ショスタコーヴィチ

2014年9月29日 (月)

マリス・ヤンソンスによるショスタコーヴィチ「交響曲第10番」

マリス・ヤンソンスの執念的ショスタコ10番の録音

<Classic>

          MARISS JANSONS (Chief Conductor)
         ROYAL CONCERTGEBOUW ORCHESTRA AMSTERDAM

       
SHOSTAKOVICH  SYMPHONY No. 10 in minor,OP.93
                                     
  RCO RCO13001 ,2013
                  Recorded Live at Concertgbouw Amsterdam
                  on 29 january 1 and 4 February 2009
        SACD(Hybrid)  DSD multichannel surround 5.0

No10

  久々にクラシックの話題である。マーラー、ブルックナーなど比較的難解にして長大な交響曲に対してきているマリス・ヤンソンス(Mariss Ivars Georgs Jansons 1943-)であるが、彼にとってはマーラーと共にこのショスタコーヴィチは更に一層生涯をかけてのテーマであることは想像に難くない。既に過去にショスタコーヴィチ交響曲の全曲録音は成し遂げているが、更にこうして新録音にも意欲たっぷりである。

 
 (参照) ①http://osnogfloyd.cocolog-nifty.com/blog/2010/03/11-8bab.html
       ②http://osnogfloyd.cocolog-nifty.com/blog/2010/03/post-b798.html
      ③http://osnogfloyd.cocolog-nifty.com/blog/2010/03/post-b181.html

Dmitrishostakovich1
 私が惹かれるショスタコーヴィチの第10番こそ彼の真の姿の交響曲とも言えるのかも知れない。
 しかしこの交響曲の悲劇的発想により、共産国家に対しての反体制的発想とのジダーノフ批判を再び呼び起こした「第十論争」という物議をかもした問題作であった。
 しかしこの前作「第9番」が共産国建設礼賛を期待した国家的期待を裏切った作品であったことによる彼の立場の急落後、8年というブランクを開けての作品であったが、批判とは裏腹に、初めて彼の心を描いた作品としての評価も勝ち取ったものでもある。それはスターリンの死を見届けて一気に書き上げた作品として、スターリンと自己の対比を描ききったものとの解釈と、その悲観的な世界が何を意味しているかが、今でも批判と感動の交錯するショスタコーヴィチの重要な交響曲なのである。

 チェロとコントラバスによる序奏から始まる第一楽章、真寡の問われた「証言」によるとスターリンを描いていると言われる猛烈な勢いの弦楽合奏を展開する第二楽章、そして彼の名前を旋律にした暗示的な第三楽章、悲痛な序奏から彼の音名の連呼で終わる第四楽章。こうした内容に、個人の表現の自由を訴えた切実な声と理解されている。

 さてこの交響曲は、あのカラヤンも多くのショスタコーヴィチの交響曲の中で、この第10番のみを二度録音している(Dg Originals  4775909 , 1981年ベルリン・フィル)。その意味はどこにあるのかは想像によるしか無いが・・・・

Jansons1
 ここに紹介した盤の指揮者マリス・ヤンソンはショスタコーヴィチを演ずるにエネルギーを注いでいるラトビアの指揮者だ。彼は前にも触れたように、この盤の録音前にも「ショスタコーヴィチ全集」を出している。この全集の最初の録音は第7番で1988年、最後に録音されたのが第13番で2005年のもので、18年の作業であった(この全集の第10番は、1994年にフィラデルフィア管とセッション録音)。
 彼は、ショスタコーヴィチの理解者であったムラヴィンスキーで有名なレニングラード・フィルファーモニーの指揮者でもあったアルヴィド・ヤンソンスの子で、リガで生まれた。母親はユダヤ系で父親や兄弟をリガ・ゲットーで殺害された人だ。ショスタコーヴィチがソ連の反ユダヤ主義に批判的であったこと(交響曲第13番)からもマリス・ヤンソンのショスタコーヴィチへの理解を試みるところは当然想像できるところだ。そしてムラヴィンスキーの下で共同作業も経験してきている。
 現在は、レニングラード・フィル(現サンクトペテルブルグ・フィル)の指揮者から始まって国際的に広く招請を受け指揮をとっている。

Sym10 さてこのヤンソン指揮盤は、SACD盤でDSDマルチチャンネルによっての録音も素晴らしい。ハイレゾ・オーディオの時代になって、CDへの要求も厳しい昨今であるが、繊細な音の表現も良く臨場感に於いても最右翼である。
 私は旧来ムラヴィンスキー盤(←Victor VICC-40256、1976年録音)を愛聴してきたが、最近聴いたこのヤンソンには、演奏の緻密さとダイナミックスさが充実していて喝采を浴びせるのである。

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2014年1月 3日 (金)

謹賀新年  ショスタコーヴィチ交響曲第11番<1905年>

2014年は・・・・明けましてお目出度うございます
                     と、言っていられるのだろうか?

Pb030279sqblog
                         (アルヴァレスの騎馬像 ~ Batalha / Portugal     2013.11)

~今年の元旦に聴いた曲~

 今年の元旦は、なんとなく襟を正した一日であった。そして先ずは聴いた曲はショスタコーヴィチ。まさにこれは”警鐘の曲”~考えてみれば久しぶりに聴くショスタコーヴィチの第11番<1905年>」 。私は今年こそは今までと違った警鐘を鳴らす年と思っているから・・・・・・。

 この曲は、あの1905年のペテルブルグに起きたロシア革命の発端となった「血の日曜日」を描いた交響曲として旧ソ連において1957年初演。ショスタコーヴィチの交響曲の中では、この前の第10番に比べると極めて解りやすく描写的表現も取り入れられていて私は長く親しんできた。しかし昨年はおそらく一度も聴かなかったのではと?、ふと思いつつ・・・・・・このところの日本や近隣諸国の流れの中に於いて新年のスタートにはふさわしい曲として聴くことになった。
 ロシアにおける悲劇のこの「血の日曜日」は、大いに日本と関係している。それは日露戦争のまっただ中で起きた事件であった。純朴な労働者達の20万人を超す誓願行進に軍隊の発砲が有り3000人以上の死傷者が出た事件である。

<classic> ショスタコーヴィチDmitry SHOSTAKOVICH
        
「交響曲 第11番作品103<1905年>」
          ELIAHU INBAL  WIENER SYMPHONIKER
             COLUMBIA  coco-70826
 

Sym111905

 (この交響曲の背景に迫る)
 大日本帝国とロシア帝国との日露戦争(1904.2~1905.9)はロシアにとっては国内的にも打撃は大きかった。日本軍に対する相次ぐ敗北とそれを含めた帝政に対する民衆の不満が増大、戦争状態は労働者への重圧を生み、インフレ状態の経済も停滞の一途をたどっていた。1905年1月9日日曜日にペテルブルグにおいて指導者には諸々の思惑があったとはいえ、ストライキを始め、20万人の皇宮に対して誓願行進が行われた。請願の内容は、労働者の法的保護、当時日本に対し完全に劣勢となっていた日露戦争の中止、憲法の制定、基本的人権の確立などで、戦争下の貧困の生活苦に更に搾取に苦しんでいた当時のロシア民衆の素朴な要求を訴えたものだった。
 当時のロシア民衆は、皇帝崇拝の観念をもっていて、皇帝の権力は王権神授であり又キリスト教(正教会)の守護者である信じていた。このため民衆は皇帝ニコライ2世への直訴によって何らかの改革が成されると信じていた。しかしこの大衆行動に対しての軍隊の発砲による血の海になったこの事件(血の日曜日)の結果、皇帝崇拝の幻想は打ち砕かれ、後にロシア第一革命と呼ばれた全国規模の反政府運動の引き金となったのだ。

