マーラー

2011年6月 7日 (火)

マーラー Gustav Mahler の世界(5) : 没後100年記念として・・・・

語ることに尽きないマーラー~特にユダヤ人として~

 私にとっては、ショスターコーヴィチそしてマーラーというのは一つのテーマでもある。両者はここで何回か取り上げて来たが、そのマーラーGustav Mahler は1911年2月に連鎖球菌敗血症により亜急性心内膜炎を発症し重体となり、5月にはアメリカ(1910年に渡米していた)を離れパリで治療を受け、その後5月にはウィーンへ戻り、レーヴのサナトリウムに移され、状態悪化で死亡。50歳であった。
 そして今年2011年はマーラー没後丁度100年という年である。それを記念して諸々の企画がある中で、今ここで改めてマーラーを見つめてみようという機運も高まっている。そんな時に私が興味を持ったマーラー特集本があるので紹介しよう。

Photo 文藝別冊(KAWADE夢ムック)「マーラー : 没後100年記念 総特集 」 河出書房新社 2011.4.30発行

 マーラーの特集本であるだけに、総曲解説・CD評などからマーラー年譜などそれなりに一応網羅している。ただし、データなどはかなり大まかで、それほど期待しない方がよい。
 ただ私の興味をひいたのは、ここに12人の各分野の著名人のエッセイが載っていることだ。むしろこうしたところがこの本の読みどころであるといっていい。

 以前に紹介した音楽の友社の「作曲家・人と作品シリーズ:マーラー」(2011.1.16 マーラーの世界(2)参照)の著者の精神医学者村井翔氏は”マーラーの精神分析”を、フロイトとの出会いから始まってマーラーの心理状態を作品と対比して書いている。
 又、必ずマーラー論となると妻のアルマが登場するわけであるが、これに関しても音楽評論の加藤浩子が”ファム・ファタルか触媒か”と題して彼女をとりまく男性群を分析している。(触媒という発想が面白いが・・・)

 常にマーラーの音楽のよって来るところを語るとなると、必ず彼のトラウマ論が出てくるのであるが、子供、男性、夫ということでは母親との関係、妻との関係が語られるし、音楽の世界としてはブラームスやヴァーグナーそしてブルックナーなどが語られる。

Gustav_mahler_1909_2  しかし、マーラーにとって基本的に非常に重大であったのは、やはりユダヤ人としての宿命であったと思う。そしてそれについては、ここでは・・・・・

末延芳晴
”マーラーにおけるユダヤ性と普遍共同性~失われた「大地」を求めて”

        ・・・・というエッセイが非常に面白かった。
 ここでは、マーラーが当時オーストリア領のチェコ近郊のベシュト村(現チェコのカリシュチェ)に、ユダヤ商人のベルンハント・マーラーとその妻との間に、2番目の子として生まれたことからその宿命は始まることから書かれている。つまり人間が人間として生きていく上で不可欠な、言語、宗教、生活習俗、国家、市民権といった普遍的共同性を奪われたところで生きていく運命として・・・・。
 そうした環境下で生きて行く道は三つしかないと語る。
 ①一つは、徹底的に特殊共同性を背負らされた人間としてそのその特殊性を際だたせること。しかしそれはゲットーという檻の中に閉じこめられ、忌避と蔑視、差別の対象として生きていくことを強いられる。
 ②もう一つは、可能な限りユダヤ的な記号性を消し去る。存在する国家共同体に同調・同化して生きる。マーラーはこの道を選んだ。それは罪責意識、深刻な内面的分裂と葛藤に苦しみ悩むことになる。
 ③ところが、第三の道として、人間を分断する現実世界の壁を、言葉や思想や音、さらには知の力によって暴力的に絶対突破し、そこに開けたアナーキーな、しかし自由で可塑的な時空間に、宗教であれ、思想や哲学であれ、芸術であれ、それまで存在することのなかった、全く新しい価値の普遍性を体現した世界(トポス)を対抗的に創造すること。全く新しく独立した絶対普遍共同的世界を創り上げる。これはイエス・キリストやカール・マルクスの世界であり、それをマーラーは目指したのか(交響曲「巨人」、「復活」などのよって来たるところからみて)?。
 こうして著者はマーラーのユダヤ人としての音楽世界における格闘の分析を試みている。(参考:著者末延芳晴は1942年生まれ、東大文学部卒、ニューヨークに25年在住、米国現代音楽批評、帰国後文芸評論も。著書「永井荷風の見たあめりか」、「森鴎外と日清・日露戦争」など)興味あるエッセイであった。

