アンジェイ・ワイダ

2018年3月 5日 (月)

抵抗の巨匠・アンジェイ・ワイダの遺作映画「残像」

画家(芸術家)の生きる道は?、芸術の表現の自由は?

<ポーランド映画>
アンジェイ・ワイダAndrzej Wajda監督 「Powidoki (残像)」
DVD / ALBATROS / JPN / ALBSD2157 / 2017

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 ポーランドの映画「灰とダイヤモンド」で知られる抵抗の巨匠アンジェイ・ワイダ監督(1926-2016)の遺作である。第2次大戦後のソビエト連邦下におかれたポーランドで社会主義政権による圧政に不屈の精神で立ち向かった実在の前衛画家ブワディスワフ・ストゥシェミンスキ(1893-1952)の生涯を描いたドラマ。日本では昨年6月公開映画だが、DVDで私の愛蔵盤としたいために昨年末にリリースされたDVDにより鑑賞したもの。

2008_04_22__andrzej_wajda_2監督 アンジェイ・ワイダ (→)
製作 ミハウ・クフィェチンスキ
 
脚本 アンジェイ・ワイダ、アンジェイ・ムラルチク
撮影 パヴェウ・エデルマン(映画「戦場のピアニスト」)
音楽 アンジェイ・パヌフニフ
美術 インガ・パラチ

 (キャスト)
ヴワディスワフ・ストゥシェミンスキ : ボグスワフ・リンダ
ハンナ(学生) : ゾフィア・ビフラチュ 
ニカ・ストゥシェミンスカ(娘)  : ブロニスワバ・ザマホフスカ
ユリアン・プシボシ(詩人) : クシシュトフ・ビチェンスキー
ヴウォジミェシュ・ソコルスキ(文化大臣) : シモン・ボブロフスキ
ロマン(学生): トマシュ・ヴウォソク

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 とにかく90歳になろうとしていたアンジェイ・ワイダの作品である。彼はこれを最後の作品と思って制作したのだろうか?、あの名作「灰とダイヤモンド」(1958年ポーランド映画)をオーバーラップしてしまう同時代の「己の芸術の魂には妥協が許しがたいという生き様の芸術家」を描くことにより、自らの人生をも描ききったのであろうか。

 映画は、自然の緑の美しい草原にて「絵画と芸術」を語るところから始まる。あのナチスドイツに支配され、アウシュヴィッツ収容所にみるがごとき忌まわしいホロコーストの時代をようやくのこと克服してきたポーランドの平和な姿が描かれているのだ。
 しかし彫刻家の妻カタジナ・コブロと共にポーランド前衛芸術の基盤を築いた主人公の画家ストゥシェミンスキは、アトリエにての描こうとしているキャンバスは、真っ赤な色に変わった(この映画の不吉な「赤」からのスタートは上手いですね)。これはソ連共産主義社会のスターリン像の赤い旗が窓を被ったからであった。
 これは戦後のソ連の属国化したポーランドに於いて、スターリン全体主義思想に支配された中で、自由な表現活動を追求しようとする芸術家の抵抗の孤独な闘いを描いた作品である。欧米の自由主義思想を敵視し、それを根絶しようとする国家主義による圧政の恐ろしさは、主人公の芸術家人生が追い詰められていく姿、又生きるために自己を否定してゆかざるを得ない一般庶民の姿、これらを観るものに現実の厳しさをもって迫ってくる。

640b<アンジェイ・ワイダのテーマは?>
 一方、この映画に出てくるセリフには多くの考えさせられる言葉が・・・・
▶「”わたし(芸術)”は”イデオロギー(社会に支配的集団によって提示される観念=ここでは国家)”より優先する」
▶「残像とは、人がものを見た後の網膜に残されるイメージと色だ」
▶「人は認識したものしか見ていない」
・・・・などなど。
 単に芸術にまつわる含蓄のある言葉と捉えて良いものか、多分単純にそうではないと思うのである。
 共産主義の「赤」、娘のまとうコートの「赤」、妻の作品にみる「赤」など、おそらくここでは「赤」は一つのテーマにしているのだと思う。そして愛妻の美しい瞳の「青」と対比している。そしてこの「青」は「残像」として認識される「赤」の補色(緑みの青=シアン)であるからだ。そしてその補色関係にある両者の色にワイダは意味づけを込めているだろう事を知るべきだ。補色により色は輝くのである。このあたりは単純では無い。
 