No11xx こんな状況を描いたと言われるこの交響曲、レーニン賞を受賞することになるが、果たしてショスタコーヴィチは単純に”ロシア革命礼賛”に終始したのであろうか?、彼のそこに到る多くの作品をみるに決してそれだけに終わっていないとみるのが正しいと思う。かって真偽において問題となったソロモン・ヴォルコフ編「ショスタコーヴィッチの証言」(参照http://osnogfloyd.cocolog-nifty.com/blog/2010/03/post-b181.html)を見るにつけても、彼の人間的苦悩の表現との兼ね合い、スターリン批判と革命の犠牲となった同時代の人への鎮魂、そして人間論とともに常に社会の不安を感じている表現に注目すべきだ。

Dmitri1 彼の描くこの交響曲第11番の主題は第Ⅳ楽章にあるとみるべきだろう。これには多くの評論家もその点を指摘している。体制が如何に変わろうとも社会は動乱をはらんでいる。そしてそれへの”警鐘”であるとみるのは大きく外れた見解では無いと思う。時にこの交響曲完成の一年前1956年には、ソビエト軍によるハンガリーの自由化運動の鎮圧事件(ハンガリー動乱)が起きている。これにはロシア帝国専制国家の”血の日曜日”と現革命政府の流血鎮圧”ハンガリー動乱”行為の双方の「類似性」が彼の眼には写っていたに相違ない。常に帝国主義、革命政府と形態が変わろうとも専制政治や迫害といった”悪”は、彼の貫くテーマになっており、それは時代を超えて普遍的であることを知るべきだ(ローレル・E・ファーイ著「ショスタコーヴィチ~ある生涯」 (参考)http://osnogfloyd.cocolog-nifty.com/blog/2010/03/post-b798.html)。そこに彼の作品の価値を知らねばならないのだろう。

 しかし、この交響曲の第Ⅰ楽章にみる凍てついた真冬の光景を描く導入部は素晴らしい。そして第Ⅱ楽章の惨劇の描写、第Ⅲ楽章の革命歌と葬送行進曲など、非常に解りやすく密度の高い曲が襲ってくる。

 新年早々今年はショスタコーヴィチで過ごしている私である。

 
(参考)  「日露戦争」
 この日露戦争は、19世紀末。日清戦争の結果、「眠れる獅子」と呼ばれた清帝国が実際には既にその力を持っていない事を知った列強は、帝国主義の原則に則って清を分割統治しようとした。これに対しての義和団の乱が発生、各国は対抗して清帝国領域内に派兵を行った。これには8ヶ国が関係し、日本もそのうちの1国であった。中でもロシアは満州に大軍を送り込み、乱の終了後もそのまま駐留する構えを見せた。撤兵を行わないロシアに対し、日本は異議交渉を進めたが、ロシア側は満州支配のみならず朝鮮半島北部へも進出を企てた。これは日本にとっても脅威で有り明治政府首脳は、開戦の決断に追いやられた。これはロシアとはげしく対立していた大英帝国と日本の同盟関係が出来上がっていた事も大きく影響した。
 
 
 しかし圧倒的優勢とみられたロシアのバルチック艦隊が日本海海戦において日本の連合艦隊により壊滅的敗退となった事は、ロシア帝国にとっては、ユーラシア大陸に於けるトルコ支配の試みにマイナスとなり、支配下にしたポーランド、フィンランドに反抗の勢いを生ませた結果にもなった。

(参考) http://osnogfloyd.cocolog-nifty.com/blog/2010/03/11-8bab.html

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2010年7月18日 (日)

”スーパー・オーディオ CD (SACD)”の出現から10年経ったが・・・ 

Audio界はどう捉えているのか??

 私は非常に期待したものの一つは、 Super Audio CD (SACD) であった。確か1999年にソニーとフィリップスによってその規格が定まってスタートしたと記憶しているが、さて既に10年以上も経過したわけである。(対抗馬としてはDVD-Audioもある)

Sacdjazzsampler「CONCORD JAZZ SUPER AUDIO CD Sampler」Concord Records, SACD-1032-6 , 2003  (左)
 このCDは、SACDでマルチチャンネル録音、そしてHybridタイプもの(CD録音との2層もの)のサンプル盤として宣伝用に出現したもの。こうしたもののによって大いに刺激されたものだ。

 しかし私の印象としては、SACDと言っても、殆ど”知る人ぞ知る”といったところで、若い人に話しても”何、それ?”と言われてしまう。そんな訳であるから、当然売れ行きは芳しくない。最近はCDそのものの売れ行きも決してよいとはいえない。ネットを使って音楽配信を受けたり、CDなど買う場合もネット販売によることが多く、いわゆる街の「レコード店」なるものも繁盛していない。そしてその店の数も激減している。
 さらにSACDをきちんとそろえて売っている店もあまり見ない。つまりSACDは売れていないのである。そんな訳で私の期待のSACDは、相変わらずタイトルの数も少ないし、従って値段も高い(一枚4500円なんて当たり前と言った感じ)。
 一方画像を中心としたDVDの世界では、このところBD(ブルー・レイ・ディスク)は意外に順調に伸びている印象だ。このところ地上デジタル放送が広がり、薄型テレビの普及によりハイビジョン映像が主流になりつつあり、それに伴って良質な画像を期待するようになったためかも知れない。3Dという新戦略もあるが、このあたりはまだまだといったところか。

 さて話は戻るが、それでも私の弱体オーディオ装置でも、少しでも良い音で音楽を聴きたいという気持ちは今でも続いている。その為、SACDにも少しは頑張ってもらって欲しいものと期待しているのである。
 現状ではCDのリリースされる中では、やはりSACDは、クラシック、ジャズ系に主力がある。つまりマニアのものという世界の印象である。そしてその出来具合が多様というか、つまりよいものもあるが、期待はずれも結構多くある。そのあたりも値段が高い割には満足できずに、そしてユーザーも増えないのだろうか。

Miles 「MILES DAVIS / IN A SILENT WAY」 SONY Records SIPG29 , 2002

 このタイプは1969年もののJAZZ名盤を、現在になってマスター・テープからDSD(Direct Stream Digital)録音したもので、マルチチャンネル盤(5.1ch)に作り上げていて、そんな古い録音とは信じられないほどの音質を確保している。
 まさにマイルス・デイビスをこの2000年代によみがえらせているのである。このタイプのSACD盤は大いに我々には意義あるものとして受け入れられる。

