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2011年6月26日 (日)

イエス(3): ニュー・アルバム「YES / FLY FROM HERE」

  遂に登場の新生YESのニュー・アルバムは美しかった

 前回、このブログで2010年9月に<”90125イエス”から”8人イエス”、そして分解>と題してメンバー交代劇のめくりめくる姿を考察してみたわけであるが、それ以降のイエスの姿は中期貢献者のギターのトレバー・ラビンからオリジナルのスティーブ・ハウに、リック・ウェイクマンの出たり入ったりと、混迷期は続き名作には恵まれなかった。しかもジョン・アンダーソンは2005年にはツアー拒否などでバンド活動は停止。従ってアルバムは2001年のキーボードなしの「マグニケイション」発表でストップ。
 その後のイエスは、ハウとダウンズのエイジア復活参加などあるも、2008年には取り敢えず、アンダーソン、ハウ、スクワイア、ホワイトとオリバー・ウェイクマン(リックの息子)で落ち着いたが、アンダーソンが喘息の悪化の理由でリタイア(しかし彼の勝手な行動はその後ソロ・ライブを行っている)。
 ここで2008年にはアンダーソンを拒否し、代わりにニュー・ヴォーカルとしてベノワ・ディヴィッドを入れることでようやくイエスは安定した。(しかし初期から一貫してイエスを保持したのはやはりクリス・スクワイア一人であった)
 そして2008年の彼らが2010年に正式メンバーとなり新生イエスが誕生してここにニュー・アルバムの登場となったわけだ。

Flyfromhere 「YES / FLY FROM HERE」 AVALON MIZP-3001 CD+DVD ,  2011

 とにかく10年ぶりにかっての三大プログレ・バンドのYESのニュー・アルバムのリリースであり、まずはおめでとうと言いたい。とにかくニュー・ヴォーカルが気になるところであるが、カナダ人である彼も既にイエス・メンバーとして三年になるのでパターンは出来上がっているであろう。
 しかし、キー・ボードがジェフ・ダウンズに変わっていて、これまたおゃっと思わせるが、深く考えない方が良い。とにかくこのバンド構成は疲れるところ。

   1. fly from here-overture
   2. fly from here pt1- we can fly
   3. fly from here pt2- sad night at the airfield
   4. fly from here pt3- madman at the screens
   5. fly from here pt4- bumpy ride
   6. fly from here pt5- we can fly reprise
   7. the man you always wanted me to be
   8. life on a film set
   9. hour of need
  10. solitaire
  11. into the storm
  12. hour of need*

Members_3  このアルバムのメンバーは結局のところ左のcris squire(bass), steve howe (G.), alan white(Dr.), geoff downes(key.), benoit david(vo.) の演奏陣にかっての盟友トレバー・ホーンがプロデュースを担当、お互いに知り尽くした仲間での作業であった。
 もともとトレバーとジェフでのアルバム「ドラマ」の頃のライブのみでの演奏曲”we can fly from here”を発展させたところからスタートしているようだ。と、言うことは30年ぶりの実現と言うことになる。そしてそれが”fly from here”というタイトルになり二十数分におよぶ曲に仕上げたわけだ。つまりトレバー・ホーンの力が大きい。それはこのアルバムには制作時の模様を映像で納めたDVDが付いていて、そこでそれぞけのメンバーが語っている。

 確かにベノワ・ディヴィッドの声は美しい。ジョン・アンダーソンとそっくりと言われていたが、そこまでは似ているわけでないが、かってのイエスのムードは十分にこなしている。
 そしてこのアルバムは実に纏まった”fly from here”組曲から始まって、非常に聴きやすい美しい曲群のものとして出来上がっている。あまりにも美しく完成されていて、若干物寂しいところもあるが、10曲目の”solitaire”は、ハウのアコースティック・ギター・ソロも楽しめるし、取り敢えず新生イエスはサービス精神旺盛に熟年の輩が楽しみながら作り上げたというアルバムになった(クリスの暴れたベースがないのがちょっと寂しいが)。
 おまけにジャケ・アートもロジャー・ディーン作で、このあたりもかなり意識してのイエス復活劇を企んだことが良く解る。
 さてさて、彼らの子供や孫の時代になって、このイエスがどう受け入れられていくのであろうかと、ちょっと楽しみにみていこうと思っている。

 現在既にツアーに入っている彼らは、問題児(児という歳ではないが)のジョン・アンダーソンがいないだけに、多分楽しいライブを展開していることと推測する。

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2011年6月25日 (土)

キング・クリムゾン・プロジェクト「Jakszyk, Fripp and Collins / A Scarcity of Miracles」

今回のキング・クリムゾン・プロジェクトは終焉か発進か?

