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2010年6月27日 (日)

ロジャー・ウォーターズ Roger Waters ニュー・ソング”We Shall Overcome”

ロジャー・ウォーターズ”2010-2011 THE WALL TOUR” を前にニュー・ソング公開

Roger_waters_2010_the_wall_tour  ここに来て、否が応でも盛り上がってきたロジャー・ウォーターズの「THE WALL TOUR 2010-2011」であるが、現在の彼の”THE WALL :壁”のテーマは、明らかにパレスチナ問題にある。
 あのガザGAZA地区に巡らされた”壁”について、ついにニュー・ソング「We Shall Overcome」の言葉として登場した。(既に「YouTube」にて公開されて、多くの視聴を受けている)
 近年の彼の”Each small Candle”、”Flickering Flame”、”Leaving Beirut”などの曲と関連づけられてくる曲だ。

 ” End the Blockade of GAZA ”


Rogerplayingguitar「 We Shall Overcome 」(Lyrics)

We shall overcome
We shall overcome
We shall overcome some day

Deep in my heart
      I do believe That we shall overcome some day

      And We'll walk hand in hand
     We'll walk hand in hand
     We'll walk hand in hand one day

     Deep in my heart
     I do believe That we'll walk hand in hand one day

Gaza_wall2 And we'll break down the prison walls
We will tear down those prison walls
Together we will tear down those prison walls on that day

Deep in my heart
I do believe That  we will tear down all those  prison walls on that day

     And the truth will set us free
      The truth will set us free
      The truth will set us all free on that day

     And deep in my heart
     I do beleave That the truth will set us all free on that day

     And we shall Overcome

      ( by Roger Waters )

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2010年6月22日 (火)

キース・ジャレット Keith Jarrett の世界(7) いくつかの余話(慢性疲労症候群)

[3] キース最大の危機

Keith55  キース・ジャレットにとっての最大の危機は1996年、イタリアでのコンサート中に重傷な疲労状態に陥った。演奏は全く不可能な状態となり、その年の活動は全てキャンセル。そして不安な闘病のための日々を送ることになる。
 この状態はかなり厳しいもので、他人との対応は不可能で、長い自宅での療養生活となり、もちろんピアノを弾くことは全くなく、外出もしなかったようだ。
 病気は”慢性疲労症候群(CFS)”と診断された。この疾患は未だにその解明はなされていないと言っていい。この病気は疲労、倦怠感とともに微熱や頭痛、筋肉痛などの身体症状や、不安、抑鬱状態、いらいらなど精神・神経症状によって、長期にわたり日常・社会生活に重大な支障をきたす病態だという。
 しかし病院などの一般的検査では異常がないことが多く、その治療には困難を極める。ところが近年さらに踏み込んだ検査をすると、異常な病態のあることが解ってきた。脳代謝・内分泌異常、疲労によるなどの免疫低下状態でのウィルス感染・細菌の慢性感染症、免疫異常などなど。
 近年この病態を示す患者の増加で、診断の方法論が急がれているようだ。日本においても「日本疲労学会」があり、本格的な対応を検討中という。

[4] 1999年の記念すべき復帰

 しかし、なかなか改善することも難しい場合もあるという”慢性疲労症候群”からの、キースの力強い復帰は世界のフアンを喜ばした。先にも取り上げた自宅でのスタンダード・ソロ演奏集「The Melody At Night, With You」(1999年)が3年の空白を経て登場した。

Whispernot 「Keith Jarrett, Gary Peacock, Jack DeJohnette  /  Whisper Not」 ECM UCCE-1004/5  2000

 本格的、”キース・ジャレット・トリオ”の再出発が現実のものとなったのはこのアルバムだ。1999年のパリのスタンダード・ナンバー・ライブものの登場である。このアルバムのライナー・ノーツの鯉沼利成によると、キースは、このグループをこれからは”キース・ジャレット・トリオ”でなく”トリオ・ジャズ”という表現をしてほしいと言ったとか?、つまり3人を同等に扱ってほしいと言うことらしい。いずれにしてもキースの闘病生活からのこのトリオに対しての一つの結論なのであろう。
 そして、聴く方にとっては病気からの回復ライブということで、どんな演奏スタイルが見られるか興味のレベルは高かった。
 復帰第1号のスタンダード・ソロの印象から、このトリオの復活はどう変わるのかとの期待と不安があったわけだが、回答は従来のトリオとの大きな変化はなかった。前半にはややアグレッシブな奏法もみせ、例のうなり声も聞かれ(録音法によるのかやや小さい声になってはいた)、2枚CDの最後には、あの復帰ソロにも通ずる優しさが現れていた。