Pinkfloyd「Pink Floyd / THE DARK SIDE OF THE MOON」 EMI Records TOGP-15001 , 2003

ロックものも少しずつSACDのリリースが現在も続いている。このピンク・フロイドの代表作(1973年)は、2003年に、やはりSACD・HYBRIDマルチ・チャンネル盤(5.1ch)としてリリースされた。これはいかにもマルチものと言ったところで、各楽器が四方から分離して出てくる。昔の4チャンネルものを思わせる造りだ。このあたりは好みが分かれるところ。しかしこれも30年前のマスターからのDSDmixingされたもの。それでもここまで音がだせるのであるから当時の録音も馬鹿にしたものでない。

Dianakrall 「Diana Krall / THE GIRL IN THE OTHER ROOM」 VERVE B0002293-36 , 2004

 このあたりにくると、既にSACDを考えての録音をしているし、SACD Surround Sound ,SACD Stereo, CD audio (Hybridタイプ)といった造りである。単に周囲にバック・バンドの楽器配置をとるのでなく、ホール感を生かしての録音。そしてダイアナのヴォーカルとピアノを中央に配して、左右にギター、ドラムス、ベース。その音のダイナミック・レンジの広さは見事で、ほれぼれする録音である。まさに聴くものを演奏の中に引き込んでゆく。 こうした造りをしてくれるとSACDの良さをつくづく感ずることになる。まさにダイアナのJazzyな世界を堪能できる良盤である。

Shostakovich 「Vladimir Ashkenazy / Shostakovich : Symphony No.5 in D minor Op.47  」 EXTON OVGL-00009

クラシックものはさすがにSACDが多い。これは日本の東京・サントリー・ホールでの録音。いわゆるマルチものでなく、ステレオ・タイプのSACD盤。そしてCD盤も同時に別に発売している。
 つまりSACDに対応した装置のみにての再生可能盤である。クラシック愛好家用であるからHybridタイプにしなくとも売れるということか?、このタイプがクラシックものには多い。
 この盤は、さほどSACDとしての魅力は少なかった。そのあたりは、我々にとっては価格が一般CDより高いので、不満が残るところ。

 数枚のSACDを紹介したが、特にマイルス・デイビスのSACD化はこれ以外のものもあるが大歓迎。ダイアナ・クラールの盤はお見事で、これからもこのタイプを望みたい。クラシックものは最近小澤征爾ものがどんどん出ているが、既にSACDの歴史も10年以上となり、この分野は買い手は音に関心も高いので、そんなに弱みにつけ込まないで、もっと値段をCDに近いものとしてリリースして欲しいところだ。
 SACDの歴史から、もっと普及して欲しい希望を込めつつ雑談をしてみた。

 

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2010年3月12日 (金)

ショスタコーヴィチの交響曲(7) 取り敢えず理解のための参考文献(2) ローレル・ファーイ著書など

激動のソヴィエト社会に生きる音楽芸術家の生き様

 ショスタコーヴィチを知ろうとする流れは、一つにはソヴィエトという国の歴史的内情を知ろうとする事や、一方ショスタコーヴィチが何故あのスターリンの文化粛清を逃れられたかということなど、世界の歴史の中でも類をみない激動期であり他国にはない社会を経験した音楽家としての興味などが重なり合って今日に於いても激流に近い。

Photo そうした中で、注目度の高いのは前回紹介したヴォルコフの「ショスタコーヴィチの証言」であり、そしてもう一方は現在の日本では左のファーイ(フェイとも言う)の著書であろう。
ローレル・E・ファーイ著、藤岡啓介・佐々木千恵訳「ショスタコーヴィチ ある生涯」(改訂新版)アルファベータ発行 2005年

 なんと言ってもファーイはヴォルコフの「証言」の真贋説に関しては、決定的な役割を果たした。つまりある意味での捏造を証明し決定づけた研究家である。
 しかし、この著書を読んでも解るように、ショスタコーヴィチの姿勢に対して、ヴォルコフが言わんとしている”御用音楽家ではない姿、反体制派的創造活動”を否定しているわけではない。この著書を見ても資料が膨大である。その分析にも、ショスタコーヴィチが非常に筆まめであって、現在も多くの記録や、手紙などが残っていることが幸いしている。
 この著者ファーイとは、米国のロシア・ソヴィエト音楽研究家で、1971年以来ロシアを何度か訪れ研究を続けているという。コーネル大学哲学博士号取得している人物だ。
Photo_3(左写真:右よりショスタコーヴィチ、ムラヴィンスキー、ロストロポーヴィチ) そしてショスタコーヴィチ自身の書簡、当時の新聞記事、彼を知る人の批判や日記など、更にコンサートのプログラム・記録などの膨大な資料を下に検証し、この作曲家の実態に迫ろうとしている。(本文350頁に対して、資料は150頁に及ぶ)
 特に第4番の取り下げから第5番の成功までのショスタコーヴィチの複雑な心情がひとひしと伝わってくる。全世界未体験の共産主義社会建設下における全体主義的なスターリン大粛清という社会において、文化活動者にとっての恐怖の実態。そしてここには芸術家としての求めるもの、社会主義リアリズムのよって求めるもの、これら相容れないと思われる事情にも、それに対して真摯に貫いた彼の心情が読み取れるのである。

Photo_2  日本人によるショスタコーヴィチ研究も盛んで、幾つもの著書があるが、非常に纏まってしかもショスタコーヴィチ音楽解説から生き様まで、丁寧にしかも解りやすく扱った著書がある。
千葉潤著「作曲家・人と作品シリーズ:ショスタコーヴィチ」音楽之友社 2005年

 この著書は、既に発刊されてから5年を経過しているが、私にとっては、近年非常に参考になったものである。私のように音楽というものに精通しているわけでもなく、又楽器の演奏する能力もなく、単に聴く者として感動したり、心が惹かれたり、そうしたところにジャンルを問わずアプローチしているものにとっては、こうした解説書は貴重である。
 ソヴィエト社会の情勢にも研究の跡がみられ、その中でのショスタコーヴィチの占める位置をも探求している姿があり、この音楽之友社のクラシック音楽ガイド・ブック・シリーズとしては、なかなか内容のレベルも評価に値すると思う。確かに取り敢えずショスタコーヴィチを知ろうとしたら、最も第一に接して良いと思われる書として薦められる。
 勿論、作品一覧、年譜なども付いている。ここでも、交響曲第4番、第8番、第10番の重要性に言及している。やはりショスタコーヴィチの音楽の奥深さと芸術性と人間性との関わりが興味深い。

Kgb 更に余談ではあるが、ショスタコーヴィチそのものの音楽芸術論とは若干離れるが、ソ連というものを少しでも知る上には興味深かった本を紹介しよう。

①アンドレイ・イーレシュ著、瀧澤一郎訳「KGB極秘文書は語る~暴かれた国際事件史の真相」文藝春秋 1993年
②ヤコブレフ、シュワルナゼ、エリツィンら著 世界日報外報部訳・編「”苦闘”ペレストロイカ~改革者たちの希望と焦り」世界日報社 1990年

