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2012年5月 9日 (水)

絵画との対峙-私の愛する画家(1) 「相原求一朗」-2-

冬の北海道の詩情を描く”相原求一朗心象風景画”は完成

Photo_2  左は、北海道河西郡中札内村にある「相原求一朗」美術館。1996年開館している。これは昭和2年に札幌軟石を使って建てられた歴史的建造物である旧帯広湯(古い銭湯)を移築・復元したものが本館だという(確かに対の2ケの入り口があるところが面白い)。これに加え新築の別館があるが、北海道をテーマとした絵画のみならず、ヨーロッパ(フランス中心)での作品展示の増築棟がある。
 私は、企画ものの相原求一朗展で実物の彼の絵画に接してきたが、その他、画集、パンフレットなどをもっているが、この美術館にはまだ訪れていない。何時かは必ず行きたいと思いつつ現在にある。

Photo_4
相原求一朗「天地静寂」 油彩・キャンバス 1994 80.5×130.3㎝
             ( 「相原求一朗の世界展」日動出版より )

 1980年以降の彼の第三期といえる北海道の雄大にして静寂な世界を詩情豊かでありながら安定した世界に描かれた作品。この作品の1994年というと、彼は75歳を過ぎてからの大作である。この90年代には、彼の創作意欲も盛んで、大作が多く残されている。彼の絵画人生の総決算としての北海道にみる心の形がこうなったのであろうと思うのである。ここには絵画としての悩みは全く感じられない。彼の到達した世界観のみが見えてくる。(クリック拡大で鑑賞して下さい)

Photo  彼が1961年に北海道に自己を見いだす前は、1948年29歳の時に、猪熊弦一郎に師事し、師の指導下で対象を写実的に描くのでなく、抽象の世界に流れ造形の組み立てを重視する一つの構成主義的な作品に傾倒していた。この頃は彼はかなりの意欲を持って絵画に向かっている。
(←)相原求一朗「ハイライド」 (部分) 油彩・キャンバス 1956   162.0×130.5㎝ (「相原求一朗作品集」1977 日動出版部より)


 しかし当時は抽象芸術が一世を風靡した頃であったが、そんな中で1959年なった頃、彼はそれに迎合しているかの姿勢に疑問を抱くようになり、思うように絵が描けなくなったという。抽象の世界に彼としての納得の完成域に到達できなかったのである。

 そして以前から(1954年から)父親の死によって埼玉糧穀株式会社を継いでおり、その仕事の関係で彼はよく北海道を訪れたようだ。
 そんな絵画に悩みの底にあった1961年、その北海道を訪れた時、札幌発帯広行きの急行列車が狩勝峠のトンネルを抜け出た時の狩勝の光景に接して、”これこそ抽象、しかも歴然と形がある”と、その地に、自己を主張できる対象を見いだして、1963年にはそのテーマに向かった作品「原野」「ノサップ」にて新作家賞を受賞し、彼の技法に悩んだ世界から、自己の心に響いた描く対象を如何に掴み描くかに変化してゆき、絵画との対峙法の悩みから一歩脱却したというのである。

( 私は実は、この彼の第二期である転換期の60-70年代時期の構成主義的ニュアンスの残った抽象からの具象の混在した詩情あふるる作品が好きである~前回取り上げた「自転車のある風景」、「道」など。たまたま私の手に入った小作品であるが「当別の教会」もこの時期のものだ。)

 美術ジャーナリストの藤田一人によると、50-60年代は一時代のダイナミズムを感ずる手法であったが、彼は当時の作家の中ではセカンドランナーとしての認識で苦悩していたと思われる。美術学校出身者でなく、親の家業を継ぎながらこつこつ描いていた彼には、時代の流行に憧れるとともに追従者でしかないという不安と、そこから脱却して独自の評価を得ることへの渇望は人一倍だっただろうと。雄大で厳しい北海道の自然という対象はそれを達成しようとしたのかもしれない。70年代は孤独と不安が見え、それが詩情豊かと表されたところである。そして80年代以降はがっちりとした構成とマチエールのもとに揺らぎのない安定した風景表現を展開したと解説している。

Photo_5
相原求一朗「浅間三月」 油彩・キャンバス 1993  91.0×116.7㎝
             (「相原求一朗の世界展」日動出版より)

 これは北海道の「天地静寂」とほゞ同時期の信州の浅間山のまだ到来しない春を待つ頃の作品。花もなく、新緑もなく厳しい冬を乗り切っての姿である。彼の評価も一つの段階に落ち着き、その中で彼は絵画というものに対しては何も躊躇(ためら)うところがない自己の無の境地に近いところで詩情を我々に示している。
 
(今回は第三期つまり相原求一朗の完成期の作品を主として紹介したが、更に次回はこれに至るその前期である第二期(私の最も好きな作品群がある)にもう少し焦点を当てる)

(注)今回のこのテーマにおける作品の公開は・・・以下の著作権法に準じて行いました。
<著作権法 第三十二条>
公表された著作物は、引用して利用することができる。この場合において、その引用は、公正な慣行に合致するものであり、かつ、報道、批評、研究その他の引用の目的上正当な範囲内で行なわれるものでなければならない。

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コメント

どうして絵画の人達は皆オリジナリティーに拘るのでしょうねえ。
セカンドランナーではいけないのでしょうか・・・?

 とずっと以前から思っていました。でも、今自分がオリジナリティーを求めています。なぜか分かりませんけれど、やっぱりオリジナリティーを持つと持たないとでは全然違うような気がします。それが自分発見の旅なのかもしれません。

投稿: /ten | 2012年5月 9日 (水) 22時26分

 /tenさん、お早うございます。昨夜はコメント有り難うございます。
 絵画、写真それぞれの分野にてもセカンド・ランナーから始まるのは、ごく自然のことですが・・・果たしてそのままで良しとするか、どこか空しさを感ずるかは・・・・人それぞれで良いのでしょうね。
 たゞそれに関わることが、その人の人生で一つの目的化したときには、オリジナリティーを自分で感じられなければ、果たしてその関わりに意義を感じられるかどうかです。・・・それもその人の感覚でよいのでしょうが??。

投稿: 風呂井戸 | 2012年5月10日 (木) 09時45分

彼は素の大自然を目の当たりにして、「時代の流行に憧れるとともに追従者でしかないという不安と、そこから脱却して独自の評価を得ることへの渇望は人一倍だった」ことへの卑しさを思い知った。誰に何と酷評されようと、この無我の大自然の様に、己の発する正直な気持ちのまま描く境地に達した・・・ という解釈は邪道でしょうか?

投稿: | 2012年5月10日 (木) 20時56分

あ、すいません。また名前入れるの忘れてました。
(注意喚起があると助かるのですが・・・)

投稿: /ten | 2012年5月10日 (木) 22時24分

<彼は素の大自然を目の当たりにして、「時代の流行に憧れるとともに追従者でしかないという不安と、そこから脱却して独自の評価を得ることへの渇望は人一倍だった」ことへの卑しさを思い知った。誰に何と酷評されようと、この無我の大自然の様に、己の発する正直な気持ちのまま描く境地に達した・・・ という解釈は邪道でしょうか?>

 上記コメント有り難うございます。紹介は一美術ジャーナリストの感覚ですから、このあたりはそれぞれの解釈があろうか思います。この狩勝の感動については相原求一朗自身の著述が残っていますし、そして描いた作品がありますので、いずれ又纏めて紹介いたします。芸術家の心は非常に興味深いです。

投稿: 風呂井戸 | 2012年5月10日 (木) 22時43分

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