Myfoolishheart 「Keith Jarrett, Gary Peacock, Jack DeJohnette / MY FOOLISH HEART - Live at Montreux」 ECM UCCE-1095/6  2007 (2001 at the Montreux Jazz Festival)

 2001年モントゥルー・ジャズ・フェスティバルのライブである。彼らの結成25周年記念というもので、そこにはキース自身の言葉がライナー・ノーツとして載せられている。それによると演奏日の条件の悪さに加え、会場が演奏者であるメンバーのものになりきっていない感覚を持ったようだ。しかしキース自身は演奏内容にはかなり満足であったようで、これをアルバムとして公開するタイミングを計っていたようだ。つまり、お互いに歳をとり、肉体的にもハンディを持つようになっても、ゲイリーやジャクの演奏にも満足感をキースは感じているのだ。
 もともと、彼らのようなトリオ・ジャズをああした大会場でやるものではないと私は思う。だから”DEER HEAD iNN”のようなスタイルが最も充実するのではないかとも思う。
 それはさておき、このアルバムの流れはジャズのエッセンスを十分に網羅している。最後の”only the lonely”を聴いたときには、安堵の満足感で満ちあふれるのだ。あのような大会場でも完璧な演奏の出来るキースはじめトリオ・メンバーに、このアルバムを手にした時は、ほっとしたのであった。

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2010年6月21日 (月)

キース・ジャレット keith Jarrett の世界(6) いくつかの余話

[1] ピアノの音
 何時も思うのだが、何でキース・ジャレットのピアノの音はこれ程透明感ある純粋な響きなのか?と不思議に思う。それはキース自身の奏法に一種のテクニックの特徴があろうことは当然としても、現ECMにおける一つの録音法の為かもしれないとも想像してみるのだ。
Steinwaypiano しかしかっての初期のATLANTICもの(「SOMEWHERE BEFORE」)とか、MCAのImpulse時代のもの(「FORT YAWUH」、「TREASURE ISLAND」など)と比べると、Impulseが最も線は太い録音タイプで、ベースも低く響いてくるが、しかしキースのピアノの透明感ある美しさは大きくは変わっていない。と、するとやはり当然のことなのであろうが、キースの造り出すピアノの音というものがあるのだと思うのである。
 彼の使用しているピアノはどこでも彼の要求で多分スタンウェイだと思う。このピアノはクラシックからジャズまで多くの愛好者がいる。クラシックでは内田光子は多分そうだったと思うが、比較は正しいかどうかは別として、彼女のモーツァルトのピアノ協奏曲を聴いても、キースのピアノの音と同じかというとそうではない。ジャズではダイアナ・クラールもそうだが、やっぱりちょっと違うのだ。ピアノの音と一概に言っても、素人の私から見てもなかなか多様なのである。

[2] スリーブ・デザイン
 私自身は、どの種の音楽においてもアルバムのスリーブ・デザイン(ジャケット・デザイン)が非常に気になる方だ。

Atthedeer1
 ① Keith Jarrettのアルバムで、やはりNo1の私好みは・・・・
      「AT THE DEER HEAD iNN / Keith Jarrett, Gary Peacock, Paul Motian」 ECM POCJ1225 (1994) (↑)である。
  このアルバムは1992年9月に、彼が十代から演奏に関わった”The Deer Head”というクラブにての30年ぶりの昔の仲間との再会という感覚で演奏されたものという。1994年にリリースされたもの。
 Photo: David W.Coulter 、Cover Design: Barbara Wojirsch となっている。
 夜の街灯に照らされて浮かぶ歴史ある建物の風情と、道路の奥に光る次の街灯の遠くに思いを馳せる情景。もう深夜を思わせる静かな世界だ。実際、この演奏の日は霧のかかった秋の夜の演奏であったとか、そこに流れるキースのトリオの音とくれば、まさに最高なのだ。このジャケを眺めながら、ジャズというものの世界を何度か自分なりきに作り上げ、聴き惚れたアルバムである。
 この日の演奏のドラムスが、ポール・モチアンであるが、16年ぶりの共演であったと。なにかこの狭いクラブのバラバラな拍手もジャズの原点を知る思いである。

Theoutof2_2 Themelody3_2 Mysteries4_2 





 そしてさらに ②「The Out-of-Towners」(ECM 2005)、③「The Mwlody At Night, With You」(ECM 2009)、④「Mysteries」(Impulse1975) の3枚のアルバムのスリーブ・デザインも私好みだ。又それぞれの演奏も素晴らしいアルバム。②の即興性は魅力的であるし、③のキース闘病中からの作品には心の響きがある。④のimpulsed時代の前衛性はキースの原点でもある。
 やはり音楽アルバム(LP, もちろんCDも)というのは、聴く上で、このデザインの印象も非常に大きいと言える。従ってLP時代のあの大きさのジャケットが懐かしいわけです。(それぞれクリック拡大)