 
ソ連に於ける「雪解け」から「ペレストロイカ」に至る経過から、その国の実情に少しでも迫ろうとする書である。①は、国家体制が崩れるときに流出した秘密資料にもとづいて、スターリンのまともな死に様でなかった事件などを始め興味深い。②は、ゴルバチョフ書記長のペレストロイカ路線と社会主義体制との相容れない姿を実際の重要人物の声をソ連メディアから集められたもの。ソ連の実態に迫る。この年ベルリンの壁は崩壊した。

 ソヴィエト社会主義社会での世界的作曲家ショスタコーヴィチの交響曲を取り上げて、私自身の興味の歴史や、ショスタコーヴィチの生き様にも触れてみた。これからも更に愛されるであろう彼の音楽に喝采を浴びせつつ・・・取り敢えず締めとする。

 

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2010年3月10日 (水)

ショスタコーヴィチの交響曲(6) 取り敢えず理解のための参考文献(1) ソロモン・ヴォルコフ編書など

ソヴィエト社会からのメッセージと人間としてのメッセージと・・・

 ショスタコーヴィチの交響曲を知ろうとすると、彼ほどその時代考証が必要な作曲家もいないのではないか?。しかし、もともと私自身はショスタコーヴィチは、最も誰もがそうであろうと思うところの”第5番”から興味と感動を持つことになったが、それは付けられている「革命」という俗称に興味を持ったからでなく、たまたま当時のラジオ放送でこの曲を耳にして興味を持ったに過ぎない。そして何とかLPを手に入れたのは1960年代である。
 先日紹介したアンチェル指揮ものは、ようやくステレオ盤も定着してきたときのLP盤である。ローカルな地にいた私にとっては、ようやく手にした記念盤でもある(それでもその後に手に入れたムラヴィンスキーの「第11番」はモノラルである)。若き私にとっては、あのダイナミックな最終章の締めくくりには圧倒されたものだ。
 こうしてショスタコーヴィチの世界にのめり込んでいった訳であるが、当時の私のショスタコーヴィチへの理解の原点は、それぞれのLP盤のライナー・ノーツが重要であった。

Photo  しかし、ショスタコーヴィチの解釈の難しさを本当に知ったのは、先にも紹介した1980年発行の・・・・・・
ソロモン・ヴォルコフ編・水野忠夫訳「ショスタコーヴィチの証言」(中央公論社)
・・・をみてからであった(当時かなり私も意識して購入したと考えられるのは、1981年6月2日と購入日が記してあることだ)。
 まさに衝撃であった。”ヴォルコフによるショスタコーヴィチの回想録”としてスターリン体制の恐怖、諸音楽芸術家の否定的回想には驚愕した。古くからのロシアの音楽芸術には評価をおいていた私であるが、ただ単にその一連の中でのとらえ方しかしていなかった訳である。しかしソヴィエトという世界初の社会主義国家体制における芸術・文化の存在の意義、そしてその環境下のショスタコーヴィチの活動について、初めて思いを馳せることが出来たのである。

 しかしその後、この「証言」の真偽に関しての多くの真贋論争が混沌とする中で、直後(1980年)にソ連で公刊されたグリコーエフ&プラテーク編「ショスタコーヴィチ自伝・時代と自身を語る」が反論に近い内容を展開したという(私は未読)。又その後分析において最も有力であると言われているローレル・フェイの論文がある(むしろ私は最近になって、このフェイ(ファーイとも言う)の著書に接することが出来た。次回に紹介したい)。

Photo_2 その後15年経て・・・・
「ショスタコーヴィチ大研究」(春秋社 1994 )
・・・・・をも手に入れている。
 この本は、森田稔以下十数名によるショスタコーヴィチの生涯についての解説や、曲の分析、時代の話題、関連キーワードの解説などなど多方面からのショスタコーヴィチに対してのアプローチがなされている。
 しかし、既に形が付いたと思われる「証言」の真偽なども含め、諸著者それぞれが決して統一されていない意見があるところもこの本の面白いところでもある。
 しかし、いずれにせよ、単なる御用音楽でないと解されるショスタコーヴィチの世界は、ソヴィエト社会主義革命、ナチスドイツとの戦争とあまりにも激動期の芸術として、その興味が沸くことと同時に評価が高まるところを知らない。

2005aug 更に10年を経て、ショスタコーヴィチ没後30周年を記念しての特集が、雑誌「レコード芸術 2005年8月号(ショスタコーヴィチ・ルネサンス)」でもなされた(左)。
 ここでも、多くの研究家による分析や解説がなされていて興味があった。
 巻頭言として亀山郁夫の”恐怖の自足と刻印”から始まって、後にショスタコーヴィチ研究に精をだしている千葉潤、工藤庸介の解説や、増田良介の曲評価や演奏アルバム紹介など・・・・かなりの充実である。
 いずれにせよ、ショスタコーヴィチの人生、社会環境、政治環境などなど我々には経験のないが為の余りにも理解が難しい点、更にベールに隠れた部分が多いと同時に、彼の創作した音楽の多様性も含めて、議論に事欠かないところが、今日までこうして多々語られる所以であろう。それはソヴェエト社会からのメッセージというところも察知しなければいけないし、又ショスタコーヴィチの人生からの人間的メッセージなのかもしれないし・・・。
(続く : 次回さらにもう少し参考文献を考察したい)

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2010年3月 6日 (土)

ショスタコーヴィチの交響曲(5) 第2番・第3番:若き時代から見えるもの

共産主義保守派と前衛音楽の間の中で・・・・・

 LP盤の再聴・回顧から、私の1960年代に遭遇したショスタコーヴィチの交響曲を再検証しているわけであるが、一般的でない彼の初期の交響曲LPも当時関心が深かったためか手に入れている。それを聴いてみるとショスタコーヴィチを知る上にも興味深い。

Sym23 「SHOSTAKOVICH Symphony No.2 "To October" , Symphony No.3 "May Day" 第2番 「十月革命」、第3番 「メーデー」 / Morton Gould conducting ・ Royal Phil. Orch. & Chorus」 RCA SRA-2546  発売日不詳

 このLP盤は、ショスタコーヴィチの第2・第3交響曲の世界で初めてレコードとしてリリースされた記念的代物。私の若き時代の取得物だ。(ジャケット写真の中央に”World Premie're Recording”と記されている)
 これは、アメリカのモートン・グールド指揮というところが、見方によっては皮肉でもある。

*交響曲第2番ハ長調作品14「十月革命に捧ぐ」は、1927年ショスタコーヴィチ21歳の作品。ソヴィエト社会主義革命10周年に記念するものとして、ソ連国立出版局音楽部門の宣伝部からの委嘱されたものだという。
*交響曲第3番変ホ長調作品20「メーデー」は、1929年レニングラード音楽院大学院の修了作品。初演はレーニンの命日の1930年1月21日。

