中西 繁

2015年10月 8日 (木)

中西 繁「哀愁のパリ」油彩画展からのお話

今回は、パリの美しさと哀愁と・・・・・・そして人間性

 ここ一週間において、楽しく嬉しいイベントがありました。私がかってこのブログでも取り上げさせていただいた中西繁画伯の作品展を鑑賞できました。
 (中西繁先生については、ちょっと量がありますが、当ブログ・カテゴリー”中西繁http://osnogfloyd.cocolog-nifty.com/blog/cat44430537/index.html”を、通して見て頂くと、私が何故期待しているかがご理解いただけると思います)

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         (中西繁画「雨のモンパルナス」F8~油彩画展案内から)

 実は今回の重大なイベントは、油彩画展鑑賞に加えての先生との”絵画は勿論ですが、それを超えたお話”が出来たことです。
 私は先生には以前にも書いた事があるのですが、三つのポイントで大きな関心を持っているのです。それは①「絵画の技術と美」、②「哀愁の心」、③「人間的・社会的問題意識」と言って良いでしょうか?。

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        (今回の「油彩画展」~中西繁先生の公開写真)

 そして今回の油彩画展は「哀愁のパリ」とテーマされてありますから、①および②が中心の世界ですが、実は私どもの為に数時間も用意して頂いたことになった”楽しい会合”によって、先生の魅力ポイントに④を追加したいと思っています。
  その追加ポイントは「魅力的な人間性」といったところでしょうか。この魅力は、感ずる者によって左右されるものであると思いますが、私にとっては更なる大きな魅力が感じ取れたと言うことで、今回のイベントの大きさを感じているところです。それはこの油彩画展に展示された作品に、あのパリのセーヌ川にかかる「ポン・デ・ザール」と「ボン・ヌフ」を描いた2作があったのですが(写真を撮るのは控えましたので、ここで紹介できないのですが)、そのセーヌ川の色の輝きです。これはなんと言っても観た者でなければ解らないところですが、まさにこれが中西繁画伯の人間性の輝きと思ったところです。絵画というのは、こうしたその人の姿が現れるところが素晴らしいですね。

 さて、この点については、いずれもう少し究めたいと思っていますが、今日はこんなイベントがあって、私にはこんなプラス・ポイントが加わったと言うことを記させて頂いて、いずれここに詳しく紹介したいと思っているところです。

(参考映像) 中西繁展「廃墟と再生」

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2015年3月12日 (木)

男のロマンのエッセイ集:中西繁著「À Paris~ゴッホの部屋の日々」(その2)~映画「男と女」

       <My Photo Album 瞬光残像 = フランス編>

中西繁先生の「パリ」に刺激されて・・・・私も懐かしのもう何年か前の「パリ・セーヌの夜」の撮影モノクロ・フィルムを引っ張り出しての一枚です(↓)。この頃は”夜のパリ”が好きでした。

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サンジュ橋pont au change 越しに観るコンシェルジュリーLa Conciergerie (遠くにはエッフェル塔のライトが見える)

          *    *    *    *
さて、本題↓

 男のロマン貫く・・・・・・中西繁

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 フランスとは・・・・まさにオールラウンドに芸術の国と、私自身の人生の中では位置付いている。中西繁の絵画の世界は当然として、私の好んだ音楽や映画そして写真の世界でも・・・なかなかこの国の右に出るのは簡単には見つからない。
 さて、中西繁のエッセイ集「ゴッホの部屋の日々」感想の続きである。

Photoモンマルトルからモンパルナスへ~モンパルナスの朝

 中西繁は2006年までの2年のパリ生活後は、冬期にパリに2,3ケ月滞在する生活のようだ。これはまさしく正解だと思う。
(←中西繁画「雨上がりのモンパルナス大通り」)
 私はパリは冬期が好きだ。街も葉を落とした街路樹と建物が美しい。ただ私と違うのは、彼は朝早い、そしてそこにフランスらしい姿を感じている。私は夜派、夜のパリの姿に酔った。

ドーヴィル・トローヴイル   ( 映画「男と女」

41ck0svwlrl1_2 この街はあのノルマンディー地方の海を望む港町。私はフランス映画「男と女Un homme et une femme」 (1966年)が、このドーヴィルを舞台としていることは、彼のこのエッセイで初めて知った。とにかくこの映画を見た頃は、フランスにおける都市の位置関係など理解していなかった為だ。
 いつぞやも中西繁はこの映画「男と女」がお気に入りであったことは知っていたが・・・このエッセイ集でもこの映画の監督のクロード・ルルーシュの言葉”人生は2,3のパターンしかなく、人々はそれを繰り返し残酷なまでに同じ道を歩いて行く”と、そして彼の画集に記した”人生は無数のパターンの足跡として残る”を対比して・・・・”人は歳を重ねるほど、ますます過去を想いながら生きてゆくものなのだ”と結ぶ。このあたりが中西繁節。