 

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2010年6月20日 (日)

キース・ジャレット Keith Jarrett の世界(5) 花のスタンダーズ・トリオ

開花した1980年代のキース・ジャレット・トリオ

キース・ジャレットの歴史は結構多彩である。マイルス・デイヴィス・バンド加入から1970年代のアメリカン・カルテット、ヨーロピアン・カルテットの活動。そして一方のソロ活動など。そうした経過の中で、日本愛好家のゲイリー・ピーコックによるキースを加えてのトリオによるアルバム作成を起点にして、キースの活動は数年後にはこのトリオでの”スタンダーズ”として大きな歴史を刻むことになった。

Talesofanother 「G.Peacock, K.Jarrett, J.DeJohnette / Tales Of Another」 ECM POCJ2202   1977.2録音

 ベース奏者のゲイリー・ピーコック(Bass)から組まれたキース・ジャレット(Piano)・ディジョネット(Drums)トリオによる演奏のオリジナル曲集。6曲全てピーコックの作品。
 しかし、このメンバーが後にキース・ジャレット・トリオとしてスタンダード曲を演奏してジャズ界に一世を風靡することになる記念すべき初顔合わせ盤。
 ピーコックの曲を演奏するといっても、既にキースのピアノは思い存分展開して、例のうなり声は全開している。
 ただ、後のこのトリオものよりは確かにピーコックのベースの音が生きていて頼もしく出来上がっている。

Keithjarretttrio1  さて、このメンバーによるスタンダード・ナンバー演奏は1983年に「スタンダーズVol.1」、「スタンダーズVol.2」の発表からスタートする。特にこのメンバーはそれぞれがどちらかというとフリーな特異性のあるジャズ奏者であり、お互いの共通点もそう明快でない。そしてそうした不思議な環境から生まれた作品で、それが幸いしてか妙に聴くものに新鮮で、かってのスタンダード曲の解釈に新風を巻き込んだことは事実だ。

 そして幸いに彼らは日本を愛してくれて、来日演奏は数え切れない。その中で特に初期ものに近い1985年、86年の日本ライブが、DVD映像で見ることが出来る。

Dvdstandards Dvdstandardsii_2
① 「Standards スタンダーズ・ライブ’85」 
② 「Standards II スタンダーズ・ライブII 」
      この2枚のDVD盤、①は1985年2月15日、東京厚生年金ホール。②は、1986年10月26日、東京・昭和女子大人見記念講堂収録もの。
 現在の収録ものと異なって、映像は良いとは言えないが、その捉える角度やアップなどはそれなりに良い。音もリニアPCMステレオでまあまあというもの。
 このスタンダーズ・ピアノ・トリオはやっぱりライブがいい。キースの演奏となると必ずあのうなり声が聴かれるが、これの善し悪しは別として(私は妙に気になってしまう時と、あまり気にならないこともあり、又それが効果的と思う時と色々だ)、どのような状況でキースが発声しているかは、このような映像ものであればよく解る。

 しかしここにみるトリオ・メンバーは現在から見るとさすがに若い。そしてキースの鍵盤を中心にしての体の動きは激しく、又表情の多彩さ、特にそこにみる笑顔はこのトリオ演奏時の特徴でもあろう。彼らの最も活力のあった時代だけに一種の妥協なき挑戦が感じられる。

 彼らのスタンダード曲の演奏の魅力は、キースの素晴らしい透明感のあるピアノの響きと、その集中力による聞き慣れた曲のかってなかった展開が大きい。つまり即興演奏で築かれた彼の創造的世界とそして孤高なスタイルにある。そしてややもすると深淵であるところは良いが、さらに真理に迫りつつ甘さのない世界に入りかかったときにサポートするピーコックのベースは、思いの外”明”の方向に展開する。そしてディジョネットのドラムスは重くなく軽快感で、リズム感を助長して仕上げる。このスタンダード演奏と彼らの即興ものや、キース自信によるのソロものとの違いは、それなりに異なった方向性を持っているところが聴き所だ。

 現在は、このトリオ・メンバーは歳を重ね、体力的、精神的両面からそれぞれハンディーをしょった状態であるが、今年も又日本公演の企画が動いている。熟年を通り越しての演奏も又楽しみである。

 

 

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2010年6月15日 (火)