 このショスタコーヴィチの初期の両交響曲の誕生は、1925年のレニングラード音楽院卒業作品の第1番の成功があったからに他ならない。
Sym115inb_2 (参考:左CD 「SHOSTAKOVICH SYMPHONIES Nos.1&15 / Eliahu INBAL conducting WIENER SYMPHONIER」 DENON COCO-70709 録音1992 2004  = このDENONのインバル指揮のシリーズは、ショスタコーヴィチ(ウィーン交響楽団)の他マラーもの(フランクフルト放送交響楽団)と合わせて充実しており、又現在はそのサービス・シリーズで発売されていてお買い得である)

 この第1番は、いわゆる交響曲の伝統的4楽章構成であるが、ピアニストとしての訓練は積んではいたとはいえ、19歳の作品とは思えない傑作であった。特に内外の新しい音楽に興味を持って吸収していた時で、どちらかと言えば前衛的な多彩な楽器の変化をもった展開はソヴィエトのモーツァルトと言った人もいるとか。当時ショスタコーヴィチ自身は、この曲をグロテスク(異様)という表現をしたようだが、聴くものに印象づける効果は絶大で、初演から好評であった。
 この年にレニングラードに客演したブルノー・ヴァルターはそれを評価し、ベルリンで国外初演し、海外でもショスタコーヴィチは注目されたのだった。

 さて、第2番、第3番交響曲の話に戻るが・・・・・・
 こうした経過は、新生ソ連の音楽界の芸術的展開は、西欧の新しい動きすら敏感に反応する環境があったことにもよる。その中でショスタコーヴィチは次第に前衛的な流れに傾倒して行く中で、第2番が生まれた。又当時知り合うことの出来たソレルチンスキーは、マラー、ブルックナーの研究評価に余念がなく、その姿勢がショスタコーヴィチの創造活動におおいに影響したという。
Photo (左写真:レーニンの演説) 第2番の革命10周年記念という背景を背負って、あの十月革命(言わずと知れたレーニンらのソヴィエト共産党(ボルシェヴキ)指導による労働者プロレタリアートの武装蜂起による社会主義革命)を描くという標題交響曲(当時は”十月革命への交響的捧げもの”と言われたようだ)は、ある意味ではプロレタリア派のプロレタリアートにふさわしい文化活動というモダニズムを否定する領域での制限された活動でもあったのだ。
 しかしこの曲は、ショスタコーヴィチの新らしい手法が散りばめられた音楽に仕上がった。聴き方によってはなかなか難解な曲でもあった。しかし、当初は多くの讃辞を得ることが出来たが、スターリン時代には完全にその手法は否定され、1965年までなかなか日の目をみなかった曲でもある。
 かって私が聴いた印象からは、この第2番は、その後の最も一般に愛されている第5番とは全く異なり、非常に難解である。最後に革命賛歌のコーラスも微妙にアンバランスで、彼の交響曲でも評価の難しい部類に入る。
 しかし標題音楽という制約の中でも、これに続く第3番「メーデー」になると、始めは哀愁ある主題で出発するが、弦の流れも表現豊かに静と動を織り交ぜる。小太鼓の連打、そして弦の急速の流れ、最後のコーラスによる賛歌と意外に纏まりのある曲として印象は良かった。しかし、後の円熟期の交響曲と比すと、やはり如何にも圧倒的に迫ってくるところにおいては未熟といっていいであろう。
 しかし、ここに見るショスタコーヴィチの音楽は、以降に顕著になる体制音楽と芸術的前衛性の間(はざま)での苦闘が既に見えているところに興味が持たれる。

 天才的な音楽的センスのあったショスタコーヴィチも、ソヴェエトの歴史の中での芸術活動の困難な時代を過ごしながら、人間に迫る作業をしてきたという評価が今日的である。そしてその最も新鮮な初期の曲が意外にも彼の音楽を表しているように思えるのだ。

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2010年3月 4日 (木)

ショスタコーヴィチの交響曲(4) 「血の日曜日」を描いた標題交響曲第11番の示すもの

”形式主義の烙印”からの名誉回復は?=秘めたる”国家による民衆への迫害”の悲観論

Sym11 「SHOSTAKOVICH SYMPHONY No11 in G Major , OP.103  "1905" (ショスタコーヴィチ交響曲第11番”1905年”) / Yevgeni MARAVINSKY ・Leningrad Phil.Sym.Orch 」 新世界レコード SH-7710 Recorded in U.S.S.R  発売日不詳

 私の歴史的LP盤は、このムラヴィンスキー指揮の第11番「1905年」である。
 なんとモノラル録音盤ではあるが、録音日の記載がない(1959年か?)。初期の盤はスタジオ盤とライブ盤があるようだが、これはスタジオ盤だ。そして私が購入した年も覚えておらず(多分1970年代前半だろうと思うが)、日本ビクターよりリリースされているが、その日時もスリーブに記載されておらず、今日考えてみれば、いい加減と言えばいい加減な話である。

 しかし、このムラヴィンスキーとレニングラード・フィルハーモニー管弦楽団の演奏は、その緊迫感が凄い。ここまでに緻密さをもって繊細に構築された演奏はそうはない、名盤だ。
 この曲の初演は1957年10月30日、革命40周年を祝う首都モスクワで、ナタン・ラフリン指揮のソヴィエト国立交響楽団によって行われた。

 この第11番の意義を知る為には、そこに至る考察を以下にする。・・・
  前回考察した第7番のその解釈は、ショスタコヴィチ自身の意識は別にして、戦時中の反ファシズム闘争の英雄的戦いとして捉えられ、世界的にももてはやされ、ソヴィエト政府もそれを歓迎して受け入れた。すなわち彼は粛清から逃れられたのであった。
 しかし彼の交響曲への意欲の根源は決してそのようなものでなかったのは前回考察したとおりである。
Sym8 そしてその後の第8番(左:私の推薦するショルティ指揮盤LONDON FOOL-20462)は、戦争の現実(悲劇)に眼を向けた深刻性のある作品(第8は、戦争交響曲と言われた第7.8.9番のなかでは、人間的な思索の芸術性に長けた作品として今日では最も評価が高いが、当時は抹殺された) となったが、ソヴィエト当局のその評価は厳しかった。
 更に1945年、スターリンにより戦争勝利の賛歌が期待された第9番も、まさにスターリンの期待を裏切ったショスタコの抵抗的パロディー作品となった。その結果、再び形式主義作品と断定されてショスタコの評価は地に落ちてしまう。(モスクワ、レニングラード両音楽院教職をも解雇される)

Sym10  そして8年後のスターリン没によってその体制の終焉した1953年になり、ショスタコーヴィチの長年の結晶第10番が発表された。
 (参考:(左CD) 
 「SHOSTAKOVICH Sym.No.10  / Evgen Mravinsky ・Leningrad Phil.Sym.Orch. 」1976録音 VICC-40256)

