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2012年5月30日 (水)

絵画との対峙-私の愛する画家(4) 「三塩清巳」

受けた感動で描いた作品にカラーの独特の世界を築きあげた

 前回”色の詩人”として吉岡耕二に焦点を当てたが、「色」をテーマにしてみると、まさに”カラーリスト”と言われる三塩清巳を取り上げなければならない。私は彼の色彩”赤”を生かした作品に圧倒され、又作品の画面にみなぎるエネルギーに圧倒されたのである。

Photo
三塩清巳「赫(上高地焼岳)」 1994 油彩・キャンバス 130F
(「三塩清巳作品集」 1996 編集:井上哲邦 より)  

 この作品に対して、三塩清巳はこのように記している・・・・・”火山が好きである。北は北海道から九州までよく描きに行くところは火山が多い。 山の形もさることながら火山を見ていると、赫々と燃えさかるマグマ、勢いよく噴出する噴煙、そんなエネルギーの強さに感動する。 このエネルギーを自分のものとしたいという願いがある。”・・・と。

 確かに彼の作品は火山が多いが、その他風景は山が圧倒的に多い。しかもエネルギーの強さを感じてか、”赤”を駆使して描く。そして力強い。

Photo_3
三塩清巳「桜島晨明」 1991 油彩・キャンバス 80F
(「三塩清巳作品集」 1996 編集:井上哲邦 より)

 多くの画家に愛される”桜島”、三塩清巳に描かせると、やはり”赤”の山の姿が浮かび上がる。
 更にこの三塩独特の”赤”であるが、彼自身このように記している・・・・・”雪景色を描いても赤を使いたくなる私にとって火の山桜島は赤で描く以外色がない。赤に憑かれて久しいがまだ納得のゆく色が出ない。 火の山だから赤で描くのではなく、赤で描く方が自分の気持ちを表現し易いからである”・・・・と。

Photo_2
三塩清巳「上高地霞沢岳」 1993 油彩・キャンバス 130F
(「三塩清巳作品集」 1996 編集:井上哲邦 より)

 彼の愛した上高地。この上高地の霞沢岳を描いても赤がふんだんに使われる。
 ”私は赤の色をよく使うが、季節感とか、自然現象、ある岩者の固有色としてではなく自分の色として残雪の上高地霞沢岳の神々しさ、大きさ、美しさといったものを表現したかった”と彼は記している。
 赤でないものを赤で描く彼の絵画に対しての姿勢は、自分で感じたことをどう表現するかという一つの手法であると言える。そしてその赤が不自然でなくなってくるところが魅力である。

Photo_2三塩清巳「サーカスの人たち」 1980 油彩・キャンバス 100F
(「三塩清巳作品集」1996 編集:井上哲邦 より)

 三塩清巳の作品集をみると、馬、サーカス、ピエロを扱った作品が多い。(1960-80年)
 彼の子供の頃は馬と一緒に育ったという、その体験からくる馬に対する愛情と、そしてサーカスには、その中に人生の縮図を見ていたのであろうか。そのサーカスにはピエロの役割を重要視している。これに関係した一連の作品は、かなり三塩としての他に見ない独特の世界である。
 画風は森田茂に師事し大きな影響を受けていると思われるが、師森田からは、”色に独特のものを持ち・・・・、才能のある作家である。努力の作家である。・・・・”という言葉をもらっている。
 

Photo_3三塩清巳「犬吠灯台」 油彩・キャンバス 20F

 三塩は全国各地の魅力ある風景を殆ど絵にしている。そのうちの一枚であるが、犬吠埼の灯台を描いたもの。なんといっても海の色の深さの魅力と荒々しい躍動感ある様、岬の肌の描き込み、油彩としての長所を十二分に生かしての作品だ。この作品に於いても空の色をはじめ、色は心という心情で描いている。(私の所蔵作品)


三塩清己 みしおきよみKiyomi Mishio 略歴

1929年-佐賀県出身。
1949年 佐賀師範学校数学科卒
1952年 富永秀夫に油絵の指導を受ける
1954年 森田茂に師事。
1955年 日本大学工学部電気工学科卒
      東光展 初入選
      東京都内小学校に勤務
      東光会にて活躍。日展評議員、東光会理事長を務め、画壇の重鎮として活躍。
1974年 日展特選受賞
1978年 日展特選受賞
東光展文部大臣賞受賞、日展審査員3回、個展・グループ展多数開催。
確かな画力とセンスで高い支持を得る。

(三塩清巳画伯は、現在80歳を超えていますが、ご活躍中です。ここでは普遍性を期して失礼ですが敬称は省略いたしました。よろしくお願いします。 又絵画の供覧は、著作権法第32条に準じて行いました。何か問題がありましたらご連絡ください)

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2012年5月28日 (月)

デュオを楽しむ~ラーシュ・ダニエルソンLars Danielsson 「PASODOBLE」

  シンプルが故に北欧の叙情性が一層増して・・・・・

Lars Danielsson & Leszek Możdżer  「PASODOBLE」
ACT Music  ACT99458-2   2007

Recorded at Nilento Studios in December 2006 and January 2007

Pasodoble_3
このジャケのシンプルさの中から与えられるイメージは、何にも勝る強い印象をもたらす名アートと思う。

Lars Danielsson : bass, cello
Leszek Możdżer : piano, celesta, harmonium

収録曲
1.Praying (Danielsson, Lars)
2.Fellow (Danielsson, Lars)
3.Entrance (Danielsson, Lars)
4.Prado (Danielsson, Lars)
5.Pasodoble (Danielsson, Lars)
6.Daughter's Joy (Danielsson, Lars)
7.It's Easy With You (Możdżer, Leszek)
8.Hydrospeed (Możdżer, Leszek)
9.Reminder (Danielsson, Lars)
10.Innocence 91 (Możdżer, Leszek)
11.Follow My Backlights (MMożdżer, Leszek)
12.Eja Mitt Hjärta (traditional)
13.Berlin (Danielsson, Lars)
14.Distances (Możdżer, Leszek)

Larsphoto  知る人ぞ知る叙情性豊かで人気のスウェーデンのベーシストのラーシュ・ダニエルソンLars Danielsson(左) が、Leszek Możdżer(ポーランド) のピアノと組んでのオリジナル曲のデュオ・アルバム。

 北欧独特の叙情性のある曲が両者の見事なコンビネーションとそれぞれの個性とで展開するアルバムで私好みである。
 アルバム・タイトルの曲”pasodoble”はこのアルバムの中でも両者が単なる叙情性の追求でないアクティブな演奏でうねりのある展開の曲。彼らも楽しんでいる様が目に見えるようなところ。それに続く”dauter's joy”は、ピアノが美しく流れ、そしてベースがゆったり語り心が安まる曲。
 デュオというシンプルな組み合わせが、一つ一つの音に神経が使われていて、その響きは叙情性たっぷりで極上。

 ラーシュ・ダニエルソンはスウェーデンで1958年生まれている。ヨーテポリというところの音楽院でチェロを学び、その後にジャズに転向してベースを演奏する。ラーシュ・ヤンソン・トリオ、そしてカルテットなどをこなし、米国ミュージシャンとの共演してその名も世界的になった。
 

