私の映画史

2016年6月15日 (水)

私の映画史(25) 感動作ジョン・フォード作品「捜索者」

 映画が社会文化であった時代の感動作

 このところ、西部劇映画ファンであった私の昔話のなかで、なんとなく西部劇というモノが下降線を辿(たど)るようになった時代に、あっと驚きの作品群が1960年代の「マカロニ・ウエスタン」であって、その為印象が強かったものを懐かしく回顧してきたわけだが(「荒野の用心棒」「夕陽のガンマン」「続夕陽のガンマン」 「怒りの荒野」など)。
 ・・・・ここまで西部劇映画に焦点を当てるとなると、やっぱり取りあげなければならない映画があって、ここに登場させるのだ。

ジョン・フォード監督・ジョン・ウェイン主演
「THE SEARCHERS 捜索者」 (1956年米)

61vudua5r6l__sl1087_監督:ジョン・フォード 
製作:C・V・ホイットニー 
製作総指揮:メリアン・C・クーパー 
原作:アラン・ルメイ 
脚本:フランク・S・ニュージェント 
撮影:ウィントン・C・ホック 
音楽:マックス・スタイナー

出演:ジョン・ウェイン、ジェフリー・ハンター、ナタリー・ウッド、ヴェラ・マイルズ、ウォード・ボンド


 ジョン・フォード監督とジョン・ウェインのコンビの西部劇映画となれば、やっぱり名作は「駅馬車 STAGECOACH」(1939年米)と言うことになるのだが、その後の1940年代の「アパッチ砦」(1948)、「黄色いリボン」(1949)、 「リオ・グランデの砦」(1950)の騎兵隊3部作と言われる名作もある、これらは、私は日本公開時に観たものでなく、後から評判の映画として観たものだ。しかしこの「捜索者」は、自分で映画を観ようと思って見た日本公開リアルタイム観賞映画の感動作なんですね。そんなことで印象も深いわけである。

原作はアラン・ルメイの小説だが、1960年に実際に起きた事件をヒントにしたもの。
(物語)
 アメリカ南北戦争の南部連合に従軍し敗戦後、帰ってきた西部にて、コマンチ族に弟一家を殺され、二人の姪(ルーシー、デビー)をさらわれた男イーサン。もともと時代の変化に取り残された西部開拓の中で活きてきた彼は、ネィティヴ・アメリカンを異様なまでに憎悪する男であり、さらわれた直後には殺された姪ルーシーを発見したが、幼い妹のほうのデビーは連れ去られた事を知り、彼はコマンチ族に対して一層増した憎悪を燃やす復讐鬼となった。そして、彼は何年も捜索を続けていたのだったが、年月が経過する中で、連れ去られインディアンに育てられた姪デビーは既に白人ではないと考え、たとえ見つけても殺さざるを得ないという気持ちになってくる。案の定やっと探し当てた姪のデビーは、インディアンの言葉を操り、イーサンから逃れようとする。完全なコマンチ族となってしまった(?)デビーに、イーサンは銃を向けるが……。

Img_1_m ジョン・フォードの描くこの男の執念の旅の叙情詩は、期待と空しさを交錯させる闘いの時代を生きてきた鬼気迫る男の姿を広大な西部をバックにして観る者に訴えてくる。
 西部開拓、南北戦争と生き抜いてきた男が、新しい時代にどう活きるのか?・・・・、そんな時に起きた事件で、彼の人生の全てを賭けての復讐劇が始まるのだ。そして彼が目的を果たしたときに空虚な気持ちと孤独感に襲われながら、自分の時代は終わったと、映画ではその彼の後ろ姿をシルエットとして描き終わるのである。

Img_0
 西部劇の名監督とされるジョン・フォードであるが、彼の描くところはやはり人間劇である。この映画は究めて残酷で暗いテーマであるが、その残酷シーンは、想像させるだけで映像としては描かない。又暗い物語であるが、人間の人間らしいユーモラスな姿を必ず挿入して単なる暗さに終わらせない。
 更に最後には主人公のイーサンが幾多の闘いの歴史から形成されてきた自己の人格による孤独の中に、新しい時代に向かおうとする未来志向の印象も少しは残しているところがジョン・フォードの見事な手法なのである。
 派手な活劇のオンパレードを期待した当時の西部劇ファンは若干がっかりしたようだが、その後時代とともにこの映画の評価は上がってきたと言う代物。近年の西部劇ベスト・テンではトップに躍り出ることが多い。又主演のジョン・ウェインは微妙な心理の変化を十分演技しているところにその評価もある。
 やはり西部劇映画の名作である。

(参考映像 1)

(参考映像 2)

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2016年6月 5日 (日)

私の映画史(24)  マカロニ・ウエスタンの懐かしの傑作「怒りの荒野 I GIORNI DELL'IRA」

マカロニ・ウエスタンのマカロニ・ウエスタンらしからぬ味
     ~「ガンマン十戒」と人間の生きる道~

<マカロニ・ウエスタン1967年作品>
   
伊/独 映画

「怒りの荒野 I GIORNI DELL'IRA(Days of Anger)」

138583_01監督:トニーノ・ヴァレリィ
脚本:エルネスト・ガスタルディ、トニーノ・ヴァレリィ 
撮影:エンツォ・セラフィン 
音楽:リズ・オルトラーニ
出演:ジュリアーノ・ジェンマ、リー・ヴァン・クリーフ、アンドレア・ボシック、ワルター・リラ、イヴォンヌ・サンソン

 ロン・バーカーの小説から生まれたイタリア西部劇。
 あの1964年のマカロニ・ウエスタン「荒野の用心棒」(セルジオ・レオーネ監督)の大成功から数年後(1967年)に生まれた作品。セルジオ・レオーネの助監督を務めたトニーノ・ヴァレリィの監督で、”マカロニ・ウエスタンらしからぬ残虐性を押え、人間性に迫った傑作”と私は思っている。
 これまでにこのマカロニ・ウエスタンで重要俳優となったリー・ヴァン・クリーフLee Van Cleefと人気のジュリアーノ・ジェンマGiuliano Gemmaの共演がみものであった。

  (物語)
E88d92e9878e09 スコット(ジュリアーノ・ジェンマ)は、売春婦の児。町の住人は彼を人間扱いしない。汚物回収をしながら暮らすスコットは、金を貯めていつか拳銃を手に入れ、ガンマンとして成り上がり皆を見返すときを夢見ていた。ある日、町にタルビー(リー・ヴァン・クリーフ)という凄腕のガンマンが現れた。スコットを認めてくれた彼にすっかり心酔し弟子入りする。そして銃の手ほどきを受けながら「ガンマン十戒」をたたき込まれ、片腕として活躍する。しかし、師のタルビーの非情さに疑問を持ち不信感を抱くようになる。そこに恩人であるマーフをタルビーが射殺した時、スコットの怒りはついに爆発。タルビーとの対決の時を迎える。

Ikari3_2 とにかくこの映画を一流にしたのは、リー・ヴァン・クリーフの演ずるニヒルなガンマンの魅力によって支えられたところと、ジュリアーノ・ジェンマの演ずる人間としての姿の交錯がみごとであったところによる。
 娯楽作であるからこそ、銃撃戦や決闘シーンなどの見せ所は十分に盛り込んでいるし、一方単なる殺しの映像で無く、珍しく残虐性は控えている。そして「ガンマン十戒」(下記参照)や「早撃ちの為の拳銃」という西部劇の面白みの本質にも迫っている。そして重要なことは、”人間としての大切さの部分”も忘れていないことだ。
 更に映画としての展開も見事で、クライマックスへの運びも上手いし、又リズ・オルトラーニによる音楽が素晴らしい。躍動と哀愁とそして映像の盛り上がりを聴かせるのだ。