 ソ連のスターリン統制下のプロパガンダ音楽に飽きていた多くの聴き手にとっては、ショスタコーヴィチの主張性の濃いこの交響曲を聴き、”自由への目覚め”を感じて絶賛した。ここにはスターリンを代表する国家による民衆への迫害を如何にも哀しく暗く描ききっていたのだった。(私の推薦交響曲である)
 一方スターリン体制の実践家ジダーノフの一派からは交響曲全体を覆うペシミズム(悲観論)にソ連社会にとっての不健全さを指摘し、強い疑惑を向けられた。1954年、作曲家同盟の公開討論会においてその評価は2分した論争に至った(「第10論争」)。そして結果としてこの作品には国家的支持は行われなかった。しかし勇気あるショスタコの実践によって、まだまだ行く末の不明瞭な国家情勢においても、特に芸術界における自由化運動は確実に進行したのである。

 さて、ここで交響曲第11番の話に戻る。・・・・・・・
 時は流れてスターリン体制が崩壊3年後の1956年には、フルシチョフの”スターリン批判”が共産党大会で行われるに至った。息を吹き返したショスタコヴィチは翌年の1957年の革命40周年のために標題交響曲として革命評価をする交響曲を作り上げる。それがこの第11番だ。
 第一次革命闘争の発端ともなる1905年1月9日のペテルブルグの広場における市民の請願デモに対して当時のロシアツァー政府側の一斉射撃によって血の海と化した事件。この「血の日曜日」事件はロシア革命運動展開の発端となった悲惨な事件であった。これによって、多くの難題を克服して人民の革命闘争が蜂起するのであった。これを取り上げたこの第11番の標題交響曲は、フルシチョフの時代になって、ショスタコヴィチが初めて国家体制の民衆への迫害をあからさまに批判し、革命の意義を評価し描く対象とすることが出来たのである。もともとレーニンの革命運動の評価を心に秘めていたショスタコヴィチにとっては、非スターリンの時代となって、一つの結実をみる。しかし発表前年にはソヴィエトによるハンガリー自由化弾圧の”ハンガリー動乱”もあり、ほんとに極めて真摯に革命評価が出来たのであったかどうかは解らない。
 私にとっては、この第11番の”静と動”のメリハリの効いた曲、第3楽章の弦による崇高さ、最終章の”警鐘”の暗示的な世界は非常に愛してきた交響曲である。

 ショスタコヴィチは、第5、第7によって、”社会主義リアリズムに即した作品”と言われて、スターリン独裁粛清下でも生き延びることが出来たわけであるが、それはその解釈を説明する言葉は彼からは示されていない。むしろ逆に前回触れた「証言」にあるような、体勢批判と国家的弾圧を悲観する彼の生き様は実は真実であろうとする事が現在の評価の趨勢である。
 しかしこの第11番にして、彼は今度は本当にソヴィエト体勢の中で自分になりきれたのかどうかは不明だ。この社会の中で芸術家がしたたかな抵抗と絶望的な過酷な状況で生き延びた姿が彼の交響曲から見え隠れするのである。
 

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2010年3月 1日 (月)

ショスタコーヴィチの交響曲(3) 第7番:彼の交響曲は墓碑なのか?(「ショスタコーヴィチの証言」は?)

最も物議を醸した交響曲第7番「レニングラード」

 ショスターコーヴィチ(かってそうであったように、私にとっては・・・・ヴィッチであるが、最近の記載から今回より・・・・ヴィチとする)の交響曲としては、最も佳境にはいるのがこの第7番ハ長調作品60「レニングラード」である。特に彼の書いた15の交響曲のうち、この第7と第8・9は戦時下にて書かれたものであり、当時の解釈から”戦争交響曲”として捉えられて来た。

Sym7 「Shistakovich: SYMPHONY no.7 LENINGRAD / Va'clav Neumann ・ Czech Philhamonic Orchestra 」 SUPRAPHON OB-7331~2-S 1976

 この指揮者ノイマンVa'clav Neumannは、私がショスタコーヴィチ交響曲に関心を抱いたLP盤の指揮者カレル・アンチェルがカナダに亡命した後のチェコ・フィルの後継者である。
 そして’70年代に偶然にも私が手に入れたLP盤の第7「レニングラード」は、このチェコ・フィルものであった。
 当時は、いわゆる解説どおりに、この交響曲は”第2次世界大戦におけるナチス・ドイツのレニングラード侵攻に対して、封鎖された900日に及ぶ市民の空襲と砲撃と飢餓とあらゆる物資の欠乏の中で死守した英雄的な攻防戦を描いたもの”として捉えていた。
 つまり第1楽章は、(戦争)不法の侵略を開始し、迫り来るナチス・ドイツ軍の恐怖が襲いかかりつつある情景。第2楽章:(回想)哀愁。第3楽章:(祖国の大地)祖国愛を表す。第4楽章:(勝利)戦争の犠牲者への哀悼の心と勝利宣言。と言った内容に感動しつつ聴いていたものであった。

Photo  しかし、1980年登場した
「ショスタコーヴィチの証言」(ソロモン・ヴォルコフ編、水野忠夫訳 中央公論社 1980 (左) 
・・・・・・・・・・により解釈は大きな変換を強いた。(私のこの本に記したサインを見ると、1981年6月に購入している)

 これはショスタコーヴィチ(以下ショスタコと略す)の友人であるヴォルコフが1971年から1974年までの間にショスタコと面会して、語られたことを纏め上げ、承認を受けたもの。内容からしてソ連おける出版は絶望的であることから、彼の死後に国外にて発表することを委託されたもので、ヴォルコフがアメリカに亡命して一冊の本として刊行したという。
 その内容は、ショスタコの交響曲は当時のソ連の特にスターリン恐怖政治に対する批判的性質のもので、決して当時強要された社会主義リアリズムを賛美して描いたものでない。恐怖におののきながら生死をかけて書き上げた交響曲をはじめ多くの作曲されものは、そうした社会に於ける人間の苦悩とその状況下から形成された人間の永遠の姿を描いていると言うものであった。

 こうした内容により、世界的にショスタコの評価に於ける論争が展開されたのである。特にこの第7番は、かっては戦時中の出来事を描いた標題音楽的なものとして捉え、その壮大な展開と纏まりが素晴らしく非常に支持者が多い反面、一方にはソ連の宣伝的なニュアンスに反感が持たれ、「壮大なる愚作」との評価も下されていた。
 しかし、この「証言」の出版により、この作品はナチス・ドイツのみならず、スターリンによるソ連政府の暴力に向かっての告発と、悲惨な中にも人間の敵はなにか?そしてそれに向かって敵に対する勝利のために力も生命も惜しまなかった同時代の人々の姿を書いたものとの解釈に至り、大きくショスタコ交響曲の評価が変わり、世界的にも多くの人によって演奏され、そして又多くのものの感動も呼ぶようになるのだった。

Stalin  この「証言」の中では、ショスタコ自身の言葉で”私の多くの交響曲は墓碑である”と記されている。そしてスターリン(左)の恐怖政治に徹底的な批判を繰り返す。”ドイツ・ファシズムのみならず、いかなる形態のファシズムも不愉快である”、”ヒトラーが犯罪者であることははっきりしているが、スターリンだって犯罪者なのだ”、”ヒトラーによって殺された人々にたいして、わたしは果てしない心の痛みを覚えるが、それでもスターリンの命令で非業の死をとげた人々にたいしては、それにも増して心の痛みを覚えずにはいられない”

