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2010年3月 6日 (土)

ショスタコーヴィチの交響曲(5) 第2番・第3番:若き時代から見えるもの

共産主義保守派と前衛音楽の間の中で・・・・・

 LP盤の再聴・回顧から、私の1960年代に遭遇したショスタコーヴィチの交響曲を再検証しているわけであるが、一般的でない彼の初期の交響曲LPも当時関心が深かったためか手に入れている。それを聴いてみるとショスタコーヴィチを知る上にも興味深い。

Sym23 「SHOSTAKOVICH Symphony No.2 "To October" , Symphony No.3 "May Day" 第2番 「十月革命」、第3番 「メーデー」 / Morton Gould conducting ・ Royal Phil. Orch. & Chorus」 RCA SRA-2546  発売日不詳

 このLP盤は、ショスタコーヴィチの第2・第3交響曲の世界で初めてレコードとしてリリースされた記念的代物。私の若き時代の取得物だ。(ジャケット写真の中央に”World Premie're Recording”と記されている)
 これは、アメリカのモートン・グールド指揮というところが、見方によっては皮肉でもある。

*交響曲第2番ハ長調作品14「十月革命に捧ぐ」は、1927年ショスタコーヴィチ21歳の作品。ソヴィエト社会主義革命10周年に記念するものとして、ソ連国立出版局音楽部門の宣伝部からの委嘱されたものだという。
*交響曲第3番変ホ長調作品20「メーデー」は、1929年レニングラード音楽院大学院の修了作品。初演はレーニンの命日の1930年1月21日。

 このショスタコーヴィチの初期の両交響曲の誕生は、1925年のレニングラード音楽院卒業作品の第1番の成功があったからに他ならない。
Sym115inb_2 (参考:左CD 「SHOSTAKOVICH SYMPHONIES Nos.1&15 / Eliahu INBAL conducting WIENER SYMPHONIER」 DENON COCO-70709 録音1992 2004  = このDENONのインバル指揮のシリーズは、ショスタコーヴィチ(ウィーン交響楽団)の他マラーもの(フランクフルト放送交響楽団)と合わせて充実しており、又現在はそのサービス・シリーズで発売されていてお買い得である)

 この第1番は、いわゆる交響曲の伝統的4楽章構成であるが、ピアニストとしての訓練は積んではいたとはいえ、19歳の作品とは思えない傑作であった。特に内外の新しい音楽に興味を持って吸収していた時で、どちらかと言えば前衛的な多彩な楽器の変化をもった展開はソヴィエトのモーツァルトと言った人もいるとか。当時ショスタコーヴィチ自身は、この曲をグロテスク(異様)という表現をしたようだが、聴くものに印象づける効果は絶大で、初演から好評であった。
 この年にレニングラードに客演したブルノー・ヴァルターはそれを評価し、ベルリンで国外初演し、海外でもショスタコーヴィチは注目されたのだった。

 さて、第2番、第3番交響曲の話に戻るが・・・・・・
 こうした経過は、新生ソ連の音楽界の芸術的展開は、西欧の新しい動きすら敏感に反応する環境があったことにもよる。その中でショスタコーヴィチは次第に前衛的な流れに傾倒して行く中で、第2番が生まれた。又当時知り合うことの出来たソレルチンスキーは、マラー、ブルックナーの研究評価に余念がなく、その姿勢がショスタコーヴィチの創造活動におおいに影響したという。
Photo (左写真:レーニンの演説) 第2番の革命10周年記念という背景を背負って、あの十月革命(言わずと知れたレーニンらのソヴィエト共産党(ボルシェヴキ)指導による労働者プロレタリアートの武装蜂起による社会主義革命)を描くという標題交響曲(当時は”十月革命への交響的捧げもの”と言われたようだ)は、ある意味ではプロレタリア派のプロレタリアートにふさわしい文化活動というモダニズムを否定する領域での制限された活動でもあったのだ。
 しかしこの曲は、ショスタコーヴィチの新らしい手法が散りばめられた音楽に仕上がった。聴き方によってはなかなか難解な曲でもあった。しかし、当初は多くの讃辞を得ることが出来たが、スターリン時代には完全にその手法は否定され、1965年までなかなか日の目をみなかった曲でもある。
 かって私が聴いた印象からは、この第2番は、その後の最も一般に愛されている第5番とは全く異なり、非常に難解である。最後に革命賛歌のコーラスも微妙にアンバランスで、彼の交響曲でも評価の難しい部類に入る。
 しかし標題音楽という制約の中でも、これに続く第3番「メーデー」になると、始めは哀愁ある主題で出発するが、弦の流れも表現豊かに静と動を織り交ぜる。小太鼓の連打、そして弦の急速の流れ、最後のコーラスによる賛歌と意外に纏まりのある曲として印象は良かった。しかし、後の円熟期の交響曲と比すと、やはり如何にも圧倒的に迫ってくるところにおいては未熟といっていいであろう。
 しかし、ここに見るショスタコーヴィチの音楽は、以降に顕著になる体制音楽と芸術的前衛性の間(はざま)での苦闘が既に見えているところに興味が持たれる。

 天才的な音楽的センスのあったショスタコーヴィチも、ソヴェエトの歴史の中での芸術活動の困難な時代を過ごしながら、人間に迫る作業をしてきたという評価が今日的である。そしてその最も新鮮な初期の曲が意外にも彼の音楽を表しているように思えるのだ。

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