 このところニュー・イエスの登場などもあって、そこにクリムゾンの臭いがするニュー・アルバムと、にわかに嬉しくなっているのだが、ロバート・フリップには踊らされて幾星霜、そんな中でここに約10年ぶりのKing Crimson Projekctなるものの登場となったのは事実である。噂によればフリップのロック活動の終止符とかの話もあるが・・・・そのあたりは、フリップの得意技の一つかも知れないので、あまり気にしないで聴いてみることにした。

Ascarcityofmiracles 「Jakszyk, Fripp and Collins with Levin and Harrison -King Crimson Projekct-/ A Scarcity of Miracles 」 WHD Entertainment  IECP10239 ,  2011

 King Crimson の名を使ったプロジェクト・シリーズはフリップの宣伝の一つの技なのか?それとも実験なのか?、かって1998年だったろうか?プロジェクト2がお目見えして ”PROGEkCT” なる言葉を使ってのユニットが生まれ、その後”2”,”1”,”4”,”3”(”X”もあったなぁ) と、どちらかというと即興演奏主体のユニットによって、我々を喜ばしたり、がっかりさせたりと・・・・プリップによるキング・クリムゾン・シリーズは多彩であった。
 それらを、かってのクリムゾン・フリークは文句も言わずにこなしてきたのだが・・・。
 思惑どおりKing Crimson の名を見ると、反射的に飛び付いてしまう悲しい性(さが)に40年前より続いているわけである。その流れで手にしたのがこのアルバムだ。

Projectmembers  さて、ここに来て、21st Century Schzoid Band の構成に参加したジャッコ・ジャクスジクJakko M Jakszyk とのフリップ Robert Fripp のギタリスト二人によっての企画で動いたようだ。ジャッコの意志からか?いずれにしてもかってのKing Crimson メンバーのサックスのメル・コリンズMel Collins も参加してニュー・アルバムへの活動を見たわけだ。そしてそれにギャビン・ハリソンGavin Harrisonのドラムスとトニー・レヴィンTony Levinのベースが加わって五人のユニットが形作られた。

(List)
    1. A scarcity of miracles
    2. The price we pay
    3. Secrets
    4. This house
    5. The other man
    6. The light of day

 この6曲の印象は?と聞かれると、ちょっと答えに躊躇する。それはキング・クリムゾンとは別物とはっきり言っておいたほうが良いからだ。そしてこれはフリップ版というよりはジャッコ版といったほうがよさそうなのである。
 全体に曲の流れはスローであるが、あのフリップのギターの音は十分感じ取れる。リズム隊は結構遠慮した演奏で支えるところに終始している。そして印象はアンビエントものっぽいところと、大人向けソフト・ロックというか、しかもちょっぴり歌ものっぽいところがある。
 やはりジャッコの歌が綴るのであるが、注目はメル・コリンズのソプラノ&アルト・サックスだ。昔の暴れまくったクリムゾン隊のメル・コリンズでなくて、ここでは叙情的にそして心に響かす音で攻めてくる。むしろこのあたりが印象的である。
 いずれにしても、やっぱりキング・クリムゾンの名はないほうがいいんじゃなかろうか?。フリップがこうしたプロジェクトで自分の流れを実感していくのは悪くはないが、やっぱりスリリングな世界を覗かせてくれて、クリムゾン・プロジェクトであると思いたい。
 しかし、このプロジェクトはジャッコの流れから生まれた新しいユニットとして聴いていると、意外に丁寧な曲作りになっているし、それぞれのバンド・メンバーの味も感じられ、それなりのレベルの高いアルバムとも言える。そんな意味で攻めていくと納得が出来そうであり、私自身も年月の経過で人間も幅広くなっているので(笑)受け入れていけそうだ。

 

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2011年6月21日 (火)

絵画との対峙 : 中西繁の世界(3) 生涯テーマ「棄てられた街」<1>

問題意識から生まれる作品

 私が中西繁作品に傾倒するのは、その絵画技法とセンスと才能に惚れ込んでいるからであるが、それに加えて一つはパリを代表する”欧羅巴の美”そして二つ目はプラハを代表する”哀愁の街”。続いて三っ目のポイントが実は重大なのだ。これが多分中西繁の生涯テーマであると私は思う。それは一連の「棄てられた街 DESERTED CITY」の作品群だ。

Photo
軍艦島II(棄てられた島2001) (端島・長崎) F100 (中西繁作品集「LAND・SCAPE」より)

