家がしたたかな抵抗と絶望的な過酷な状況で生き延びた姿が彼の交響曲から見え隠れするのである。
 

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2010年3月 1日 (月)

ショスタコーヴィチの交響曲(3) 第7番:彼の交響曲は墓碑なのか?(「ショスタコーヴィチの証言」は?)

最も物議を醸した交響曲第7番「レニングラード」

 ショスターコーヴィチ(かってそうであったように、私にとっては・・・・ヴィッチであるが、最近の記載から今回より・・・・ヴィチとする)の交響曲としては、最も佳境にはいるのがこの第7番ハ長調作品60「レニングラード」である。特に彼の書いた15の交響曲のうち、この第7と第8・9は戦時下にて書かれたものであり、当時の解釈から”戦争交響曲”として捉えられて来た。

Sym7 「Shistakovich: SYMPHONY no.7 LENINGRAD / Va'clav Neumann ・ Czech Philhamonic Orchestra 」 SUPRAPHON OB-7331~2-S 1976

 この指揮者ノイマンVa'clav Neumannは、私がショスタコーヴィチ交響曲に関心を抱いたLP盤の指揮者カレル・アンチェルがカナダに亡命した後のチェコ・フィルの後継者である。
 そして’70年代に偶然にも私が手に入れたLP盤の第7「レニングラード」は、このチェコ・フィルものであった。
 当時は、いわゆる解説どおりに、この交響曲は”第2次世界大戦におけるナチス・ドイツのレニングラード侵攻に対して、封鎖された900日に及ぶ市民の空襲と砲撃と飢餓とあらゆる物資の欠乏の中で死守した英雄的な攻防戦を描いたもの”として捉えていた。
 つまり第1楽章は、(戦争)不法の侵略を開始し、迫り来るナチス・ドイツ軍の恐怖が襲いかかりつつある情景。第2楽章:(回想)哀愁。第3楽章:(祖国の大地)祖国愛を表す。第4楽章:(勝利)戦争の犠牲者への哀悼の心と勝利宣言。と言った内容に感動しつつ聴いていたものであった。

Photo  しかし、1980年登場した
「ショスタコーヴィチの証言」(ソロモン・ヴォルコフ編、水野忠夫訳 中央公論社 1980 (左) 
・・・・・・・・・・により解釈は大きな変換を強いた。(私のこの本に記したサインを見ると、1981年6月に購入している)

 これはショスタコーヴィチ(以下ショスタコと略す)の友人であるヴォルコフが1971年から1974年までの間にショスタコと面会して、語られたことを纏め上げ、承認を受けたもの。内容からしてソ連おける出版は絶望的であることから、彼の死後に国外にて発表することを委託されたもので、ヴォルコフがアメリカに亡命して一冊の本として刊行したという。
 その内容は、ショスタコの交響曲は当時のソ連の特にスターリン恐怖政治に対する批判的性質のもので、決して当時強要された社会主義リアリズムを賛美して描いたものでない。恐怖におののきながら生死をかけて書き上げた交響曲をはじめ多くの作曲されものは、そうした社会に於ける人間の苦悩とその状況下から形成された人間の永遠の姿を描いていると言うものであった。

 こうした内容により、世界的にショスタコの評価に於ける論争が展開されたのである。特にこの第7番は、かっては戦時中の出来事を描いた標題音楽的なものとして捉え、その壮大な展開と纏まりが素晴らしく非常に支持者が多い反面、一方にはソ連の宣伝的なニュアンスに反感が持たれ、「壮大なる愚作」との評価も下されていた。
 しかし、この「証言」の出版により、この作品はナチス・ドイツのみならず、スターリンによるソ連政府の暴力に向かっての告発と、悲惨な中にも人間の敵はなにか?そしてそれに向かって敵に対する勝利のために力も生命も惜しまなかった同時代の人々の姿を書いたものとの解釈に至り、大きくショスタコ交響曲の評価が変わり、世界的にも多くの人によって演奏され、そして又多くのものの感動も呼ぶようになるのだった。

Stalin  この「証言」の中では、ショスタコ自身の言葉で”私の多くの交響曲は墓碑である”と記されている。そしてスターリン(左)の恐怖政治に徹底的な批判を繰り返す。”ドイツ・ファシズムのみならず、いかなる形態のファシズムも不愉快である”、”ヒトラーが犯罪者であることははっきりしているが、スターリンだって犯罪者なのだ”、”ヒトラーによって殺された人々にたいして、わたしは果てしない心の痛みを覚えるが、それでもスターリンの命令で非業の死をとげた人々にたいしては、それにも増して心の痛みを覚えずにはいられない”

 しかし、これに対して当時のソ連在住のショスタコと親交のあった人々は、”この「証言」は捏造されたもの”と主張した。一方、”ソ連在住の人物の発言は信用に値しない。著名な音楽家の亡命やソ連崩壊をみれば解るのではないか”という支持派もあり、二分してしまう。どうもその後、諸検証により「証言」偽書説に傾いてはいるが、ショスタコ自身の意志に関しては証言の内容に同調している傾向にある。(ただし、訳者の水野忠夫は偽書説を否定し、”音楽だけが真実を語れると信じて生きようとしたショスタコの執念のようなものに注目される”と記している)
 この「証言」騒動の中で、世界に於けるショスタコの交響曲の関心は高まる一方で、”歴史的音楽研究による成果の芸術的作品”として、マーラー以降の傑作と受け入れられるようになる。
 
Sym7rostro  第7交響曲は、ショスタコと親交があった海外亡命したロストロボーヴィッチ指揮のものもある。(左CD)
 「Shostakovich SYM. No7 "LENINGRAD" Rostropovich  National Symphony Orchestra」Warner Classics  WPCS-21105  1989

 ここには、渡辺和彦によりロストロボーヴィッチの言葉が紹介されている。”スターリンによって何百万人もの人々が殺されたのですから、第7に描かれた「悪」は、ファシズムでもあり、スターリンでもあるのです。第7はこの「悪」に抵抗する音楽と考えています”

 いずれにしてもLP盤を復活させて、過去の感動を甦らしている今、確信していることは、このショスタコ第7は私にとっては大切な交響曲なのです。

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