 マーラーは1911年に没したために、その約20年後のナチスのユダヤ人迫害(1933年頃から)をみてはいない。ホロコーストholocaustの悲劇は体験していないが、それに進みつつある世界の中にいた。彼が音楽の世界で、指揮者として、作曲家として何かを超えようとしていたことは、死後100年を経た今日の彼の音楽や世界観の研究が続いていること自体がその証明であると言っていいのであろう。

Photo
(花の季節 : カルミヤ(白) = 我が家の庭から)

 
 
 

 

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2011年1月20日 (木)

マーラー Gustav Mahler の世界(4) ・私の映画史(12) : 第五交響曲の映画音楽としての魅力

第5交響曲嬰ハ短調はマーラーの最も聴かれる交響曲(映画「ベニスに死す」の感動)

Zinmansym5 「Gustav MAHLER /  SYMPHONY NO.5 (交響曲第5番) デイヴィット・ジンマン指揮 チューリッヒ・トーンハレ管弦楽団」 SACD multi-ch盤 RCA CD 88697 31450 2,  2008

 前回インバルの第5(DENON盤)を紹介したが、これは演奏・録音とも比較的優秀な最近盤である。マーラーの交響曲ではこの第5は最も人気があるため、近年比較的多くのCDリリースがあるが、SACD盤でMulti-ch盤で奥行きが十分感じられ繊細にして美しい録音盤だ。(Hybrid盤でCD-Stereo再生も可能だが、Multi-Chで聴いていただきたい)
 そして肝心の演奏だが、国際マーラー協会版全集の新版楽譜が用いられている。とにかく美しい。そして荒さがない。しかも激しい盛り上がりも押し寄せる波を思わせる。ヴァイオリンは両翼配置をしているようであり、弦楽器の合奏はパノラマのごとく広がり感があって気分が良い。

Gmahlarcaric  この曲、ベートーヴェンの第5と同じに、葬送行進曲からのスタートで”暗”からスタートするが、進行は”明”に向かってゆく。又、なんといってもマーラーの曲の特徴である難解な部分は少なく、明快。それがファンを多くしているかも知れない。   40歳を過ぎたところで、アルマとの結婚により、マーラーの世界は広い人脈を得ることが出来て、最も人生では絶頂の時にあったのが一つの要因であろう。
 それにつけても第1楽章の冒頭のトランペットのファンファーレに続いての全楽器の合奏のオープニングは見事であり、そしてなんといっても第4楽章の美しさは聴くものを捉えて離さない。

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Death_in_vence私の映画史(12)

映画「ベニスに死す Death in Venice」イタリア・フランス合作映画 1971年製作・公開 

 ちょっと昔話になってしまうが、このヴィスコンティ監督の映画は、マーラーの交響曲を現代の大衆に浸透させた歴史的快挙の作品であった。

製作・脚本・監督:ルキノ・ヴィスコンティ
原作:トーマス・マン(1912年)
出演者
  ダーク・ボガード:アンシェンバハ
  ビョルン・アンドレセン:タジオ
  シルヴァーナ・マンガーノ:タジオの母

(ストーリー)
 ベニス(ヴェネツィア)に向かう船から物語は始まる。それには老作曲家アンシェンバハが一人旅で乗っていた。その舟に上流階級のポーランド人家族がおり、その少年タジオに理想の美をアンシェンバハは見いだす。彼のベニスにての生活はタジオを求めてのものになってしまう。時にベニスにはコレラが蔓延し、旅行者はベニスから立ち去って行くが、彼はタジオを求めて立ち去れない。そしてコレラに感染してしまう。タジオとその家族も立ち去る日が来た。しかし彼は少年の海の波に戯れる姿を見ながら死を迎えることになる。化粧をして少しでも美しくなろうとした老人の顔は、汗でそれが醜く流れ落ちるのであった。
 人生の黄昏における歓喜描いた名作として今日でも多くのファンがいる。

