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2010年7月21日 (水)

映画「カティンの森」~抵抗の監督アンジェイ・ワイダの執念~(戦争映画の裏側の世界-2-)

ポーランドの悲劇を今ここに世に問う・・・・

Dvd ポーランド映画「KATYN'  カティンの森」 2007製作 配給アルバトロス (日本公開2009.12.5)
  
 監督:アンジェイ・ワイダ Andrzej Wajda 
 制作:ミハウ・クフィェチンスキ
 脚本:アンジェイ・ワイダ
 原作:アンジェイ・ムラクチク
 撮影:パヴェル・エデルマン
 出演者:マヤ・オスタシェフスカ
      アルトゥル・ジミイェフスキ

 この映画は、1940年ポーランドにおいて第2次世界大戦中に起きたロシア(旧ソ連)の行為による悲劇的事件”カティンの森事件”を取り上げている。ソ連占領下のポーランドで、国の中枢を担う軍人(将校たち)など1万5000人以上の捕虜が、スターリン指導下のソ連軍により裁判もなく一方的にカティンの森で大量に銃殺され森の地中に埋められたのがこの事件である。
 しかし、この事件は戦後もソ連支配となったポーランドにおいては語ることも禁じられ、歴史の闇の中に葬り去られていた。そしてソ連崩壊後1990年になって初めてソ連はゴルバチョフによりこの事実を認めることになる。

Photo  そしてこの映画は、ポーランドの”抵抗3部作”と言われる映画(「世代」(1954)、「地下水道」(1956)、「灰とダイアモンド」(1957))で有名なアンジェイ・ワイダ監督 (左)の執念の渾身の作品。彼の生涯をかけてのテーマである第二次世界大戦中そして戦後のソ連支配下のポーランド体制のレジスタンス活動から、反ナチズム、更にはソ連のスターリニズムの告発とポーランドの悲劇を訴え、その総集編とも言える作品で、80歳を超してもまだみなぎる彼の信念の力作である。
 (参考:特に映画「灰とダイアモンド」は、私のこのブログのテーマでもあり、第一号アーティクルとして2006年12月24日に取り上げている)
 
 映画の物語の作りは、実際に遺された手紙や日記をもとに、ソ連軍に捉えられた将校たちの姿を描きつつ、彼らの帰還を待つ家族特に女性たちの苦悩をつづりながらこの悲劇的事件を告発してゆく。
Story_img_1  銃殺されたアンジェイ大尉の妻のそれでも”生”を信じて一筋の希望をたよりに生きるアンナの哀しき生き様。
 大将の妻ルジャはドイツの発表したカティンの犠牲者リストに夫の名を見る。しかしドイツの思惑に乗ることを拒否して悲劇の人生を送る。
 アグニェシュカは非業の死の兄のロザリオを受け取り、墓碑を作る。その墓碑には”1940年カティンに死す”と記した。それは反ソ宣伝をした罪として逮捕される。
 タデウシュはアンナの甥。父親を虐殺され、レジスタンス活動をしていたが、ソ連を受け入れることが出来ず警察の車でひき殺される。

Story_img  もともとドイツ:ヒットラーとソ連:スターリンの密約によって、ポーランドへの両国の侵攻が起ったものだ。映画は西からのドイツ軍から逃げる市民と、東からのソ連赤軍から逃げる市民が、鉄橋の上でかちあわせになり、混乱するシーンから始まる。これがポーランドの悲劇そのものの姿であった。
 監督アンジェイ・ワイダは、彼の父がソ連捕虜になりカティン犠牲者であったこと。犠牲者リストには名が誤記されていた為、母は夫(ワイダの父)の無事生還を死去(1950年)するまでその希望を持って生きたこと。これらの自分の生々しい体験から、この事件についてその真相を訴えた映画の製作を試みるも、戦後のソ連支配下ポーランド体制の中では許されることではなかった。しかし、彼はそれらソ連の非人道的体質の告発は既に抵抗3部作において描いていた。そしてその後の映画「大理石の男」など一連の彼の映画製作の行為は反国家的行為と烙印を押されポーランドから追放されてしまっている(かっては投獄されたとも伝えられていた)。しかしその後のポーランドのソ連からの解放を期に帰還し、ようやく80歳を過ぎてこの事件の映画化に着手。なんと17年経て製作が実現できたものだ。

Jecy1_1  この”カティンの森事件”は、ドイツ軍により1943年にソ連犯罪として当初暴露されたが、ソ連は全面否定しむしろドイツの残虐行為として宣伝した。ドイツは1945年のニュルンベルグ裁判によるドイツ・ナチス否定の中でソ連告発は困難であった。こんな事情から戦後20年に及んでこの事件は闇の中にあったのだ。
 ソ連の解体とともに、この事件の究明の動きも活発化した。2000年にソ連プーチン大統領はこの事件のポーランドとの合同調査に同意した。そしてスターリン時代のソ連の汚点が確認されたのだ。
 
 そしてこの映画の終章に描かれる将校の銃殺シーンは、けっして忘れてはならない戦争という国家間の紛争下での人間の感覚を超えた悲惨な行為の現実を浮き彫りにした。この映画により、ポーランドそしてソ連、ドイツに歴史の真相を認識させ、世界に悲惨な事件の真実を知らしめ、現代の我々にアンジェイ・ワイダは人生をかけて伝えているのである。

     

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コメント

暑い日日が続いていますが、そちらはどうでしょうか。暑中お見舞い申し上げます。
 話は全然変わりますが、最近やっとPFMの「ジェット・ラグ」を購入して聞いています。フレットレス・ベースやムッシーダのギターが印象的でした。何となくジャズっぽかったですが、昼間の暑気が残る夜には、あっているような気もしました。お体を大切にお過ごし下さい。またよい音楽がありましたら教えて下さい。

投稿: プロフェッサー・ケイ | 2010年7月23日 (金) 17時26分

プロフェッサー・ケイさん、コメント有り難うございます。ほんとに暑いですね。
 PFMですか、マウロ・パガーニが抜けての「JET LAG」は、まさに一変しました。初期の「幻想物語」「友よ」にはほんとに感動ものでした。私のイタリアものへの傾倒はこのPFMからでした。クリムゾンの臭いがしながら、イタリアっぽい流れや旋律が、いまでもゾクゾクします。そうそう私の「JET LAG」は、LPでして紙飛行機が成層圏を水平に飛行しているジャケです。今は下向きの紙飛行機のジャケが一般的のようですね。
 猛暑の中、ご自愛御専一に。

投稿: 風呂井戸(*floyd) | 2010年7月23日 (金) 20時17分

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