Ikari4
 映画文芸作品と言われるモノとは相対するマカロニ・ウエスタンであったが、観る者は人間であるから、これはそこに差し込んでくる魅力があった傑作と言いたい。映画は所詮娯楽もの、仰々しく「文芸大作」なんて銘打たなくても、この映画のように娯楽に徹しながらも、キラっと光るモノがあると言うのが最も傑作・名作と私は思うのである。

最後に、ここに登場する如何にも西部劇と言う「ガンマン十戒」をここに記す。
(教訓の一) 決して他人にものを頼むな( Never beg another man.)
(教訓の二) 決して他人を信用するな( Never trust anyone.)
(教訓の三) 決して銃と標的の間に立つな( Never get between a gun and its target.)
(教訓の四) パンチは弾と同じだ、最初の一発で勝負が決まる( A punch is like a bullet. If You don't make the first one count good.)
(教訓の五) 傷を負わせたら殺せ!見逃せば自分が殺される(You wound a man, You'd better kill him. Because sooner or later, he's gonna kill You.)
(教訓の六) 危険な時ほどよく狙え( Right put it, right time, well aimed.)
(教訓の七) 縄を解く前には武器を取り上げろ( Gonna untie a man, take his gun before then.)
(教訓の八) 相手には必要な弾しか渡すな(Don't give a man any more bullet, You know he's gun use for.)
(教訓の九) 挑戦されたら逃げるな、全てを失う事になる( Every time You have exact challenge, You lose everything in life, anyway.)
(教訓の十) 殺しは覚えたらやめられない(When You start killing, You can't stop it.)

(視聴1)

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2016年3月25日 (金)

懐かしの西部劇と音楽=モリコーネEnnio Morriconeとマカロニ・ウェスタン -私の映画史(23)-

映画音楽が盛り上げたと言えば「マカロニ・ウェスタン」

 もともと私は映画音楽から音楽に興味を持った人間と言ってもよいくらいに、感受性豊かな年頃の時は映画音楽が花盛り。ヒット・チャートでも殆どが映画音楽が上位を占めていた。
 最近、ふと昔の映画が懐かしくなって観ることがあるのだが、懐かしの西部劇となればやはり日本の時代劇と同じに、アメリカ本場の西部劇も1939年の『駅馬車』がスタートで、ジョンフォード監督、ジョン・ウェイン主演のパターンの歴史みたいなものだったとも言えるが、とにかく1950年代が花。この辺りの映画については今までもすこしづつ触れてきたのでいずれ又もう少し掘り下げたいが・・・、1960年代にはもはや西部劇も斜陽映画となってしまった。

 ところが、なんとイタリアが自国での映画の不振に陥り、その一つの突破口として、日本の黒澤明監督・三船敏郎主演の『用心棒』(1961年)からヒントを得て、所謂「マカロニ・ウェスタン」作成に入ったら大当たり。これから一時代を築くことになった。
(参照)http://osnogfloyd.cocolog-nifty.com/blog/2015/10/post-6db1.html

Em1_2 そこで「マカロニ・ウェスタン」で、ふと思い出すのは、所謂『ドル箱三部作』(Dollars Trilogy)、または『名無し三部作』(Man with No Name Trilogy)と言われたクリント・イーストウッド主演、セルジオ・レオーネ監督作品のマカロニ・ウェスタン3作品だ。
 そして音楽はこの三作ともエンニオ・モリコーネEnnio Morricone(1928~)だ。これによって彼も映画音楽作曲家として世界的になった。そしてその後の映画界に残した音楽としての功績は大きく、現在も80歳後半に入って健在。そうそう思い起こせば『ミッション』、『アンタッチャブル』、『海の上のピアニスト』も良かったですね。

Photo
■ 『荒野の用心棒』 ( A Fistful of Dollars、1964年(日本公開1965年))
  監督 セルジオ・レオーネ
  主演 クリント・イーストウッド
  音楽 エンニオ・モリコーネ

  とにかくこの映画、若きまだ無名のセオジオ・レオーネ監督が、日本の『用心棒』をそっくり拝借して西部劇版として作成したんですね。それが断りなしに作ったものだから、日本東宝から訴えられてしまった。それが又”不幸中の幸い”と言ってよいのか、世界でそのことが話題になって興味を呼んで大ヒットした。なんと言っても話の筋はもともと面白く出来ているので、それはそれで観た者には喝采を浴びたのだのだが・・・、バックに流れる音楽が又最高でした。そこはやっぱりイタリアですね、あのエンニオ・モリコーネが作った「さすらいの口笛」、これは孤高のガンマンのムードたっぷりで、この映画を大いに盛り上げたのだった。

511rrwztrpl■ 『夕陽のガンマン』 (For a Few Dollars More、1965年)
  監督 セルジオ・レオーネ
  主演 クリント・イーストウッド
      リー・ヴァン・クリーフ
  音楽 エンニオ・モリコーネ

 しかしマカロニ・ウェスタンと言っても、監督と音楽はイタリアであるが、主演はアメリカからのクリント・イーストウッドであり、又 リー・ヴァン・クリーフであってアメリカとは別物というわけでもない。撮影はスペインで行われたという代物。
 ここでもイーストウッドの特に名前のない賞金稼ぎのニヒルにして格好良さも売り物の話だが、もう一人のモーティマー大佐役のクリーフの役柄の味付けも良く、話は面白くなっている。彼の映画俳優としても、その存在が国際的になった映画でもあった。
 やはりここでもエンリオ・モリコーネの音楽が盛り上げるんですね。

817ilctx8l__sl1500_2 『続・夕陽のガンマン~地獄の決斗』 ( The Good, The Bad and the Ugly、1967年)
  監督 セルジオ・レオーネ
  主演 クリント・イーストウッド
      リー・ヴァン・クリーフ
      イーライ・ウォラック
  音楽 エンニオ・モリコーネ


 南北戦争の時代背景での善玉、悪玉、卑劣漢の三人のガンマンの隠された金貨を巡ってのあれやこれやの奪い合い。これもイーストウッドとクリーフの味付けが映画を面白くしていた。
 そしてモリコーネの音楽がバックで盛り上げるんですね。「黄金のエクスタシー」(原題:L'Estasi Dell'Oro)が流れ、三人による対決には「トリオ」(原題:Il Triello)が流れる。映画史の中でも必ず取りあげられるほどの三つどもえの決斗シーンは有名だが、これも音楽があっての緊迫感であった。

 エンニオ・モリコーネのマカロニ・ウェスタンの音楽は絶賛を浴びたのだが、これも彼に言わせるとベースは、あの映画『リオ・ブラボー』、『アラモ』に流れる”皆殺しの歌”(ディミトリ・ティオムキン作~彼はやっぱり凄いです)の線を頭に入れて作ったとか、なるほどと思わせるところである。

(試聴1)「荒野の用心棒」

          *          *          *         *

(試聴2)「夕陽のガンマン」

          *         *         *         *

(試聴3)「続・夕陽のガンマン」

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2016年1月 7日 (木)

「月の裏側の世界」の話 :・・・・・・・・映画「オズの魔法使」とピンク・フロイド「狂気」の共時性

映画「オズの魔法使」とピンク・フロイド「狂気」のシンクロニシティ

 今年もロックも忘れていません(笑)と言うところで・・・・今日の話は、前回のヒラリー・コールのアルバム 「虹の彼方に~ジュディ・ガーランドに捧ぐthe JUDY GARLAND project」から思い出した話である・・・・・・・・・それはジュディ・ガーランドの歌った曲”虹の彼方に”が主題歌であったミュージカル映画「オズの魔法使」とピンク・フロイドのアルバム「狂気」のシンクロニシティ(Synchronicity共時性)だ。

