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2022年7月 1日 (金)

[好録音シリーズ] Three Blind Mice の思い出(1) : 鈴木勲「BLOW UP」,「BLUE CITY」

今でも色褪せない名演奏・名録音が聴けるTBMレーベル

826  今日は懐かしの話です。日本のあらゆる分野が上昇を目指していた1970年代、日本のジャズも例外でなく熱かった。私自身がジャズに興味を持ったのもその当時(実際には1960年代だが)で、フランスのジャック・ルーシェが、なんと「プレイ・バッハ」と称してバッハをジャズで演奏して見せた事だ(1959年1stアルバム、リリース →)。私はアメリカ独特の華やかさは肌に合わず、特にビック・バンドもののジャズは敬遠していたが、モダン・ジャズ・クァルテットのようなジャズにはなんとなく心を寄せていた頃であり、このスウィングとバロックの融合の示した繊細なる音楽と楽しく聴ける音楽ができあがったのは革命的なことであり感動した。そして日本においてもジャック・ルーシェの「プレイ・バッハ」が浸透するには、当時の今のような情報がすぐ手に入る時代ではないので、遅れて1960年から1970年という頃であった。そうはいっても私自身のジャズの世界はそう広がったわけでなく、ジャク・ルーシェと平行してキース・ジャレットの世界に傾倒してゆくのであったが、日本のジャズにはそれほど興味も無く経過していた。

 そんな私自身の歴史に登場したのが、TBMの愛称の「スリー・ブラインド・マイスThree Blind Mice」というレーベルの登場だ。ジャズ界の事は何も解らなかったが、「楽しいジャズ」「スイングするジャズ」「創造的なジャズ」「個性的なジャズ」を四本柱に、メインストリーム系のモダン・ジャズからビッグ・バンド、ヴォーカル、フリー・ジャズ、フュージョンまで、幅広いカテゴリーを網羅しての今田勝、山本剛、鈴木勲、金井英人、中本マリなど、それまであまりレコーディングの機会に恵まれなかったライヴ・シーンの実力者たちを積極的に起用し、日本のジャズ界に新風を吹き込んだのだ。その当時、粗末なオーディオ装置で聴いていた私にとって、びっくりするような音質に驚き、演奏者たちのことも知らずにただ単に手に入りにくいLPを、当時のローカルな地のレコード店を頼りに聴いたものである。

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 このレーベルTBMは、藤井武、佐賀和光、魚津佳也の3人により1970年6月に設立されたジャズ専門レーベルで、ほぼこの'70年代に新作リリースをしていて約130枚のアルバムをリリースした。社長の藤井武がプロデューサーを務めていて、特に評判の録音は神成芳彦が主として担当して、その高品質録音がオーディオ愛好家・ジャズ愛好家にもてはやされたのだ。
 日野皓正、ジョージ川口などもこのレーベルからLPをリリースしているが、なんといっても新進気鋭のミュージシャンを世に出した役割が大きく、鈴木勲(↑)、山本剛、中本マリ、植松孝夫などなどが初リーダー作をリリースしている。

 しかし時の流れは変化をもたらし、1980年代に入って、特にLPからCDへという流れの時となると、新作もわずかとなり外国産の有名ミュージシャンのアルバムが安く簡単に手に入る時代にはその話題性も失ってしまう事となった。その後、私も全く知らない状態となり、2014年にはこのTBMレコードは破産決定されている。

Xyzw  そんな経過でも'70年代にリリースされたこのTBMレーベルのアルバムは、その'80-'90年代、更に2000年になっても人気があって、廃盤となったものも超人気は続いており、中古市場の目玉商品であった。
 そんなことから、2006年から2007年にかけて23作品がSONY MUSICからSACD Hybridで再発売され再び話題となり、2013年から2014年にかけては、CD化されたアルバムをディスクユニオンの「THINK! RECORDS」から10回に分けて69作品が再発売されている。
 そして近年(2019年より)は初CD化も含めて「CRAFTMAN RECORDS」から注目作品はCDとして発売されており、なんと今年2022年5月には、超人気盤6タイトルのLPアナログ盤の復刻・再発も行われたのだ(右上)。

 まず私がこのレーベル盤を知ることになったベーシスト鈴木勲(1933年1月3日生まれ、今年89歳で現役だった)のアルバムを今回は取り上げる
 彼は今年2022年3月8日まだ活動中であったが、新型コロナウイルス感染症により肺炎発症、哀しいことに川崎市の病院において死去した。89歳だった。 
 