 しかし、これに対して当時のソ連在住のショスタコと親交のあった人々は、”この「証言」は捏造されたもの”と主張した。一方、”ソ連在住の人物の発言は信用に値しない。著名な音楽家の亡命やソ連崩壊をみれば解るのではないか”という支持派もあり、二分してしまう。どうもその後、諸検証により「証言」偽書説に傾いてはいるが、ショスタコ自身の意志に関しては証言の内容に同調している傾向にある。(ただし、訳者の水野忠夫は偽書説を否定し、”音楽だけが真実を語れると信じて生きようとしたショスタコの執念のようなものに注目される”と記している)
 この「証言」騒動の中で、世界に於けるショスタコの交響曲の関心は高まる一方で、”歴史的音楽研究による成果の芸術的作品”として、マーラー以降の傑作と受け入れられるようになる。
 
Sym7rostro  第7交響曲は、ショスタコと親交があった海外亡命したロストロボーヴィッチ指揮のものもある。(左CD)
 「Shostakovich SYM. No7 "LENINGRAD" Rostropovich  National Symphony Orchestra」Warner Classics  WPCS-21105  1989

 ここには、渡辺和彦によりロストロボーヴィッチの言葉が紹介されている。”スターリンによって何百万人もの人々が殺されたのですから、第7に描かれた「悪」は、ファシズムでもあり、スターリンでもあるのです。第7はこの「悪」に抵抗する音楽と考えています”

 いずれにしてもLP盤を復活させて、過去の感動を甦らしている今、確信していることは、このショスタコ第7は私にとっては大切な交響曲なのです。

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2010年2月24日 (水)

ショスタコーヴィッチ交響曲(2) 第5番「革命」の解釈は??

LP盤に聴く世界から得た感動

Sym5bern カレル・アンチェル指揮の「ショスタコーヴィッチ第5」に感動して十数年後の1979年、バーンスタイン指揮のLP盤が登場した(左)。

「SHOSTAKOVITCH  SYMPHONY No.5 in D minor,Op.47 / LEONARD BERNSTEIN  New York Philharmonic」 CBS sony 25AC-808  1979

このLPは当時SONY自慢のMaster Sound シリーズのデジタル・レコーディング盤で、1979年東京文化会館でのライブ録音。 日本の技術を示した好録音で話題であった。この盤は当時になると私のオーディオ装置も神経質になっていたため、現在も殆どスクラッチ・ノイズなしで聴くことが出来る良好に保存されている盤だ。
 さて、この盤のライナー・ノーツは門馬直美が書いているが、その内容は、まだ前回も取り上げた「ショスタコーヴッチの証言」という衝撃的な暴露本が出版される前である。”社会主義体制の芸術批判のもとに、反省し追求して作曲されたものであるが、音楽を愛する人にとっては、そうした傾向などは問題にならずに、人間的な行動力あるいは迫力の普遍性といったことで、この曲は広く愛されている”と記している。つまり、”革命礼賛”ということより、”人間自身の発展性”に迫ったものとしての評価を尊重しての価値観を説いている。
Shostakovich  日本では「革命」という標題が必ず付くが、そうした社会主義リアリズムに迎合したものではなく、ショスタコーヴィッチ(左写真)の共産党統治下のスターリン体制の恐怖の中での人間そのものの苦悩から歓喜へと歩む力を信じての作品とみるべきものであろう。なぜなら彼が共産党機関紙プラウダで非難される前から着手していたと思われる作品であることからも推測されるのである。
 そして、この盤の演奏はバーンスタイン独特の感情導入による演奏がなされている。私が傾倒したカレル・アンチェル指揮盤とは明らかに異なっていた。まず演奏時間が長い(多くのこの第5の演奏と比しても再長であろう)。下に比較を記す。
    アンチェル指揮   バーンスタイン指揮
Ⅰ     14'11''                   17'40''    
Ⅱ             5'27''                    5'18''
Ⅲ            12'52''                  15'59''
Ⅳ            10'11''                  10'11''
 相違はこのとおりだ。特徴は第1及び第3楽章が3分以上長い。私の頭の中はアンチェル盤で固まっているわけで、そこでとくに第1楽章Moderatoのスローな展開は聴いた当初違和感があった。第3楽章Largoの長いのはむしろその意味は理解できる。この交響曲の最も意味をなす楽章と考えられる。ここには人間の濁りのない心情が叙情的に描かれていると言われる。ストリングスと木管だけで描いた世界は実に美しい。長年聴いてくると、マーラーの第5の第4楽章にも通ずる世界でもあり、この交響曲を愛する重要なポイントだ。バーンスタインはそこをジックリと描きたかったのであろう。
 そして敢えて言えば、第4楽章Allegro non troppoの叩き付けるがごとくの迫力とそのリズムは、諸々の演奏者が歓喜を持って描くところである。私がかって若かりし頃には最も関心を持ったところであるが、ショスタコーヴィッチが共産党当局への迎合があったとすれば、革命記念日に初演されたこの交響曲の意味合いにおいても、この第4楽章ではなかろうか?これによって彼は生き延びたと言っていいのかも知れない。

 ショスタコーヴィッチの交響曲の指揮者といえば、最も代表的であるのは、1934年からレニングラード・フィルハーモニー交響楽団の指揮を執り、1938年より50年間常任指揮者であったムラヴィンスキーということになるが、あまりにも誰もが知る代名詞的であるので、ここでは触れない。(後にその他の交響曲を考察するには欠くことが出来ないが・・・・)

Sym5ashken CD時代になって、2001年にはアシュケナージ指揮の第5が登場する。

「SHOSTAKOVICH Symphony No.5 Viladimir Ashkenazy Philharmonia Orchestra」 EXTON OVGL-00009 (SACD) 2001

ショスタコーヴィチと呼ぶようになっており、名前のスペルから”T”が抜けている(これが正しいようだ。ラテン文字転写を間違えたのであろう。従って・・・ヴィッチがヴィチと書かれるようになった。私が接した盤がヴィッチであったことから、それに馴染んでいるが、・・ヴィチが現在は一般的。ムラヴィンスキーの盤はやはり古くから”T”が入っていない)。
 アシュケナージ(Vladimir Davidovich Ashkenazy 1937-)はソヴィエト連邦出身のピアニスト、指揮者として日本でも人気があるが、彼はモスクワ音楽院卒業。1963年にロンドンに移住。アイスランド国籍となる。その為ソ連の彼の公式記録は全て抹殺されたという。(1989年になって改革の進んだソ連に二十数年ぶりに帰郷)
 しかし、ショスタコーヴィチによせる思いも深く、近年演奏を行っている。このアルバムは2001年7月日本のサントリーホールでのライブ録音。
 演奏の骨格は、どちらかというとカレル・アンチェルに近い。しかしこの第5の演奏も評価は良く、ショスタコーヴィチの苦難の中の生き様を見事に描いていると評された。この盤には意味があるかないかは不明だが「革命」の標題がない。

