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2015年10月 9日 (金)

映画 時代劇回顧シリーズ(2) <仙台藩伊達家物語>中村錦之助「独眼竜政宗」・嵐寛寿郎「危うし!伊達六十二万石」    -私の映画史(16)-

娯楽映画として、時代劇の華の時代(1950年代)の
     ”伊達六十二万石物語”2作

 とにかく1950年代というのは、最も映画界は華々しかったと言って良い。それは戦後1945年、日本は敗戦国としてGHQ(連合国軍最高司令官総司令部)の占領下で、CIE(民間情報教育局)、CCD(民間検閲支隊)などから日本映画は検閲を受け、特に戦前の娯楽映画の筆頭であったチャンバラ時代劇は、危険なもの(軍国主義)として禁止されていた。 そして1951年になって講和条約成立により、ようやく自由に映画が作れる時代に入り、娯楽映画の冴えたるものの時代劇映画の華々しい復活の時代を迎えることが出来た為だ。
 戦前の阪東妻三郎、大河内傳次郎、片岡知恵蔵、嵐寛寿郎、市川右太衛門、長谷川一夫らも復活したわけだが、若きニュー・スターの誕生もみた。その筆頭格が1954年デビューの中村錦之助(後に萬屋錦之介)だ。

東映映画 中村錦之助「独眼竜政宗」
                        昭和34年(1959)作品

  監督:河野寿一    キャスト: 中村錦之助(伊達政宗)
  企画:辻野公晴          月形龍之介 (伊達照宗)
      小川貴也          岡田英次  (片倉小十郎)
  脚本:高岩肇                  大河内傳次郎 (勘助)
  撮影:坪井誠            佐久間良子 (千代)
  美術:鈴木孝俊          大川恵子   (愛姫)
  音楽:鈴木静一          浪花千栄子 (喜多子) 

Web

 とにかく1950年代後半は、時代劇で花を咲かせた東映は映画業界トップに躍り出た。そしてその主役が中村錦之助で、娯楽チャンバラ時代劇の華であった。社会はようやく娯楽を求めることに向き合えた時代になった一つの姿であった。
 錦之助の戦国武将ものでは、これは織田信長役に次ぐもので、見事な演技を見せたのがこの「独眼竜政宗」であった。言うならば彼の演技派へのスタートでもあったもの。翌年には「親鸞」、その後は「宮本武蔵」と流れていく。戦後の時代劇の歴史は彼の流れをみれば解るとまで言われる。
Photo
 この映画の物語は、戦国乱世から豊臣秀吉により統一に向かっていた時代のもの。秀吉にとっては陸奥の伊達家の知勇ともに優れた政宗(錦之助)は一つの難物であった。そこで秀吉は暗殺団を送り、政宗を襲う。政宗はその一味の矢を右眼に受けて重症を負いながらも壮絶な闘いを果たし、生き延びる。この壮絶な闘いシーンは当時話題になったもの。
 政宗は難をなんとか逃れ、その後父親照宗や侍医などから心配なく回復し失明は逃れるとの話で、期待を持ちつつ治療に専念。回復宣言の二日前に待ちきれず、期待して眼を被った包帯をとって刀に映してみると、そこには回復どころか無残にも潰れた右目の醜い傷のみが見えた。その驚きと周囲からは治ると期待を持たされた事に裏切られた政宗の哀しく空しい胸中を見事に錦之助は演じた。その悲劇から奮い立つ政宗の姿を描いたもの。
 この映画は原作は無く、そもそも政宗の右眼は幼少時の病によって失明したと言われているのだが、それとは別にこの物語を作り出しての錦之助の演技を見せるべく脚本は書かれたのであろうと思う作品であった。まあ典型的な娯楽作品そのものであったとも言える。

               ◇        ◇        ◇

新東宝映画 
嵐寛寿郎「危うし!伊達六十二万石」
                    昭和32年(1957年)作品

4脚本三村伸太郎
監督山田達雄
キャスト 嵐寛寿郎:伊達甲斐
      明智十三郎:松前鉄之助
      中山昭二:板倉内膳正
      高田稔:伊達安芸 
      日比野恵子:浅倉
      太田博之:亀千代

 さてこちらは、仙台藩伊達家の江戸時代に於けるお家騒動である”伊達藩3代伊達綱宗隠居事件”が物語。この物語の元は、日本の貴重な文化であった”講談”であり、お馴染みの逆臣悪役の原田甲斐を取り上げたもの。その悪人を正義の味方「鞍馬天狗」の颯爽とした格好良さを演じてきた嵐寛寿郎が演ずるところに、これも娯楽的には大きな興味が持たれた作品。

  とにかく嵐寛寿郎が演ずる頭脳明晰にして剣の腕は超一流の悪人である原田甲斐は、凄みと迫力においては満点。さすがは”アラカン”であった。
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 当時、映画制作の諸会社での話題は、嵐寛寿郎の殺陣の立ち回りにおいては、そのスピードと凄みなどにおいてNo1であったと評判であったとか。又この悪役を大スターが演ずることは、いろろいな意味でタブーとも言われたが、そこはアラカン、文句なく挑戦したようだ。そしてその脚本も甲斐の悪事が明確となり、伊達安芸邸での甲斐の刃傷のシーンが最も見せ場として作られている。
 伊達綱宗の江戸屋敷に於ける乱行により、幼き亀千代が家督を相続するわけだが、甲斐は亀千代を毒殺して兵部の息子市正を当主にと企てるが成功せず、老臣伊達安芸らの訴えにより窮地に陥いる。そこで甲斐は安芸を殺害の刃傷に及ぶも、松前鉄之助らに殺される。この刃傷沙汰から殺されるまでの甲斐を演ずる嵐寛寿郎の殺陣と立ち回りの迫力が、流れる浄瑠璃の音に乗って、見せ所として見事なシーンを作って終わる。

 映画の華々しい時代の仙台伊達藩に関する二つの時代劇を取り上げたが、これらは当時の日本に於ける「最高の娯楽であった映画」というもの姿が見て取れる作品である。つまり”文芸”・”芸術”というよりは文句なく社会が求めた”娯楽”なのであって、そうしたものが当時の多くの人達に求められ受け入れられたのであった。映画を評するに一流、二流という表現があるが、これらはまさに娯楽としての一流であったと言える。

 この後、戦後の混乱から立ち上がっての日本人は、ようやく社会に於ける自己を見つめることが出来るようになり、そして大衆運動の”60年安保闘争”が勃発。日本の戦後の最も重大な事件を経て、新しい時代を迎える。映画もそんな社会を反映して、次の時代に移ってゆくのであった。

(参考視聴) Youtubeに中村錦之助「独眼竜政宗」が見当たらないため、同年公開された戦国武将ものの「風雲児・織田信長」

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