800pxdmitri_shostakovich_2<スターリンの圧政>
 この映画を観るに付け、一方私の頭をよぎるのは、ソ連の作曲家ショスタコーヴィチ(→)の生き様である。やはりスターリン時代に生き抜いた彼の人生も、属国となったポーランドのみならず本国に於いても当然その圧政との闘いであった。「私の交響曲の大多数は墓碑である」(ソロモン・ヴォルコフ編「ショスタコーヴィチの証言」)と言わしめた彼の作品。避難と呪詛を浴び、恐怖にとらわれながらも、音楽だけが真実を語れると信じて生きようとしたショスタコーヴィチ。ソ連の芸術家の抵抗と絶望的なまでに困難な状況の過酷さは、ポーランドにおいてもこの前衛画家ストゥシェミンスキにみることが出来る。

<この映画の流れ>
 とにかく政府当局の迫害は更にエスカレートし、この画家は社会主義リアリズムを求める党規則に反する独自の芸術の道を進んだ為、名声も尊厳も踏みにじられ、教授職を解かれ身分保障も剥奪され、更に作品をも破棄され、食料配給も受けられないばかりか画材すらも入手困難に追われる。
 病気の身となり、死が迫ってきた彼は、失った妻の為に最後にすることがあると、妻の墓地に敢えて白い花を赤の対立する補色の「青い花」に染めて捧げる。困窮の果てに彼は動くことすら容易でない身で職を求め、裸体のマネキンが並ぶショウウインドーの中で倒れ込み、悲惨な死を遂げる。
 しかし・・・・ここには救いはないのか?、抑圧によるこんな困窮の生活の中で母を喪い、尊敬する父をも喪った幼き娘ニカ(1936-2001)(↓)の姿にみえるたくましい生き様が私には印象深く救いでもある。(参考:実際には、彼女は後に精神科医となり、回想録『芸術・愛情・憎悪――カタジナ・コブロ(母)とヴワディスワフ・ストゥシェミンスキについて』を遺したとのこと)

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★ 監督アンジェイ・ワイダは・・・・
 一般に言われるとおり「レジスタンス」の人と言って良いだろう。彼の90歳の人生の中で、彼が求めた「祖国への愛」「自由」は、”ドイツ・ナチの残虐性に対する抵抗”でもあったのは当然だが、むしろ更なる国家全体主義による人民を抑えつける圧制、特にスターリンに代表される国家の名の下に行われる独裁政治による粛正と圧政、そして残虐行為、これらに対する抵抗が人生の全てであったと思われる。何故なら彼は亡命して生きる道もあったにも関わらず、一時は所在・生死すら解らない状態で(事実は解らないが、一時投獄されているという噂もあった)自国ポーランドにて闘い、ようやくにして1989年以降の解放のポーランドを迎えたのであった。
 既に哀しき時代に生きた彼も亡くなって今年で2年になろうとしているが、過去ばかりで無く現在においても、この作品にみる共産主義国の国家的統制社会のみでなく、如何なる国に於いても何処に於いても国家主義・全体主義の名の下に起こりうる悲劇を我々に教えているように思う。

一人の人間がどのように国家に抵抗するのか。
表現の自由を得るために、どれだけの代償を払わねばならないのか。
全体主義の中、個人はどのような選択を迫られるのか。
これらの問題は過去のことと思われていましたが、
今、ふたたびゆっくりと私たちを苦しめ始めています。
・・・・これらにどのような答えを出すべきか、私たちは既に知っているのです。
このことを忘れてはなりません。
                      (アンジェイ・ワイダ 2016年初夏)

(参考映像)

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2016年10月15日 (土)

アンジェイ・ワイダAndrzej Wajda監督 波乱の人生に幕

多くの教訓を残して90歳で死去

640  悲しい訃報ですが、'50年代後半からポーランド映画界での活躍によって、映画史に残る映画監督・巨匠アンジェイ・ワイダ Andrzej Wajdaが10月9日に亡くなった。90歳でした。