 演奏するもの、聴くものに単純でない解釈がつきまとうショスタコーヴィチの交響曲であるが、更に過去のLP盤を次回に紐解いてみたい。

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2010年2月20日 (土)

LP-playerの復活(7) 感動のショスタコーヴィッチShostakovich交響曲(1)

若き心に迫ったショスタコーヴィッチ交響曲第5番「革命」

 LP用ターンテーブルの復活により、かってのLP盤の再聴をしている中に、私の若き時代が甦ってくる。その重要な位置にあるのがショスタコーヴィッチの交響曲だ。特に当時(1960-70年代)の私にとっては、ベートーヴェンでもなく、モーツァルトでもなく、マーラーとショスタコーヴィッチであった。この両者の交響曲は当時の私に対照的両局を成して迫ってきた。そして血気盛んな若き私にとっては両者に感動しつつ、特にむしろストレートな比較的解りやすい印象のあったショスタコーヴィッチDmitry Dmitriyevich Shostakovich (1906-1975) (最近はショスタコーヴィチと記すことが多い)に傾倒したのであった。

Sym5 「ショスタコーヴィッチ 交響曲第5番作品47 カレル・アンチェル指揮 チェコ・フィルハーモニー管弦楽団」 COLUMBIA(SUPRAPHON) OS-655-S  1966 (録音1961)

 この第5番は「革命」と俗称されるもので、最もショスタコヴィッチの交響曲としては代表的なもの。もちろん私が彼の交響曲を聴くようになったのはこの第5番から。
 そしてここにある紹介するLP盤は、45年前のもの。私にとっては当時購入し貴重な第5番のLPなんです(当時で\2,000 )。この盤ほど繰り返し何度と聴いたものはそうはない。そして今聴いてみるとLP盤には避けられない独特のスクラッチ・ノイズも多くなってしまっているが、実に録音が良い。最近の録音盤とも全く遜色がない。
 このLP盤(アンチェル盤)こそ、私にとってはショスタコーヴィッチの第5番の原点であり基本となっており、そして又曰わく付きのアルバムなのである。
 
 ショスタコーヴィッチの交響曲と言えば、レニングラード生まれの彼のソ連の激動の1930年から1940年代を知らずして聴くことは出来ない。プロレタリア革命進行の内戦の繰り返しによる社会主義国家の建設途上の国家情勢。スターリン独裁体制の確立した1927年以降のソ連における粛清政治下における苦悩。そして第二次世界大戦、ドイツナチスの侵攻との戦い。これらは当然文学、音楽その他芸術分野にも大きくのしかかってくる。特に1936年の600人以上の作家、詩人、芸術家が収容所に送られた大粛清。ショスタコーヴィッチとて例外ではない。いわゆる社会主義リアリズムの中、形式主義批判キャンペーンの対象となり彼自身の生死にもかかわる中にあり、既に作り上げ初演直前にあった第4交響曲を取り下げた(これを演奏したらいったいどうなっただろうか。誰が知ろう、おそらく誰も、なにも言えなかったに相違ない。わたしの生命は終わりを告げたかも知れない=「ショスタコーヴィッチの証言」から)。そうする中で、1937年1月21日、ソヴィエト革命20周年記念日にこの第5交響曲はムラヴィンスキーの指揮によりレニングラード・フィルによって初演されたものだ。
 一般的にはこの交響曲は「革命」という名がついているとおり、ショスタコーヴィッチを救った交響曲となった。それはソヴィエト各地での演奏に、この曲の支持者が増え、”それは逞(たくま)しい精神力と闘争から勝利に”という意味合いに解釈され、共感をおぼえさせたという結果であった。
 しかし後に(ショスタコーヴィッチの死の直後の1980年)、ショスタコーヴィッチの交響曲の解釈は、彼の友人であるソロモン・ボォルコフに託された彼の生き様の記録が、「ショスタコーヴィチの証言」として出版されたこと(西側に秘密裏に持ち出して出版)によって、大きな混乱状態となった。これは日本でも1980年に出版され、翌1981年私は購入した。そして彼の音楽に対する評価(国策迎合かヒューマニズムか)や芸術性について多方面から多くが語られることになる。(「証言」は偽書かどうかの議論が沸騰したもの。この事は次回に譲りたい)

Ancerl  ここでは、このアルバムの指揮者に言及したい。それはこのカレル・アンチェル(Karel Anc'erl  1908-1973)だ。彼を一言で表現すると”悲劇の指揮者”という言葉が適切かも知れない。彼はチェコ出身、1933年プラハ交響楽団の音楽監督になった。
 しかし1939年ナチスのプラハ侵攻によりチェコは併合され、彼の上演曲はナチにそぐわない、又彼自身はユダヤ系であったことから、幼い息子を含む家族全員と共にアウシュビッツ収容所に入れられ、ここで家族全員がガス室で虐殺される。彼自身のみ生き残ったが、その理由は最後まで語られていない。それは憶測では、彼は収容所の強制労働に向かわされたユダヤ人の送迎や収容所に着いた人々に対してのオーケストラ演奏を課せられていたらしい。この演奏というのはあくまでも収容されたユダヤ人の人々を強制労働、虐殺ということからカモフラージュするための手段であったようだ。まさに悲劇の中の彼の音楽活動であった。
 こうした暗い悲惨な人生を送った彼が、チェコがナチの支配から解放された後に、楽壇への復帰を果たしたのである。しかしソ連の衛星国化した中で反共運動家のもとにあったチェコ・フィルは低迷した。しかし彼の悲惨な現実を背負った中から生まれる努力はすさまじく、チェコ・フィルは再興したのだった。そしてこのショスタコーヴィチの第5交響曲の演奏が行われ1961年に録音されたものだ。(しかし、この後の1968年のチェコの反共的動きに対してソ連を中心としたワルシャワ条約機構軍の軍事介入「プラハの春」事件によりカナダに亡命)

 ショスタコーヴィッチの暗黒の世界からの作品を、悲劇の指揮者カレル・アンチェルによってチェコ・フィルが演奏したこの作品は、両者の壮絶な環境の中から生まれ出た名作である。アンチェルが単なるソヴィエト革命下のスターリン体制を礼賛の曲として演奏したとは思えない。そうであったら取り上げていなかったであろう。彼がこの曲に秘められたショスタコーヴィッチの政治的粛清による死の恐怖下の生き様に思い馳せていたと思う。実はそれがショスタコーヴィッチの第5交響曲なのかも知れない。

Sym5ancerlcd ところで、このブログを書きながらネットで調べてみると、なんと左のように私が45年前に虜になったこのアンチェル指揮の第5番が、コロンビアミュージックエンタテイメント(株)からCD(the classics 1000 シリーズ)としてリリースされているではないか。まさに驚きであった。(「Shostakovich SYMPHONY No.5 Festive Overture / Karel Anc'erl , Czech Philharmonic Orchestra」 SUPRAPHON COCO-70591 1961.11.11録音 \1,000 )
 当然手に入れたのは言うまでもない(まさしくそれは今日のことである)。そして1961年の素晴らしい演奏と録音に喝采を浴びせるのである。
  ・・・・・・・次回に続く

 

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