 私が驚愕したのは、この100号の大作である。今思い出せないが何かの雑誌でこの作品に遭遇して唖然とした。言葉がすぐに出ないほどの圧倒的迫力であった。(後にこの作品も何枚か彼は書き上げているが)日本にこんな風景の存在があったこと、それに挑戦していく画家としての問題意識の存在。そしてそれを表現していく卓越した技法(著書「油彩画プロの裏ワザ」には、この作品の作画過程で、木炭を絵の具にまぜたり、散乱する木材の表現に厚紙を切って貼ったりという工夫をしたり、無常観を表すに色彩をモノトーンに近く押さえたりしたというところが記されている)。素晴らしかった。ここに、中西繁の世界を見たと思った。

Photo_2
軍艦島I(端島・長崎) 3240×1303の左1/2 (中西繁作品集「LAND・SCAPE」より) 

 この軍艦島は長崎半島沖の幅160m、長さ480mの小さな離れ島。戦前からの炭坑の島であるが1973年に閉山となったという。多いときは5000人以上が住んでおり、しかし労働者の環境はいわゆる搾取された状態で厳しく、又強制的に連れてこられた朝鮮人労働者もいたと言われる。今は作品「軍艦島II」の如く廃墟の島となっている。
 この作品群は”棄てられた街 DESERTED CITY”というテーマの日本版で、中西繁は彼の問題意識の一つを我々に示し、我々にも何かを問うているのだ。一連のこのテーマの作品は私にとっては”パリの美意識”、”哀愁のプラハ”とは又別次元での迫りくるものが感じられたのだ。

Photo_3
瓦礫の街II(長田・神戸) F100  (中西繁作品集「LAND・SCAPE」より)

 更に、あの1995年の阪神大震災、5000人以上の命が失われた悲劇。直ちにその場に救助活動にはせ参じた中西繁は、彼の技術でその姿を描くことも忘れなかった。
 (実は今年の3.11東日本大震災直後にも彼は直ちに救助活動に身を投じている。もうそんなに若くないので周囲では心配していたが、彼の心がそうさせるのであろう。そしておそらく写真とは違った心で描く作品が我々に届くであろうと思っている)

 中西繁の一大テーマはこの「棄てられた街 DESERTED CITY」である。そしてそれは日本に止まらず世界を見る目で進行して来たのである。    (続く)

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2011年6月18日 (土)

ジェニファー・ウォーンズjennifer Warnes のアルバム

アメリカン優良音楽
万人受けのクセのないカントリー調コンテポラリー・ミュージック

Jenniferwarnes  ジェニファー・ウォーンズJennifer Warnes (1947年ワシントン州シアトル生まれ、21歳で1stアルバムをリリース。後にカントリー・ロックで花を咲かせる。映画主題歌などで評価を得る)は、どうゆうわけか深入りしなかった。もともと私が知ったのは、もう30年近く前と思うが米国カントリー・ロック系のヴォーカリストとしてである。さほど興味もなく忘れて来たわけだが、一昨年であったか、友人が突然彼女のアルバム「The Well」を送ってきた。これを聴いたときに完成された女性ヴォーカルものとして聴いたわけだが、声の質や唱法にクセもなく優等生のアルバムとして私の評価に入っていた。
 さてその後今年になって別の友人から、”このブログで多くの女性ヴォーカリストを取り扱っているのに、ジェニファー・ウォーンズを書かないのはどうか?”と、ご意見があり、有り難いことにこのつたないブログを読んでいてくれることに感謝しつつ、そのご意見によりここにちょっと触れることになった(実はこのブログでは2010.3.22にレナード・コーエンを取り上げた時に、彼女のアルバム「Famous Blue Raincoat」に触れたのであるが、扱いが軽すぎたかも・・・と、反省している。

<Country, Folk,   Contemporary Music>
Jennifer Warnes 「The Well 24 KARAT GOLD EDITION
IMPEX / IMP8302 / 2009

Thewell  もともとこのブログでは、どちらかというとニュー・アルバムがリリースされることを契機に話題にしているため、彼女の作品は焼き直しが現在は主流であり触れなかったと言うこともあるが、まあ、左のGOLD EDITIONは、10年前のアルバムの2009年の三回目のリニューアル・リリース盤であり、手元にあるので取り敢えずご紹介だ。

 先にも触れたが、このアルバムは2001年のもの。それの音質改善+3曲追加盤。
   何回聴いても特に歌が変わるわけでないが、確かに音質は良くなっている。このマスター・テープは彼女自身が持っている代物らしい。2曲が5,6曲目に挿入され、Bonus track として1曲追加というパターンをとっている。

1. The Well,    2. It's Raining,   3. Prairie Melancholy,  4. Too Late Love Comes,  5. La Luna Brilla,   6. Fool For The Look (In Your Eyes),   7. Invitation to the Blues,  8. And So It Goes,   9. The Panther,   10. You Don't Know Me featuring Doyle Bramhall,   11. The Nightingale,   12. Patriot's Dream,    13. The Well (Reprise),     14. (Bonus Track) Show Me The Light featuring Bill Medley