キース・ジャレット Keith Jarrett の世界(4)  ソロ演奏の魅力

類をみない独特の世界観

 キース・ジャレットというと、彼の長年の活動の中で、一つの重要なポイントとしてピアノ・ソロ活動が注目される。しかしその内容は実は多様であると思う。もともとスタンダード・ナンバーをソロで展開する場合、ステージにてその時の彼の感覚を即興で描いてゆく演奏、そして自己のオリジナルをスタジオでソロで練り上げてゆく場合などと多彩なのだ。

Facingyou 「Keith Jwrrett  FACING YOU」 ECM UCCU-5095  1971年録音

 このアルバムは、多分彼のソロ第一号であると思うが、後の評判になったソロ・コンサートものとは異なる。つまり彼の8つのオリジナル曲をそれぞれ独立してスタジオ録音し、それを編集して一つのアルバムとして仕上げたものだ。
 しかし、そこに流れるスタイルは、やはり最初から構築された世界をなぞるというものでなく、演奏してゆく過程において彼の思いを拘束のない自由な感覚でピアノの音の中に描いてゆく。つまり基本的には即興的因子の強いものと言っていいのであろう。
 それであるだけに、彼はこの一枚のアルバムに自己の諸々の因子を凝縮している。
 演奏されている曲にはタイトルがあり、その中では私にとっては”Lalene”の美しさ、”Vapalia”や”My lady;My child”のような、これからのソロに繋がるやや孤独な世界などが聴かれ、今でも魅力的なアルバムだ。

Thekoelnconcert 「Keith Jarrett  THE KO"LN CONCERT」 ECM  POCJ-2002  1975年ライブ

 このアルバムはもはや誰もが認める彼のソロ演奏ものの頂点にある。彼のその会場における環境や状況から浮かび上がる即興性は、ある極限に迫る集中力による産物と言われている。その為その時その状況によって(我々が聴くことの出来るアルバムにおいて知る限り)出来上がった演奏の真迫度は異なるし、同じ彼の"ソロ演奏もの"とはいえ、ものによっては全く異なった世界に導かれることがある。
 そんな中でも、多くのファンに支持されたこのアルバム、確かに背中がゾクっとするような音と流れに対面できる。これはいったいJazzとしての、どうゆう分野になるのだろうか?。未だに整然と説明できない私なのである。
 しかし、私の受ける印象は、彼のソロ・アルバムに共通して流れるものは(ソロ演奏であることも一因しているとは思うが)、人間の原点に迫ろうとする”孤独感”を感ずるのだ。他の多くのジャズ奏者のトリオやカルテットから生まれる”いわゆる楽しさ”とは一線を画するのだ。しかしこの「ケルン・コンサート」の時は、彼は決してコンディションはよくなかっと言われているが、アンコールでは見事未来への希望の感ずる美しさで閉めてくれて、いっそう彼のこの日の演奏が感動的であった。
 ちょっと余談だが、彼のこうしたコンサート会場におけるライブ録音では、どうしても拍手が私は気になってしまう。彼の演奏は、いつの間にか聴く私に何かを描かせる力がある。その世界にめり込んでいた時に、拍手の音に全てが壊されてしまう感を持つのである。彼のライブ盤の拍手は特にソロものにおいては消し去ってほしいと言うのが私の持論だ。

Themelodyatnighteithyou 「Keith Jarrett  THE MELODY AT NIGHT,WITH YOU」 ECM   POCJ-1464,  1998年録音

 これは、1996年イタリアでのコンサート中に激しい疲労で演奏不可能の状態に陥り、2年間の療養生活を送り、それからの復活のアルバムである。
 また、ソロとしての初のスタンダード曲集で自宅のスタジオの録音盤でもある。
 これはまさに感動もののアルバムだ。とにもかくにも人生の流れの中での一つの境地に至った感のある作風と言っていいだろう。基本的にはかっての彼の緊迫感とは異なっている。しかし、一つ一つの音がその余韻すらしっかりと掴み込んで緻密に仕上げられている。そしてそのある意味での優しい世界は、療養中に献身的に支えてくれた妻に捧げられたアルバムということなのだから、推して知るべしと言ったところ。
Keith2  スタンダード曲とはいえ、まさにキース・ジャレットの心の安堵の世界とも言える。彼の常に描いていた”生と死”、”孤独”といったテーマ(これは私の勝手な解釈)から、一歩前進した彼の心の音に聞こえてくる。
 こうしたソロ・アルバムの出現は、当時意外でもあったが、今回のチャーリー・ヘイデンとの「ジャスミン」を聴いてみて、決してキースの別の世界でなく、彼そのものの世界であることも判る。

