手塚治虫漫画全集(2) : 愛する「鉄腕アトム」”海蛇島の巻”
ロボットであるがゆえのアトムの哀愁
「手塚治虫漫画全集」全400巻は講談社という出版社の誇りと意地によって成し遂げられた偉業と言っていいと私は思っている。この全集を手中にしたかったきっかけは前回お話ししたとおりであるが、この全集からの話題を一つ取り上げてみたい。
「鉄腕アトム」というのはもちろん手塚治虫の代表作の一つであることは誰も異論がないであろう。ただ私にとっては、これが「科学冒険漫画:アトム大使」と言う題で、ケン一少年を主人公に始まった雑誌「少年」でのスタートが強烈な印象となっている。それが一年(昭和26年4月から27年3月)連載して「鉄腕アトム」という題となるわけであるが、その後一般に思われている科学アクションものと言うよりは、そうした環境を舞台にしてのかなり人間くさい内容であったと思っている。そんな中で、私の愛する物語を取り上げてみたい。
光文社の雑誌「少年」昭和28年8月号付録「MIGHTY ATOM アトム赤道をゆく」
雑誌連載2年以上経て、人気漫画となった「鉄腕アトム」の短編完結物語の付録であったこの話は、後に”海蛇島の巻”として現在も愛されているもの。私も「鉄腕アトム」の多くの話の中での5本の指に入る。
そしてこの「手塚治虫漫画全集」には、約10年後の昭和39年に光文社のカッパ・コミクス「鉄腕アトム2巻」に”海蛇島の巻”として修正・リメイクされたものが収載されている。
この物語では、赤道直下の島でのウラニューム大鉱脈を手に入れようとしている悪徳者に奴隷的に働かされている人達との出会いに、アトムの救出活動を舞台に展開する人間ドラマである。
手塚治虫はロボットであるアトムの話の中では”ロボット法”というものを必ず出す。これは人間とロボットの主従関係を規定しているもので、ロボットはかってのアメリカにおける黒人の虐げられた環境に通ずるものがある。この物語でも自由を束縛されたロボットの位置関係を想定し、また人間同様の意識を持つようになったロボットの人間との関係においての哀しさを描いている。この物語は非常にドラマチックな展開で興味をそそりながら、アトムが密かに心を寄せる女の子が、アトムをロボットと知らないことによってアトムは哀しく身を引いてゆく哀愁も描いているのだ。
(上=クリック拡大)は、オリジナル版”アトム赤道をゆく”のエンディングである。赤道直下の南の島でアトムに助けられた女の子ルミコとその父親が、アトムの通っている学校を訪れる。ルミコはアトムは人間と思っていて、助けられた際にアトムは傷ついてそれにより死んだと思っている。実はロボットであり簡単に修理され元気であるのだが、ロボットということも知られたくなく 、その子に会いたいが仲間に知らないと言って去ってゆく女の子ルミコの姿をただただ見送るしかすべがなかった。
さて、後のリメイク版が左である。題名は”海蛇島の巻”になっている。ここでは面白いことに、オリジナル版ではアトムと心の通じ合った女の子ルミコの父親は、あのヒゲオヤジであるが、リメイク版では異なった父親になっている。そしてアトムの通う学校の先生と兄弟という設定だが、リメイク版では全く別の人として扱われている。
このように結構後には修正やリメイクは他の場合も結構ある。しかしオリジナルものにはそれはそれ結構荒っぽい話の展開やちょっとつじつまの合わないところなどがあって、見方によっては、完璧でないところが又楽しいと言うことにもなる。
これが、リメイク版のラスト・シーンである。見送るアトムと最後にうなだれているアトムが印象的である。これが後にアトムの初恋であったのではという見方もある。
まさしく、手塚治虫の描くロボットのアトムは人間としての生き方をしているところが魅力である。しかしそれとは裏腹にロボットであるがゆえの社会規制の中で生きなければならないこと、又人間としての生き方は結局のところ出来ないものとしての悲哀をこの物語では描いている。
手塚治虫の作品の魅力、そして私が愛するところはそんなところに大きなポイントがあるように思う。数多くの作品の中で印象的なものは数え切れない訳であるが、その一つを取り上げてみた。
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