 ここで、ついでと言うか是非ともラーシュ・ダニエルソンの2004年の様々のミュージシャンとの共演による素晴らしいSACD-Multichannel盤があるので紹介しておこう。私の一押し盤。
Liberame LARS DANIELSSON 「Libera Me」
Guests  Nils Petter Molvaer  Jon Christensen  Caecilie Norby 

ACT Music ACT9800-2  ,  2004
Recorded between January 2003 and May 2004 at Rainbow Studio Oslo

 このアルバムはデュオ「PASODOBLE」とは全くの手法が異なって、オーケストラの導入、多くのミュージシャンとの編成バンドで、一曲では女性ヴォーカルも入る。
 しかし、やはり叙情的で哀愁感たっぷり。曲によってダニエルソンのベースが、Nilsのトランペットが、サックスが、ピアノがと、歌うがごとくの響きは聴き応え十分。

Lars Danielsson - acoustic bass, cello, piano, guitar
Jon Christensen - drums, percussion
Nils Petter Molvaer – trumpet
Xavier Desandre Navarre – percussion
David Liebman – soprano saxophone
Anders Kjellberg – cymbals
Jan Bang – samples
Carsten Dahl – piano
Tobias Sjörgren - guitar

DR Danish Radio Concert Orchestra conducted by Frans Rasmussen

Special Guest:
Cæcilie Norby – vocals on “Newborn Broken”

Liberamelist  曲目は左の12曲。1曲目は、娘に捧げたという優しい愛情の曲。そして続くいずれの曲も北欧というどこか哀愁に満ちたムードを持っていて、ダニエルソンのベースの響きにマッチしたトランペットをはじめそれぞれの楽器が、代わる代わる映画の場面を想像させるがごとく演奏される。
 いやはや、こうしたジャズのスタイルは、北欧独特な世界として感じ取って良いのであろう。
 そして一つ一つの楽器の音が非常に大切に生かされた演奏スタイルで、そのあたりの味わいは格別のもの。
 メロディーの哀愁あるそして甘味のある世界が好きであるならお勧めである。
 

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2012年5月26日 (土)

絵画との対峙-私の愛する画家(3) 「吉岡耕二」

驚きの造形と色彩美学

 私の愛する画家として、現役バリバリということでは、既に”問題意識の画家:中西繁”を取り上げてきたが、ここではもう一人”吉岡耕二”に焦点を当てる。
 彼の描く絵画を語ろうとするには、私の言葉では適切なものがない。まずはその作品を鑑賞することが最も手っ取り早い。

Bluemosque2004
吉岡耕二「ブルーモスク Blue Mosque (トルコ)」 2004  oil on canvas  112.7×91.0㎝
(画集「YOSHIOKA 2003-2009」 2009  株式会社アートデイズ より)

 彼の作品を語るには、彼の画集に寄せられた言葉が適切だ。
 詩人・作家の辻井喬によると”はじめて吉岡耕二の作品に接した時、浮かんできたのは色彩の詩人、という言葉だった。線も構図も、色彩が歌い、踊り、そして何か哀し気に沈黙する・・・そうしたドラマを表現するためにあるのだと思った。しかし今、そうした魅力に引き込まれながらも私は、この作者がそのようにも光を自らの鼓動にし得たのはどのような必然、あるいは成り行き、または身体的な法則によってなのかと考えてしまう”・・・と。

 吉岡耕二は1943年生まれ。24歳で自由な色彩表現を求めてパリ国立美術学校に留学。1975年に日本人としては最年少の31歳で、サロン・ドートンヌの正会員に推挙されるという実力派。地中海を中心としてヨーロッパ、北アフリカ、カリブなどにある多くの国を訪れて描いてきている。
 私にとっての彼の作品の魅力は、キャンバスの中に大胆な構築される対象の姿と、色による心の表現であろうその鮮烈さには圧倒されるところにある。

Theeiffeltower2008
吉岡耕二「エッフェル塔 The Eiffel Tower (フランス)」 2008  oil on canvas   72.7×60.6㎝
(画集「YOSHOOKA 2003-2009」 2009  株式会社アートデイズ より)

 グラフィックデザイナーの早川良雄は、”吉岡耕二の絵の前に立つと、あゝこれこそが絵画のみに可能な表現なのだと思い知らされる。・・・・・ 対する者は、まずその美しい色彩の協奏に酔い、奔放な形象の解放に圧倒される。意表を衝く重層空間のなかに風景の記憶が映し込まれるが、それは抽象と具象のあわいを自由に往き来しながら独自の造形世界に再構築されていて、見事という他はない”・・・と、記している。

Cordoba2009
吉岡耕二「コルドバ Cordoba (スペイン)」 2009  oil on canvas   90.9×72.7㎝
(画集「YOSHIOKA 2003-2009」  2009  株式会社アートデイズ より)

 彼の作品は、圧倒的に地中海をとりまく国々の都市を描く作品が多い。そしてそのキャンバス内の描かれる対象の姿は、一見抽象に見え、又自由奔放でゆくままのごとくに描かれているようであるが、実は私の目からは相当な計算が成されていると思う。そこが又大きな魅力である。

Flowers2001_2 彼は、上のように風景画が主力と言って良い。それは彼の描こうとする世界観の対象であるからであろう。
 しかし、左のように”花”を描いた作品も多く見られる。

吉岡耕二「花 Flowers」 2001  oil on canvas  27.3×22.0㎝
(画集「YOSHIOKA 1999-2003」 2003  より)

 しかし絵画の世界は、絵画であるからこそと言う自己の表現としての奥深い世界が存在していると思う。それは表現技法や対象の選択においても安易に到達出来るような世界ではないであろうことも想像できる。観る我々は何を感ずるかは又その人の個性であり、歴史的産物でもあろう。
 特にそうしたことを考えさせるのが彼の絵画の世界の一面であるようにも思う。

Photo_2吉岡耕二「フィレンツェ」 F10号

 
これは、上のトルコ、フランス、スペインを描いた3作のような大作ではないが、私のかねてからの念願が叶っての偶然持つことが出来た彼の作品で、イタリアのフィレンツェを描いている。この街の象徴でもあるドゥオモ(サンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂)を遠景に配して、彼独特の鮮烈な色彩でイタリアの歴史の街を描いたもの。まさにこの空の色は、吉岡にしてみると、フィレンツェの発するエネルギーを感ずるところなのであろうか。ルネツサンス運動の発祥の地として美しいこの街の人気は日本人にも高い。