Thewizardofoz  とにかくヒラリー・コールがトリビートした歌手であり銀幕スターであったジュディ・ガーランドJudy Garland(アメリカ・ミネソタ州出身 1922-1969 47歳と短命)という女性は、映画俳優・歌手としての波乱の人生を送った人で、これほどのものはそうは無いと言われるぐらい濃密にして危険な人生だったと、・・・その内容には驚かされるところである。
 しかし、そのことはさておき・・・・、その愛らしい少女時代のジュディ・ガーランドの主演作品↓

<ミュージカル映画>
「オズの魔法使 The WIZARD of OZ」
 (1939年 MGM映画  監督:ヴィクター・フレミング、原作:ライマン・フランク・ボーム、脚本:ノエル・ラングレー他、出演:ジュディ・ガーランド、バート・ラー、ジャック・ヘイリー他)

Judy_2 この映画で、ジュディが歌った主題曲がこの”虹の彼方に(Somewhere)Over the Rainbow”であった。そしてこの曲は彼女の最初の大ヒット曲であったわけだが、その後の今日のでの約70年間には、ポピュラー、ロック、ジャズとあらゆる分野でカヴァーされて歌われ演奏されて来た名曲中の名曲(作詞:E.Y.Haburg、作曲:Harold Arlen =1339年アカデミー歌曲賞)である。
 殆どのヴォーカリストはこの曲を歌っているのだが、Eva Cassidyの歌は良かったですね。近年はJeff Beckもヴォーカルなしで、彼の得意のギターで歌い上げてみせた。

 そんなことで、私は一度は観ておきたいとこの映画を観たのだが、それはもう何年も前のことであった。実はそれはもう一つ別の意味があった為だ。

 それはこの映画「オズの魔法使」と、なんと似ても似つかぬあのプログレッシブ・ロックの雄ピンク・フロイドのアルバムとの関係が話題になっていたことだ。

1<Progressive Rock>
「狂気The Dark Side of The Moon」 (1973 東芝EMI TOCCP-65559) 

  このアルバムの曲が映画「オズの魔法使」とシンクロするという話からであった。その為DVDでこの映画を仕入れて、ピンク・フロイドの「狂気」をCDで流しながら観たのである。
 とにかく30年以上も前の映画と、ロック・アルバムを同時に流すと、ロック・アルバムの曲やSEと全く別物である映画の映像がシンクロするという奇っ怪な現象をまことしやかに囁かれていた為だ。
 これは偶然の産物か?、はた又ピンク・フロイドの特にロジャー・ウォーターズ得意のマジックか?と、もともと謎の多いピンク・フロイドであった為にこんな事が評判になったのであった。更にピンク・フロイドの曲にはSEが多く使われる為、映画との関係が色々と語られたのであったのかも知れない。

 しかし両者の共通点は・・・”月の裏側の世界”である!!

 映画「オズの魔法使」も”月の裏側”が一つのテーマであり、それとピンク・フロイド・アルバム「狂気」の共通点の発見は、ここにある。
 
 従ってマニアは色々と研究した中で、発見された現象がこのシンクロ話なのだ(もともとアメリカから始まったという)。

 又既に紹介しているが、ピンク・フロイド・アルバム「おせっかい MEDDLE」の中の曲”エコーズEchoes”が映画「2001年宇宙の旅」とシンクロしている話。これはかなり見事であった。(参考:http://osnogfloyd.cocolog-nifty.com/blog/2015/08/amused-to-death.html

Pinkfloyd具体的には、映画「オズの魔法使」のタイトルがスタートとすると同時に、「狂気」のCDをスタートさせる。
すると・・・・・・・(ここに、ネットに諸氏が結構まじめに書いているモノを参考にして記す)

① ドロシー(Judy Garland)が柵の上をバランスを取りながら歩く(”Breathe In The Air”の歌詞"and baranced on the biggest wave"が歌われる)
② 曲”TIME”のスタートのベルがなったところで自転車が走ってくる。
③ ”The Great Gig in The Sky”で竜巻が発生するシーン
④ いよいよ夢の世界が展開する画面が”驚きのカラー”になったところで曲”MONEY”のレジの音が劇的にスタート(世界初のカラー映画と言われるが、このシーンは美しさに感動です。当時、特殊フィルターを使って赤・緑・青の3色をモノクロで撮って、それを色に再現したのだと言う)
⑤ ”Us and Them”のコーラスと三人組のダンスが重なる。歌詞の”Black and blue ・・・”のところでは、黒マントの魔女が登場する。
⑥ ”Brain Damage”が、かかしが”脳みそがあれば・・・”と歌っていると始まる。
⑦ ブリキ男の登場と”Eclipse”スタート。そして胸を叩くところで、例の心臓の鼓動音。

などなど・・・・結構シンクロするんですね。

 まあこの辺りは遊びですから・・・そんなつもりでアプローチしてみてください。しかし人には見えず謎であった”月の裏側の世界”というのは、何時でも何に付けても人間にとってのテーマなんですね。

(参考視聴) 映画「オズの魔法使」から”Over the Rainbow”

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2015年12月29日 (火)

懐かしの西部劇=「リオ・ブラボーRIO BRAVO」VS.「真昼の決闘HIGH NOON」   -私の映画史(22)-

「真昼の決闘 High Noon」(1952年)のアンチテーゼ作品として作られた
         「リオ・ブラボーRIO BRAVO」(1959年)
     
      ~相対する西部の町の保安官ものの二作品~

Riow「リオ・ブラボー」 (RIO BRAVO)1959
U.S.A.   ワーナー・ブラザーズ
監督 Howard Hawks
脚本 Jules Furthman, Leigh Brackett
原作 B.H.McCampbell
音楽 Dimitri Tiomkin
出演 John Wayne
      Dean Martin
     Ricky Nelson
     Walter Brennan
     Ward Bond

 名匠ハワード・ホークスと偉大なるスター・ジョン・ウェインが、あの名作と言われる「真昼の決闘」のゲイリー・クーパー演ずる保安官に不満を抱き、7年後に作成した西部劇「リオ・ブラボー」、これには本物の保安官の姿と本物の娯楽西部劇を描ききった。

 そもそも、歴史的に西部の町においての保安官というのは、無法者に相対する事が多い為に、拳銃使いがその任に選ばれた。つまり拳銃使いというのは、所謂無宿者に近い、まあヤクザといっていいものに近いタイプで一般町民とは異なる。それが治安を維持するために銃を使って統治する役を町の人達から任命され雇われたのだ。

Highnoon「真昼の決闘」 (HIGH NOON)1952U.S.A. ユナイテッド・アーティスツ 監督 Fred Zinnemann、出演 Gary Cooper, Grace Kelly
 人気のゲイリー・クーパー主演で、緊迫感があって評判の映画だったが・・・・。(主題歌”ハイヌーン”もヒット)

