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2011年6月16日 (木)

絵画との対峙 : 中西 繁の世界(2) プラハの哀愁

プラハからの報告には哀愁があった

 私が中西繁の作品に魅力を感じたのは、まずはその”描かれた絵”そのものに惹かれたことによるが、別の観点から見た3っのポイントがある。その1っがプラハからの報告だ。
 私がそれに接したのは1998年2月号の「絵と随筆と旅の本~一枚の繪」に載せられた特集”逸楽と哀愁の街 プラハ”(画・写真・文 中西 繁)であった。

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中西繁「プラハ城遠望II」F15×2  (「一枚の繪」1998年2月号 特集”逸楽と哀愁の街 プラハ”より)

 もともとプラハというのは、私にとっての思い入れの都市であり、それは1980年、当時共産圏のチェコスロバキアであった時に訪れたことから始まる。このようなチャンスに恵まれたのは、私の職業の関係で、日本とチェコスロバキアのシンポジウムがプラハで開かれた事により歓迎されて入国したのだっだ。
 私から見た14世紀の神聖ローマ帝国の首都であったプラハは、実に美しい街であったが、重なる民族独立の挫折、第一次世界大戦後にはチェコスロバキア共和国が成立するも、その後ナチス・ドイツに占領され解体される。又ここに居住するユダヤ人約5万人の殺害が行われた。第二次世界大戦後は社会主義国チェコスロバキアとしてソ連支配の東欧諸国の共産圏国家となる。しかし1968年(私が訪れた約十年少々前)の「プラハの春」事件という自由国家運動に対しての弾圧としてのソ連を中心としたワルシャワ条約機構軍のチェコ侵攻のあった都市。そうした悲劇的な歴史が脳裏にある私の目から見ると何故かどこかに抑圧された人々の姿が見えてくる。まさに哀愁の街なのである。しかし当時は現在より治安は良く、夜でも平気に我々は無料の地下鉄に乗り移動が出来た。ただ市民からの私のような日本人は珍しいようで、視線はつよく感じたものだ。そんな中でただ救いは、夜の若者の集まるクラブでは、約半年前に発売した英国のロック・バンド”ピンク・フロイド”の「THE WALL」の中の”another brick in the wall”を合唱し、"we don't need no thought control "と叫んでいたところは、確実に自由への流れは進んでいたのである。

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中西繁「旧市街にて(プラハ)」F10 (「一枚の繪」1998年2月号 特集”逸楽と哀愁の街プラハ”より)

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中西繁「朝のレギー橋(プラハ)」F100   (中西繁作品集 「LANDS・CAPE」2009 より)

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中西繁「カレル橋にて(ピエタ像)」F8  (「一枚の繪」1998年2月号 特集”逸楽と哀愁の街プラハ”より)

 ここに挙げた中西繁の作品は、訪れたのが1997年と言うから1989年のビロード革命による共産党政権の崩壊後の1993年にチェコとスロバキアに分裂し、チェコの首都となってから4年後ということになる。そんな自由化の波の中であっても、単に美しい街の冬景色という捉え方だけでなく、美しい中に哀愁の部分を描いているように見れた。中西繁もこの特集で”中世からの芸術と文化の結晶としての華麗な都市空間と、その中に塗り込められた他民族の支配、宗教的対立による悲劇の歴史と哀感をみるからに他ならない”と書いている。この都市を描くときの感覚をそうしたところに焦点をあてていることに私は大いに共感を得ることが出来たのである。街であれ人間であれ、問題意識を持って描いていることが私の支持する作品である1っのポイントなのであった。しかし、それにつけても「朝のレギー橋」はさすが大作で圧巻である。
 ここに取り上げた作品の一つ一つが、何か心に浸みてくる哀愁感が感じられるのは私だけであろうか?。パリの世界から、それとは別に一歩問題意識の背景から描いたプラハの作品群に喝采を浴びせたのである。

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中西繁「リヒテンシュタイン宮殿付近(プラハ)」F10 (「一枚の繪」1998年2月号 特集”逸楽と哀愁の街プラハ”より)

 この作品は実は私が描く絵画の一つの技法の教材としても大切にしているもの。冬の世界は私の一つのテーマとして持っているものであるから(それは写真においても同様である)。又私のような素人にとってみれば、大きさも手頃なもの。ただ残念ながら実物にはお目にかかっていない。何時か何処かでと、願っているのだが・・・・・・。
 こうして絵画のセンスと技法とその根底にある描く対象と対峙する意識の意味などからも、私にとっては中西繁の作品群には感心を持たざるを得ないものとなっていくのである。      (続く)

(参考)中西繁作品集「-逸楽と哀愁の街-プラハ」は1997年に発刊されている。私がこのブログに取り上げた「一枚の繪」の特集にみられる以外の作品集となっている。その中に登場する「朝のレギー橋」もF60号の別バージョンで1997年作のこの特集の対象であった当時のものと思われる。

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