 もう昔の話だが、キースのトリオ演奏会場に訪れたことがあったが、その際にはメンバーの都合により、彼のソロに切り替わったことがあった(Simin Kaikan Nagano , Japan , January 17, 1984)。何の装飾もないステージに、ポツンと一台のピアノが置かれている。そこにジーパン姿で突然前触れもなく一人の男が現れ、ピアノに向かい弾き始めた。一見、今日の企画側のスタッフがピアノの状態を調べに来たのかと思ったが、それがキース自身であった。そして会場にはいっさい眼を向けずに、鍵盤に向かって集中してゆく姿が続くのであった。なるほど、キースのソロの世界はこれなんだなぁ~~と、思ったのを思い出す。

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2010年6月14日 (月)

キース・ジャレット Keith Jarrett の世界(3) 孤独と生と死

私がキース・ジャレットの虜になった所以

 キースがチャーリー・ヘイデンとの顔合わせで、30年ぶりの演奏を披露したアルバム「ジャスミン JASMINE」の登場で、にわかに私の彼の世界に関わってきた歴史を思い出す今日この頃となった。そして直ぐに頭に浮かぶ貴重なアルバムがある。

Deathandtheflower_2 「Keith Jarrett  DEATH AND THE FLOWER 生と死の幻想」 impulse 32XD603 , 1974年作品

 このアルバムなくしてキース・ジャレットの関わりはなかったと言いたくなるほどの私にとっては重要なアルバムだ。ヘイデンのベースが関わっているアメリカン・カルテット(1971~77)の作品として、又 キースのマルチ・プレイヤーとして、更に彼のインプロヴィセーションの世界として、そして彼が描く世界観として、全てが凝縮したアルバムである。
(メンバー)
   Keith Jarrett : Piano, Sax, Flute , Percussion他
   Dewey Redman : Tener Sax
   Charlie Haden : Bass
   Paul Motian : Drums, Percussion
   Guilherme Franco : Percussion

 (収録曲)
    1. Death and the Flower 生と死の幻想
    2. Prayer プレイアー
    3. Great Bird グレイト・バード

 もちろんメインは1.の”生と死の幻想”である。この曲は当時のLPのA面を全て使った約23分の曲。原題を直訳すれば”死と花”であり、「生」をその生き方としての「花」として捉えている事は、このアルバムに載せられている彼の詩からも窺い知るところだ。
 当時、私が最も興味を持っていたプログレッシブ・ロックのピンク・フロイドの「狂気」の直後であり、キング・クリムゾンで言えば、彼らが崩壊する「Red」の時である。ジャズ畑にてのこのキース・ジャレットにおいても、彼が音楽に求めた姿は当時のロック界とも私の場合はけっして別物としては捉えられず、それぞれがそれぞれの感覚と手段で、音楽と人間に迫ろうとしていた結果であるように思えてならない。

Keith33  特に実際のキースの世界はどうであるかといってもそこは我々には判らないが、このアルバムに寄せた彼の詩の”自らの生の絶え間ない瞬間に、生まれつつあると同時に、死につつもあるのだ。・・・・・私たちは花のように生きるため、覚悟を持たねばならない。・・・・死を友とし、忠告者として考えよう”などの言葉には、彼が描こうとしている音楽を介しての一つのテーマの表現なのかもしれない。ここには私にとっては彼の孤独な印象も何故か感じてしまうところでもある。

Chhaden このカルテットの重要メンバーであるベースのチャーリー・ヘイデンのフリー・ジャズ的センスがこの作品を盛り上げているのは事実だ。キースの時として神経質にも思える美学と人生観を支えると同時に、彼自身のジャズにかけた美学も融合して、このすばらしい”生と死”を見つめる幻想的な世界の構築を成し遂げていると思われる。
 パーカッションなども有効に使われ、そしてテナー・サックスを織り交ぜてのこの曲”生と死の幻想”は、キースを語るにあまりにも重要であると同時に、幻想美と言っていいこの曲には私の思い入れも大きい。

 また、2曲目の”プレイアー”は、キースとチャーリーのデュオであり、この曲のロマンチズムな美しさは、今振り返ってみると今回のアルバム「ジャスミン」の原点なのかも・・・と、ふと思うのである。
 キースの一方の”スタンダーズの世界”や”ソロの世界”の美学はあまりにも知れ渡っているところであるが、このチャーリーとの築いたキースの世界に私は懐古的な感傷があるかもしれないが、今もって強調したいところなのだ。

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2010年6月 7日 (月)

キース・ジャレットの世界 Keith Jarrett (2) 即興演奏の魅力 

キースの重要なパターンはインプロヴィゼーション

キース・ジャレットのアルバムを聴いていると、彼には5っのパターンがあると思う。一つはスタンダーズのピアノ・トリオを代表するスタンダード・ナンバーの演奏。又1970年代の”アメリカン・カルテット”、”ヨーロピアン・カルテット”などの活動。重複するところもあるが彼自身のピアノ演奏に加えてソプラノ・サックス、リコーダー、パーカッションなどを操るマルチ・プレイヤータイプの曲演奏。最も圧倒されたピアノ・ソロ演奏。そしてスタンダースのメンバーを中心としたインプロヴィゼーションの世界。