吉岡耕二略歴

1943年 大阪に生まれる
1962年 大阪市 立工芸高校美術科卒業
1967年 渡仏、パリ国立美術学校に留学
1968年 サロン・ソシエテ ナショナル・デ・ボザール(於パリ近代美術館)出品
     サロン・アーティスト・フランセーズ(於グランパレ)受賞
     美術誌「アート」に紹介される
     スペイン・ポルトガル・モロッコ・アルジェリアに旅行
1970年 サロン・ドートンヌ初出品(翌年共 2 年連続)、会員候補に推挙される(75年正会員)
1971年 サロン・テールラテンに招待される
1972年 インド・ネパール旅行
1973年 パリに於ける各展の他、アンデパンダン展にも出展
1981年 14 年間の帯仏生活を終え帰国
1983年 チベット旅行
1987年 エジプト旅行 梅田阪急個展
1989年 モロッコ旅行
1992年 メキシコ旅行  渋谷西武個展
1993年 スペイン旅行  宝塚西武個展
1994年 カリブ旅行 梅田阪急個展
1996年 ギリシャ旅行
1998年東急Bunkamura Galleryにて個展
1999年CDジャケット20種(東芝EMI)
2000年 南フランス旅行 大丸百貨展個展 (東京)
2001年 イタリア旅行 大丸百貨店個展(大阪 神戸)
2002年 マルタ島・シチリア島旅行 みなとみらいギャラリー(神奈川)
2007年 5月、上海アートフェア出展

2008年 高島屋大阪個展2009年 BunKamuraギャラリー個展(東京)
2010年 ギャラリー尾形個展

(吉岡画伯をはじめ、ここで取り上げる諸画伯に対して、普遍性を期す意味で敬称は略しました。よろしくお願いします。又絵画の供覧は、著作権法第32条に準じています。問題があればご連絡ください)

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2012年5月23日 (水)

コリン・バロンColin Vallon のジャズ・トリオ活動は期待株「Rruga」~ジャケ党を泣かせるアルバム(8)

ECMレーベルのコンセプトを担って・・・・

Colin Vallon, Patrice Moret, Samuel Rohrer 「Rruga」
  ECM Records,  2011,  ECM 2185 B0015433-02
      (Recorded May 2010 )

Rruga

 アルバム・タイトル「Rruga」は、英語では”jouney”に近い意味のようであるが、左の自転車に焦点を持って行き周辺を流した撮影写真のジャケットはなかなか頂ける。

  Colin Vallon : piano
  Patrice Moret : double-bass
  Samuel Rohrer : drums


 ECMレーベルでは、キース・ジャレットを中心に私は聴いてきたが、先頃取り上げたトルド・グスタフセンも私のお気に入り。もともとこのレーベルの音作りのコンセプトは、”The Beautiful Sound Next To Silence”(沈黙の次に美しい音)”というところにあるということのようだが、この若きコリン・バロンのピアノを中心としたトリオも、2011年にリリースしたこの彼らのECM第一号(彼らの3rdアルバム)は、そんな世界を見事に演奏している。
 
Colinvallon  Colin Vallon は、1980年にスイスのローザンヌで生まれで、10代にクラシックを学び、その後早くにジャズに傾倒、18歳でジャズ学校に登録している。19歳(1999年)にはスイスや周辺国でピアノ・ジャス・プレイに専念して、コリン・バロン・トリオを結成。
 2004年デビュー・アルバム「Les Ombres」
  2007年2ndアルバム「Ailleurs」

 トリオ・メンバーは、2004年から現在の1972年生まれのベーシストのPatrise Moret と、1977年生まれのドラマーSamuel Rohrerと結成して、曲は3人それぞれが書いてアルバム作りをしている。そして各地での活動で、多くの賞を獲得した。
 2011年、ECMデビューが、この3rdアルバム「Rruga」である。

 スイスを中心に活動しているようだが、なによりも彼らのオリジナル曲を中心にしていることと、繊細にしてメロディアス、そして静なる世界の構築は見事と言える。

  1. telepathy (Moret)
  2. rruga (Vallon)
  3. home (Vallon)
  4. polygonia (Rohrer)
  5. eyjafjallajokull (Vallon)
  6. meral (Vallon)
  7. iskar
  8. noreia (Rohrer)
  9. rruga,var. (Vallon)
10. ejord (Moret)
11. epilog (Rohrer)   

                      ( )内:作曲者

Memers2tr_2 収録曲11曲であるが、作曲はCollin Vallon が5曲、Samuel Rohrer が3曲、Patrice Moret が2曲と、メンバーが協力し合っている。確かに曲はピアノ・トリオとしてのピアノの占める位置が大きいが、ベース、ドラムスそれぞれが結構前面に出てリードする場面もあり、三者の位置関係はかなり対等にある。
 メロディーの美しさはトルコとコーカサスの音楽を反映しているというが、そのあたりは私には解らない。演奏の展開もフリー・ジャズ、クラシック調と多彩で、静かな世界を構築するが、三者のアンサンブルによる盛り上がりの波も押し寄せて聴き応えある。
 アルバム・タイトル曲”Rruga”のピアノの旋律は非常に美しく流れ、中盤のシンパルの音を中心としたドラムスの盛り上がりもいい、そして最後はピアノで静かに幕を閉じる。そしてその流れで続く”home”は、安堵の世界に導く。このように曲の繋がりもアルバム・トータルに抑揚を付けて編集されていて説得力ある。
 ”polygonia”は、何か物語りを感ずる世界に導いてくれる。”eyjafjallajokull”のフリーな展開と間の取り方はなかなか見事で、彼らのトリオ・ジャズの一つの方向性が見える。
 トルド・グスタフセンのピアノ主流と比べると、トリオ三者が対等に近い役割を果たしているバンドである。

 ECMからのリリースでレーベルのコンセプトを担っている若きバンドだ。、更にこれから大きく羽ばたいて欲しいトリオである。

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2012年5月20日 (日)

絵画との対峙-私の愛する画家(2) 「安藤育宏」

偶然の再会によって・・・・・

 好きな絵画との出会いは私の場合大抵偶然だ。もともと絵画は自分で描きたいほうであり、そんな為か特に名を馳せた人の絵画鑑賞というよりは、あゝこんな絵が描けたらなぁ~と思う絵に注目してしまう。前回紹介した”相原求一朗”もそうであったが、実は今回取り上げる”安藤育宏(やすひろ)”は、昭和50年代だったろうか、絵画の材料を求めてある画材店に足を運んだ際に、偶然壁に掛けてあったSM(thumb hole 227×158mm)の小さい絵によって私との関係が始まった。それが”安藤育宏”の「シャルトル早春」であった。(画像はクリックにて拡大します)

Photo安藤育宏「シャルトル早春」 (SM)

 これが、その絵画であるが、現在の私の部屋の壁にこのようにある。その出会いの時、比較的若い店主に値段を聞くと思いのほか高い。しかし私はこのキャンバス上の絵具の乗せ具合に惚れてしまった。多くの色を画面上で重ね合わせて行き、各色を生かしながら見た目に一つの色合いを感じさせる。
 私はあまり当時絵画を買いたいとは思っている方でなく、むしろ自分の趣味の作画に参考になるような絵を眺めていればよいほうであった。この時は、小さい絵であるし、値段的にも対応できるかなと思い、ふと欲しい気持ちが湧いて、価格交渉して結局手に入れた。店主もフランスのパリ郊外のシャルトルに行って来て思い出もあり、この絵に日本で出会ってイメージが気に入って仕入れてきたと言っていたものである。
 そしてキャンバス裏に記載されている作者の名前も見たのみで記憶に止めていなかった。それほど私は画家が誰ということには興味も無く、むしろ”この絵は自分にとって感動するかどうか”という事のみであったのである。