 ところが、この映画のクーパー扮する保安官は、出獄して来たならず者と相対するに当たって、かたぎの町民に助っ人を頼むことから始まる。しかし銃による闘いが起きる可能性がある場合は、常識的には保安官というのは、一般のかたぎの町人に助けを求めると言うことはしない。つまりかたぎの者を巻き添えにすることは論外あるのだ。にも関わらずこの映画では、町民全てに断られ孤立する保安官を描くのだが、実はそれは当然のことであるのだ。そして助っ人役を断った町民の姿をネガティブな人間の姿として描くこの映画は、とにかく非常に暗く人間不信を植え付ける。決闘後、町を去る保安官は、厳しく不信の目を町民に向ける。
 こんな姿には、特にハワード・ホークスは全く納得出来ないものであったのだ。
 つまりそれは映画を観る者が主人公の保安官に同情させる為の手法であったのかも知れないが、西部の純朴な開拓民を知るものにとっては、更にそれを描く西部劇を愛する人達とっては、とても容認出来るものでなかっのだった。又この映画は人間のネガティブな姿を描くことに終始している。これも又西部劇を描いてきたハワード・ホークスとジョン・ウェインから言わせると否定的なのである (映画「赤い河」参照http://osnogfloyd.cocolog-nifty.com/blog/2010/05/red-river-2c35.html )。

Riobravo7_2 さてここで「リオ・ブラボー」の話に戻るが・・・・・・・
 ウェイン扮する保安官は、 ならず者と相対する時に、助けが一人でも欲しいのだが、助っ人を申し出た町民やかたぎの者にはそれを断り、事件に関係を持たないように指導する。一方、こうした拳銃による闘いが行われようとしている時には、拳銃使いの無宿者やヤクザ者ならば助っ人として採用する。そこに両映画に描かれる保安官の姿は、基本的に全く姿勢が違うのである。
 つまりかたぎの町民は関係させない。拳銃による闘いというのはそうしたヤクザ者の世界であるのだ。そしてその闘いが多勢に無勢で不利そのものであって、その任務には恐れや不安があるのだが、そのそ振りを見せないように努める。そして実際には町民は無知ではなく、そのような保安官の姿を見た人達が自然に助ける方向に向いてくる。ハワード・ホークスはそんな人間を信じてのつまり”ポジティブの姿”を重要視しているのだ(映画「赤い河」も同じ)。

Johnwaynedeanmartin それから「真昼の決闘」では究極は”男女の関係”のみが頼みとして描かれ、男同士の人間関係に実るものが描かれていない。それに対する「リオ・ブラボー」は、男女の関係以上に難しい”男と男がどのようにして結びついて行くか”を描くところにその価値観を持つのである。

 ジョン・ウェインの演ずる保安官と片足不自由な老兵スタンピー(ウォルター・ブレナン)、アル中の保安官助手デュード(ディーン・マーチン)、早撃ちの若者コロラド(リッキー・ネルソン)のこの4人の男の次第に強まる結びつきが、実に人間的なのである。西部劇であるから当然”銃による闘いの見せ場”はちゃんと盛り込んではいるが、実はこの映画はそこにみる男同士の繋がりの美しさに感動が生まれるところが傑作と言われるところなのだ。

Pc221758w1_2
Pc221761w2
Pc221763w3

 3人のならず者に銃を向けられ、銃を持っていないジョン・ウェインにリッキー・ネルソンは左手でライフルを投げ渡し右手で発砲、両者で3人に撃ち勝つこのシーンは、西部劇の醍醐味だった(このシーンはスローで見ても、ライフルを受け取ったと同時に発砲しているジョン・ウェインはお見事)

Pc221764w 又ウォルター・ブレナン演ずるじいさん(これが良い味を出している)が、ジョン・ウェインの尻を箒で打つシーンは、過去に無かった男同士の心の繋がりが見事に描かれている。

 この映画に盛り込まれた「男の関係」は、ユーモアを交えながら人間味の豊かさを描ききって見事と言わざるを得ない。又西部劇というものの娯楽性にも十分配慮され、男女の話も交えて、その楽しさもしっかりと描く。
  Dimitri Tiomkinの音楽が又素晴らしい。”ライフルと愛馬”、”皆殺しの歌”、”リオ・ブラボー”と当時ヒットを飛ばした(「真昼の決闘」の主題曲”ハイヌーン”もDimitri Tiomkin)。
 究極は”人間とは信じられるもの”として描き、それを尊重した西部劇に十分なる娯楽性を盛り込んで、見せ場も豊富に描き込んでの映画として、傑作西部劇として今も愛されている(参考:ジョン・フォード監督、ジョン・ウェイン主演の「駅馬車」も、西部の純朴な人間像を描いている)。

<ハワード・ホークスHoward Hawks (1896-1977)>
 アメリカ・インディアナ州生まれ、生家はセレブ。大学は機械工学を学ぶ。夏休みのバイトで映画会社に関係、舞台装置や助監督、美術部門に。第一次世界大戦・空軍入隊。22年映画の脚本家契約。26年フォックス社で「栄光の道」で監督デビュー。男の友情や闘いのテーマの作品が多い。34年初の西部劇「奇傑パンチョ」。戦後の「赤い河」(48)がヒット。その後ジョン・ウェインとのコンビで「リオ・ブラボー」など。

 

(映画「リオ・ブラボー」)

                            *                            *

(映画「真昼の決闘」)

| | コメント (4) | トラックバック (0)

2015年11月22日 (日)

映画 時代劇回顧シリーズ (7) 勝新太郎「座頭市物語」  -私の映画史(21)-

一世を風靡した勝新太郎の”座頭市シリーズ”

 1960年代前半に東映は既に時代劇に精細を欠き”任侠路線”に主なるところは切り替え、そこに来て1966年中村錦之助退社で時代劇は打ち切られた。一方大映は市川雷蔵の1963年”眠狂四郎シリーズ”と1962年「座頭市物語」をヒットさせ、その後1973年「新座頭市 笠間の血祭り」まで勝新太郎の”座頭市シリーズ”は25作と連続ヒットさせた。しかしその大映も1969年に市川雷蔵の死去などにより一次の華々しさは消え、なんと1971年は倒産している。
 しかしその座頭市は、勝プロによって1989年には勝新太郎が自らのメガフォンをとって「座頭市」26作目を制作した。

大映映画 勝新太郎「座頭市物語」
                         (1962年公開)

  • B
    企画:久保寺生郎
    原作:子母沢寛
    脚本:犬塚稔
    監督:三隅研次
    撮影:牧浦地志
    録音:大谷巌
    美術:内藤昭
    照明:加藤博也
    音楽:伊福部昭
  •  (キャスト)
    座頭市:勝新太郎
    平手造酒:天知茂
    おたね:万里昌代
    飯岡助五郎:柳永二郎
    笹川繁造:島田竜三
    松岸の半次:三田村元
    飯岡の乾分・猪助:中村豊
    飯岡の乾分・蓼吉:南道郎
    飯岡の乾分・政吉:千葉敏郎

     あの時代劇映画に新風を吹き込んだ勝新太郎の「不知火検校」から発展したという座頭市シリーズ。その第一作が1962年に公開されたのがこの「座頭市物語」であった。これもシリーズとして作られたのではなく、大ヒットでこの後次々と制作されるに至ったもの。

    Photo_2
     もともとこの座頭の市というのは、子母澤寛が雑誌「小説と読物」へ1948年に連載した「ふところ手帖」の一編「座頭市物語」が原作だという。しかしこの原作の座頭市像と映画ではかなり違いがあって、この映画にみる座頭市像は、脚本の犬塚稔や監督の三隅研次、そして勝新太郎によって作られたモノと言ってよいようだ。
     同じめくらと言っても、不知火検校のような悪人像で無く、世間からはまともに相手にされない者の生き様を描いたのであり、そんな中でのしぶとさとしたたかさ、そしてその強さには感服する。
     しかし、これはハンディを背負った人間の哀歌でもある。万里昌代演ずるおたねとの関係も決して対等に相対すことの出来ない市の一歩退いた哀しさを描いているのである。
     そして天知茂の平手造酒と勝新の座頭市との全く異なったタイプの対比とその運命の流れがこの映画では良いですね。いずれにしても人間ドラマなんですね。
     やっぱりヒットの要因は、盲目の市の瞬速の居合い斬りの迫力、そして仕込み杖・逆手刀殺法がお見事だったことでしょうね。それに人情味溢れた物語には、やっぱり痺れたんです。