 冒頭の曲はアルバム・タイトル曲の”the well”だが、これが彼女のこのアルバムに於けるメイン曲であることは最後に再登場させることからも窺える。やはりどちらかというとカントリー・ロック調のコンテポラリー・ミュージックというところか。もともとレナード・コーエンのバック・コーラスを担当していた経過もあり、彼の影響もかなり受けていることが解る。私がもともと熱を上げるタイプのロックとは異なるわけだが、そうは言っても悪くはない。
 そしてこのパターンでこのアルバムは進行するのであるが、このアルバムでは、3曲目の”prairie melancholy”も悪くない。そして二曲の名曲がある、一つは4曲目のトラッド曲”too late love comes”で、ジェニファーが歌詞を付けている。もともとカントリーというのは米国南部の白人系移民による曲が原点にあるもので、その後のカントリ・ロックやカントリー・ウェスタンへの流れはあまり私の好みでないが、こうした原点のトラッドへのアプローチは歓迎である。
 参考までに米国南部と言ってもディープ・サウスからのブルースは所謂黒人霊歌・労働歌を原点としての流れであり、セントルイス、シカゴ、ニューヨークと広がり、それぞれのパターンを創り上げるが、こちらはそこにはカントリーとは異なった私好みの世界が展開する。
 そして話は戻るが、7曲目になる才能の塊tom waitsの”invitation to the blues”は、このアルバムでも最高の出来である。ここに納められた曲の中では最もJAZZYな出来で、なんといってもドイル・ブラムホールIIのブルース・ギターが聴きどころだ。そしてトランペット、ピアノの響きが美しい。彼女のこのアルバム造りもこのパターンで行って欲しいところであるが・・・・・、それは私の好みの話で、それはジェニファーを愛するカントリー派には酷な話になってしまうであろう。

Doylebramhall  ジェニファーがシング・ソングライターとしての力量を発揮していることが解るのは、このアルバムにも彼女が関わった5曲が登場する。先にも触れたメインのタイトル曲”the well”もそうだが、そして忘れてはならないのは、彼女のタイプを鑑みて協力しているドイル・ブラムホールdoyle bramhall(ヴォーカルでも登場する=左)の力が大きい。彼はここにバック・バンドで貢献している美しいリード・ギターのドイル・ブラムホールIIの父親だ。彼のブルース・バンドのドラムスと作曲には定評があるところ。彼は1949年テキサス州ダラス郊外のアーヴィング生まれ、子供の頃からドラムスをたたき歌を唄い特にブルースには、あのブルース・ギターの開拓者のスティーヴィー・レイ・ヴォーンとバンドを組んでいた実力者。後半の”the panther”も彼が作曲に貢献している。

Doylesnowy  さてさて、更に話は進むが、息子のドイル・ブラムホールIIDoyle BramhallII(1968年生まれ)となると、これが私の好きなブルース・ギタリスト。彼がこのアルバムの殆どの曲のリード・ギターを務めている。むしろ私はその方が関心を持ったと言ってもいいのである。
 写真の左がドイルだ。右のギター職人スノーウィー・ホワイト(このブログの2010.8.20のアーティクル参照)と共演している。このカットは、あのピンク・フロイドのCreative Genius(創造的才能)と言われるロジャー・ウォーターズの「In The Flesh ツアー」(1999-2000年)に参加した時のもの。彼は左利きでギターを逆に持って演ずる。それも左利き用でなく右利き用の通常のものをひっくり返した状態で弦が付いている。そしてピッキングは下から上にアップでする。このあたりは特異で妙に印象深くなるのだ。それはさておき、あのギタリストにうるさいロジャー・ウォーターズに目を付けられるほどの当時は若きエース(参照:このブログでは2007.2.27に「ロジャー・ウォーターズにみるギタリスト・ベスト10」に取り上げている)である。

Dbiiwelcome 左は、このドイル・ブラムホールIIのアルバム。彼のテクニックを聴きたければ一聴してほしい。

「Doyle Bramhall II & Smokestack / WELCOME」 RCA 07863 69360 2 ,  2001
 彼は最近は、エリック・クラプトンにも気に入られ引っ張られて、あの”CROSSROADS GUITAR FESTIVAL”でも活躍しいる。

 ・・・・と、言うところで余談に余談を繰り返したわけであるが、ジュニファーのこのアルバム「The Well」に戻ってみると、どちらかというと作曲やバック・バンドに私の興味のある連中が揃っていると言うところが、私にとっての味噌となるアルバムなのだ。
 結論的に言うと、このジェニファーのアルバムは、カントリー色と米国に於ける常識派の優等生アルバムで、社会に優良音楽として受け入れてこられた通りのもの。彼女の歌声も例えばエヴァ・キャシディEva Cassidyの美しさには届かないが、完成度とテクニックは一流と言っていいと思う。
 最後に、私の女性ヴォーカルものへの期待の一部を紹介すると、Jazzyな世界と、そこに潜むやや危ない世界が見え隠れするスリリングなところが欲しいのである。その意味ではジェニファーは別の優良世界であってそれはそれ貴重であると言いとどめておきたい。

