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2010年6月15日 (火)

キース・ジャレット Keith Jarrett の世界(4)  ソロ演奏の魅力

類をみない独特の世界観

 キース・ジャレットというと、彼の長年の活動の中で、一つの重要なポイントとしてピアノ・ソロ活動が注目される。しかしその内容は実は多様であると思う。もともとスタンダード・ナンバーをソロで展開する場合、ステージにてその時の彼の感覚を即興で描いてゆく演奏、そして自己のオリジナルをスタジオでソロで練り上げてゆく場合などと多彩なのだ。

Facingyou 「Keith Jwrrett  FACING YOU」 ECM UCCU-5095  1971年録音

 このアルバムは、多分彼のソロ第一号であると思うが、後の評判になったソロ・コンサートものとは異なる。つまり彼の8つのオリジナル曲をそれぞれ独立してスタジオ録音し、それを編集して一つのアルバムとして仕上げたものだ。
 しかし、そこに流れるスタイルは、やはり最初から構築された世界をなぞるというものでなく、演奏してゆく過程において彼の思いを拘束のない自由な感覚でピアノの音の中に描いてゆく。つまり基本的には即興的因子の強いものと言っていいのであろう。
 それであるだけに、彼はこの一枚のアルバムに自己の諸々の因子を凝縮している。
 演奏されている曲にはタイトルがあり、その中では私にとっては”Lalene”の美しさ、”Vapalia”や”My lady;My child”のような、これからのソロに繋がるやや孤独な世界などが聴かれ、今でも魅力的なアルバムだ。

Thekoelnconcert 「Keith Jarrett  THE KO"LN CONCERT」 ECM  POCJ-2002  1975年ライブ

 このアルバムはもはや誰もが認める彼のソロ演奏ものの頂点にある。彼のその会場における環境や状況から浮かび上がる即興性は、ある極限に迫る集中力による産物と言われている。その為その時その状況によって(我々が聴くことの出来るアルバムにおいて知る限り)出来上がった演奏の真迫度は異なるし、同じ彼の"ソロ演奏もの"とはいえ、ものによっては全く異なった世界に導かれることがある。
 そんな中でも、多くのファンに支持されたこのアルバム、確かに背中がゾクっとするような音と流れに対面できる。これはいったいJazzとしての、どうゆう分野になるのだろうか?。未だに整然と説明できない私なのである。
 しかし、私の受ける印象は、彼のソロ・アルバムに共通して流れるものは(ソロ演奏であることも一因しているとは思うが)、人間の原点に迫ろうとする”孤独感”を感ずるのだ。他の多くのジャズ奏者のトリオやカルテットから生まれる”いわゆる楽しさ”とは一線を画するのだ。しかしこの「ケルン・コンサート」の時は、彼は決してコンディションはよくなかっと言われているが、アンコールでは見事未来への希望の感ずる美しさで閉めてくれて、いっそう彼のこの日の演奏が感動的であった。
 ちょっと余談だが、彼のこうしたコンサート会場におけるライブ録音では、どうしても拍手が私は気になってしまう。彼の演奏は、いつの間にか聴く私に何かを描かせる力がある。その世界にめり込んでいた時に、拍手の音に全てが壊されてしまう感を持つのである。彼のライブ盤の拍手は特にソロものにおいては消し去ってほしいと言うのが私の持論だ。

Themelodyatnighteithyou 「Keith Jarrett  THE MELODY AT NIGHT,WITH YOU」 ECM   POCJ-1464,  1998年録音

 これは、1996年イタリアでのコンサート中に激しい疲労で演奏不可能の状態に陥り、2年間の療養生活を送り、それからの復活のアルバムである。
 また、ソロとしての初のスタンダード曲集で自宅のスタジオの録音盤でもある。
 これはまさに感動もののアルバムだ。とにもかくにも人生の流れの中での一つの境地に至った感のある作風と言っていいだろう。基本的にはかっての彼の緊迫感とは異なっている。しかし、一つ一つの音がその余韻すらしっかりと掴み込んで緻密に仕上げられている。そしてそのある意味での優しい世界は、療養中に献身的に支えてくれた妻に捧げられたアルバムということなのだから、推して知るべしと言ったところ。
Keith2  スタンダード曲とはいえ、まさにキース・ジャレットの心の安堵の世界とも言える。彼の常に描いていた”生と死”、”孤独”といったテーマ(これは私の勝手な解釈)から、一歩前進した彼の心の音に聞こえてくる。
 こうしたソロ・アルバムの出現は、当時意外でもあったが、今回のチャーリー・ヘイデンとの「ジャスミン」を聴いてみて、決してキースの別の世界でなく、彼そのものの世界であることも判る。

 もう昔の話だが、キースのトリオ演奏会場に訪れたことがあったが、その際にはメンバーの都合により、彼のソロに切り替わったことがあった(Simin Kaikan Nagano , Japan , January 17, 1984)。何の装飾もないステージに、ポツンと一台のピアノが置かれている。そこにジーパン姿で突然前触れもなく一人の男が現れ、ピアノに向かい弾き始めた。一見、今日の企画側のスタッフがピアノの状態を調べに来たのかと思ったが、それがキース自身であった。そして会場にはいっさい眼を向けずに、鍵盤に向かって集中してゆく姿が続くのであった。なるほど、キースのソロの世界はこれなんだなぁ~~と、思ったのを思い出す。

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