Changes「Keith Jarrett  CHANGES チェンジズ」 ECM Records ECM-1276 ,   1983  

  そんな中で、私にとって非常に驚かされたのは、ゲイリー・ピーコックの呼びかけからスタートした”スタンダーズ”と言われるようになったキース・ジャレット(p)、ゲイリー・ピーコック(b)、ジャック・デジョネット(ds)のトリオがスタンダード・ナンバーに新しい解釈を展開し注目を浴びていた中で、1983年に登場したこのアルバム「CHANGES」のインプロヴィゼーションの世界であった。
   1.Flying, part one
   2.Flying, part two
   3.Prism
 この1.2.の2曲は、即興要素がこれほど美しいメロディを生んで盛り込まれたスタンダード曲演奏も珍しい。そこがキースを愛する原点でもある。そして3.はキースのオリジナル、ここにはキースの世界へのピーコックの力強いアプローチが聴かれる。

Keithjarretttrio2  もともと、当初のこのトリオ・メンバーのアルバム「テイルズ・オブ・アナザー」(1977年)は、考えてみればゲイリー・ピーコックのオリジナルにキースとジャックが色づけしたインプロヴィゼーションのアルバムだったわけで、そのスタイルは決して不思議なことではなかったのだ。そして後にあまりにもスタンダード・ナンバーの展開に魅力を発揮した彼らであったため、スタンダードの名曲を聴かせるトリオと錯覚していた訳だ。
 従ってほゞ同時期にこの「CHANGES」の出現には驚きつつも、私にとっては彼らのピアノ・トリオの真髄はここにあり、そして魅力はこのようなインプロヴィゼーションの発想から作られてくるところにあると信じるまでに至ったアルバムである。
 もともとこの3人は全く異なった世界での活躍していた訳で、それらがこのように合体しての演奏は、それぞれの世界の相乗効果であったことは間違いないであろう。

Changeless

 そしてこのシトリオがスタンダード・ナンバーを展開して喝采を得ていた中で、このアルバムが登場した。

「Keith Jarrett  CHANGELESS  チェンジレス」 ECM Records POCJ-2026 , 1987

 「CHANGES」の続編と言っていいのか、再び彼らトリオのライブ即興の世界が襲ってきた。彼らの全米ツアーでの録音である。(1987年10月)
   1. Dancing
   2. Endless
   3. Lifeline
   4. Ecstacy
 1. はデンバー、2. はダラス、3. はレキシントン 4. はヒューストンのライブもの。全てキースのオリジナル。こちらはとにかく何度となく繰り返される単調なモチーフが、不思議に展開の複雑にして深遠な世界に引っ張り込んで行く。そしてこの全4曲が別の日の演奏とは思えない関連性が感じられるのだ。
 このアルバム・ジャケットの円は輪廻の世界に繋がる世界観を表しているとも言われる。その意味の感ずる曲の流れには、不思議な抑揚があり、それによって一つの世界をトリオの統一感で描ききっていると言える。
 私が引き込まれていくのは、2. 3. の曲造りに心が惹かれ、そして 4. で頂点に運び込まれる。この流れがたまらなく魅力を感ずるところである。

 キース・ジャレットの魅力は、彼がその演奏に集中し、その時に生まれる曲の即興性に聴くものも一緒にその極限に引っ張られて行くところにあるのではないだろうか?。

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2010年6月 4日 (金)

静かなる安堵感:キース・ジャレット Keith Jarrett 「JASMINE」

必然的結果か?キースとチャーリーの結合

 今、私のジャズものの棚を見ると、ずらっ~と並んでいるキース・ジャレットのCD群。であるにも関わらず、ここでは一度も取り上げなかった。それはあまりにも彼を語るには私の惚れ込みように関わらず、彼の音楽の評価が並では語れなかった。
 しかし、ここに来てこのアルバムの登場で、やっぱりなりふり構わず書いてしまおうと・・・そんなところで過去を思い起こしながらの話になる。