Deathinvence1  この哀しき老人の姿を描くバックには、マーラーの第5交響曲の第4楽章アダージェットが哀しく美しく流れ、観るものを感動の世界に導く。私もかってそうした感動に浸ったものだ。
 原作者のトーマス・マンは、マーラーとは交際があった。そしてこの小説は自己のベニスへの旅の経験から生まれたものの執筆に及んだものであるが、マーラーが死去したため、実はこの主人公の老作曲家はマーラーを意識して描いているという。
 又、黄昏期の老人の哀愁はウィスコンティ監督自身の心情を表したとも言われている。ターク・ボガードは、この役柄をごく自然に演じこなしているところが見所。
 実は私は数年前にヴェネツィアを訪れ、この映画の舞台になったホテルに宿泊した。現在も玄関の位置は変わっているが、建物はそのままで古いものに手をかけていて快適に泊まれる。そして映画のシーンを肌で感ずることが出来た。又、アンシェンバハが最後の力で美少年に向かおうとして死亡して行くシーンのホテルの海岸はやはりそのままである。ただ、海岸の休息施設は見事に現代風に変わっていた。

 なお、この40年前の映画が、「キネマ旬報」の昨年の企画においても”読者が選んだ、心に残る外国映画”のベスト10に入っている。映画史と音楽史に残る映画といえる。

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2011年1月19日 (水)

マーラー Gustav Mahler の世界(3) : 第五交響曲(その1)~人間模様~

「交響曲第五番嬰ハ短調」:マーラーの人生絶頂期の作品

Mahler1  これは、マーラーが1901年から1902年(41-42歳)の約1年間をかけて完成させた交響曲。マーラーの人生でも最大のエポックである妻アルマ(恋多き女性、ファム・ファタールFemme fataleとして有名。後に二人の関係は破綻してゆく)との恋愛から結婚という時の作品であることが注目される。
 私自身もこの第5番は、かって1970年代にカラヤンやバーンスタインで、初めてマーラーを知った交響曲であり、そんな意味でも印象深い。もともとマーラーは、交響曲の中に声楽を組み入れた手法に注目点があるわけであるが、この第5、そしてそれに続く第6、第7は”純粋器楽交響曲”であり、見方によってはこれらは3部作か?とも言われるところだ。そして特に第5は彼の新展開の曲、またはベートーベン等を意識しての彼の一つの挑戦のスタートとも見られる。
 もう一つは、この交響曲は古典的構成への回帰という見方もある。それは彼も40歳となり、人生の安定を冒険や挑戦から一歩進んで得ようとするところにあり、彼の交響曲は自叙伝であるとの見方がされる点と一致している。
 形式的に見て、2+1+2の対照的な5楽章より成り立っている。第3楽章のスケルツォが第2部で、第1と2楽章の第1部と第4と5楽章の第3部をシンメトリックに配置されているというのだ。それによりこの点は必ずしも古典回帰ではないと言う見方も多い。
 
 さて、私自身は学問的に音楽論を身につけているわけでもなく、音楽研究家でもない。そう有意味では”単純に聴いて引きつけられる何かがあるかどうか、そして感動するところにあるかどうか”というところでの音楽評価になる。
 なんと言っても第一楽章の葬送行進曲のスタートの圧巻から100%引きつけられる。トランペットのファンファーレ、そして全楽器の合奏で圧倒して序奏を形成、このあたりは非常に解りやすい。そして第4楽章アダージェットの弦楽とハープだけで演奏される旋律美には誰をもして感動ものであろう。これはマーラーがアルマに対する愛の告白との説もあるが、それはどうも現在一般的に否定的なようだ。
 いずれにしても、私にとってはマーラー交響曲の原点であり、今も最も安心して聴けるのがこの第5である。

Inbalsym5  かってのLP時代からCD時代となり、そして中でも好録音をも求めた結果、DENONのインバル盤(1986年)を非常によく聴いたのを思い出す。

「 マラー交響曲第5番 / エリアフ・インバル指揮 フランクフルト放送交響楽団」 1986.年録音 DENON 33CO-1088  1986

 この後インバルは、東京都交響楽団で1995年サントリー・ホールでこの第5を録音している(フォンティックFOCD9244 好録音盤)。

Alma2_2   マーラーは先にも触れたが、丁度この第5の作曲時が、彼の人生としては最も重大な恋愛と結婚をする時であった。時に41歳から42歳にかけてである。そしてその相手が19歳年下のアルマ・シンドラー(左)である。彼女は美貌と多才で既に多くの男性と恋愛してきたタイプである。一方歌曲の作曲もしていたが、その師アレクサンダー・ツェムリンスキーとも恋愛関係にあった。その最中にマーラーとの最初の出会いが1901年11月7日であった。マーラーは直ちに11月28日には求婚している。12月7日秘密裏に婚約という早業。マーラーがここまで夢中になった理由は、これほど美人で才気がありしかも教養溢れていた女性に会ったことがなかったと言うことであろうと想像されている。
 しかし、当時のマーラーは彼女に自己の作品を捧げることにより、彼女の作曲活動などを中止させ家庭に縛り込むエネルギーがあり、活動的な彼女もそれに屈して結婚に踏み切った。それも子供を身籠もったことにもよる。つまりマーラーにとって当時は40歳過ぎてから訪れた人生の一大発展の時であった。そしてこの第5交響曲は完成をみる。