21 さてこの「男と女」の映画に話しを戻すが、これからは私のこの映画感想。話の筋はそれほど・・・・・?で、つまり公開当時のキャッチコピーを見ればその通り→”たちきれぬ過去の想いに濡れながら、愛を求める永遠のさすらい ・・・・・・その姿は男と女”。

 この映画の主題歌はフランシス・レイの”男と女”、これが又映画以上に世界を魅了した。又映像を音楽が作り上げるという技も見えた。
22 又「映像」というそのものの意味にも迫った。アングル、クローズ・アップ、動き、光の陰影、明るさ暗さ、そしてなんと言っても画面のお膳立てとしての”雨”。このドーヴィルという地は、日本で言えば冬期は暗い日本海に面した地と似ているのだろう。その暗さも重要な役割を果たす。そんな背景下の映像の素晴らしさも教えてくれた映画である。

 そして更にこの映画、カラーとモノクロの対比が素晴らしい。場面によって使い分けしているのだ。両者は互いに否定するものでなく、それぞれが優れたものである事を教えた。ただ私自身はこの映画ではモノクロに軍配を挙げている。

・・・・と、中西繁のロマン・エッセイ集はいくらでも私の書くことが脱線する要素を持っていて、私には楽しい一冊なのである。

(参考)

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2015年3月 6日 (金)

男のロマンのエッセイ集:中西繁著「À Paris~ゴッホの部屋の日々」

常に「男のロマン」を感ずる世界を歩んでいる男!

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(序文) ある事情で、私にプレゼントして頂いた”我が絵画の師”(これは私が勝手に決めていることでして誤解のないように。実はお会いしたこともないのです)=中西繁先生のエッセイ集「À Paris~ゴッホの部屋の日々」の話である。

Profile_pic 既に「中西繁」(大変失礼ですが、このような話を書くに当たっては、敬称はあえて控えさせて頂いています。これは現在ご活躍中ではありますが、既に私が評価する中に於いて、絵画界における普遍的な意味を持つ人であるからです)については、過去にこのブログで私が何故彼を評価するのかは書いてきましたので、ここでは省略するが、絵画を愛する一人として、私は彼に注目せざるを得ないのです。

(参考)
http://osnogfloyd.cocolog-nifty.com/blog/2011/06/post-d0df.html
                ↓
http://osnogfloyd.cocolog-nifty.com/blog/2011/07/post-56e4.html

Photo まずはこのエッセイ集の冒頭は、左のごとくである。もうここで”人と人との出会い”について語っている。その出会いを自己にいかに生かせて行くかのロマンが見えてくる。
 中西繁を知る人は誰でも知っているのは、かって彼はパリのゴッホの部屋でのエネルギッシュな活動(約2年間)の話だ。
 しかし私は実は彼がもっと若かった時の話と思っていたのだが、この著書によって、それはなんと2004年と言うことで、既に60歳に近いときの話であることを知った。
 もともとフランスと言うかパリと言うか、あの地は画家と称する者の登竜門の地でもある。従って若き志の地でもあると言って良いだろう。しかし彼の場合は、なんとこの時は、私からみれば既に自分の世界は歴然と構築されたと言って良い時に当たっている。と、言うことは・・・・何故なのだろうか?。

 しかもゴッホの住んだ部屋にて絵画の創作活動をするということ。彼の絵画を志すきっかけとなったのはゴッホ作品であっということ。日本での活動を中断して、還暦近い男がそこに向かったのは?、そしてその決意のよって湧いてくるところは?・・・・・。

 ただ単にパリ(フランスといった方が良いのか?)という都市の魅力だけでなく、絵画の技法を極めるということだけでもなく(エコール・デ・ボザール美術学校に属したところは聞き及んでいるが)、まだまだ人としての歩む道の奥深さを求めたのであろうか?。

ここで中西繁はフランス各地の印象と思いを綴っている・・・・・・

Photoサクレ・クール大聖堂
 この中では、教会の聖堂内のドーム天井のキリストのモザイク画。そのキリストの瞳が輝くという。それはたった4つの席に於いてのみ見れるのだと・・・その観察力、その構造的分析・・・私にとって、中西繁の工学系の学問がキラリと光った。