<Jazz>

ISAO SUZUKI TRIO/QUARTET 「BLOW UP」
CRAFTMAN RECORDS (tbm.15)/ JPN / CMRS-043 / 2019

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鈴木勲 (b,vc)
菅野邦彦 (p,el-p)
ジョージ大塚 (ds)
水橋孝 (b)
Recorded March 29,30, 1973
Recording Engineer : YOSHIHIKO KANNARI


(Tracklist)
1. Aqua Marine *
2. Everything Happens To me
3. Blow Up *
4. Like It Is 
5. I Can't Get Started 言いだしかねて
6. Low Flight *

*印 : composed by Isao Suzuki

 このアルバムは、当時の1973年度 スイングジャーナル ジャズ・ディスク大賞 日本ジャズ賞を受賞している。
 冒頭のM1." Aqua Marine"から圧倒的な迫力のベースがうなり、M3." Blow Up"は、圧巻のスピード感の鈴木勲のべース弦の弾き音、華やかに跳ね回るごとくの菅野邦彦のピアノ、繊細かつ大胆に炸裂するジョージ大塚ドラムス。ハードボイルド感覚を展開して、しかもトリオの楽しさを十分伝える当時としては最高峰の好録音。日本のジャズ界の名盤。

   ――――――――――

<Jazz>

ISAO SUZUKI QUARTET+1 「BLUE CITY」
CRAFTMAN RECORDS / JPN / CMRS-0053 /  2019

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鈴木勲 (b,cello)
菅野邦彦 (p)
渡辺香津美 (g)
井野信義 (b)
小原哲次郎 (ds)
Recorded March 4, 1974
Recording Engineer : YOSHIKO KANNARI

  傑作『Blow Up』(上記)に続く鈴木勲のリーダーアルバム。

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1. Body and Soul
2. 45th Street *
3. Play Fiddle Play
4. Blue City *
*印 : composed by Isao Suzuki

 M1."Body and Soul"は、歌心のベース音がリアルな音で響き、M3. “Play Fiddle Play” では演奏とハミングで訴える。前作に続き菅野邦彦のピアノが繊細と軽快さをもって響く、渡辺香津美のギターが負けじとアッピールしてくる。とにもかくにもジャスの格好よさが満載。好録音が聴きどころでもある。

(参考)・・・Wikipediaより
 鈴木 勲(すずき いさお、1933年1月2日 - 2022年3月8日)は、日本のジャズベース、コントラバス奏者及び作曲家。ニックネームはオマスズ、オマさん。東京都出身。
 立教大学在学中、来日したルイ・アームストロング・オールスターズの公演を聴き特にベース奏者のミルト・ヒントンに衝撃を受ける。1956年には米軍ベースキャンプで演奏を始める。その後松本英彦カルテット、渡辺貞夫グループに入り活動。また自己のグループ結成後ファイブスポット等でライブ活動を行う。1963年の「幻の銀巴里セッション」でも菊地雅章、富樫雅彦、金井英人とのセッションを残している。1970年、来日したアート・ブレイキーにスカウトされ渡米、ジャズ・メッセンジャーズ(英語版)の一員となり全米、欧州をツアー。帰国後TBMレーベルで『ブロー・アップ』(日本ジャズ賞受賞)等の名作を録音。 その後もジャンルを問わず多くの内外ミュージシャンと共演し、後年は日本の若手ミュージシャンの教育にも力を注いだ。豪快さの中に哀感を忍ばせた演奏に定評があった。2009年に南里文雄賞を受賞した。2022年3月8日、新型コロナウイルス感染症による肺炎のため、川崎市中原区の病院において死去した。89歳没

(評価)
□ 曲・演奏 :   88/100
□ 録音   :   88/100

(試聴)

「BLOW UP」

「BLUE CITY」

 

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コメント

瑞々しいですね。
当時は皆が真剣で熱くなっていました。
音楽が産業でなかった頃を知っているのは幸せなことだな、としみじみ思います。
鈴木 勲は聞いたことがあります、渋谷だったかなぁ。
あの街も大きく変わったようですね。

投稿: iwamoto | 2022年7月 2日 (土) 17時46分

iwamoto様
コメントありがとうございます
 とにかく日本中が上を向いて頑張っていた頃というのは良かったですね。
 ジャズが、若きものにも浸透してきた頃、このレーベルは日本ありの好録音で圧巻でした。まだまだLPも値段は高くほんとに吟味して買った時代ですので・・オーディオ・ファン、ジャズ・ファンにはもてはやされたんですね。
 今はそれをCDで聴いてみて・・・この録音がいかに素晴らしかったか、鈴木勲などいかに頑張っていたかが過去の遺産として聴けるのもうれしいです。

投稿: photofloyd | 2022年7月 3日 (日) 09時21分

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