    Photo_4
     この後、このシリーズは、次第に市の不気味さとスーパー・マン的強さを見世物に観衆を沸かせるシリーズとなって行くのであるが・・・・。
     最大のヒットは1970年の第20作「座頭市と用心棒」でした。人気の三船敏郎=用心棒を登場させたのには、ファンも驚きだった。しかも嵐寛寿郎までも登場して脇を固めた。これがこのシリーズの絶頂期と言って良いのであろう。

     勝新太郎は当時別に映画「悪名」「兵隊やくざ」などもヒットさせていたが、やっぱりこの座頭市は群を抜いて人気があり、彼の俳優生活の看板にもなったのであった。

     そして時代は劇場公開映画から茶の間のテレビ時代と変化する時でもあって、後にテレビでも「座頭市」をシリーズ化して、茶の間を湧かしたのである。

    <映画 座頭市シリーズ>

    ①座頭市物語(1962年)
    ②続・座頭市物語(1962年)   
    新・座頭市物語(1963年)
    ④座頭市兇状旅(1963年)
    ⑤座頭市喧嘩旅(1963年)
    ⑥座頭市千両首(1964年)
    ⑦座頭市あばれ凧(1964
    ⑧座頭市血笑旅(1964 
    ⑨座頭市関所破り(19641230日)
    ⑩座頭市二段斬り(196543日)
    ⑪座頭市逆手斬り(1965918日)
    ⑫座頭市地獄旅(19651224日)
    ⑬座頭市の歌が聞える(196653日)
    ⑭座頭市海を渡る(1966813日)
    ⑮座頭市鉄火旅(196713日)
    ⑯座頭市牢破り(1967812日)
    ⑰座頭市血煙り街道(19671230日)
    ⑱座頭市果し状(1968年810日)
    ⑲座頭市喧嘩太鼓(19681228日)
    ⑳座頭市と用心棒(1970年115日)
    ㉑座頭市あばれ火祭り(1970812日)
    ㉒新座頭市・破れ!唐人剣(1971113日)
    座頭市御用旅(1972115日)
    ㉔新座頭市物語・折れた杖(197292日)
    ㉕新座頭市物語・笠間の血祭り(1973421日)
    座頭市(198924日)

    (参考)

    | | コメント (0) | トラックバック (0)

    2015年11月 7日 (土)

    映画 時代劇回顧シリーズ(6) 市川雷蔵「眠狂四郎 女妖剣」   -私の映画史(20)-

    1960年代の多様な映像時代、遂にエロティシズムeroticismの登場

     映画の下降線、そして更に時代劇の下降線に入った60年代。又社会も多様化して、映画に求めるモノも多様化した。
     時代劇の東映は、その線を繋ぎながらも人気の出てきた”任侠路線”に次第にシフトしてゆく。

     そんな中で華の50年代のスター中村錦之助は「関の彌太っぺ」「沓掛時次郎 遊侠一匹」と時代劇任侠路線と「反逆児」のような戦国武将ものを、三船敏郎は「椿三十郎」、「侍」など浪人モノなどで、まだまだそれなりの興行成績を上げていた。しかしここに剣術とエロティシズムとの新路線として市川雷蔵の「眠狂四郎シリーズ」、又勝新太郎のかっては考えられなかった兇状持ちで盲目の侠客という「座頭市シリーズ」が成功する。


    大映映画 市川雷蔵「眠狂四郎 女妖剣」 (1964年公開)
           監督:池広一夫、脚本:星川清司、音楽:斎藤一郎
            出演:市川雷蔵、藤村志保、久保菜穂子、城健三朗、春川ますみ、根岸明美

    Photo  「眠狂四郎」というのは、虚無主義なる浪人モノの世界を描くを得意とした柴田錬三郎の昭和31年5月から「週刊新潮」に連載された「眠狂四郎無頼控」(読切連作の形で書きつがれた狂四郎シリーズは、以後約二十年にわたって続いたから人気の度合いも解るところ)からのもの。

     映画化された中でも人気は1963年から1969年までの市川雷蔵で描いた大映映画12作。市川雷蔵の当たり役となった。
     実は1950年代にも東宝であの鶴田浩二で3作の「眠狂四郎」(1956-1958年)があるがあまり話題にならなかったモノ。
     又市川雷蔵の後に松方弘樹で続けたが当たらず(1969年2作)というところだった。雷蔵と松方ではちょっとイメージが違いすぎたのだろう。

    Photo_2 この市川雷蔵の眠狂四郎シリーズと言えども、第一作(1963年)は興行成績は不振。二作目は良く出来ていた割には、やはり売れず。三作目はボチボチであったが、しかしこの四作目からのエロティシズムの濃厚登場で人気沸騰。
     この4作目「眠狂四郎 女妖剣」では、久保菜穂子、春川ますみ、根岸明美ほか、藤村志保までもエロティシズムの役柄を披露しているし、物語としては、眠狂四郎の生まれの秘密に迫り、転びバテレンと武士の娘との間に生まれた宿命を教える。

     虚無の剣士の生き様を通して、暦年の時代劇の正義の剣の姿ではなく、武士の魂をも描くのでは無い。眠狂四郎は女性に対しては犯すこともあれば、凶器としての剣によって斬ることも容赦しない。そして虚無の意識と孤独感を更に深めて行く。こんな姿は60年代の日本の裏も表もある高度成長社会には見事に受け入れられたのだった。
     凶器の剣の円月殺法は相手を惑わす剣法で、その姿は見るものにとっては美しい。この4作目から狂四郎の円月殺法のシーンで初めてストロボ撮影が用いられ、剣の流れを見事に描写した。この手法はこれ以降の作品で使われるようになった。

    Photo_3  狂四郎の素性の説明があったこと、この後続くエロティシズムのスタートであったこと、そして円月殺法の描写が確立したこと、そして何よりもヒットしたことなどから、この作品が市川雷蔵の眠狂四郎のスタートとも言える作品であった。
     柴田錬三郎に言わせると”剣豪としての姿で無く、現代にある罪悪を背負った狂四郎という主人公が、ある意味では人としての感覚を抑えざるを得ない状況の中で、内面的には苦しみながらニヒルに生きていく姿を描いた”と言うことであったのだろう。
     
     つまり時代劇というものを背景にしてはいるが、最も社会の歪みが顕著になりつつある当時の60年安保闘争以降の日本社会の中で、現実的にはあり得ない人間像に思いを馳せた。こんな近代的な感覚を盛り込んだところに多くの関心と支持を得た作品になった。

    (市川雷蔵の「眠狂四郎」全作品)