Photo  さて、その後20年ぐらいの月日も経って、軽井沢にふらっと出かけた際に、あるホテルで絵画の展示販売会をしていた。そこで見渡すと、F4号という小さめの絵であるが目にとまった。これもその色の乗せ具合と全体のイメージが気に入って衝動買いした。
安藤育宏「風車(オランダ・キンデンダルク)」 (F4号)
 
(こう話をしていると、私はよく絵画を買っているように聞こえるが、そうではなくてその気で買った3枚目がこれである)
 ところが、その作品が偶然にも安藤育宏作で、なんと20年前に買ったものと同一の人であったのである。まさに驚きの偶然であった。このために一気にこの作家に興味を抱くことになったのである。

安藤育宏(あんどうやすひろ) (1933-2010)
  1933年 宇都宮市生まれ
  1956-1960 一水会展に出品
  1962- 白日会展に出品(奨励賞他受賞、2004年中沢賞受賞)
  1976- 日本橋三越他にて個展32回
  フランス・イタリア等外遊15回
  白日会委員・審査委員
  日本美術家連盟会員
  千葉県松戸市に住み地域での絵画活動も盛んであった

  
Paris
安藤育宏「雨上がり・PARIS」 2004 油彩・キャンバス 97×130㎝ 
第80回白日会出展(中澤賞受賞)
(「日本の美術 画家が描いたヨーロッパ」 2004 美術年鑑社 より )

 私が惹きつけられる魅力は、キャンバス上の色彩の表現にある。多彩な色の純度が高く、それをキャンバス上で重ねていく。そして作り上げる色彩は深みとマチエールの美しさが何とも言えない魅力だ。

2

安藤育宏「レストランのある通り-パリ・モンマルトル」 1983 油彩・キャンバス F15号
  (私の所蔵品 ↑)

 これは、なんとか手に入れられた作品。タイトルどおり、モンマルトルの通りに面した味のある建物のレストランを描いている。日本人にとってはパリの一つの魅力でもある歴史ある美しい建物の並ぶ通りの一風景であるが、その情景を非常によく感じ取れる。彼は決してたゞ写実的に描くのでなく、印象を表現する色彩の妙が私にとって魅力なのだ。
 現在は、生前彼の住んでいた千葉県松戸市関係に、画伯としての活動によりその流れを受けた人々が絵画を愛した活動を展開している。

 安藤育宏に関しての私の持っている情報は少ない。一昨年に亡くなられて、私も諸々の情報を得る機会を失ってしまっている。しかしこうして残された作品には彼の心が見えて実に私は嬉しいのであるが、どなたか何かを教えてくれると有り難いのであるが・・・・・。

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2012年5月17日 (木)

サンタナSANTANAの久々のオリジナル・ニュー・アルバム「SHAPE SHIFTER」

サンタナが郷愁漂う人生賛歌の世界で優しくなって登場(3部作の第1作か?)

SANTANA 「SHAPE SHIFTER」
SONY MUSIC  76692 99966 2 ,  2012

Shapeshifter

 女性ドラマーのシンディ・ブラックマンと結婚してハッピーなカルロス・サンタナ、いやはや久しぶりのサンタナ・バンドとしてのインストゥメンタル・アルバムの登場です。あの超ヒット・アルバム「スーパー・ナチュラル」で、多くの多彩なミュージシャンとのコラボレートしての大成功、彼の多芸が成し得た結果だと思うが、それによって逆にバンド本来のスタジオ・アルバム作りはお預け状態でした。あれから13年ぶりにここにテーマを持ったニュー・アルバムが届いた。
 これはこの後2作が続いてリリースされるらしく、どうも3部作の第1号という感じである。

Calsantana1. Shape Shifter
2. Dom
3. Nomad
4. Metatron
5. Angelica Faith
6. Never The Same Again
7. In The Light of a New Day
8. Spark of the Divine
9. Macumba In Budapest
10. Mr. Szabo
11. Erez La Luz
12. Canula
13. Ah, Sweet Dancer

  上のように全13曲が収録。2.と13.の2曲を除いて全てカルロス・サンタナのオリジナル曲。

 このアルバムはアメリカン・インディアンの関わりであろうか?、アルバム・タイトル曲”shape shifter”からスタートする。なんとなくイントロはacギターで民族的雰囲気を醸し出す。次第にelecギターとキーボードの掛け合いが始まって、サンタナの世界が始動する。
 おやおやもう2曲目”dom”からギターの音色は哀愁のパターン。
 3曲目”nomad”が流れてくるかが、リズムは決してスローではないが、例の情熱のラテン・リズム・タッチではない。ギターが多彩に歌い上げる。
 ”angelica faith”は、カルロスのギターが優しい世界を描いてみせる。彼の近年の私から見ると”感謝”という世界観が見えてくるとこる。
 続く”never the same again”も激しい情熱という世界でなく、どことなく優しい感謝の歌である。さらに”in the light of a new day”も、更に更に”spark of the devine”と同様に優しさ溢ふるる世界。カルロスのギターが歌ってくれる。
 ”macumba in budapest”なんかは、久々にボンゴ、コンガが鳴り響くが、完全に郷愁のブタペストといった感じだ。
 10曲目”Mr.szabo”にくると、なかなかカルロスのアコースティック・ギター・テクニックが繊細に心に訴えてきて楽しめる曲。いやはや昔のワイルドな感じは全くない。
 ”erwz la luz”は全曲の流れでスタートするが、初めてヴォーカルが入る。やはりどこか郷愁を誘う展開。
 ”canula”カルロスお得意の哀愁のヨーロッパ調の泣きのギターで聴かせる曲。
 ラストは”ah, sweet dancer ”、ピアノが美しく、ギターが美しく、人生に感謝の曲だ。

 今回のニュー・アルバムは、過去の情熱のラテン・ロックのイメージはない。そうかと言ってジャズっぽくもなく、又光明を求めての宗教的世界でもない。カルロス自身の新婚生活から生まれる感謝の心なのだろうか?。
 しかし、ここに見るはサンタナ・バンドというより、カルロス・サンタナの”人生の賛歌”という感じに受け止められた。アルバムとしては纏まった良盤。(しかし、このアルバム・ジャケ・デザインは何とかならないのだろうか?このアルバムのイメージからもマイナスにしか思えない)
 

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2012年5月16日 (水)

意外性で登場したアルバム:トルド・グスタフセンTord Gustavsen Ensemble 「Restored,Returned」

成功作か失敗作か~私は戸惑いで迎えたアルバムだった

Tord Gustavsen Ensemble 「Restored,Returned」
ECM Records  ECM 2107 B0013911-02,  2009
Recorded January 2009  Rainbow Studio,Oslo