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2011年6月16日 (木)

絵画との対峙 : 中西 繁の世界(2) プラハの哀愁

プラハからの報告には哀愁があった

 私が中西繁の作品に魅力を感じたのは、まずはその”描かれた絵”そのものに惹かれたことによるが、別の観点から見た3っのポイントがある。その1っがプラハからの報告だ。
 私がそれに接したのは1998年2月号の「絵と随筆と旅の本~一枚の繪」に載せられた特集”逸楽と哀愁の街 プラハ”(画・写真・文 中西 繁)であった。

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中西繁「プラハ城遠望II」F15×2  (「一枚の繪」1998年2月号 特集”逸楽と哀愁の街 プラハ”より)

 もともとプラハというのは、私にとっての思い入れの都市であり、それは1980年、当時共産圏のチェコスロバキアであった時に訪れたことから始まる。このようなチャンスに恵まれたのは、私の職業の関係で、日本とチェコスロバキアのシンポジウムがプラハで開かれた事により歓迎されて入国したのだっだ。
 私から見た14世紀の神聖ローマ帝国の首都であったプラハは、実に美しい街であったが、重なる民族独立の挫折、第一次世界大戦後にはチェコスロバキア共和国が成立するも、その後ナチス・ドイツに占領され解体される。又ここに居住するユダヤ人約5万人の殺害が行われた。第二次世界大戦後は社会主義国チェコスロバキアとしてソ連支配の東欧諸国の共産圏国家となる。しかし1968年(私が訪れた約十年少々前)の「プラハの春」事件という自由国家運動に対しての弾圧としてのソ連を中心としたワルシャワ条約機構軍のチェコ侵攻のあった都市。そうした悲劇的な歴史が脳裏にある私の目から見ると何故かどこかに抑圧された人々の姿が見えてくる。まさに哀愁の街なのである。しかし当時は現在より治安は良く、夜でも平気に我々は無料の地下鉄に乗り移動が出来た。ただ市民からの私のような日本人は珍しいようで、視線はつよく感じたものだ。そんな中でただ救いは、夜の若者の集まるクラブでは、約半年前に発売した英国のロック・バンド”ピンク・フロイド”の「THE WALL」の中の”another brick in the wall”を合唱し、"we don't need no thought control "と叫んでいたところは、確実に自由への流れは進んでいたのである。

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中西繁「旧市街にて(プラハ)」F10 (「一枚の繪」1998年2月号 特集”逸楽と哀愁の街プラハ”より)

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中西繁「朝のレギー橋(プラハ)」F100   (中西繁作品集 「LANDS・CAPE」2009 より)

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中西繁「カレル橋にて(ピエタ像)」F8  (「一枚の繪」1998年2月号 特集”逸楽と哀愁の街プラハ”より)

 ここに挙げた中西繁の作品は、訪れたのが1997年と言うから1989年のビロード革命による共産党政権の崩壊後の1993年にチェコとスロバキアに分裂し、チェコの首都となってから4年後ということになる。そんな自由化の波の中であっても、単に美しい街の冬景色という捉え方だけでなく、美しい中に哀愁の部分を描いているように見れた。中西繁もこの特集で”中世からの芸術と文化の結晶としての華麗な都市空間と、その中に塗り込められた他民族の支配、宗教的対立による悲劇の歴史と哀感をみるからに他ならない”と書いている。この都市を描くときの感覚をそうしたところに焦点をあてていることに私は大いに共感を得ることが出来たのである。街であれ人間であれ、問題意識を持って描いていることが私の支持する作品である1っのポイントなのであった。しかし、それにつけても「朝のレギー橋」はさすが大作で圧巻である。
 ここに取り上げた作品の一つ一つが、何か心に浸みてくる哀愁感が感じられるのは私だけであろうか?。パリの世界から、それとは別に一歩問題意識の背景から描いたプラハの作品群に喝采を浴びせたのである。

Photo_6
中西繁「リヒテンシュタイン宮殿付近(プラハ)」F10 (「一枚の繪」1998年2月号 特集”逸楽と哀愁の街プラハ”より)

 この作品は実は私が描く絵画の一つの技法の教材としても大切にしているもの。冬の世界は私の一つのテーマとして持っているものであるから(それは写真においても同様である)。又私のような素人にとってみれば、大きさも手頃なもの。ただ残念ながら実物にはお目にかかっていない。何時か何処かでと、願っているのだが・・・・・・。
 こうして絵画のセンスと技法とその根底にある描く対象と対峙する意識の意味などからも、私にとっては中西繁の作品群には感心を持たざるを得ないものとなっていくのである。      (続く)

