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2011年6月 7日 (火)

マーラー Gustav Mahler の世界(5) : 没後100年記念として・・・・

語ることに尽きないマーラー~特にユダヤ人として~

 私にとっては、ショスターコーヴィチそしてマーラーというのは一つのテーマでもある。両者はここで何回か取り上げて来たが、そのマーラーGustav Mahler は1911年2月に連鎖球菌敗血症により亜急性心内膜炎を発症し重体となり、5月にはアメリカ(1910年に渡米していた)を離れパリで治療を受け、その後5月にはウィーンへ戻り、レーヴのサナトリウムに移され、状態悪化で死亡。50歳であった。
 そして今年2011年はマーラー没後丁度100年という年である。それを記念して諸々の企画がある中で、今ここで改めてマーラーを見つめてみようという機運も高まっている。そんな時に私が興味を持ったマーラー特集本があるので紹介しよう。

Photo 文藝別冊(KAWADE夢ムック)「マーラー : 没後100年記念 総特集 」 河出書房新社 2011.4.30発行

 マーラーの特集本であるだけに、総曲解説・CD評などからマーラー年譜などそれなりに一応網羅している。ただし、データなどはかなり大まかで、それほど期待しない方がよい。
 ただ私の興味をひいたのは、ここに12人の各分野の著名人のエッセイが載っていることだ。むしろこうしたところがこの本の読みどころであるといっていい。

 以前に紹介した音楽の友社の「作曲家・人と作品シリーズ:マーラー」(2011.1.16 マーラーの世界(2)参照)の著者の精神医学者村井翔氏は”マーラーの精神分析”を、フロイトとの出会いから始まってマーラーの心理状態を作品と対比して書いている。
 又、必ずマーラー論となると妻のアルマが登場するわけであるが、これに関しても音楽評論の加藤浩子が”ファム・ファタルか触媒か”と題して彼女をとりまく男性群を分析している。(触媒という発想が面白いが・・・)

 常にマーラーの音楽のよって来るところを語るとなると、必ず彼のトラウマ論が出てくるのであるが、子供、男性、夫ということでは母親との関係、妻との関係が語られるし、音楽の世界としてはブラームスやヴァーグナーそしてブルックナーなどが語られる。

Gustav_mahler_1909_2  しかし、マーラーにとって基本的に非常に重大であったのは、やはりユダヤ人としての宿命であったと思う。そしてそれについては、ここでは・・・・・

末延芳晴
”マーラーにおけるユダヤ性と普遍共同性~失われた「大地」を求めて”

        ・・・・というエッセイが非常に面白かった。
 ここでは、マーラーが当時オーストリア領のチェコ近郊のベシュト村(現チェコのカリシュチェ)に、ユダヤ商人のベルンハント・マーラーとその妻との間に、2番目の子として生まれたことからその宿命は始まることから書かれている。つまり人間が人間として生きていく上で不可欠な、言語、宗教、生活習俗、国家、市民権といった普遍的共同性を奪われたところで生きていく運命として・・・・。
 そうした環境下で生きて行く道は三つしかないと語る。
 ①一つは、徹底的に特殊共同性を背負らされた人間としてそのその特殊性を際だたせること。しかしそれはゲットーという檻の中に閉じこめられ、忌避と蔑視、差別の対象として生きていくことを強いられる。
 ②もう一つは、可能な限りユダヤ的な記号性を消し去る。存在する国家共同体に同調・同化して生きる。マーラーはこの道を選んだ。それは罪責意識、深刻な内面的分裂と葛藤に苦しみ悩むことになる。
 ③ところが、第三の道として、人間を分断する現実世界の壁を、言葉や思想や音、さらには知の力によって暴力的に絶対突破し、そこに開けたアナーキーな、しかし自由で可塑的な時空間に、宗教であれ、思想や哲学であれ、芸術であれ、それまで存在することのなかった、全く新しい価値の普遍性を体現した世界(トポス)を対抗的に創造すること。全く新しく独立した絶対普遍共同的世界を創り上げる。これはイエス・キリストやカール・マルクスの世界であり、それをマーラーは目指したのか(交響曲「巨人」、「復活」などのよって来たるところからみて)?。
 こうして著者はマーラーのユダヤ人としての音楽世界における格闘の分析を試みている。(参考:著者末延芳晴は1942年生まれ、東大文学部卒、ニューヨークに25年在住、米国現代音楽批評、帰国後文芸評論も。著書「永井荷風の見たあめりか」、「森鴎外と日清・日露戦争」など)興味あるエッセイであった。

 マーラーは1911年に没したために、その約20年後のナチスのユダヤ人迫害(1933年頃から)をみてはいない。ホロコーストholocaustの悲劇は体験していないが、それに進みつつある世界の中にいた。彼が音楽の世界で、指揮者として、作曲家として何かを超えようとしていたことは、死後100年を経た今日の彼の音楽や世界観の研究が続いていること自体がその証明であると言っていいのであろう。

Photo
(花の季節 : カルミヤ(白) = 我が家の庭から)

 
 
 

 

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