Jasmine 「Keith Jarrett/Charlie Haden    JASMINE」 ECM records ECM 2165 , 2010

 何年ぶりになるのだろうか?、キース・ジャレットとチャーリー・ヘイデンの顔合わせ。多分30年以上は間違いない。
 そして今回のアルバムは、スタンダード・スロー・ジャズ・バラードという驚きの安らぎと安堵感の世界。かってのキースでは考えられない世界。それは、キースのピアノとチャーリーのベースの再会を静かにお互いの30年を称えるが如き音なのである。
(曲目リスト)
   For all we know
   Where can i go without you
   No moon at all
   One day I7ll fly away
   I'm gonna laugh you right out of my life
   Body and soul
   goodbye
   Don't ever leave me
Keith5   こうした世界は最近のものでは何時以来だったろうか?、キースのソロでの約10年前の「The Melody At Night With You」 と言っていいのだろう。あれは病気からの復活の心の歌だった。
 そして今度は、やはり自宅のスタジオで、なんと3年間の熟成を計ってのリリースと言われるチャーリーとの共演作。非常にソロに近い中でのチャーリーとの心の通いが感じ取られる。
 とにもかくにも美しいキースのピアノ。それを称えるかの如きチャーリーのベースの流れは私にとっても、これからの大切な一枚になるだろう。
 あまりの聴きやすさに、キースの愛好家からは(実は私も)ちょっと意外感を持たれたかも知れないが、でも暦年の彼の作品の上に置いて聴くと、これが非常に重きを増してくるようにも思えるのです。(このアルバムはキースの65歳の誕生日にあわせてのリリース)

Suvivors キースのチャーリー・ヘイデンとの競演といえば、アメリカン・カルテットということになるのだろうと思う。

「Keith Jarrett / The Survivors' Suite  残もう」 ECM POCJ-2040 , 1977 (CD 1991

私にとっては、このアルバムを語らずにはおけない。キースのアルバムで、ここまで緊張感のあったアルバムはそうはないだろうと断言する。考えてみれば、このアルバムあたりが、キースとチャーリーとの共演の最後ではなかったか?。
(カルテット・メンバー)
   keith Jarrett : Piano, Soprano Sax, Celeste など
   Dewey Redman : Tenor Sax, Percussion
   Charlie Haden : Bass
   Poul Motian : Drums, Percussion

 これは、トータルな組曲で、”The Survivors'  Suite” のA面"Beginning 発端"、B面"Conclusion 結末" の2部構成。これはロック畑ではピンク・フロイドの「アニマルズ」の頃だった。とにかくジャズ・ピアノ奏者のキースが、前半ではソプラノ・サックスでメロディーを奏でて心にやや暗い世界を植え込んでくる。そして後半ではまさにカルテットの面々が、攻撃的な演奏をたたき込み、この緊張感は凄い。Jazzの世界にこのような感覚があったのか?と、当時はピンク・フロイドの変貌とともに、数年前のキング・クリムゾンの「Earthbound」をふと思い起こしつつ、私にとっては一大関心事の一つであった。
 このカルテットのベース奏者チャーリー・ヘイデンとの30年以上を経ての今回の変貌ぶりには、これも驚きの一つである。私にはあのアルバム「残もう」が忘れられないモノであるだけにその印象は大きい。そして同時に、両者の人間的完成度を窺い知ることになったのだ。


 

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2010年6月 2日 (水)

私の映画史(9) ピンク・フロイド「Pink Floyd THE WALL ザ・ウォール」(1982年作品)

人間社会において現在にも通ずる「壁」を描く!

 ロジャー・ウォーターズ(ピンク・フロイド)が、多くの単なるお祭り騒ぎに近いオーディエンスの前での演奏において、自らの活動に疑問を持ち、そして憤りすら感じてしまった。1977年の「アニマルズ・ツアー」において最終日7月6日モントリオール公演にて怒りは爆発。前列にいた男に唾を吐いたという事件は起きる。(確かにブートCD「The End Of Animals」(AYANAMI-150)によりその状況を窺い知ることが出来るが、爆竹が鳴りウォーターズは演奏を中断したりしている。彼は後にそんな自分にもショックを受けたと言っている)
 彼は、それ以来誰もが過去に考えたこともないステージに聴衆から隔壁を築きその裏で演奏するというアイデアに突入、そとてバンドは壁の後ろに隠れてしまうことを考えた。(実際にライブではそれを行い、最後に壁を崩壊させた)そして音楽も彼の生い立ちの哀しみから、シド・バレットの狂気に繋がる模様を描き、人間の疎外感を中心にアルバム「THE WALL」(当時としては珍しいLP2枚組)に凝縮してリリース。
 そして”ウォール・プロジェクト”としてライブの他に映画の作成を企画した。