Ensemble

 ノルウェーのジャズ・ピアニストのトルド・グスタフセンに焦点を当てて、私のお気に入りを紹介してきたが、既に4枚のアルバムを取り上げたので、ここまできたらこれも紹介して取りあえずの締めくくりをしておこうと言うところである。

 とにかく、彼のピアノ・トリオの詩情豊かな作品は他に類をみない。そんな流れで、2009年に突然出てきたアンサンブルと銘打ったこのアルバムは驚きでもあり戸惑いでもあった。ピアノ・トリオ(bassが変わったが)にサックスが加わった上に、女性ヴォーカルも加わったのであるからいささか別世界の感覚に陥ったのだっだ。

Ensemblemembers *

Tore Brunborg : saxophones
Kristin Asbjornsen : vocals
Tord Gustavsen : piano
Mats Eilertsen : double-bass
Jarle Vespestad : drums

Ensemblelist  左のような全11曲。このアルバムを初めて聴いた時に、スタートの”the child within”の曲から、旋律を静かではあるがソプラノ・サックスが奏で始め驚かされた。
 2曲目”way in”は、いつものピアノ・トリオのパターンで流れる。これも素晴らしい間の取り方で、ピアノの語りの間に、シンバルの音、ベースの音が物語りをするがごとく響き渡る。うーん、このパターンはトルド・グスタフセンだと聴き入ってしまったのだが・・・。
 なんと3曲目”lay your sleeping head,my love”に入るなり、女性ヴォーカルが入ってくる。それも中低音のやや絞るようなハスキーな歌声で、それでも高音部はすんなり伸びるタイプ。これがアンサンブルの実験開始か?、後の5.7.8.11と彼女のヴォーカルが登場する。
 アルバム・タイトル曲”restored,returned”は、まさに異様な世界に導く。彼女のハスキーな声が、なおそれを助長する。又グスタフセンの過去の3枚のトリオ・アルバムにみる哀愁・郷愁が、ここでは暗く闇に入るがごとくに聴こえてくる。彼女の絞り声は、グスタフセンの曲のネガティブの面を前面に出すがごとき役割を果たす。
 ”left over lullaby no.1-3”は、彼女のヴォーカルがアンサンブル(合奏曲)の楽器のごとく位置を占めて曲を構成する。これも一つの試みであったのであろう。しかしそこまでしなければならなかったよってくるところに疑問もある。
 しかし全曲グスタフセンによるものだけあって、アルバムとしてのトータルな哀愁と陰影・憂鬱の表現はバランス取れて出来上がっている。
 10曲目の”your crooked heart”はトリオ演奏での歪みの美しさと行ったところか。やはりこのパターンになるとピアノが美しい。10曲目”the gaze”が、ヴォーカル抜きのカルテットの形を作り上げている。

 このアルバムは初めて聴いたときには、過去のトリオとの発展形なのか亜型なのか、受け入れる私にとっては戸惑いでもあった。現在に於いては、この後のアルバム「The Well」がこのメンバーによるヴォーカル抜きのカルテットによって作られており(参照:2012.5.1”トルド・グスタフセンのカルテット・アルバム「the Well」” http://osnogfloyd.cocolog-nifty.com/blog/2012/05/tord-gustavsen-.html )、ほっとして聴く事が出来たことを付け加えておく。

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2012年5月14日 (月)

絵画との対峙-私の愛する画家(1) 「相原求一朗」-4-

抽象か?具象か?を乗り切った相原求一朗

 まず、参考までに、相原求一朗が絵画の道に情熱を持ち、猪熊弦一郎に師事した直後の作品を見ておこう。

Photo_2

相原求一朗「白いビル」 油彩・キャンバス  1950 72.5×90.5㎝ 
   (「相原求一朗作品集」1977 日動出版部 より)

 これは彼の初期の作品(1950年)。第14回新制作派協会展出品作で、マチスの影響を受けた猪熊弦一郎(1902-1993, 東京美術学校にて藤島武二に師事、1936年新制作派協会設立、1955年ニューヨークに拠点を持ち、抽象の世界に移る)に師事しての直後で、初入選となったもの。
 これは彼の一つのスタートとしての記念作といってもよいと思うが、抽象化の世界が見えている。この後次第に師の指導の下に更に抽象化は進んだ作品となる(参考:前回紹介「ハイライド」1956)。

Photo (←) 相原求一朗「船台」1959 油彩・キャンバス 162.0×130.5㎝ (「相原求一朗作品集」1977 日動出版部 より)

 相原求一朗の抽象化路線、それは見たものそのものを写実的に描くのでなく、対象を簡略化し造形の組み立てを重視した構成主義的作品と評されている。
 しかしその流れが続く中で、彼自身には次第に絵画への姿勢や作品そのものの質に疑心暗鬼が生まれるのみで、そして彼の混迷期に突入したわけである。

 混迷期に陥った要素はその他にもあったようだ。彼がモダニスム路線の新制作派協会にあって、当時海外からも新しい絵画のスタイルが押し寄せてくるという日本でも激動の美術界の中で、師の猪熊は米国に移ってしまい、自己を見いだせないままに作品は落選を繰り返していた。一方家業を継いでの日常生活で、絵画制作に生活が二股状況にもあり集中度に障害があった。絵画作家としての最大のピンチに陥ったわけである。

 こんな時を脱出できたのは北海道の世界であった。その時の状況に焦点をあててみたい。まずは彼の当時を振り返っての著述をここに紹介する。↓

****** (1959年40歳)  私は昭和三十四年(1959)頃から絵画制作に対し、大きな疑問が次々と生まれて、思うように絵が描けなくなってしまった。この頃、抽象芸術が一世を風靡し、具象から抽象に転向する画家が多かった。時流におされて、私も当然抽象に傾いたが、それは自分本来の欲求と言うより風潮におくれまいとする安易な迎合の心理が作用した事も否定できない。

****** (1960年41歳)  相変わらず絵が描けない苦しい日々が続いた。画架に向かっても空虚で構想も湧かなかった。何故に描けないのかと考えてみても、根本的に解明されぬまま絵筆が握れなかったのである。抽象の金縛りにかかって、ただ悶々とした日々が過ぎていた。
 私は1961年の秋、北海道旅行に出かけてみたのである。北海道の風土はおおらかで美しかった。そして、狩勝峠からのあの雄大な展望に接したのであった。その狩勝の展望こそ、私の今日に至る芸術思考に転機を与えてくれた唯一のモチーフであった。褐色の地面に点在する白樺や銀色に輝くすすきの穂波、紅に染まった灌木の林、鈍重な緑の蝦夷松群の色面構成はそのまま抽象の画面であった。しかし、そこに展開する風景は明らかに具象の世界なのである。私は、この雄大な抽象風景に心酔しながらそこに具象的な表現動機を見いだし、翻然として私の心象と融合し始めたのであった。
 かって多感な青春時代を過ごした満州の広漠たる原野と、幼年時代に感じた関東平野の薄暮の幻影によって、失っていた自分を取り戻し、謙虚に自然への帰依となった。久しぶりに鬱ほつたる闘志が湧いてカンバスに向かったことである。翌年の新制作協会展には、この狩勝峠をモチーフにした「風景」(↓)を出品して新作家賞候補になり、さらにその翌々年、根釧の原野を描いた「原野」と「ノサップ」の二点を出品して新作家賞をとった。
(「相原求一朗作品集」1977 日動出版部 限定800部 より)

