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2010年3月10日 (水)

ショスタコーヴィチの交響曲(6) 取り敢えず理解のための参考文献(1) ソロモン・ヴォルコフ編書など

ソヴィエト社会からのメッセージと人間としてのメッセージと・・・

 ショスタコーヴィチの交響曲を知ろうとすると、彼ほどその時代考証が必要な作曲家もいないのではないか?。しかし、もともと私自身はショスタコーヴィチは、最も誰もがそうであろうと思うところの”第5番”から興味と感動を持つことになったが、それは付けられている「革命」という俗称に興味を持ったからでなく、たまたま当時のラジオ放送でこの曲を耳にして興味を持ったに過ぎない。そして何とかLPを手に入れたのは1960年代である。
 先日紹介したアンチェル指揮ものは、ようやくステレオ盤も定着してきたときのLP盤である。ローカルな地にいた私にとっては、ようやく手にした記念盤でもある(それでもその後に手に入れたムラヴィンスキーの「第11番」はモノラルである)。若き私にとっては、あのダイナミックな最終章の締めくくりには圧倒されたものだ。
 こうしてショスタコーヴィチの世界にのめり込んでいった訳であるが、当時の私のショスタコーヴィチへの理解の原点は、それぞれのLP盤のライナー・ノーツが重要であった。

Photo  しかし、ショスタコーヴィチの解釈の難しさを本当に知ったのは、先にも紹介した1980年発行の・・・・・・
ソロモン・ヴォルコフ編・水野忠夫訳「ショスタコーヴィチの証言」(中央公論社)
・・・をみてからであった(当時かなり私も意識して購入したと考えられるのは、1981年6月2日と購入日が記してあることだ)。
 まさに衝撃であった。”ヴォルコフによるショスタコーヴィチの回想録”としてスターリン体制の恐怖、諸音楽芸術家の否定的回想には驚愕した。古くからのロシアの音楽芸術には評価をおいていた私であるが、ただ単にその一連の中でのとらえ方しかしていなかった訳である。しかしソヴィエトという世界初の社会主義国家体制における芸術・文化の存在の意義、そしてその環境下のショスタコーヴィチの活動について、初めて思いを馳せることが出来たのである。

 しかしその後、この「証言」の真偽に関しての多くの真贋論争が混沌とする中で、直後(1980年)にソ連で公刊されたグリコーエフ&プラテーク編「ショスタコーヴィチ自伝・時代と自身を語る」が反論に近い内容を展開したという(私は未読)。又その後分析において最も有力であると言われているローレル・フェイの論文がある(むしろ私は最近になって、このフェイ(ファーイとも言う)の著書に接することが出来た。次回に紹介したい)。

Photo_2 その後15年経て、この「ショスタコーヴィチ大研究」(春秋社 1994 )をも手に入れている。
 この本は、森田稔以下十数名によるショスタコーヴィチの生涯についての解説や、曲の分析、時代の話題、関連キーワードの解説などなど多方面からのショスタコーヴィチに対してのアプローチがなされている。
 しかし、既に形が付いたと思われる「証言」の真偽なども含め、諸著者それぞれが決して統一されていない意見があるところもこの本の面白いところでもある。
 しかし、いずれにせよ、単なる御用音楽でないと解されるショスタコーヴィチの世界は、ソヴィエト社会主義革命、ナチスドイツとの戦争とあまりにも激動期の芸術として、その興味が沸くことと同時に評価が高まるところを知らない。

2005aug 更に10年を経て、ショスタコーヴィチ没後30周年を記念しての特集が、雑誌「レコード芸術 2005年8月号(ショスタコーヴィチ・ルネサンス)」でもなされた(左)。
 ここでも、多くの研究家による分析や解説がなされていて興味があった。
 巻頭言として亀山郁夫の”恐怖の自足と刻印”から始まって、後にショスタコーヴィチ研究に精をだしている千葉潤、工藤庸介の解説や、増田良介の曲評価や演奏アルバム紹介など・・・・かなりの充実である。
 いずれにせよ、ショスタコーヴィチの人生、社会環境、政治環境などなど我々には経験のないが為の余りにも理解が難しい点、更にベールに隠れた部分が多いと同時に、彼の創作した音楽の多様性も含めて、議論に事欠かないところが、今日までこうして多々語られる所以であろう。それはソヴェエト社会からのメッセージというところも察知しなければいけないし、又ショスタコーヴィチの人生からの人間的メッセージなのかもしれないし・・・。
(続く : 次回さらにもう少し参考文献を考察したい)

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