(参考)中西繁作品集「-逸楽と哀愁の街-プラハ」は1997年に発刊されている。私がこのブログに取り上げた「一枚の繪」の特集にみられる以外の作品集となっている。その中に登場する「朝のレギー橋」もF60号の別バージョンで1997年作のこの特集の対象であった当時のものと思われる。

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2011年6月15日 (水)

絵画との対峙 : 中西 繁の世界(1)パリからの贈り物

絵画の道のスタートは、男のロマンか?

 絵画は私にとっては一つの大切な世界である。そしてそのよって来たるところは何なのか?、それについては未だに明確な説明が出来ない。ただ「ロマンroman」であるということだけは言える。

 ここに取り上げた中西繁(一般的には、敬称として”先生”とか”画伯”と付けるべきであろうが、ここでは普遍性を考えて敢えて敬称を付けないところをご理解いただきたい)も多分そうしたところから始まったのではないか?。何故なら東京理科大学工学部建築学科卒の学歴である(1946年生まれで現在多分65歳)。と、なると主たる職業と絵画の道を同一に求めるのは明らかに難しい。ただ建築学科という性格上、スケッチなどは必要な世界であったと言うから、まんざら別世界ということではなさそうだ。しかし絵画は中西繁にとっては「男のロマン」であったのでは?と、勝手に私は推測するのである(現在まさに現役で活躍中であるにもかかわらず、私が勝手に決めつけて良いかどうかと思うところであるが、それはこのブログを書く私のロマンなのでありお許しを)。そして能力・才能それに加えて努力のあるものは生かされるの原則で、現在の立場が築かれたのではなかろうか?。いずれにしても2000年に建築家の仕事を中断し、画家一本になったという経歴である。

Photo
中西 繁 「雨のサンマルタン」F15 (中西繁著「油彩画プロの裏ワザ」2006より)

 私が中西繁の絵にお目にかかったのは、多分1990年代になって雑誌「一枚の繪」ではなかったかと思う。その魅力を知ったのはパリを描いた作品からだと思う。以降の一連の作品群に接して私の興味は高まるのみであった。
 上の絵は初期の一連のパリ作品のもので、私の好きな一枚。そしてこの絵は実は我々に教育のために製作手順を披露しての再現作品である。初期のものは中西繁作品集「哀愁のパリ」(1991)の表紙を飾っている。多分かなり思い入れのモチーフであり構図的にも好みであると思われる。従って更にこの大作(3636×2273)もある(中西繁作品集「LAND・SCAPE」2009年に載せられている)。
 確かにこの絵は夕方の雨に濡れた道路の鏡面の美しさ、車のヘッドライトの路面の輝き、右の太鼓橋、重なる建物の美しさ、信号、街灯、道を歩く女性と傘など私の好きな要素が盛り込まれ、そして散漫にならず、動きのある一つの夕刻の世界が描かれている。構図も絶品で、まさに一つ一つの描き方は私にとってはお手本そのものであった。
 私自身も全くの自己流で少々絵を描くときがある。そんな為か書く人間の目からしての好みが優先してくる。こう描きたいというものが見えた絵には感動してしまうのだ。

Photo
中西 繁 「雨上がりのモンパルナス大通り(パリ)」F8  (中西繁作品集「光の回廊/欧州の旅II」2011より)

Photo_2
中西 繁 「雨の歩道(パリ・フランス)」F130  (中西繁作品集「LANDS・CAPE」2009より)

 ここに挙げた3作品は、パリにて描かれた中西繁の世界である。全て道路や歩道が雨に濡れている作品だ。それは私の好みであると同時に多分中西繁の一つのモチーフであろうからである。もっと陽の指す明るい作品も多くあるが、私好みでこの3枚を取り上げたわけだ。それから私の好みとして葉のない街路樹が好きである。又、何か哀愁を感じさせる世界も好きである。「雨の歩道」の傘をさして歩く一人の女性の姿には華々しいパリにおける姿として別の面も私には感じられた。

 さて、ここに感動した中西繁のパリの3枚を紹介したわけだが、私がファンなってしまったポイントの感動したものというのは3つのポイントがある。その一つというのは、この一連のパリ作品であり、続いて実はもう何年か前になる1998年2月号の「一枚の繪」の特集:-画家の旅-「逸楽と哀愁の街 プラハ」にみる9枚の作品であった。これが2っ目のポイントであり、そして3っ目のポイントもあるわけで、これについては次回から更に続けてに書きたい。 (続く)