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相原求一朗「風景」 1962 油彩・キャンバス 131.0×162.0㎝
   (「相原求一朗作品集」1977 日動出版部 より)

 これは北海道に自己を発見しての作品(新作家賞候補)。
 この後、彼の精力的な活動は海外の至るところに広きに及んだ。しかし究極は北海道、北フランス(ブルターニュ、ノルマンディー)が彼の作品の中核をなすに至る。

Photo_3

相原求一朗「すけそうだらの詩(ノサップ)」 1968   油彩・キャンバス 130.0×193.8㎝
   (「相原求一朗作品集」1977 日動出版部 より)

 こうした流れで彼の第二期は充実し、詩情ある作品を多く残した(参照:相原求一朗-3- http://osnogfloyd.cocolog-nifty.com/blog/2012/05/post-a281.html)。この時代が私の最も好きな作品群である。(たまたま私が入手出来た作品もこの時代の1972年制作であった)
 
 そして1980年以降(第三期)は、彼の総決算とも言える人生を達観したかのごとくの姿が表現されたガッシリとした抽象とは一線を画す世界が描かれるようになる(参照:相原求一朗-2- http://osnogfloyd.cocolog-nifty.com/blog/2012/05/post-6100.html)。

 相原求一朗の絵画の三期の変化には目を奪うほどのそれぞれの個性ある強烈な世界がある。しかしそれが人ひとりの人生としてみるに興味深いのである。

(絵画の公開 : 著作権法第三十二条に準じています)

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2012年5月12日 (土)

絵画との対峙-私の愛する画家(1) 「相原求一朗」-3-

心に響く実際の風景を抽象か具象かを超越して描く相原作品

 相原求一朗を語って三回目(通算四回目)となってしまった。ここでは私の注目する絵画を登場させる。
 求一朗は本名久太郎であり、父の家業を継いだ際には、世襲により茂吉と改名している。そして1965年46歳に雅号を求一朗としている。これは彼が目標が定まって本格的に絵画に集中したときである。
 
  以下は、混迷期を経て、1961年北海道に自己の世界を見いだし、それ以降から1970年代の彼の意欲溢るる時(彼の第二期)の作品群(北海道及び北フランス)である。 (鑑賞:クリック拡大)


(1)

Photo_2
相原求一朗「道-北国の町角」 油彩・キャンバス 1974  112.0×162.4㎝
   (「相原求一朗作品集」1977 日動出版部 より)

 この作品は以前にも紹介したが、彼が北海道の地に自己の目指すものの発見が出来、最も集中した第二期(私の勝手な区分)の作品である。この頃には北フランスと北海道に集中的に足を運び制作している。
 彼の作品の生涯の一つの主題でもあるとも言える”道”を描いているが、画面の構成の骨格であると同時に、奥に流れてゆくこの情景の哀愁は他の追従を許さない。私の好きな作品でありここに登場させた。
 ここに描かれるものは抽象作品を経て又構成主義的アプローチも経て後に出来上がった一つの相原のパターンであると思う。そしてそれよりも大きなポイントは、厳しい北の国の生活の姿が情感を持ってこの一枚で物語っている。

(2)

Photo_3
相原求一朗「廃船のある風景」 油彩・キャンバス 1972 112.0×162.0㎝
   (「相原求一朗作品集」1977 日動出版部 より)

 上の「道-北国の町角」より二年前の作品。北フランスにての作品であるが、彼の心が表現されていると思う。彼の”道”を描く特徴がここにも出ているし、厳しい寒さに耐えての港の姿と、そこに生きる人間模様とが、彼の詩的情感に支えられて描かれている。色の深さにも圧倒される作品。

(3)

Photo_5
相原求一朗「大地・雪どけ」 油彩・キャンバス 1975 130.5×162.5㎝
   (「相原求一朗作品集」1977 日動出版部 より)

 北海道にみる厳冬の荒野は、彼の描く大きなテーマでもある。しかしこの作品には雪解けの姿が描かれ、ただ厳しい暗さのみでなく、春に向かう期待感を失っていないところが相原作品の魅力である。

  相原求一朗の作品の特徴としては、黒と灰色とが織りなす色との技が見事である。これに関しては・・・・・
 彼の作画技法の特徴として、美術評論家のたなかじょう氏によると、描くというより削る操作繰り返されている特徴があるという。まず一般的にはない下塗りの特徴としてアイボリ・ブラックが塗られていて下地は真っ黒な状態。そして半乾きの状態の時に各色の絵の具を乗せては削ってゆくという手法で、最初から中盤まではパレットナイフとローラーなどが使われ、筆は終盤になって使われるのだそうだ。下地が黒であり、乗せられた色がナイフで削られると黒が起こされてその効果が相原流の基礎にあるという。何色が何度も重ねられ削られた上で彼の色調が作られているというのである。
 これも彼が築いた一つの技法であり、そうした目で彼の作品に目を向けてみると、これも又趣が増すというものである。

(4)

Photo_8
相原求一朗「道-広い道」 油彩・キャンバス 1974 112.0×162.4㎝
   (「相原求一朗作品集」1977 日動出版部 より)

 北国の詩情が単純な世界に滲み出ている。

(5)

Photo
相原求一朗「風はやく」 油彩・キャンバス 1978  61.0×91.0㎝
(「AIHARA 初冬の便り-ブルターニュ・ノルマンディー」1979 日動画廊 (個展記念画集) 
より)

 北海道に通ずる世界を厳しい寒さの北フランスの海岸に見て取っていた相原の心情が溢れている。ドーバー海峡の荒磯に初冬に立つ求一朗の姿が見えてくる。この作品は1978年の当地への二度目の取材時のもの。
この旅にては、白い絶壁、ひっそりとした港、波際の灯台、どんよりとした空の下の初雪、荒地の丘、海沿いにじっと耐えて立つ家など多くが描かれた。又何枚かに人物が挿入されているが、ほとんどが奥に向かう背姿を描いている。

(相原求一朗の1960年代の転機について更に次回掘り下げたい)

(絵画公開することにまつわる著作権問題について)
  著作権法第三十二条 に準じて公開しています。ご意見があればご連絡下さい。

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2012年5月 9日 (水)

絵画との対峙-私の愛する画家(1) 「相原求一朗」-2-

冬の北海道の詩情を描く”相原求一朗心象風景画”は完成

Photo_2  左は、北海道河西郡中札内村にある「相原求一朗」美術館。1996年開館している。これは昭和2年に札幌軟石を使って建てられた歴史的建造物である旧帯広湯(古い銭湯)を移築・復元したものが本館だという(確かに対の2ケの入り口があるところが面白い)。これに加え新築の別館があるが、北海道をテーマとした絵画のみならず、ヨーロッパ(フランス中心)での作品展示の増築棟がある。
 私は、企画ものの相原求一朗展で実物の彼の絵画に接してきたが、その他、画集、パンフレットなどをもっているが、この美術館にはまだ訪れていない。何時かは必ず行きたいと思いつつ現在にある。