 初期の代表作「抵抗三部作」と言われる(「世代」、「地下水道」、 灰とダイヤモンド」)でも日本でも広く知られて来た訳だが、ポーランド社会の宿命的苛酷な運命を描き、それは国際的評価を得た。ポーランドの激動の時代に波瀾万丈の人生を生き抜いて来たワイダは、映画を通じて我々に多くの教訓を残してきた。

58_ その多くの作品の中でも、まず「灰とダイヤモンド」(1958)は、私の映画史に於いても重要な位置にある。ドイツ・ナチス占領下からドイツ降服に至った直後の1945年のポーランドを背景に、そこにみたソ連共産主義統治下の圧政に対しての抵抗組織に属した青年を描いたもの。その彼が労働党書記を暗殺しようとすることで起こる暗い悲劇の物語だ。ゴミ捨て場で人間の価値観も感じられない虫けらのように息絶える主人公のラストの姿の虚しさを見るにつけ、歴史に翻弄されるポーランドの悲劇そのものを描いて衝撃的でした。

   アンジェイ・ワイダは、1926年、ポーランド北東部スヴァウキ生まれ。第二次世界大戦中は反ナチスのレジスタンス活動に参加した。ウッチ映画大学を卒業後、1954年に「世代」で監督デビュー。常にポーランドを愛し、この国の苛酷な運命を描いた。
   81年には、ポーランド民主化を率いた自主管理労組「連帯」を題材にした「鉄の男」を発表し、カンヌ映画祭のパルムドール(最高賞)を獲得した。だが同年の戒厳令で映画は公開禁止となり、映画人協会長の職を追われた。その後一時消息不明となる。
 しかし民主化激動の89~91年には上院議員を務め、連帯議長から大統領に就任したワレサ氏の諮問機関「文化評議会」の議長に就いた。

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 2000年以降も80歳という高齢でありながら、創作意欲はすざまじく、ソ連によるポーランド軍人らの2万人以上と言われる大量虐殺事件が題材の「カティンの森」(07年)を製作した。この映画の描く虐殺された軍人の一人は彼の父親でもあったことから、ワイダにとってはようやく自由を勝ち取ったポーランドで描かざるを得なかった宿命の映画であっとも言える。この映画が日本に紹介されるまでは、彼の存在すら明らかで無く、投獄されていたという話もあった時期があった。その為この映画の出現は、映画以上に私にとっては驚きを持って歓迎したのであった。

 更にポーランド民主化への労働者に生まれた運動を描いた「ワレサ 連帯の男」(13年)などを発表した。もうここまで来ると映画の出来ということより彼の生きてきた執念の総決算という感じだった。
 そして今年、90歳になっても、共産主義時代を生きた前衛芸術家を描く新作を完成させたばかりだった。

 一方、ポーランドと言う国は歴史的にも日本との関係は良好で、今でも語られる杉浦千畝のユダヤ人救出、シベリアにおけるポーランド孤児救出、モンテ・カシーノの激戦にてポーランド部隊と日系人部隊の共闘などから親日家が多い。
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 芸術を愛するワイダも若き日に浮世絵などの日本美術に感銘を受け、そんなところからも親日家だった。87年に受賞した京都賞の賞金を基金に母国の古都クラクフに日本美術技術センター「マンガ」(→)を設立した。このセンターは日本の伝統工芸品や美術作品で中・東欧随一のコレクションを持っている。

