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2015年10月17日 (土)

映画 時代劇回顧シリーズ(3) 勝新太郎「不知火検校」 / 60年安保闘争    -私の映画史(17)-

「60年安保闘争」時代の映画(時代劇)の変化

 戦後のとにかく生きることを目的とした時代を経て、日本人は世界を、社会を、人間を、見つめる時代までようやく辿り着いた。その流れは、戦後のあの戦争を反省し、苦しい中にも人間らしく生きようとする事の意義を見つけること、そんな中で唯一の娯楽としての映画。しかもそのなかの時代劇は善と悪との対比によって悪を格好良く懲らしめる美徳に溢れた娯楽ものの世界でもあった。つまりそうで無ければ生きる事の意義が見つけられないほど戦後社会は厳しい環境にあったと言える。そして1950年代の後半には日本も一つの繁栄の兆しを感ずる社会の姿が進行する。又一般国民の生活にはテレビ社会の登場も広がつて、映画も一つの頂点を迎えそして下降の流れに入る。

 1960年は、歴史的国内大事件の所謂「60年安保闘争」の勃発である。その最中に作られ公開された時代劇には過去のパターンを覆す映画の登場を見るに至る。

大映映画 勝新太郎「不知火検校」
                      (1960年9月公開)


2c43b6b5s制作:武田一義 原作:宇野信夫 脚本:犬塚稔 監督:森一生 撮影:相坂操一

 

(キャスト)
杉の市/勝新太郎、 生首の倉吉/須賀不二男、 鳥羽屋丹治/安倍徹、 勘次/光岡龍三郎、 不知火検校/荒木忍、 おきみ/山本弘子、 浪江/中村玉緒、 岩井藤十郎/丹羽又三郎、 おはん/近藤美恵子、 房五郎/鶴見丈二

 もともとこの『不知火検校』は、宇野信夫が十七代中村勘三郎のために執筆した歌舞伎芝居である。そして、1960年2月歌舞伎座で、中村勘三郎が七兵衛と検校の二役を演じて評判を呼んだ四幕十四場の芝居であった。
 とにかくこの映画の主人公杉の市というのは、徹頭徹尾の悪人で、按摩として身を立てる一方で、泥棒、詐欺、強請(ゆすり)、強姦、人殺しと、何に付けても極悪な悪事を働き、その果てなんと盲人の最高位である不知火検校にまで上りつめるという悪漢物語である。
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 こうゆう物語を”ピカレスク小説”とも言うが、もともとは16世紀にスペインで始まった小説で、ならず者というか悪人が主人公で、封建貴族の偽善を風刺したものらしい。そんな意味では、この映画は若干意味合いは異なっているが・・・・。

 まあとにかくこの悪人検校を演ずる勝新太郎が、こんなにピッタリなのには驚きを呼んだのだが、この映画の最後には取り巻いた群衆に石を投げられ、捕り方に縄をかけられ大八車に仰向けにくくられて市中引き回しで、それでも”馬鹿野郎”と叫び連れて行かれるという激しさであった。徹底徹尾、反省も良心の呵責もないのである。最後にこんな悪人がのさばった形で終わらせなかったところだけでも救いであったということか。

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 この映画を”ピカレスク・ロマン”という表現もあったようだが、”ロマン”というものではないだろうと思う。盲というハンディキャップを背負った人間を如何に擁護しようとも、この悪行三昧は評価されるモノではなかった。つまり「”悪”が人間になった姿」にむしろ驚いたというところが我々の感覚であって、これが不思議に”60年安保闘争”の社会に生まれたというところは、時代的産物としての評価もしておく必要があろうと思うのである。
 戦後15年にして、社会の変化と共に・・・・結果としては時代劇映画の新しい方向が見えたと言っていい作品だった。

                *       *      *      *      *      *

  < 60年安保闘争を振り返る >

 ちょっと今日のテーマの主軸が変わってしまった感がありますが・・・「2015年安保問題」が進行中の現在、取り敢えず参考回顧です。

60 1951年に締結された日米安全保障条約(安保条約)は、岸信介内閣により新安保条約の締結へと向かう。1960年5月20日、この新安保条約を岸内閣の自民党議員のみでの強行採決が行われ、”戦後ようやく築き上げてきた民主主義の危機”、”あの苦しい戦争が再び再来する可能性に対する危機感”、”強行採決というファシズムへの危機感”などに、日本社会党、日本労働組合総評議会(総評)、 原水爆禁止国民会議(原水禁)などが安保条約改定阻止のために結成した国民会議と、全日本学生自治会総連合(全学連)そして多くの市民が反対運動を展開。国会議事堂の周囲は連日反安保を掲げるデモ隊が取り巻いた。そして全学連主流派は国会突入などの行動も展開。
 もともと岸信介は戦前の東条内閣の閣僚でありA級戦犯容疑者になったこともあって、岸内閣の危険性から60年安保闘争の展開は、倒閣運動の性格を帯びつつも、「民主主義の擁護」「議会主義の擁護」へと自己を守る国民的運動となった大衆運動そのものだった。
 確かに岸信介は、警察、右翼支援団体、全日本愛国者団体会議、戦時中の超国家主義者も擁する組織も含めて、この国民的反対運動に対抗した。又更に陸上自衛隊の治安維持出動要請も行ったが、これは当時の赤城宗徳防衛庁長官の勇気ある拒否により行われなかった。
 条約は参議院の議決がないまま、6月19日自然成立したが、かって無かった歴史的大衆運動に次第に追い詰められた岸内閣は6月23日に総辞職を表明し退陣に至る。そして7月19日池田内閣が成立して、この反対運動も退潮の一途をたどった。
(写真:朝日新聞社「アルバム戦後25年」より

(参考映像~60年安保闘争)

(「不知火検校」予告編)

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