 マーラーの音楽理解のためには、彼のユダヤ人であることの世界も重要であったとみれる。そしてそのユダヤ人の歴史は差別と迫害の歴史といってもいい。そもそもユダヤ人とはその定義すら難しいが、あえて簡単に言うと基本的にはユダヤ教信者であればいい。一方母親がユダヤ人であればユダヤ人であり(母系社会)、このように宗教的因子と人種的因子がからんでいる。そのユダヤ人は差別され、迫害を受けそして嫌われてきた。
 紀元前のエジプトでの迫害、一神教の特異性、モーゼによるエジプト脱出からパレスチナに築いた王国の崩壊、祖国を持たない異邦人、その異邦人の下賤な能力(”ベニスの商人”に代表される金貸しなどの彼らの能力)、彼らの信じているユダヤ教とキリスト教(西欧社会の最右翼に浸透)は基本的に相容れないもの(それは神の子を認めるか認めないかという点にも集約されるが、イエスの受難(ユダヤ人による)からのユダヤ教徒への憎悪と不信感はキリスト教徒には浸透している)、ヨーロッパにおけるユダヤ人ゲットー(特別居住区)の不気味な人種と民族的優秀さ、貧しい因習的な姿などなど・・・・彼らは常に非ユダヤ人から嫌われてきたのである。
 しかし、ユダヤ人のマーラー自身も改宗してキリスト教徒西欧人に同化したわけだが、同化に遅れたユダヤ人に対して差別的目線を持っていたと言われる。それほどマーラーはユダヤ人であることの偏見意識のトラウマを持っていたことを窺い知れるのだ。そしてそのことは彼の音楽のどこかに潜んでいるのは事実であろう。
              (続く)

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2011年1月16日 (日)

マーラー Gustav Mahler の世界(2) : さらなる交響曲第十番嬰ヘ長調の考察

この第十番の裏にあった世界

 私にとって衝撃を受けたエリアフ・インバルによるクック復元版の交響曲第10番は、1990年代に入っての感動であった。そもそもこの未完成交響曲は、第1楽章「アダージョ」もしくは第2楽章「スケネツォ」までは、マーラーによる総譜はあるが、その第3楽章から第5楽章は、少なくとも清書されたフルスコアがない。そのため、それぞれ研究家によって補作され、演奏可能版あるいは完成版として作成され演奏されてきた。(そんな事情から、第一楽章のみの演奏盤もある)インバルはクック復元版を取り上げているわけだ。

補作版作成の主なる音楽学者は・・・・

 1. デリック・クック (イギリス)      1919-1976 
 2. クリントン・カーペンター (アメリカ)  1921-
 3. ジョイ・ホイーラー (イギリス)     1927-1977
 4. レモ・マゼッテイ・ジュニア(アメリカ)  1957-
 5. ルドルフ・バルシャイ(ロシア)      1924-

などである。特にクック復元版の特徴は、もともと残されたスコアとパルティチェル(器楽伴奏を省いた簡易スコア)に忠実で、大きな脚色もなく演奏可能な状態に持って行ったところにある。従って最もその評価は高い。一方、カーペンター版はマーラーのスタイルを研究し、比較的大胆に補筆を行ったところにクック版と大きな違いがあり「完成版」と謳っている。この両者が双極を成している。

Zinmansym5 「Gustav MAHLER / SYMPHONY NO.10 (交響曲第10番) デイヴィッド・ジンマン指揮 チューリッヒ・トーンハレ管弦楽団  」 SACD マルチch盤 RCA 88697 76895 2 ,  2010

 これは、2010年録音の最新盤。前回紹介したインバル指揮のクック版と異なり、カーペンター Clinton A. Carpenter 版である。 ジンマン David Zinman はマーラー交響曲全曲の演奏録音を企画し行ってきてこの第10番に到達した。もともとジンマンの演奏スタイルは極めて素直で又極端な誇張なくやや静かな繊細な演奏と言っていい。そしてこの私の衝撃を受けた第4楽章から第5楽章にかけての太鼓の響きは、たたき付けるがごとくでなく、やや遠方から響き渡るがごとくに聞こえてくる。インバルの強烈な一撃とは異なる。
 これは実はかって私が抱いていたいわゆるマーラー的と言っていいが、インバルの強力な一撃と比較すると、ちょっと物足りないとも言える。
 この盤の録音は素晴らしい。SACDサラウンド盤としての臨場感は一級で、非常に音は繊細である。一口に言うと高級オーディオ装置向きといったところか。