 アンジェイ・ワイダの死は、世の定めとは言え日本にとっても悲しい出来事である。しかし彼もようやく安らかな時を迎えたのかも知れない。いずれにしてもご冥福を祈りたい。

(参考)<アンジェイ・ワイダ監督作品>

 世代 Pokolenie (1955年)
地下水道 Kanał (1957年)
灰とダイヤモンド Popioł i diament (1958年)
ロトナ Lotna (1959年)
夜の終りに Niewinni czarodzieje (1960年)
サムソン Samson (1961年
シベリアのマクベス夫人 Powiatowa lady Makbet (1962年)
Popioły (1965年)
Gate to Paradise (1968年)
すべて売り物 Wszystko na sprzedaż (1969年)
蝿取り紙 Polowanie na muchy (1969年)
戦いのあとの風景 Krajobraz po bitwie (1970年)
白樺の林 Brzezina (1970年)
婚礼 Wesele (1973年)
約束の土地 Ziemia obiecana (1975年)
大理石の男 Człowiek z marmuru (1977年)
麻酔なし Bez znieczulenia (1978年)
ヴィルコの娘たち Panny z Wilka (1979年)
ザ・コンダクター Dyrygent (1980年)
鉄の男 Człowiek z żelaza (1981年)
ダントン Danton (1983年)
ドイツの恋 Un amour en allemagne (1983年)
愛の記録 Kronika wypadków miłosnych (1986年)
悪霊 Les possédes (1988年)
コルチャック先生 Korczak (1990年)
鷲の指輪 Pierścionek z orłem w koronie (1992年)
ナスターシャ Nastasja (1994年)
聖週間 Wielki Tydzien (1995年)
Panna Nikt (1996年)
パン・タデウシュ物語 Pan Tadeusz (1999年)
Zemsta (2002年)
カティンの森 Katyń (2007年)
菖蒲 Tatarak (2009年)
ワレサ 連帯の男 Walesa. Czlowiek z Nadziei (2013年)

(アンジェイ・ワイダの人生)

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2013年9月24日 (火)

ブログの製本化=「ココログ出版」終了に思う~アンジェイ・ワイダ、ロジャー・ウォーターズ

ブログを書籍として出版の意味は?そしてブログ自身の将来は?
   ~「灰とダイアモンド」、「月の裏側の世界」に期したものとは~

目下全五冊の「灰とダイアモンドと月の裏側の世界」

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(製本化された当ブログ)

 この”Niftyのブログ=ココログ”を利用して小生のブログ「灰とダイアモンドと月の裏側の世界」を書き始めたのは2006年12月24日”「灰とダイヤモンドの世界は・・・・」”というもの。既に思い起こすと6年半以上が経過している。

Katyn_wajda もともとこのブログは映画や音楽、書籍などを通じて”問題意識”というものを大切にして行きたいという発想からであったのだが・・・・。
「灰とダイアモンド」
 当初”信念のポーランドの独立運動家としてのアンジェイ・ワイダ”を、彼の監督する映画の抵抗三部作といわれる作品の中の「灰とダイヤモンド」 を取り上げた。
 この作品は、ポーランドにおける第二次世界大戦末期のドイツ軍の降伏によって解放されたかと思われた際のロンドン亡命政府系ゲリラと、ソ連を背景に持ったポーランド労働党との内紛の姿を描いた。ワイダの描くところはポーランドの悲願の独立を期すところ・・・・、しかしその後は悲劇のソ連統治下に置かれ、近年の解放される前には、一時彼の消息は全く無く、投獄されているという話もあった。そんなところからもポーランドのアンジェイ・ワイダの意志は語り繋いで行かねばならないと思っていた。
 しかしこのブログを始めて後に、驚いたことに「カティンの森」 というアンジェイ・ワイダの作品が登場した(2007年)。これは私にとっては夢にも思わなかった驚きの彼の健在のニュースであった。この映画は、ベルリンの壁崩壊からポーランドもソ連から解放されるに到り、その結果自由が獲得されたことから、彼の人生の究極のあるところを80歳を過ぎて執念で描き完成させたもの。この事は私にとって彼の健在を知ることが出來て感動したところであった。しかもその後逆に日本の東日本大震災においては、彼からの激励のメッセージが日本に届いたことは更に驚きであった。私のブログが始まって以降、全く信じられないほどの展開もあったわけである。(又、彼の目下のところの最後の2009年作品「菖蒲」は、これからDVDとしてリリースされるので観ようと思っている)
 そして目下彼は87歳にして最後の作品として、「ワレサ」に意欲を高めている。既に製作に入ったかどうかは不明だが、あの自主管理労働組合「連帯」のリーダーのワレサ(元大統領)を描こうとしているのだ。

