謹賀新年 ショスタコーヴィチ交響曲第11番<1905年>
2014年は・・・・明けましてお目出度うございます
と、言っていられるのだろうか?
(アルヴァレスの騎馬像 ~ Batalha / Portugal 2013.11)
~今年の元旦に聴いた曲~
今年の元旦は、なんとなく襟を正した一日であった。そして先ずは聴いた曲はショスタコーヴィチ。まさにこれは”警鐘の曲”~考えてみれば久しぶりに聴く「ショスタコーヴィチの第11番<1905年>」 。私は今年こそは今までと違った警鐘を鳴らす年と思っているから・・・・・・。
この曲は、あの1905年のペテルブルグに起きたロシア革命の発端となった「血の日曜日」を描いた交響曲として旧ソ連において1957年初演。ショスタコーヴィチの交響曲の中では、この前の第10番に比べると極めて解りやすく描写的表現も取り入れられていて私は長く親しんできた。しかし昨年はおそらく一度も聴かなかったのではと?、ふと思いつつ・・・・・・このところの日本や近隣諸国の流れの中に於いて新年のスタートにはふさわしい曲として聴くことになった。
ロシアにおける悲劇のこの「血の日曜日」は、大いに日本と関係している。それは日露戦争のまっただ中で起きた事件であった。純朴な労働者達の20万人を超す誓願行進に軍隊の発砲が有り3000人以上の死傷者が出た事件である。
<classic> ショスタコーヴィチDmitry SHOSTAKOVICH
「交響曲 第11番作品103<1905年>」
ELIAHU INBAL WIENER SYMPHONIKER
COLUMBIA coco-70826
(この交響曲の背景に迫る)
大日本帝国とロシア帝国との日露戦争(1904.2~1905.9)はロシアにとっては国内的にも打撃は大きかった。日本軍に対する相次ぐ敗北とそれを含めた帝政に対する民衆の不満が増大、戦争状態は労働者への重圧を生み、インフレ状態の経済も停滞の一途をたどっていた。1905年1月9日日曜日にペテルブルグにおいて指導者には諸々の思惑があったとはいえ、ストライキを始め、20万人の皇宮に対して誓願行進が行われた。請願の内容は、労働者の法的保護、当時日本に対し完全に劣勢となっていた日露戦争の中止、憲法の制定、基本的人権の確立などで、戦争下の貧困の生活苦に更に搾取に苦しんでいた当時のロシア民衆の素朴な要求を訴えたものだった。
当時のロシア民衆は、皇帝崇拝の観念をもっていて、皇帝の権力は王権神授であり又キリスト教(正教会)の守護者である信じていた。このため民衆は皇帝ニコライ2世への直訴によって何らかの改革が成されると信じていた。しかしこの大衆行動に対しての軍隊の発砲による血の海になったこの事件(血の日曜日)の結果、皇帝崇拝の幻想は打ち砕かれ、後にロシア第一革命と呼ばれた全国規模の反政府運動の引き金となったのだ。
こんな状況を描いたと言われるこの交響曲、レーニン賞を受賞することになるが、果たしてショスタコーヴィチは単純に”ロシア革命礼賛”に終始したのであろうか?、彼のそこに到る多くの作品をみるに決してそれだけに終わっていないとみるのが正しいと思う。かって真偽において問題となったソロモン・ヴォルコフ編「ショスタコーヴィッチの証言」(参照http://osnogfloyd.cocolog-nifty.com/blog/2010/03/post-b181.html)を見るにつけても、彼の人間的苦悩の表現との兼ね合い、スターリン批判と革命の犠牲となった同時代の人への鎮魂、そして人間論とともに常に社会の不安を感じている表現に注目すべきだ。
彼の描くこの交響曲第11番の主題は第Ⅳ楽章にあるとみるべきだろう。これには多くの評論家もその点を指摘している。体制が如何に変わろうとも社会は動乱をはらんでいる。そしてそれへの”警鐘”であるとみるのは大きく外れた見解では無いと思う。時にこの交響曲完成の一年前1956年には、ソビエト軍によるハンガリーの自由化運動の鎮圧事件(ハンガリー動乱)が起きている。これにはロシア帝国専制国家の”血の日曜日”と現革命政府の流血鎮圧”ハンガリー動乱”行為の双方の「類似性」が彼の眼には写っていたに相違ない。常に帝国主義、革命政府と形態が変わろうとも専制政治や迫害といった”悪”は、彼の貫くテーマになっており、それは時代を超えて普遍的であることを知るべきだ(ローレル・E・ファーイ著「ショスタコーヴィチ~ある生涯」 (参考)http://osnogfloyd.cocolog-nifty.com/blog/2010/03/post-b798.html)。そこに彼の作品の価値を知らねばならないのだろう。
しかし、この交響曲の第Ⅰ楽章にみる凍てついた真冬の光景を描く導入部は素晴らしい。そして第Ⅱ楽章の惨劇の描写、第Ⅲ楽章の革命歌と葬送行進曲など、非常に解りやすく密度の高い曲が襲ってくる。
新年早々今年はショスタコーヴィチで過ごしている私である。
(参考) 「日露戦争」
この日露戦争は、19世紀末。日清戦争の結果、「眠れる獅子」と呼ばれた清帝国が実際には既にその力を持っていない事を知った列強は、帝国主義の原則に則って清を分割統治しようとした。これに対しての義和団の乱が発生、各国は対抗して清帝国領域内に派兵を行った。これには8ヶ国が関係し、日本もそのうちの1国であった。中でもロシアは満州に大軍を送り込み、乱の終了後もそのまま駐留する構えを見せた。撤兵を行わないロシアに対し、日本は異議交渉を進めたが、ロシア側は満州支配のみならず朝鮮半島北部へも進出を企てた。これは日本にとっても脅威で有り明治政府首脳は、開戦の決断に追いやられた。これはロシアとはげしく対立していた大英帝国と日本の同盟関係が出来上がっていた事も大きく影響した。
しかし圧倒的優勢とみられたロシアのバルチック艦隊が日本海海戦において日本の連合艦隊により壊滅的敗退となった事は、ロシア帝国にとっては、ユーラシア大陸に於けるトルコ支配の試みにマイナスとなり、支配下にしたポーランド、フィンランドに反抗の勢いを生ませた結果にもなった。
(参考) http://osnogfloyd.cocolog-nifty.com/blog/2010/03/11-8bab.html
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