Alma_1900  さて、前回も触れたが、この第10番の描く世界はマーラーの妻アルマとの関係が大いに語られるところである。ファム・ファタール(恋多くして、そして男たちを破滅させる魔性の女)と言われる彼女、マーラー42歳の時23歳で結婚、歳の差19歳であった。美貌と能力と活動性を備えていた彼女は、家庭主婦役に押さえられていたマーラーとの結婚生活に不満を抱き8年後精神状態不安定(かってのヒステリーと言われた状態)で転地療養に入った。その際、建築家ヴァルター・グロピウスと恋に落ちる。1910年マーラー50歳の時である。まさにその時、この第10番の作曲中であった。
 形だけは結婚状態を維持されていたこの夫婦の関係は、完全にアルマの心はマーラーから離れ、マーラーはアルマに固執した状態であった。マーラーのこうした心理状態はこの交響曲第10番の第3楽章以降に、彼女を失うことの恐れから書き込みがスケッチとして行われた。
 第5楽章末尾:「君のために生き、君のために死す! アルムシ(妻アルマの愛称)!」の記載、第4楽章:この楽章が閉じられる私が衝撃を受けた大太鼓の一撃、それは「死の打撃」と表現されており、「お前だけがこの意味するところを知っている。ああ、ああ、ああ、さようなら私の竪琴よ」と書かれているという。
 全てではないにしろ、この第10番の世界は、マーラーの悲惨な心情が加味された作品としてみれるということは間違いはなさそうだ。

Photo こうしたマーラーの心情にメスを入れる格好の入門書がある。(左)

「作曲家・人と作品シリーズ : マーラーGustav Mahler  村井 翔著」音楽の友社

著者は早稲田大学文学部教授で、専門はフロイト、ラカン精神分析学であるようだ。マーラーがフロイトの下に、このアルマの不倫を知って渋々指導を受けるようになった状況なども非常に興味深く記している。
 マーラーの交響曲の音楽的評価もなかなか鋭く知識も豊富で非常に面白い本である。私にとっても多くのマーラー本の中でも特に参考になったものであり、関心のある方にはお勧めである。

 マーラーと妻アルマとの関係について、最終的にはマーラーが彼女を失うことを恐れ、彼女の要求全てを受け入れる弱い初老期の人間に化した時に、更に彼女の心を失ってゆく過程を見事に分析している。このあたりはフロイトのマーラーやアルマの分析を参考にして説得力のあるものになっている。

 マーラーの交響曲第10番の背景を見ながら、一つの考察をしてみたわけだが、マーラー分析にはその他のポイントにも続いて焦点を当ててみたい。  (続く)

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2011年1月 3日 (月)

マーラー Gustav Mahler の世界(1) : 未完成交響曲第十番嬰へ長調の衝撃

妻アルマ不倫事件との関係からフロイトとの出会い。そしてそれから生まれたものは?

Gustav_mahler1909  私がマーラーを語るのはあまりにも未熟である。しかし思い返せばマーラーの音楽(交響曲)との出会いは私の人生の2/3以上前であり、かなり古い話になる。それ以来長いお付き合いであるので、ここで少々語ってもお許しいただけるだろう。
 交響曲や協奏曲などに絞っても、かなり私の愛好する作曲家は多いのだが、とにもかくにも常にテーマになっているのは、このマーラーとショスタコーヴィチである。既に何回かショスタコーヴィチには触れたので、このあたりでこのマーラーに少々焦点を当てたくなった。

 特にマーラー Gustav Mahler(1860-1911)はボヘミア生まれのドイツ系ユダヤ人ということから、おおよそ想像のつく世界が見えてくる。多くの民謡による音楽の世界は充実した環境であったと推測出来るが、一方それとは別に社会的・精神的苦闘を強いられた人間が、その事実を一つのトラウマとして人生の根底に持ちながら苦闘し発展しての成果が音楽の中に包埋しているであろうことが推測されるのだ。従って、どこかにかげりというか陽ではなく陰の部分を我々は感ずることになる。それは人間探求の姿として描かれる部分でもあり、それに聴くものは共感を得ることも事実であろう。