Ld LaserVideodisc 「Pink floyd THE WALL」 MGM Home Video FY074-25MG , 1983

 私は、この映画との出合は、映画館でなくこのLDだった(1983年。映画の公開は1982年)。この原点であるピンク・フロイドのロック・アルバム「The Wall」は1979年リリースで、ロジャー・ウォーターズの半自叙伝的物語から出発して、人間社会、個人個人の疎外感、人格の崩壊などの諸問題にロック音楽としての限界に迫ったもの。
 それをあの「ミッドナイトエクスプレス」のアラン・パーカーがメガフォンを取りながら、ロジャー・ウォーターズの発想を取り入れ、アニメーターのジェラルト・スカーフの3人で脚本を仕上げた。
 もともと脚本は35ページしかなかったという。つまり音楽が物語りを綴っていく。そもそもウォーターズの考えた原点は、ステージ・ライブを発展させたモノであったというが、アラン・パーカーは、やはりそれとは違った独立した映画として作成することに固執した。

Photo  結果はロジャー・ウォーターズの役にはボブ・ゲルドフを起用。
 又、アルバムからの音楽も映画用にマイケル・カーメン指揮のオーケストラと共にピンク・フロイドのロジャー・ウォーターズとデヴィット・ギルモアが再録音している(この出来が実は素晴らしい。アルバムから情景の描写に一歩前進していることは確かだ。録音の素晴らしさも快感だ)。
 監督アラン・パーカーは、”僕が知ったと時、「The Wall」は既に大成功していた。ロジャー・ウォーターズの人生に基づいた話だし、彼の音楽に物語りを語るエネルギーがある。そもそも彼の曲がこの作品を撮ろうと思わせる原動力だ”と言い、台詞は殆どなくとも映画は十分作り上げることが出来たと言っている。

そして作り上げられた映画は、当時の一般常識を覆すような現実の撮影とアニメーションによる表現の交錯、人間の内面の葛藤をここまでリアルに描いたものとしては類のない傑作として受け入れられた。

 もともとロジャー・ウォーターズが、生まれから意識下では一度も会うことが出来なかった父親の無惨な戦死、そしてそれによる母親の増長した子供への愛情。幼少期の父親の不在の苦い経験。そしてそれがトラウマとなっての人生。そして戦争の残虐性が並行して描かれる。
 更には、形骸化して個人を見つめない教育、そしてそれに当たる教育者の無配慮。そこから我々全員に共通する人間の孤立の壁を気づくことになる。つまり狂気、孤立、抑圧への恐怖それらは社会の一人一人を孤立させる壁の形成になって行く。

 ピンク・フロイドの音楽が全てを語って行く。オープニングの”When the tigers broke free”は、実際にはアルバム「The Wall」には登場しなかったが、もともとウォーターズは父親を語るべく曲として持っていたモノ(1982年シングル発売)。これは後に次のアルバム「The Final Cut」にも個人的すぎると採用されなかった。しかし近年の再発リマスター盤に登場するようになったという曰く付きの曲だ。

Dvd  そして現在はDVD盤としてこの映画はリリースされている。(左:「Pink Floyd THE WALL」 SMV SRBS1414 , 5.1Surround , 1999

(スタッフ)
 監督:アラン・パーカー
 脚本:ロジャー・ウォーターズ
 製作:アラン・マーシャル
 アニメーション監督:ジェラルド・スカーフ
 音楽:ロジャー・ウォーターズ
     デヴィット・ギルモア
     ジェイムズ・ガズリー
 撮影:ピター・ビジュー

(キャスト)
 ピンク:ボブ・ゲルドフ
 少年時代のピンク:ケビン・マッケオン
 父:ジェームズ・ローレンソン
 妻:エリナー・デビッド

ロジャー・ウォーターズの幼少期、少年時代の父親不在の哀しい人生、そして彼の見たシド・バレットという現実から離れてしまった人間像に連結して、社会の中での阻害されていく人間と内にこもっていく姿、そして防御壁の構築を描ききった。最後にはこの壁を破壊するが、その結末についてはウォーターズは語らない。監督のアラン・パーカー自身も結末を求めていない。それは時代ごとに見つめられていくことになろうと主張しているのだ。

 今年この「THE WALL」は、30年の歴史を持った。かってベルリンの壁崩壊時にはロジャー・ウォーターズの一大イベントが行われ話題になったが、今年はこの秋から北米中心に現代の「ザ・ウォール」ツアーを展開しようとしている。又来年にはヨーロッパ中心に行うことが発表された。今日に於けるロジヤー・ウォーターズの「壁」は如何に描かれるか、パレスチナ問題におけるイスラエルの築いた「壁」にも近年彼の強い関心は明白になっている。今年のツアーは、彼の人生最後のツアーを臭わせており、楽しみでもあり又恐ろしくもなる。

 なお、この映画は映画監督の樋口真嗣が過去の外国映画史に於けるベスト10の中に入れていることを追記しておこう。

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