Photo_4
相原求一朗「天地静寂」 油彩・キャンバス 1994 80.5×130.3㎝
             ( 「相原求一朗の世界展」日動出版より )

 1980年以降の彼の第三期といえる北海道の雄大にして静寂な世界を詩情豊かでありながら安定した世界に描かれた作品。この作品の1994年というと、彼は75歳を過ぎてからの大作である。この90年代には、彼の創作意欲も盛んで、大作が多く残されている。彼の絵画人生の総決算としての北海道にみる心の形がこうなったのであろうと思うのである。ここには絵画としての悩みは全く感じられない。彼の到達した世界観のみが見えてくる。(クリック拡大で鑑賞して下さい)

Photo  彼が1961年に北海道に自己を見いだす前は、1948年29歳の時に、猪熊弦一郎に師事し、師の指導下で対象を写実的に描くのでなく、抽象の世界に流れ造形の組み立てを重視する一つの構成主義的な作品に傾倒していた。この頃は彼はかなりの意欲を持って絵画に向かっている。
(←)相原求一朗「ハイライド」 (部分) 油彩・キャンバス 1956   162.0×130.5㎝ (「相原求一朗作品集」1977 日動出版部より)


 しかし当時は抽象芸術が一世を風靡した頃であったが、そんな中で1959年なった頃、彼はそれに迎合しているかの姿勢に疑問を抱くようになり、思うように絵が描けなくなったという。抽象の世界に彼としての納得の完成域に到達できなかったのである。

 そして以前から(1954年から)父親の死によって埼玉糧穀株式会社を継いでおり、その仕事の関係で彼はよく北海道を訪れたようだ。
 そんな絵画に悩みの底にあった1961年、その北海道を訪れた時、札幌発帯広行きの急行列車が狩勝峠のトンネルを抜け出た時の狩勝の光景に接して、”これこそ抽象、しかも歴然と形がある”と、その地に、自己を主張できる対象を見いだして、1963年にはそのテーマに向かった作品「原野」「ノサップ」にて新作家賞を受賞し、彼の技法に悩んだ世界から、自己の心に響いた描く対象を如何に掴み描くかに変化してゆき、絵画との対峙法の悩みから一歩脱却したというのである。

( 私は実は、この彼の第二期である転換期の60-70年代時期の構成主義的ニュアンスの残った抽象からの具象の混在した詩情あふるる作品が好きである~前回取り上げた「自転車のある風景」、「道」など。たまたま私の手に入った小作品であるが「当別の教会」もこの時期のものだ。)

 美術ジャーナリストの藤田一人によると、50-60年代は一時代のダイナミズムを感ずる手法であったが、彼は当時の作家の中ではセカンドランナーとしての認識で苦悩していたと思われる。美術学校出身者でなく、親の家業を継ぎながらこつこつ描いていた彼には、時代の流行に憧れるとともに追従者でしかないという不安と、そこから脱却して独自の評価を得ることへの渇望は人一倍だっただろうと。雄大で厳しい北海道の自然という対象はそれを達成しようとしたのかもしれない。70年代は孤独と不安が見え、それが詩情豊かと表されたところである。そして80年代以降はがっちりとした構成とマチエールのもとに揺らぎのない安定した風景表現を展開したと解説している。

Photo_5
相原求一朗「浅間三月」 油彩・キャンバス 1993  91.0×116.7㎝
             (「相原求一朗の世界展」日動出版より)

 これは北海道の「天地静寂」とほゞ同時期の信州の浅間山のまだ到来しない春を待つ頃の作品。花もなく、新緑もなく厳しい冬を乗り切っての姿である。彼の評価も一つの段階に落ち着き、その中で彼は絵画というものに対しては何も躊躇(ためら)うところがない自己の無の境地に近いところで詩情を我々に示している。
 
(今回は第三期つまり相原求一朗の完成期の作品を主として紹介したが、更に次回はこれに至るその前期である第二期(私の最も好きな作品群がある)にもう少し焦点を当てる)

(注)今回のこのテーマにおける作品の公開は・・・以下の著作権法に準じて行いました。
<著作権法 第三十二条>
公表された著作物は、引用して利用することができる。この場合において、その引用は、公正な慣行に合致するものであり、かつ、報道、批評、研究その他の引用の目的上正当な範囲内で行なわれるものでなければならない。

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2012年5月 6日 (日)

絵画との対峙-私の愛する画家(1) 「相原求一朗」-1-

偶然出会った相原求一朗作品

               ****** [相原作品との出会い] *****

 私は、相原求一朗を知ったのはそれ程昔ではない。もともと絵画には興味があったが、それは主として油彩画を中心とした洋画ではあるが(自分でも時に暇つぶしに油彩画を自己流で描いてみてはいたが)、日本の作家は誰でも知っている有名な人を除くと、殆ど知らないに等しかった。
 それでも日本では、昔から好きなのは佐伯祐三で、昭和五十年頃には中央公論社の「日本の名画」26巻を揃えて、その23巻目が彼の特集であり、惚れ込んで眺めていたものであった。その頃には、そうした日本の洋画でも自分で所有するという欲望はなく、むしろ美術館や展覧会で眺めていることで満足していたのであった。(月刊誌では、「月刊美術」「一枚の繪」は昔から見ていましたが)

 ところが、私の友人が今から20年少々前に、手頃な値段でなかなか良いものがあるので買って家に飾ってはどうかと勧めてきた。それはドイツのヴンダーリッヒPaul Wunderlich のリトグラフであった。
Photo  取りあえず画商の家を訪れて、そのヴンダーリッヒを拝見したわけであるが、そのテーマの奥深さには圧倒された。しかも色合いも好きなタイプ。買うかどうしようか迷っていたときに、ふと目を横にすると、そこに極めて色合いが暗めであったが、一見灰色に見える色には奥深い色が含まれており、油絵のマチエールの素晴らしさと単純な対象のなかに何か訴えてくる4号という小さな絵が置いてあった(上)。画商に”私はこれが気になるのだが”と言うと、彼は”こうゆうのがお好きですか?”と言いながら値段を示した。ここに来た以上気に入ったら買ってみようという気があった為、これならなんとか私のへそくりで買えるかと思い、早速衝動買いしてしまった。それが相原求一朗の「当別の教会」という絵だったのである。
 こうして私は自分で買った絵から相原求一朗を知り、そして彼の作品に興味を持ったという段取りになるのである。

                          **********************************

Photo_2
相原求一朗 「漁港厳冬」 油彩、キャンバス 1977, 162.3×162.0㎝

 これは私の好きな1977年の作品。圧倒的迫力の断崖と雪と氷の厳冬の姿。凍り付いた海と岸が一体化した中で、港の建物と船が並んでいる。この光景を絵にしようとする求一朗の心に関心を持たざるを得ない。
 この作品が描かれた70年代は、彼の画風の転換期を経て自己を見いだしての自然との対峙の世界に没頭している頃のものだ(私は彼の第二期と呼ぶ)。