PS: ここに登場する中西繁先生の作品は、私なりに作品集などから取り上げていますが、著作権の関係から、中西先生に直接お願いして許可を得ています。

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2011年6月 9日 (木)

Jazzyなメロディ・ガルドーMelody Gardotの世界(5):「my one and only thrill / DELUXE EDITION」の賛否両論

そろそろ3rdアルバムに期待しているところであるが・・・・・・・

Byebyeblack 「MELODY GARDOT / Bye Bye Blackbird」 DECCA- 2754306 ,  2011.5

 とにかく、フィラデルフィア出身1985年生まれのメロディ・ガルドーは私の期待中の期待の女性ジャズ・ヴォーカリストである。魅力はシンガー・ソングライターということと、なんと言っても Larry Kleinのプロデュースによる彼女を支えるバンドとの醸し出す世界により作られるアルバムは、Jazzの持つ深遠な世界としてピカイチだからだ。2009年の2ndアルバム「My One And Only Thrill」の出来は素晴らしく世界的ヒットとなり、ライブ活動も盛んだが、それ以来のニューアルバムは目下まだ届いていない。
 しかしながら、ここに4曲のEP盤の登場だ。これは、先日発売された「MELODY GARDOT / My One And Only Thrill DELUXE EDITION」に付けられた一枚。
  Vocals & Guitar : Melody Gardot
   Guitar : David Preston

Myonandonlythrilldelux 又この”DELUXE EDITION” には、本来のアルバム12曲に”CHILL OUT REMIXES”として3曲がボーナス・トラックスが加えられいる。従ってこの企画には取り敢えず3曲のニュー・バージョンとこのEP盤としてのカヴァー曲4曲が聴くことが出来るのだ。
 実はこの”DELUXE EDITION”が発売されることは知っていたが、このように内容に7曲が加えられていることは知らなかった。ところがその内容を友人から知らされて、ビックリしながらこの7曲を聴くことになった。つまり一曲も聴き逃したくないというのが、私にとっての彼女の作品であるからだ。

”CHILL OUT REMIXES”
    1. our love is easy
    2. baby i'm a fool
    4. my one and only thrill

”EP / Bye Bye Blackbird ”
    1. get out of town
    2. someday my prince will come
    3. bye bye blackbird
    4. summertime

Mgdeluxe1 ”CHILL OUT REMIXES”の3曲は、これは多分アルバムではこのパターンを採用するのは多分若干抵抗があろうかと思われる技巧を凝らしている。しかし、このパターンをやってみたいという彼女自身やバンド・メンバーの発想、そしてEngineerの Charlie Patiernoの挑戦的作業からうなずけないこともない。もともとそうした新しさを求めようとする感覚が彼らにはあるからだ。是非とも聴いてみて欲しい。多分、賛否両論の世界であろう。

 EP”Bye Bye Blackbird”の4曲はスタンダート曲だが、これらはアコースティック・ギターのみのバックで、彼女の唄い込みが十分堪能できるように聴かせる曲作り。このパターンも一つには実験なのかも知れない。取り敢えずのサービスといったとこなのであろう。

 さて・・・ここで一言。どうも最近はヒット・アルバムが出ると、そのスペシャルとかデラックスとかの別バージョンが流行である。それには一般的には映像ものを付けたり、このメロディー・ガルドー版のようにニュー・バージョンの曲を付けたりして又売りするわけだ。
 しかし、ファンの意識はやはり別物があったり、映像ものがあったりすると見逃したくないというのが心理である。その為同じアルバムを再び買って、視聴きすることになる。どうもその商法が私は納得できない・・・・と、言うことなのである。
 先般(昨年)、このメロディ・ガルドーの「My One And Only Thrill ”SPECIAL EDITION”」というのもあって(このブログの 2010.4.24”LIVE IN PARIS の魅力”参照)、パリ・ライブ音源5曲を付けてのリリースであった。これも実にまた素晴らしい5曲の出来で、聴き落とすわけにはいかないというところ。つまり今回の”DELUXES EDITION”が加わって、同一アルバムの後のダブル・パンチが襲ったわけだ。 取り敢えずあまり文句も言わずに聴くことにしようと思ってはいるものの・・・ちょっとこうした商法に一言、言ってみたくなったのは解っていただけるかどうか?(考えてみると、過去にこのブログでも何回と取り上げているが、キング・クリムゾンの場合などは、特に「宮殿」なんかはLP含めて何枚持っているか、そら恐ろしくなる)。

 

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2011年6月 7日 (火)

