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2012年5月 6日 (日)

絵画との対峙-私の愛する画家(1) 「相原求一朗」-1-

偶然出会った相原求一朗作品

               ****** [相原作品との出会い] *****

 私は、相原求一朗を知ったのはそれ程昔ではない。もともと絵画には興味があったが、それは主として油彩画を中心とした洋画ではあるが(自分でも時に暇つぶしに油彩画を自己流で描いてみてはいたが)、日本の作家は誰でも知っている有名な人を除くと、殆ど知らないに等しかった。
 それでも日本では、昔から好きなのは佐伯祐三で、昭和五十年頃には中央公論社の「日本の名画」26巻を揃えて、その23巻目が彼の特集であり、惚れ込んで眺めていたものであった。その頃には、そうした日本の洋画でも自分で所有するという欲望はなく、むしろ美術館や展覧会で眺めていることで満足していたのであった。(月刊誌では、「月刊美術」「一枚の繪」は昔から見ていましたが)

 ところが、私の友人が今から20年少々前に、手頃な値段でなかなか良いものがあるので買って家に飾ってはどうかと勧めてきた。それはドイツのヴンダーリッヒPaul Wunderlich のリトグラフであった。
Photo  取りあえず画商の家を訪れて、そのヴンダーリッヒを拝見したわけであるが、そのテーマの奥深さには圧倒された。しかも色合いも好きなタイプ。買うかどうしようか迷っていたときに、ふと目を横にすると、そこに極めて色合いが暗めであったが、一見灰色に見える色には奥深い色が含まれており、油絵のマチエールの素晴らしさと単純な対象のなかに何か訴えてくる4号という小さな絵が置いてあった(上)。画商に”私はこれが気になるのだが”と言うと、彼は”こうゆうのがお好きですか?”と言いながら値段を示した。ここに来た以上気に入ったら買ってみようという気があった為、これならなんとか私のへそくりで買えるかと思い、早速衝動買いしてしまった。それが相原求一朗の「当別の教会」という絵だったのである。
 こうして私は自分で買った絵から相原求一朗を知り、そして彼の作品に興味を持ったという段取りになるのである。

                          **********************************

Photo_2
相原求一朗 「漁港厳冬」 油彩、キャンバス 1977, 162.3×162.0㎝

 これは私の好きな1977年の作品。圧倒的迫力の断崖と雪と氷の厳冬の姿。凍り付いた海と岸が一体化した中で、港の建物と船が並んでいる。この光景を絵にしようとする求一朗の心に関心を持たざるを得ない。
 この作品が描かれた70年代は、彼の画風の転換期を経て自己を見いだしての自然との対峙の世界に没頭している頃のものだ(私は彼の第二期と呼ぶ)。

 彼の作品は当初はどちらかというと印象派に近い抽象の世界であったようだ(彼の第一期)。実際若き頃はマティスやピカソの影響を受けた作風であったという。その後抽象か具象かに悩んだ時期を過ごしていた。

Photo_3  60年代に北海道の自然に向かった時に自分の青春時代を軍務で過ごした満州での荒涼たる原野にての生活などの基盤もあってのことか、その北海道のどちらかというと厳しさに自己の世界を見いだしたという。
(左) 相原求一朗「道-北国の街角」1974(部分)

 そして60年代から70年代(彼の第二期)は、日本では北海道を中心に、そしてヨーロッパでも、華やかなパリでなく、やはり北の寂しさと厳しさのあるノルマンディー、ブルターニュ地方を交互に訪れ自己の世界を築き上げた。

 第二期の彼の対象には重要なものに「道」があり、そして「厳冬」、「荒野」、「荒涼たる世界」、「北国での生活」などが描かれる。
 ヨーロッパでは異国の一種独特な郷愁の感ぜられる世界を描いている(↓)。

Photo_4
相原求一朗「自転車のある風景」 油彩・キャンバス 1973, 162×162㎝

 スクエアなホーマットに手前の広場が大きく画面を占め、奥にヨーロッパ独特の町並み、そして小さいが白っぽい壁の前のポツンと置かれた自転車を描き込む。この自転車の効果がこの絵を魅力ある異国の風景として仕上げている。(私が見るに、これはノルマンディ地方のオンフルールの旧ドックと思われるが、多くはすぐ横の華やかな港のヨットなどを描き込むのであるが、それを敢えてしないところが彼の一つの世界なのか。この世界は恐るべき印象の違いである。)

 そして彼は、その後の80年代以降になると完全に雄大な北海道の”詩的世界”を描くに至っている。

 相原求一朗については、5年前のこのブログにて既に取り上げてはいるが(2007.1.3 今年の目標 : 絵画の世界http://osnogfloyd.cocolog-nifty.com/blog/2007/01/post_2d7c.html )、ここで彼の歩んだ道をも見てみよう。

1918年 埼玉県川越市に生まれる。生家は農産物の卸問屋で恵まれた環境
1936年 川越商業学校卒、商業美術担当教師から油彩学ぶ。美術学校目指すが稼業を継ぐ
1940年 21歳兵役、旧満州やフィリピンを転戦
1944年 フィリピンからの帰還途中、搭乗飛行機が墜落、重症を負い漂流していたが救助される
1948年 大国章夫に出会い、絵画に向かう
1948年 猪熊弦一郎に師事
1950年 「白いビル」で新制作展初入選
     その後約十年間自己の絵画に疑心暗鬼、落選を繰り返す
1962年 前年秋深まって、初めての北海道の札幌から帯広への旅、満州での体験などからその北海道の狩勝に自己の世界の対象を見いだし、以降この年から北フランスと北海道を中心に作品を描く
1963年 「原野」「ノサップ」が第27回新制作協会展新作家賞受賞
1968年 新制作協会会員、個展「北の詩」
1974年 第1回東京国際具象絵画ビエンナーレ招待出品「灯台」「峠の家」「明るい丘」
1975年 個展「北の詩」
1977年 「相原求一朗作品集」(日動)
1984年 埼玉文化賞受賞、「相原求一朗画集」
1987年 個展「北の風土’87」
1996年 川越市名誉市民、相原求一朗美術館開館
1999年 逝去

 ここに取り上げた絵画は、著作権の問題があろうかと思いますが、著作権法32条の”公表されたものを研究に引用する場合”を適応していると考えています。関係者から問題があればご指摘下さい。対応いたします。


                           (相原求一朗・・・・・続く)

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コメント

多分、己を知る旅なんじゃないでしょうか・・・

投稿: /ten | 2012年5月 6日 (日) 14時13分

 自分の世界を確立したいと葛藤しているときに、北海道という地に、自己を主張できる世界が見えた感動は我々の想像以上のものであったろうと・・・・

投稿: 風呂井戸 | 2012年5月 7日 (月) 09時51分

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