Rogerw1 一方、「月の裏側の世界」と言うのは私の音楽においてのリアルタイムなロックの歴史でもある~ご存じ”ピンク・フロイドの世界”だ。あの”当初のリーダーのシド・バレットが行ってしまった狂気の世界”。それを必死で次いだロジャー・ウォーターズにより表現された世界("The Dark Side of The Moon"=地球からは見れない月の裏側)。つまり常人では理解不可能な人間の狂気の世界を意味していたのだが・・・・・・。
 このことに限らず、”ロックRock”と簡単に言ってしまうが、このロックは多くのミュージシャンにより1960ー70年代に世界が躍動し動いた音楽だ。ここにこそ、”若い者のエネルギー”が、”問題意識”が、”訴えの世界”更に”創造の世界”が存在しているのだという事を書きたかったところであった。つまり私の年代は奇しくもロックの歴史と平行して流れてきたのである。
 ロジャー・ォーターズも70歳になろうとして、大規模のものとしては最後のライブと宣言し「THE WALL」ライブを目下4年間にわたって行っている。そこに流れるものは彼の戦争にからんでの不幸な自己の人生を背景として、人間の壁、そして社会の壁を描き、ここに来てイスラエル問題に対峙している。あの築かれたガザ地区の壁の撤廃を求め、イスラエルの人権侵害、国際法への違反を訴えている。

No22 ・・・・・・・しかし、時が流れると同時に、このブログに書き込むテーマも私の単なる趣味化してゆくことになり、いつの間にか「私の趣味の世界の備忘録」となってしまった。そんな訳で見たもの聞いたものなどを記録しいるといったところが現状の姿である。

 そうしたところから、それならば製本化しておけば、将来多分忘れてしまうこともあろかと思われるので、何か意味でもあるかも知れないと・・・・・・現在までこのブログ「ココログ」の企画されている”ココログ出版”を通して製本化してきたわけである。それがいつの間にやら一冊230-250頁の本が五冊となってしまった。ここまで来るとなんとなく製本も止めてしまうのも面白くないので続けゆきたいと思っていたが、残念なことになんとここに来てこの”ココロク出版”による出版サービスが終了と言うことになった。
 なにかちょっと寂しいなような気もする中で、これもインターネット社会の変化の中での一つの現象とも取れる。つまりブログというものも一つの転機が訪れたと言うことを表しているのであろう。かって”インターネットという情報コミュニケーション社会”が形成される以前に、”パソコン通信”というものがあったが、それに私は没頭したした一時期があった。考えてみればそれも歴史の一幕であった。多分この”ブログ社会”も、”ホームページ”のパターンを超えて普及し社会現象化したとはいえ、それも歴史の一幕になって行くのであろう。(既にTwitter社会が広がっている)

 私自身もそんな中で、この当ブログをどうゆうものにするか、丁度考えるに良い時を迎えたと思っている。しかし目下のところ、そうは言っても私は多くの人の書かれるブログを拝見することが出來、そして結構楽しませて頂いている現状がまだまだここにはある。その事は、まだまだ大切にして行きたいと思うところでもあり・・・・、慌てず急がず次の時代も見据えて今後に対峙して行こうと思っているところである。

(試視聴)「灰とダイヤモンド」 http://www.youtube.com/watch?v=fdDo-gDkCFo&list=PLF294DA0CB4007180
       「カティンの森」 http://www.youtube.com/watch?v=1o6yWgR2at8
       「THE WALL-LIVE」 http://www.youtube.com/watch?v=OKxt-fOCB1s

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2011年3月21日 (月)