マーラー Gustav Mahler の世界(5) : 没後100年記念として・・・・

語ることに尽きないマーラー~特にユダヤ人として~

 私にとっては、ショスターコーヴィチそしてマーラーというのは一つのテーマでもある。両者はここで何回か取り上げて来たが、そのマーラーGustav Mahler は1911年2月に連鎖球菌敗血症により亜急性心内膜炎を発症し重体となり、5月にはアメリカ(1910年に渡米していた)を離れパリで治療を受け、その後5月にはウィーンへ戻り、レーヴのサナトリウムに移され、状態悪化で死亡。50歳であった。
 そして今年2011年はマーラー没後丁度100年という年である。それを記念して諸々の企画がある中で、今ここで改めてマーラーを見つめてみようという機運も高まっている。そんな時に私が興味を持ったマーラー特集本があるので紹介しよう。

Photo 文藝別冊(KAWADE夢ムック)「マーラー : 没後100年記念 総特集 」 河出書房新社 2011.4.30発行

 マーラーの特集本であるだけに、総曲解説・CD評などからマーラー年譜などそれなりに一応網羅している。ただし、データなどはかなり大まかで、それほど期待しない方がよい。
 ただ私の興味をひいたのは、ここに12人の各分野の著名人のエッセイが載っていることだ。むしろこうしたところがこの本の読みどころであるといっていい。

 以前に紹介した音楽の友社の「作曲家・人と作品シリーズ:マーラー」(2011.1.16 マーラーの世界(2)参照)の著者の精神医学者村井翔氏は”マーラーの精神分析”を、フロイトとの出会いから始まってマーラーの心理状態を作品と対比して書いている。
 又、必ずマーラー論となると妻のアルマが登場するわけであるが、これに関しても音楽評論の加藤浩子が”ファム・ファタルか触媒か”と題して彼女をとりまく男性群を分析している。(触媒という発想が面白いが・・・)

 常にマーラーの音楽のよって来るところを語るとなると、必ず彼のトラウマ論が出てくるのであるが、子供、男性、夫ということでは母親との関係、妻との関係が語られるし、音楽の世界としてはブラームスやヴァーグナーそしてブルックナーなどが語られる。

Gustav_mahler_1909_2  しかし、マーラーにとって基本的に非常に重大であったのは、やはりユダヤ人としての宿命であったと思う。そしてそれについては、ここでは・・・・・

末延芳晴
”マーラーにおけるユダヤ性と普遍共同性~失われた「大地」を求めて”

        ・・・・というエッセイが非常に面白かった。
 ここでは、マーラーが当時オーストリア領のチェコ近郊のベシュト村(現チェコのカリシュチェ)に、ユダヤ商人のベルンハント・マーラーとその妻との間に、2番目の子として生まれたことからその宿命は始まることから書かれている。つまり人間が人間として生きていく上で不可欠な、言語、宗教、生活習俗、国家、市民権といった普遍的共同性を奪われたところで生きていく運命として・・・・。
 そうした環境下で生きて行く道は三つしかないと語る。
 ①一つは、徹底的に特殊共同性を背負らされた人間としてそのその特殊性を際だたせること。しかしそれはゲットーという檻の中に閉じこめられ、忌避と蔑視、差別の対象として生きていくことを強いられる。
 ②もう一つは、可能な限りユダヤ的な記号性を消し去る。存在する国家共同体に同調・同化して生きる。マーラーはこの道を選んだ。それは罪責意識、深刻な内面的分裂と葛藤に苦しみ悩むことになる。
 ③ところが、第三の道として、人間を分断する現実世界の壁を、言葉や思想や音、さらには知の力によって暴力的に絶対突破し、そこに開けたアナーキーな、しかし自由で可塑的な時空間に、宗教であれ、思想や哲学であれ、芸術であれ、それまで存在することのなかった、全く新しい価値の普遍性を体現した世界(トポス)を対抗的に創造すること。全く新しく独立した絶対普遍共同的世界を創り上げる。これはイエス・キリストやカール・マルクスの世界であり、それをマーラーは目指したのか(交響曲「巨人」、「復活」などのよって来たるところからみて)?。
 こうして著者はマーラーのユダヤ人としての音楽世界における格闘の分析を試みている。(参考:著者末延芳晴は1942年生まれ、東大文学部卒、ニューヨークに25年在住、米国現代音楽批評、帰国後文芸評論も。著書「永井荷風の見たあめりか」、「森鴎外と日清・日露戦争」など)興味あるエッセイであった。

 マーラーは1911年に没したために、その約20年後のナチスのユダヤ人迫害(1933年頃から)をみてはいない。ホロコーストholocaustの悲劇は体験していないが、それに進みつつある世界の中にいた。彼が音楽の世界で、指揮者として、作曲家として何かを超えようとしていたことは、死後100年を経た今日の彼の音楽や世界観の研究が続いていること自体がその証明であると言っていいのであろう。

Photo
(花の季節 : カルミヤ(白) = 我が家の庭から)

 
 
 

 

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