    1. 眠狂四郎殺法帖(1963年11月2日公開)  
          監督:田中徳三、脚本:星川清司、音楽:小杉太一郎
          共演:中村玉緒、城健三朗、小林勝彦、真城千都世
    2. 眠狂四郎勝負(1964年1月9日公開)
          監督:三隅研次、脚本:星川清司、音楽:斎藤一郎
          共演:藤村志保、高田美和、久保菜穂子、加藤嘉、須賀不二男
    3. 眠狂四郎円月斬り(1964年5月23日公開)
          監督:安田公義、脚本:星川清司、音楽:斎藤一郎
          共演:浜田ゆう子、丸井太郎、成田純一郎、毛利郁子
    4. 眠狂四郎女妖剣(1964年10月17日公開) 
          監督:池広一夫、脚本:星川清司、音楽:斎藤一郎
          共演:藤村志保、久保菜穂子、城健三朗、春川ますみ、根岸明美
    5. 眠狂四郎炎情剣(1965年1月13日公開)
          監督:三隅研次、脚本:星川清司、音楽:斎藤一郎
          出演:中村玉緒、姿美千子、島田竜三、西村晃、中原早苗
    6. 眠狂四郎魔性剣(1965年5月1日公開)
          監督:安田公義、脚本:星川清司、音楽:斎藤一郎
          出演:嵯峨三智子、長谷川待子、須賀不二男、明星雅子、稲葉義男
    7. 眠狂四郎多情剣(1966年3月12日公開)
          監督:井上昭、脚本:星川清司、音楽:伊福部昭
          出演:水谷良重、中谷一郎、五味龍太郎、毛利郁子
    8. 眠狂四郎無頼剣(1966年11月9日公開)
          監督:三隅研次、脚本:伊藤大輔、音楽:伊福部昭   
          出演:天知茂、藤村志保、工藤堅太郎、島田竜三、遠藤辰雄
    9. 眠狂四郎無頼控 魔性の肌(1967年7月15日公開)
          監督:池広一夫、脚本:高岩肇、音楽:渡辺岳夫
          出演:鰐淵晴子、成田三樹夫、久保菜穂子、金子信雄、遠藤辰雄
    10. 眠狂四郎女地獄(1968年1月13日公開)
          監督:田中徳三、脚本:高岩肇、音楽:渡辺岳夫
          出演:高田美和、田村高廣、水谷良重、小沢栄太郎、伊藤雄之助
    11. 眠狂四郎人肌蜘蛛(1968年5月1日公開)
          監督:安田公義、脚本:星川清司、音楽:渡辺宙明
          出演:緑魔子、三条魔子、川津祐介、渡辺文雄、寺田農
    12. 眠狂四郎悪女狩り(1969年1月11日公開)
          監督:池広一夫、脚本:高岩肇、宮川一郎、音楽:渡辺岳夫
          出演:藤村志保、江原真二郎、久保菜穂子、松尾嘉代、小池朝雄

    (参考映像) 「眠狂四郎」

    | | コメント (2) | トラックバック (1)

    2015年10月31日 (土)

    映画 時代劇回顧シリーズ(5) 中村錦之助「宮本武蔵」5作品   -私の映画史(19)-

    時代劇映画の更なる新しい道・・・・・・文芸路線へ

     とにかく映画の全盛時代の1950年代を経て、1960年代となると映画そのものが次第に下降路線となりつつある時、その時代を反映しつつそこには新路線が登場したわけだが、その一つがリアリズム映像であり、更にもう一つの方向として単なる痛快娯楽路線から一歩進んで、文芸的な世界を模索する路線も誕生してきた。

    東映映画 内田吐夢   監督
           中村錦之助 主演

              「宮本武蔵」            (1961年公開)
              「宮本武蔵 般若坂の決斗」 (1962年公開)
              「宮本武蔵 二刀流開眼」   (1963年公開)
              「宮本武蔵 一乗寺の決斗」 (1964年公開)
              「宮本武蔵 巌流島の決斗」 (1965年公開)

    B
     吉川英治原作の「宮本武蔵」の映画化である。なんと5年かけての製作、当時とすればこの5年間は非常に長く感じられたものだった。そしてこの映画は、監督内田吐夢の一つのロマンの作品と言われている。過去の時代劇と違って、人間の姿・心を描こうとするところに文芸作品と言われる所以である。
     又、武蔵を演ずる中村錦之助の代表作とも言われるところは、彼のこの5年間の役者としての進歩の姿がこの一連の作品に見えてくるところだ。特に第一作での気合いの入れ方は当時驚かされたものだ。

    Photo_3製作:大川博 
    企画:辻野公晴、小川貴也、翁長孝雄 
    原作:吉川英治 
    脚本・監督:内田吐夢 
    脚本:鈴木尚之、成沢昌成
    撮影:坪井誠、吉田貞次 
    照明:和多田弘、中山治雄
    録音:野津裕男、渡部芳丈 
    美術:鈴木孝俊 
    音楽:伊福部昭、小杉太一郎 
    編集:宮本信太郎 
    助監督:山下耕作、富田義治、杉野清史、鳥居元宏、加藤晃、篠塚正秀、野波静雄、鎌田房夫、菅孝之、大串敬介 
    記録:梅津泰子 
    装置:上羽峯男、館清士、木津博 
    装飾:宮川俊夫、佐藤彰 
    美粧:林政信 
    結髪:桜井文子 
    衣裳:三上剛 
    擬斗:足立伶二郎 
    進行主任:植木良作、神先頌尚、片岡照七、福井良春
    邦楽:中本敏生

     出演:
    中村錦之助(宮本武蔵)
    高倉健(佐々木小次郎)
    片岡千恵蔵(長岡佐渡)
    三国連太郎(宗彰沢庵)
    月形龍之介(日観)
    田村高広(柳生但馬守)
    里見浩太郎(細川忠利)
    木村功(本位田又八)
    丘さとみ(朱実)
    入江若葉(お通)
    平幹二朗(吉岡伝七郎)
    江原真二郎(吉岡清十郎)
    岩崎加根子(吉野太夫)
    薄田研二(柳生石舟斉)
    浪花千栄子(お杉)
    木暮実千代(お甲)
    河原崎長一郎(林吉次郎)

     この作品は、内田吐夢監督の拘りが見事に描かれた。勿論吉川英治原作の意志は尊重されているが、内田吐夢自身の人間像に迫るところに魅力がある。 又キャストを見ても当時の東映の総力を挙げている。

     第一作「宮本武蔵」 (1961年公開)
     関ヶ原の戦いに敗れ、敗軍の兵として追われる錦之助の過去の美剣士錦之助像を殴り捨てた武蔵(たけぞう)の演技。それをみる三國連太郎の沢庵坊主の若き者への人間像への導きにポイントがあって、内田吐夢のこの映画への目的が明確に出る。

     第二作「宮本武蔵 般若坂の決斗」 (1962年公開)
     名門吉岡道場にて門弟を打ちのめして遺恨を残す。奈良の宝蔵院にての僧兵を一撃で即死させる。前半を静かに描いて、クライマックスの般若坂の決斗で爆発的にリアリスティックに闘いを描く。浪人の首が飛ぶところは、話題になった映画「用心棒」の壮絶さの上を行く。このあたりが内田吐夢の手法が見事に観客を虜にする。しかしこの二部でも”闘いの結果の殺人”と”僧の世界の真髄”に疑問を持つ武蔵。
    B
     
     第三作「宮本武蔵 二刀流開眼」
    (1963年公開)
     柳生石舟斉へと向かうも高弟との闘いとなり、二刀流が自然に生まれる。吉岡清十郎との洛北蓮台寺野に於ける決闘に勝利。名門の当主のプライドを守り通そうとする清十郎の悲壮感は壮絶に描かれる。勝利無くして武士の姿なしと剣の道に疑問を持ちながらも進む武蔵。

    Photo_7 第四作「宮本武蔵 一乗寺の決斗」 (1964年公開)
     吉岡一門の怨念は深く、平幹二朗演ずる吉岡伝七郎との三十三間堂の対決、そして73対1の一乗寺下り松の決死の闘いを描く。主題の一乗寺下り松の闘いでは、敵の総大将には子供が立てられ、武蔵はそれを殺す。その罪を武蔵は背負って生きる事になる苦痛を描く。又闘いのシーンは内田吐夢のリアリズムが展開する。とにかく武蔵は一本の田圃のあぜ道を走って走って走りまくり、追っ手と一対一の状態をつくり戦う。昔からの東映の踊りに近い大勢に囲まれてのチャンバラとは違う。勝負は一対一でないと勝てない姿が真実感を増す。しかもこのシーンだけがモノクロとなるとこに拘りが見えた。