 さて、このマーラーの交響曲に絞ってみると、後期ロマン派の代表的な役割を果たしたと言う評価が一般的通念だ。しかし彼はブラームスと対立するブルックナーの弟子であったことが作曲家としての成果を上げるには厳しく、道を開くにはそれなりの時間を要したという。
 マーラーの人生については諸々の書籍を見ると人間の本質についてのテーマに焦点は向いていく。このことについてはおいおい語ってみたいが、ここでは私自身が彼の作品に如何に接してきたかについて言及したい。

Inbalsym10 「マーラー 交響曲第10番(D.クック復元版) / エリアフ・インバル指揮、フランクフルト放送交響楽団 」 1992年録音 DENON COCO-70479  1993

 マーラーの交響曲には、私自身が関心を抱いたのはLP時代の1970年代だった。そして多分多くがそうであったと思う”交響曲第1番ニ長調<巨人>”や”交響曲第5番嬰ハ短調”に引き込まれていったのだった。当時はマーラーの交響曲の長さからLP2枚組が一般的であったのを思い出す。あの5番の第4楽章アダージェットの哀しき美しさには聴いたもの誰をも引きつけられてしまう魅力がある。

 しかし私が最も驚愕したのは未完の遺作であった”交響曲第10番嬰へ長調”である。実はこの曲は第1楽章アダージョのみの演奏には接していたが、第5楽章までの通しての鑑賞は決して昔のことではなかった。このインバルのマーラー交響曲全曲録音の完結版と言える第10番完全演奏CDに接したのは1993年である。
 この第10番は、第1楽章アダージョのみが総譜が完成していた曲であり、その為、第1楽章のみの演奏が行われていたもの多かった。そして第2楽章以降には多くの研究家による異なったバージョンがある為、それによって私はこの第10番には通して接することを試みていなかったのである。しかしこのDENONのインバル指揮のマーラー・シリーズは、当時録音は傑出していたし、インバルの描くマーラーに興味があって、約20年前に全曲のCDを持つ中でこの第10番を第5楽章まで聴くことになったのだった。

 そして私が最も驚いたのは第4楽章末尾部と第5楽章の展開であった。デリック・クックにより復元されたこの未完成交響曲第10番をとりいれて、インバルの描く世界は、マーラーの心の葛藤と音楽としての構築が見事にシンクロして聴くものに衝撃を与える。”死”を意識した心を描く中での静と動、太鼓の絶妙な間隔をもっての一撃一撃はまさに衝撃であった。第4楽章の末部は静を呼び、そこに大太鼓の一撃で終わる。そして続いて第5楽章にこの大太鼓の打撃をそのまま絶妙な間隔で展開する。これこそは聴く私にとって衝撃であった。
 私はむしろこのマーラーの死に繋がる最終作品を聴くことによって、逆に過去の交響曲が何であったかを再び聞き直さなければならない状況に追い込まれた。

Sigmund_freud
 マーラーは、丁度この第10番の作成に入った時あの精神分析で有名な心理学者のジークムント・フロイトSigmund Freud(左)との出会いがあった。それは、マラー約10年前に42歳の時、19歳も若い才女アルマと結婚し、そして現在32歳になったその妻の青年建築家ヴァルター・クロビウスとの不倫を知ることになった。彼女との関係の破綻による衝撃により自己反省の世界に入った時である。
 もともとこの妻アルマも、マーラーにより彼女の能力発揮の場である音楽世界の活動を禁じられ、社会や男性側からの抑圧による神経症ヒステリー状態にあり、転地療養中であった。そこでクロビウスとの恋におちる。
 マーラーは尋常な状態から破綻しながらも作曲活動はつづいた。特にフロイトとの接触による心の奥を覗かれることに恐怖心が強かったが、結局はフロイトの指導により作曲活動は続けられたのだ。
 
 第10番には、このマーラーの妻との関係破綻に人生の破綻を感じながらその不安定な心情を描き、更に常にマーラーにつきまとう”死”の影をも描いていたと理解される。
 
 実はこの未完成の第10番こそは、マーラー交響曲の一つの特徴であるいつも”死”の影の見える過去の10の交響曲を知る重要なキーであるように思えてならない。ここに見えるマーラーの姿は、もう少し掘り下げなければ、彼を理解することにならない。彼がユダヤ人であったことも含めてさ更なる検討を続けていってみたい。(続く)
 

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