 彼の作品は当初はどちらかというと印象派に近い抽象の世界であったようだ(彼の第一期)。実際若き頃はマティスやピカソの影響を受けた作風であったという。その後抽象か具象かに悩んだ時期を過ごしていた。

Photo_3  60年代に北海道の自然に向かった時に自分の青春時代を軍務で過ごした満州での荒涼たる原野にての生活などの基盤もあってのことか、その北海道のどちらかというと厳しさに自己の世界を見いだしたという。
(左) 相原求一朗「道-北国の街角」1974(部分)

 そして60年代から70年代(彼の第二期)は、日本では北海道を中心に、そしてヨーロッパでも、華やかなパリでなく、やはり北の寂しさと厳しさのあるノルマンディー、ブルターニュ地方を交互に訪れ自己の世界を築き上げた。

 第二期の彼の対象には重要なものに「道」があり、そして「厳冬」、「荒野」、「荒涼たる世界」、「北国での生活」などが描かれる。
 ヨーロッパでは異国の一種独特な郷愁の感ぜられる世界を描いている(↓)。

Photo_4
相原求一朗「自転車のある風景」 油彩・キャンバス 1973, 162×162㎝

 スクエアなホーマットに手前の広場が大きく画面を占め、奥にヨーロッパ独特の町並み、そして小さいが白っぽい壁の前のポツンと置かれた自転車を描き込む。この自転車の効果がこの絵を魅力ある異国の風景として仕上げている。(私が見るに、これはノルマンディ地方のオンフルールの旧ドックと思われるが、多くはすぐ横の華やかな港のヨットなどを描き込むのであるが、それを敢えてしないところが彼の一つの世界なのか。この世界は恐るべき印象の違いである。)

 そして彼は、その後の80年代以降になると完全に雄大な北海道の”詩的世界”を描くに至っている。

 相原求一朗については、5年前のこのブログにて既に取り上げてはいるが(2007.1.3 今年の目標 : 絵画の世界http://osnogfloyd.cocolog-nifty.com/blog/2007/01/post_2d7c.html )、ここで彼の歩んだ道をも見てみよう。

1918年 埼玉県川越市に生まれる。生家は農産物の卸問屋で恵まれた環境
1936年 川越商業学校卒、商業美術担当教師から油彩学ぶ。美術学校目指すが稼業を継ぐ
1940年 21歳兵役、旧満州やフィリピンを転戦
1944年 フィリピンからの帰還途中、搭乗飛行機が墜落、重症を負い漂流していたが救助される
1948年 大国章夫に出会い、絵画に向かう
1948年 猪熊弦一郎に師事
1950年 「白いビル」で新制作展初入選
     その後約十年間自己の絵画に疑心暗鬼、落選を繰り返す
1962年 前年秋深まって、初めての北海道の札幌から帯広への旅、満州での体験などからその北海道の狩勝に自己の世界の対象を見いだし、以降この年から北フランスと北海道を中心に作品を描く
1963年 「原野」「ノサップ」が第27回新制作協会展新作家賞受賞
1968年 新制作協会会員、個展「北の詩」
1974年 第1回東京国際具象絵画ビエンナーレ招待出品「灯台」「峠の家」「明るい丘」
1975年 個展「北の詩」
1977年 「相原求一朗作品集」(日動)
1984年 埼玉文化賞受賞、「相原求一朗画集」
1987年 個展「北の風土’87」
1996年 川越市名誉市民、相原求一朗美術館開館
1999年 逝去

 ここに取り上げた絵画は、著作権の問題があろうかと思いますが、著作権法32条の”公表されたものを研究に引用する場合”を適応していると考えています。関係者から問題があればご指摘下さい。対応いたします。


                           (相原求一朗・・・・・続く)

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2012年5月 1日 (火)

トルド・グスタフセンTord Gustavsen のカルテット・アルバム「The Well」~思索を導き耽美の世界へ

サックスの加わったカルテットで描く郷愁と哀愁

Thewell 「Tord Gustavsen Quartet / The Well」 ECM Records   ECM 2237 B0016444-02 ,  2012

 ノールウェーのジャズ・ピアニストであり、私にとっては至宝扱いのトルド・グスタフセンに焦点を当てているが、このアルバムは彼のカルテット演奏の今年のニュー・アルバム。
 彼のトリオ3作は、私にとっては驚きに近い、過去のジャズ・トリオものとは一線を画した美しい旋律と静と郷愁と哀愁の叙情性豊かな作品であった。

(参照)2012.4.11”美旋律と哀愁の極致” http://osnogfloyd.cocolog-nifty.com/blog/2012/04/tord-gustavsen-.html
      2012.4.28”郷愁と哀愁の2アルバム検証”
http://osnogfloyd.cocolog-nifty.com/blog/2012/04/tord-gustavse-1.html

Thewellmembers  さてこのアルバムのメンバーは、Tore Brunborg のテナー・サックスが加わってカルテットとなり、トリオ時代の3アルバムにおけるベースは変わっている。

   Tore Brunborg : tenor saxophone
   Tord Gustavsen : piano
   Mats Eilertsen : double-bass
   Jarle Vespestad : drums

 そしてその作風はカルテットになって変化はあったのであろうか?。

Thewelllist2  収録曲は11曲(左)。全てトルド・グスタフセンによるもの。従ってかってのトリオ3作と基本的には同じ流れを感ずる。

 冒頭の”preludo”そして続く”playing”の2曲は、従来のトリオの郷愁のパターン。
 3曲目の”suite”は8分以上の曲。例のごとくグスタフセンのピアノが静かに流れ、弓引きによるベースがムードを高め、それに続いて哀愁あるテナー・サックスが登場し流れてくる。ここに来てトリオと違った世界が生まれるわけだが、このあたりにグスタフセンの前進的アプローチを感ずることが出来る。しかし、究極は郷愁を感じさせてゆくところはやはり彼の曲なのだ。
 ”communion”に於いては、サックスを前面に出して旋律を奏で、ピアノが後押しをしてゆくパターンをとるが、やはり”静であり聖である感覚”に導くところは同じである。
 そして”circling”、”gasgow intro”は再びピアノが静を奏でる。
 7曲目”on every corner”、8曲目のアルバム・タイトル曲”the well”は、このアルバムのカルテット演奏の目指す究極のかたちなのであろうか、ピアノ、サックスが交互に美しく旋律を歌い上げる。
 しかし、最終曲”inside”の深遠な世界は凄い。

 いずれにしても、このグスタフセンのアルバムは、郷愁と哀愁を叙情的に描くところはトリオにしてもカルテットにしても同じである。ただ私の印象としては、表現法が適切かどうか疑問だが、トリオもののピアノを主とした響きは10代~20代の青春時代の郷愁で、カルテットのサックスの音を生かしたパターンは30歳代以上の郷愁と言った世界であった。
 

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