     第五作「宮本武蔵 巌流島の決斗」 (1965年公開)
     佐々木小次郎との巌流島における宿命の決闘。常に勝利の為の方策、そしてその後の追っ手から逃走の道まで考えて闘いに望む武蔵の計算高いところを描きつつも、相手を殺したことへの勝者としての喜びは無い。ここでは武蔵の殺人への罪を実は内田吐夢は強調する。「戦う」ことから生まれる悲劇、剣の道から人間に迫ろうとした武蔵には・・・・残るは「空虚」のみ。

          ”この空虚・・・・所詮、剣は武器・・・・・・”

     この映画の制作中の5年間には又映画界には変化が起きていた。「時代劇の衰退」と「任侠映画の劉生」である。そんな時の時代劇の生き方への一つの回答であった作品でもあった。

    (視聴)

    | | コメント (0) | トラックバック (0)

    2015年10月24日 (土)

    映画 時代劇回顧シリーズ(4) 三船敏郎「用心棒」 -私の映画史(18)-

    もう一つの時代劇の新しい潮流

     1950年代は、時代劇は東映が一つの形を作っていて、基本はまさに若きも老いたる者も楽しむという娯楽映画という基本的パターンであった。それは立ち回りにおいても舞台で演じられるような舞踊に近い優雅さがあった。
     しかし1960年代となって、この黒澤明の時代劇によって日本映画の時代劇も一変する。

    東宝=黒沢プロダクション 「用心棒」
                    (1961年4月公開)

    監督:黒澤 明                Photo
    脚本:菊島隆三  黒澤 明
    撮影:宮川一夫
    美術:村木与四郎
    音楽:佐藤 勝


    (キャスト)
    桑畑三十郎 ・・・三船敏郎
    新田の卯之助 ・仲代達矢
    小平の女房 ぬい・・・司葉子
    清兵衛の女房 おりん・・山田五十鈴
    新田の亥之吉 ・・・加東大介
    馬目の清兵衛 ・河津清三郎
    造酒屋徳右衛門 ・・志村喬
    清兵衛の倅 与一郎 ・・太刀川寛
    百姓の小倅 ・・・・・夏木陽介
    居酒屋の権爺 ・・東野英治郎

     黒澤明に作らせると、結論的には痛快時代劇なのだが、こうなるのかと・・・・、まさに新しさが詰まっていた。
     三船敏郎演ずる三十郎は、基本的には剣をとれば圧倒的に強い侍で、このあたりは東映時代劇となんら変わらないのだが、この映画のスタートには犬が人間の手首を加えて歩くところから始まって、その描写のリアリズムは当時の時代劇としては群を抜いていた。人を斬るにも実際にはこうするだろうと、その一太刀の神経の集中はすざまじい。そして血潮が飛び散るのも斬るというところを現実化しているし、その斬殺音も効果音として使われていて、その迫力は凄い。こんな時代劇を描いたところが如何にも黒沢だ。

    Photo_3 画面は、もう映画はカラーの時代なのだが、敢えてモノクロを生かしての陰影と、望遠レンズを使って緊迫感を出したり、かってなかった手法を取り入れて効果を上げている。
     お話は、ダシール・ハメットDashell Hammett(アメリカ 1894-1961)の「血の収穫Red Harvest」を元にしたものだという。三十郎がたまたま辿り着いた街には、二つの勢力があってまさに抗争の最中。その両者をうまく戦わせて両者を潰すという話だ。
     なかなかキャストも志村喬、山田五十鈴、仲代達矢そして司葉子などと充実していて、それぞれ納得の演技が展開する。

     この映画は、後にそのリメイク版としてイタリアでクリント・イーストウッド主演の『荒野の用心棒 A Fistful of Dollars』(日本1965年公開、エンニオ・モリコーネの主題曲”さすらいの口笛”が良かったですね)が作られたのは有名な話で、一世を風靡したマカロニ・ウェスタンの始まりでもあった。

     とにかく、チャンバラ時代劇というのは、人を斬るわけだから、そこにリアリティーを持ち込むとすざまじい映像となる。時に「60年安保闘争」という反対運動のデモ隊と警官隊との衝突という血みどろの闘いが現実の社会に起き、その時代背景の中から作られた映画には、リアリティーは自然に見る方にも求めるところがあったのかも知れない。それをやって見せた黒沢は、かってなかった時代劇の新時代を作り上げたのだった。

    (「用心棒」予告編)

    | | コメント (2) | トラックバック (1)

    2015年10月17日 (土)

    映画 時代劇回顧シリーズ(3) 勝新太郎「不知火検校」 / 60年安保闘争    -私の映画史(17)-

    「60年安保闘争」時代の映画(時代劇)の変化

     戦後のとにかく生きることを目的とした時代を経て、日本人は世界を、社会を、人間を、見つめる時代までようやく辿り着いた。その流れは、戦後のあの戦争を反省し、苦しい中にも人間らしく生きようとする事の意義を見つけること、そんな中で唯一の娯楽としての映画。しかもそのなかの時代劇は善と悪との対比によって悪を格好良く懲らしめる美徳に溢れた娯楽ものの世界でもあった。つまりそうで無ければ生きる事の意義が見つけられないほど戦後社会は厳しい環境にあったと言える。そして1950年代の後半には日本も一つの繁栄の兆しを感ずる社会の姿が進行する。又一般国民の生活にはテレビ社会の登場も広がつて、映画も一つの頂点を迎えそして下降の流れに入る。

     1960年は、歴史的国内大事件の所謂「60年安保闘争」の勃発である。その最中に作られ公開された時代劇には過去のパターンを覆す映画の登場を見るに至る。

    大映映画 勝新太郎「不知火検校」
                          (1960年9月公開)


    2c43b6b5s制作:武田一義 原作:宇野信夫 脚本:犬塚稔 監督:森一生 撮影:相坂操一

     

    (キャスト)
    杉の市/勝新太郎、 生首の倉吉/須賀不二男、 鳥羽屋丹治/安倍徹、 勘次/光岡龍三郎、 不知火検校/荒木忍、 おきみ/山本弘子、 浪江/中村玉緒、 岩井藤十郎/丹羽又三郎、 おはん/近藤美恵子、 房五郎/鶴見丈二

     もともとこの『不知火検校』は、宇野信夫が十七代中村勘三郎のために執筆した歌舞伎芝居である。そして、1960年2月歌舞伎座で、中村勘三郎が七兵衛と検校の二役を演じて評判を呼んだ四幕十四場の芝居であった。
     とにかくこの映画の主人公杉の市というのは、徹頭徹尾の悪人で、按摩として身を立てる一方で、泥棒、詐欺、強請(ゆすり)、強姦、人殺しと、何に付けても極悪な悪事を働き、その果てなんと盲人の最高位である不知火検校にまで上りつめるという悪漢物語である。
    O1b_2
     こうゆう物語を”ピカレスク小説”とも言うが、もともとは16世紀にスペインで始まった小説で、ならず者というか悪人が主人公で、封建貴族の偽善を風刺したものらしい。そんな意味では、この映画は若干意味合いは異なっているが・・・・。