「灰とダイアモンド」のアンジェイ・ワイダ氏からの手紙 : 東北関東(東日本)大震災

”ポーランド冷戦下時代の反体制運動家・映画監督”からの日本人への励まし

 今回の大震災の直接的被害を受けなかった私であるが、平静を保ちながらも、何か平常時と違う感覚下にいる。このブログでも平静を保つ事が我々の目下必要なことと思いつつ、音楽などの感想を書いてはみたものの、何か地に足が付いていない。そうした時に、あのアンジェイ・ワイダ氏(このブログのタイトルのよって至るところ)からの励ましの手紙が日本に届いた。
               *        *        *
Andrzej_wajda 日本の友人たちへ。
 このたびの苦難の時に当たって、心の底からご同情申し上げます。深く悲しみをともにすると同時に、称賛の思いも強くしています。恐るべき大災害に皆さんが立ち向かう姿をみると、常に日本人に対して抱き続けてきた尊敬の念を新たにします。その姿は、世界中が見習うべき模範です。
 ポーランドのテレビに映し出される大地震と津波の恐るべき映像。美しい国に途方もない災いが降りかかっています。それを見て、問わずにはいられません。「大自然が与えるこのような残酷非道に対し、人はどう応えたらいいのか」
 私はこう答えるのみです。「こうした経験を積み重ねて、日本人は強くなった。理解を超えた自然の力は、民族の運命であり、民族の生活の一部だという事実を、何世紀にもわたり日本人は受け入れてきた。今度のような悲劇や苦難を乗り越えて日本民族は生き続け、国を再建していくでしょう」
 日本の友人達よ。
 あなた方の国民性の素晴らしい点はすべて、ある事実を常に意識していることとつながっています。すなわち、人はいつ何時、危機に直面して自己の生き方を見直さざるをえなくなるか分からない、という事実です。
 それにもかかわらず、日本人が悲観主義に陥らないのは、驚くべき事であり、また素晴らしいことであります。悲観どころか日本の芸術には生きることへの喜びと楽観があふれています。日本の芸術は人の本質を見事に描き、力強く、様式においても完璧です。
 日本は私にとっては大切な国です。日本での仕事や日本への旅で出会い、個人的に知遇を得た多くの人々。ポーランドの古都クラクフに日本美術・技術センターを建設するのに協力しあった仲間たち。天皇、皇后両殿下に同行してクラクフを訪れた皆さんは、日本とその文化が、ポーランドでいかに尊敬の念をもって見られているか、知っているに違いありません。
 2002年7月の、あの忘れられないご訪問は、私たちにとって記念すべき出来事であり、以来、毎年、私たちの日本美術・技術センターでは記念行事を行ってきました。
 日本の皆さんへ。
 私はあなたたちに思いをはせています。この悪夢が早く終わって、繰り返されないよう、心から願っています。この至難の時を、力強く、決意をもって乗り越えられんことを。
 ワルシャワより、
 アンジェイ・ワイダ

                   (信濃毎日新聞2011.3.21より)
 
 

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2010年7月21日 (水)

映画「カティンの森」~抵抗の監督アンジェイ・ワイダの執念~(戦争映画の裏側の世界-2-)

ポーランドの悲劇を今ここに世に問う・・・・

Dvd ポーランド映画「KATYN'  カティンの森」 2007製作 配給アルバトロス (日本公開2009.12.5)
  
 監督:アンジェイ・ワイダ Andrzej Wajda 
 制作:ミハウ・クフィェチンスキ
 脚本:アンジェイ・ワイダ
 原作:アンジェイ・ムラクチク
 撮影:パヴェル・エデルマン
 出演者:マヤ・オスタシェフスカ
      アルトゥル・ジミイェフスキ

 この映画は、1940年ポーランドにおいて第2次世界大戦中に起きたロシア(旧ソ連)の行為による悲劇的事件”カティンの森事件”を取り上げている。ソ連占領下のポーランドで、国の中枢を担う軍人(将校たち)など1万5000人以上の捕虜が、スターリン指導下のソ連軍により裁判もなく一方的にカティンの森で大量に銃殺され森の地中に埋められたのがこの事件である。
 しかし、この事件は戦後もソ連支配となったポーランドにおいては語ることも禁じられ、歴史の闇の中に葬り去られていた。そしてソ連崩壊後1990年になって初めてソ連はゴルバチョフによりこの事実を認めることになる。

Photo  そしてこの映画は、ポーランドの”抵抗3部作”と言われる映画(「世代」(1954)、「地下水道」(1956)、「灰とダイアモンド」(1957))で有名なアンジェイ・ワイダ監督 (左)の執念の渾身の作品。彼の生涯をかけてのテーマである第二次世界大戦中そして戦後のソ連支配下のポーランド体制のレジスタンス活動から、反ナチズム、更にはソ連のスターリニズムの告発とポーランドの悲劇を訴え、その総集編とも言える作品で、80歳を超してもまだみなぎる彼の信念の力作である。
 (参考:特に映画「灰とダイアモンド」は、私のこのブログのテーマでもあり、第一号アーティクルとして2006年12月24日に取り上げている)
 