     まあとにかくこの悪人検校を演ずる勝新太郎が、こんなにピッタリなのには驚きを呼んだのだが、この映画の最後には取り巻いた群衆に石を投げられ、捕り方に縄をかけられ大八車に仰向けにくくられて市中引き回しで、それでも”馬鹿野郎”と叫び連れて行かれるという激しさであった。徹底徹尾、反省も良心の呵責もないのである。最後にこんな悪人がのさばった形で終わらせなかったところだけでも救いであったということか。

    D4798811s_2
     この映画を”ピカレスク・ロマン”という表現もあったようだが、”ロマン”というものではないだろうと思う。盲というハンディキャップを背負った人間を如何に擁護しようとも、この悪行三昧は評価されるモノではなかった。つまり「”悪”が人間になった姿」にむしろ驚いたというところが我々の感覚であって、これが不思議に”60年安保闘争”の社会に生まれたというところは、時代的産物としての評価もしておく必要があろうと思うのである。
     戦後15年にして、社会の変化と共に・・・・結果としては時代劇映画の新しい方向が見えたと言っていい作品だった。

                    *       *      *      *      *      *

      < 60年安保闘争を振り返る >

     ちょっと今日のテーマの主軸が変わってしまった感がありますが・・・「2015年安保問題」が進行中の現在、取り敢えず参考回顧です。

    60 1951年に締結された日米安全保障条約(安保条約)は、岸信介内閣により新安保条約の締結へと向かう。1960年5月20日、この新安保条約を岸内閣の自民党議員のみでの強行採決が行われ、”戦後ようやく築き上げてきた民主主義の危機”、”あの苦しい戦争が再び再来する可能性に対する危機感”、”強行採決というファシズムへの危機感”などに、日本社会党、日本労働組合総評議会(総評)、 原水爆禁止国民会議(原水禁)などが安保条約改定阻止のために結成した国民会議と、全日本学生自治会総連合(全学連)そして多くの市民が反対運動を展開。国会議事堂の周囲は連日反安保を掲げるデモ隊が取り巻いた。そして全学連主流派は国会突入などの行動も展開。
     もともと岸信介は戦前の東条内閣の閣僚でありA級戦犯容疑者になったこともあって、岸内閣の危険性から60年安保闘争の展開は、倒閣運動の性格を帯びつつも、「民主主義の擁護」「議会主義の擁護」へと自己を守る国民的運動となった大衆運動そのものだった。
     確かに岸信介は、警察、右翼支援団体、全日本愛国者団体会議、戦時中の超国家主義者も擁する組織も含めて、この国民的反対運動に対抗した。又更に陸上自衛隊の治安維持出動要請も行ったが、これは当時の赤城宗徳防衛庁長官の勇気ある拒否により行われなかった。
     条約は参議院の議決がないまま、6月19日自然成立したが、かって無かった歴史的大衆運動に次第に追い詰められた岸内閣は6月23日に総辞職を表明し退陣に至る。そして7月19日池田内閣が成立して、この反対運動も退潮の一途をたどった。
    (写真:朝日新聞社「アルバム戦後25年」より

    (参考映像~60年安保闘争)

    (「不知火検校」予告編)

    | | コメント (0) | トラックバック (0)

    より以前の記事一覧

    その他のカテゴリー

    Audio CLASSIC Progressive ROCK アイオナ アガ・ザリヤン アデル アメリカン・ジャズ アヤ アレクシス・コール アレッサンドロ・ガラティ アンジェイ・ワイダ アンナ・マリア・ヨペク アンヌ・デュクロ アヴィシャイ・コーエン アーロン・パークス イエス イタリアン・プログレッシブ・ロック イメルダ・メイ イモージェン・ヒープ イリアーヌ・イリアス イーデン・アトウッド ウィズイン・テンプテーション ウォルター・ラング エスビョルン・スヴェンソン エスペン・バルグ エミリー・クレア・バーロウ エミール・ブランドックヴィスト エレン・アンデション エンリコ・ピエラヌンツィ エヴァ・キャシディ オルガ・コンコヴァ カティア・ブニアティシヴィリ カレン・ソウサ ガブレリア・アンダース キアラ・パンカルディ キャメル キャロル・ウェルスマン キング・クリムゾン キース・ジャレット クィダム クレア・マーティン グレッチェン・パーラト ケイテイ・メルア ケイト・リード ケティル・ビヨルンスタ コニー・フランシス コリン・バロン ゴンザロ・ルバルカバ サスキア・ブルーイン サラ・ブライトマン サラ・マクラクラン サラ・マッケンジー サンタナ サン・ビービー・トリオ ザーズ シェリル・ベンティーン シゼル・ストーム シネイド・オコナー シモーネ・コップマイヤー シャイ・マエストロ ショスタコーヴィチ シーネ・エイ ジェフ・ベック ジャック・ルーシェ ジョバンニ・グイディ ジョバンニ・ミラバッシ ジョルジュ・パッチンスキー スザンヌ・アビュール スティーヴン・ウィルソン スティーヴ・ドブロゴス ステイシー・ケント ステファン・オリヴァ スノーウィ・ホワイト スーザン・トボックマン セリア セルジオ・メンデス ターヤ・トゥルネン ダイアナ・クラール ダイアナ・パントン ダイアン・ハブカ チャンピアン・フルトン チャーリー・ヘイデン ティエリー・ラング ティングヴァル・トリオ ディナ・ディローズ デニース・ドナテッリ デヴィット・ギルモア デヴィル・ドール トルド・グスタフセン ドリーム・シアター ナイトウィッシュ ニコレッタ・セーケ ニッキ・パロット ノーサウンド ハービー・ハンコック バンクシア・トリオ パスカル・ラボーレ パトリシア・バーバー ヒラリー・コール ビル・エヴァンス ビル・ギャロザース ピアノ・トリオ ピンク・フロイド フェイツ・ウォーニング フランチェスカ・タンドイ フレッド・ハーシュ ブッゲ・ヴェッセルトフト ブラッド・メルドー ヘイリー・ロレン ヘルゲ・リエン ペレス・プラード ホリー・コール ボボ・ステンソン ポーキュパイン・ツリー ポーランド・プログレッシブ・ロック ポール・コゾフ マッツ・アイレットセン マツシモ・ファラオ マティアス・アルゴットソン・トリオ マデリン・ペルー マリリオン マルチン・ボシレフスキ マーラー ミケーレ・ディ・トロ ミシェル・ビスチェリア メコン・デルタ メッテ・ジュール メラニー・デ・ビアシオ メロディ・ガルドー モニカ・ボーフォース ユーロピアン・ジャズ ヨアヒム・キューン ヨーナス・ハーヴィスト・トリオ ヨーナ・トイヴァネン ラドカ・トネフ ラーシュ・ダニエルソン ラーシュ・ヤンソン リサ・ヒルトン リズ・ライト リッチー・バイラーク リリ・ヘイデン リン・エリエイル リン・スタンリー リヴァーサイド リーヴズ・アイズ ルーマー レシェック・モジュジェル ロジャー・ウォーターズ ロバート・ラカトシュ ロベルト・オルサー ローズマリー・クルーニー ローレン・ヘンダーソン ヴォルファート・ブレーデローデ 中西 繁 写真・カメラ 北欧ジャズ 問題書 回顧シリーズ(音楽編) 女性ヴォーカル 女性ヴォーカル(Senior) 女性ヴォーカル(ジャズ2) 女性ヴォーカル(ジャズ3) 寺島靖国 戦争映画の裏側の世界 手塚治虫 文化・芸術 映画・テレビ 時事問題 時代劇映画 波蘭(ポーランド)ジャズ 相原求一朗 私の愛する画家 私の映画史 索引(女性ジャズヴォーカル) 絵画 趣味 雑談 音楽 JAZZ POPULAR ROCK SONYα7