 映画の物語の作りは、実際に遺された手紙や日記をもとに、ソ連軍に捉えられた将校たちの姿を描きつつ、彼らの帰還を待つ家族特に女性たちの苦悩をつづりながらこの悲劇的事件を告発してゆく。
Story_img_1  銃殺されたアンジェイ大尉の妻のそれでも”生”を信じて一筋の希望をたよりに生きるアンナの哀しき生き様。
 大将の妻ルジャはドイツの発表したカティンの犠牲者リストに夫の名を見る。しかしドイツの思惑に乗ることを拒否して悲劇の人生を送る。
 アグニェシュカは非業の死の兄のロザリオを受け取り、墓碑を作る。その墓碑には”1940年カティンに死す”と記した。それは反ソ宣伝をした罪として逮捕される。
 タデウシュはアンナの甥。父親を虐殺され、レジスタンス活動をしていたが、ソ連を受け入れることが出来ず警察の車でひき殺される。

Story_img  もともとドイツ:ヒットラーとソ連:スターリンの密約によって、ポーランドへの両国の侵攻が起ったものだ。映画は西からのドイツ軍から逃げる市民と、東からのソ連赤軍から逃げる市民が、鉄橋の上でかちあわせになり、混乱するシーンから始まる。これがポーランドの悲劇そのものの姿であった。
 監督アンジェイ・ワイダは、彼の父がソ連捕虜になりカティン犠牲者であったこと。犠牲者リストには名が誤記されていた為、母は夫(ワイダの父)の無事生還を死去(1950年)するまでその希望を持って生きたこと。これらの自分の生々しい体験から、この事件についてその真相を訴えた映画の製作を試みるも、戦後のソ連支配下ポーランド体制の中では許されることではなかった。しかし、彼はそれらソ連の非人道的体質の告発は既に抵抗3部作において描いていた。そしてその後の映画「大理石の男」など一連の彼の映画製作の行為は反国家的行為と烙印を押されポーランドから追放されてしまっている(かっては投獄されたとも伝えられていた)。しかしその後のポーランドのソ連からの解放を期に帰還し、ようやく80歳を過ぎてこの事件の映画化に着手。なんと17年経て製作が実現できたものだ。

Jecy1_1  この”カティンの森事件”は、ドイツ軍により1943年にソ連犯罪として当初暴露されたが、ソ連は全面否定しむしろドイツの残虐行為として宣伝した。ドイツは1945年のニュルンベルグ裁判によるドイツ・ナチス否定の中でソ連告発は困難であった。こんな事情から戦後20年に及んでこの事件は闇の中にあったのだ。
 ソ連の解体とともに、この事件の究明の動きも活発化した。2000年にソ連プーチン大統領はこの事件のポーランドとの合同調査に同意した。そしてスターリン時代のソ連の汚点が確認されたのだ。
 
 そしてこの映画の終章に描かれる将校の銃殺シーンは、けっして忘れてはならない戦争という国家間の紛争下での人間の感覚を超えた悲惨な行為の現実を浮き彫りにした。この映画により、ポーランドそしてソ連、ドイツに歴史の真相を認識させ、世界に悲惨な事件の真実を知らしめ、現代の我々にアンジェイ・ワイダは人生をかけて伝えているのである。

     

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2006年12月24日 (日)

<序言> 「灰とダイアモンドの世界」は・・・・映画「灰とダイヤモンド」、Rock「The Final Cut」

 松明のごと、なれの身より火花の飛び散るとき

  なれ知らずや、我が身をこがしつつ自由の身となれるを   

 持てるものは失わるべきさだめにあるを

  残るはただ灰とあらしのごと深淵に落ち行く昏迷のみなるを

    永遠の勝利のあかつきに、灰の底ふかく   

 さんさんたるダイアモンドの残らんことを・・・・・・

(ポーランドの詩人ツィプリアン・カミル・ノルヴィットcyprian kamil norwidの作品「舞台裏にて」にあるという一節である。訳は映画「灰とダイアモンド」の日本語字幕から)      

<映画>
アンジェイ・ワイダ監督「灰とダイアモンド」=私の映画史(1) 1958 ポーランド映画

Dvd  第二次世界大戦後のソ連体制下のポーランドにて、共産派新政権に対してレジスタンスに生きて悲惨な死をとげる若き闘士(マチェック)を描く。
 バーにいた美しい給仕クリスチナとの愛を知り、生きることの意義を知る中で、自分のテロリストの意義は何か?悩みながらノルヴィットの詩”灰とダイアモンド”(廃墟と化した教会で、マチェックとクリスチナは愛を確認する時、そこの墓銘に”君は知らぬ、燃え尽きた灰の底に、ダイアモンドがひそむことを”を見る)と交錯して、ズビグニエフ・チブルスキー演ずる主人公の若者マチェックは、同じ国の人間同士の戦いに無惨な死の時を迎える。壮絶な彼の死のシーンは、観るものにポーランドという国の歴史的状況の複雑な厳しさとその悲劇を訴えてくる。
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監督:アンジェイ・ワイダAndrzej Wajda
原作:イェジー・アンジェイエフスキーJerzy Andrzejewski

キャスト
 ズビグニエフ・チブルスキーZbigniew Cybulski :Maciek
 エヴァ・クジイジェフスカEva Krzyzwska : Krystyna
 アダム・パウリコフスキーAdam Pawlikoski : Andrzej

 世界歴史上(もちろん日本に於いても)、「灰とダイアモンドという言葉が我々の耳にすることになるのは、やはりアンジェイ・ワイダの映画が大いにその役割を果たした結果であろう。その言葉の意味は、若き人々の生き様に強烈なメッセージを送っている。ポーランドの作家であり詩人であるノルヴィットは、歴史的な困難を抱えた国において、人間を深く見つめ、懐疑と聡明なる知力にて、人というものに迫ったという。   

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 *          *          *          *

音楽(ROCK)
 
 Pink Floyd / 「the final cut」 1983 

 ロック・グループPink Floydを語るとき、結成当初のシド・バレット(今年2006死亡)は忘れられない存在であることは論を待たない。しかし、世界に彼らの存在を知らしめることになるのは、当初からのメンバーであるベーシストのロジャー・ウォーターズのコンセプト(その一つは「狂気The Dark Side of The Moon」=”月の裏側の世界”)、そしてブルージーなディヴィット・ギルモアのギター・サウンドが主役である。しかしウォーターズの存在したPink Floydの最後のアルバムとなるこの「the final cut」こそは、数多いロック界に残る名盤の中でも、一際灰の中に光る一粒のダイアモンドのごとく存在する。

Thefinalcut a requiem for the post war dream by roger waters と記し、彼の父親(彼が生まれた直後に戦争に出征し、その戦いで死亡したためその後一度も会っていない)に捧げられたところに、彼のソロに近いアルバムであるとの評価は間違っていない。
 ロック・アルバムというものの考え方や評価、音楽論に於いても、グループ活動が長い年月を経ると、その中には次第に相違が生まれ、亀裂が生ずるのは多くのグループが経験することだ。ピンク・フロイドも例外ではない。そして分裂の危機感ある緊張の中で作られたのがこのアルバムである。そのようなものであるだけに、逆に中身は濃い。ウォーターズの主張は先鋭化して前面に出る、そうしたことに対立したギルモアであるが、彼の奏でるギターのサウンドは極めて哀しく美しい。
Thefinalcutart

 このアルバムの最後の曲である”two suns in the sunset”に、ロジャーによって書かれた詩には、”灰とダイアモンド”という言葉が登場する。

   ついに ボクは理解した 

    後に残された少数者の気持ちを・・・・

    灰とダイアモンド

    敵と友人

    結局 僕らは皆おなじなのだ

                    (山本安見 訳) 

 (注: 最後の文章"結局 僕らは皆おなじなのだ"は、むしろ"最後の時を迎えたときは、僕らは全ておなじになってしまうのだ"と、訳す方が解りやすい)

 と、ここにこのように”灰とダイアモンド”が・・・・・・・・。

 この「Final Cut」の世界は、ウォーターズが英国の”フォークランド紛争”の悲惨な現実を見たときに、彼の問題意識による血が騒いだ結果であり、父親の戦死と交錯して、若い命を奪われていく無惨な世界に黙っていられなかった結果でもある。それはPink Floydとして長く繋がれてきた仲間とも袂を別にしてでも、このアルバムを通して訴えざるを得ないところに追い込まれたとみてよい。つまりそれは彼の生涯の戦いのテーマでもある為に。
  そして一方、このアルバムの曲"southampton dock"には、息子を戦場に送る悲痛な母親の姿が歌われ、特に英国市民の善良な兵士の母親達の涙をさそうことになった。

 このブログのプロローグでは、ここまでにとどめよう。しかし、この「灰とダイアモンド」のテーマはこれがスタートである。 

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