LA QUATORZE JUILLET = フランス革命記念日
 革命の歴史の上に築かれた民主主義のフランス社会。その価値観を知っているのは彼らの特権であろう。ここには中西繁は冒頭に民衆運動の力を語った。
 この話で、私はふとその価値観はけっしてフランス人だけのものでないことを知っている。私のブログの題「月の裏側の世界」というのは、「The Dark Side of The Moon」。言わずと知れた英国プログレッシブ・ロック・グループのピンク・フロイドの1973年の作品邦題「狂気」をイメージしている。この作品のコンセプトは、このグループのベーシストのロジャー・ウォーターズによるもの。そして彼は2005年にフランス革命を描いたクラシック・オペラ作品「サ・イラCa Ira 希望あれ」を完成させた(参照: http://osnogfloyd.cocolog-nifty.com/blog/2012/01/post-a107.html 奇しくも中西繁がフランス滞在中)。このようにフランス革命とは・・・・けっしてフランスのみのものでなくなっている。

ル・ジャルダン・コロニアル
 植民地支配の上に築かれたフランス国家。その暗部をこの廃墟と化している公園をみるに中西繁は思いを馳せる。(ここは私は知らない)

Pb030641wh_2ルーアン大聖堂
 この聖堂の美しさを語っているが・・・彼はこれを描いた。あれっ!私はその作品を観ていないと思う、観たい。そして彼はモネの大聖堂の連作、睡蓮の連作へと・・・・・心を繋ぐ。(私はここへは数年前に訪れた。この大聖堂には”美”を感ずる余裕がなく、圧倒的”大きな力”を感じたのだが・・・・右は私が訪れた際の1ショット写真)
(追記)2015.3.10 中西繁画「夜のカテドラル(F12)」を観たのを思い出した。素晴らしい色彩。偶然にこの写真と見ている位置は同じ。

そして
 モン・サン・ミッシェル
 ドーヴィル、トロヴィール
 モレ・シュル・ロワン
 ブルターニュ
 アルル
 ブルージュ

  ・・・・などなど、ゴッホの足跡も訪ねつつこのエッセイはまだまだ続く。

Photo_2 パリ・セーヌでは、私も好きなポン・デ・ザール(←このエッセイ集の挿入写真)、そこにみる手すりいっぱいの鍵。どうも私はこれは好きでないのだが、中西繁も”いいのか、悪いのか”と言葉を濁している。

 もう少しこのエッセイ集の感想を書きたいのだが・・・少し間を置きたい。よく読んでみたいからである。それもなんと、米国ニューヨーク、英国はロンドンそしてコッツウォルズ(私はロンドンを訪れたときに、無理矢理一日を使って訪れた。まさに紅葉(黄葉?)の時季であったが、好きなところ)など・・・・フランス以外にも、最後には及んでいる。

 ここを見てくださった方々は、今回はこの彼のエッセイ集を取り上げました。しかし彼に関しては、絵画「福島の作品」を描かざるを得なかったところなど、まだまだ知るべきところは多いのだが、そこにまではここでは言及していません。
 是非とも現在の絵画の世界で注目される男”中西繁”に迫ってみてください。

(参考) 画集「哀愁のパリⅡ」
http://webryalbum.biglobe.ne.jp/myalbum/
301548300984a45c5eb19aaf442ffab118c63f430/091719016936315721

(追記:2015.6.6)
  つい最近(2015.6)のニュースで、このパリのポン・デ・ザールの手すりが、鍵の重さで壊れたと言うことがあったんですね。それによりこの多くの鍵は撤去することになったようです(もう既に撤去作業は行われているかも)。
 私はこの橋の写真を、もうお亡くなりになられた尊敬する大学の教授の撮られたものを昔拝見して、一度はこの橋に行きたいものと思っており、数年前に訪れましたが、既に鍵が最近ほどではないですが、多く取り付けられていました。何かそれは一つの味を壊しているように感じていました。撤去はそれで良かったと思っています

                *    *    *

     <My Photo Album 瞬光残像 = 南イタリア編> 

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クリスマスを迎えるアルベロベッロの夜  (photo 2014.12)

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2011年7月 2日 (土)

絵画との対峙 : 中西繁の世界(5) 生涯テーマ「棄てられた街」<3>

「棄てられた街」作品群から何を知るべきか?

 前回取り上げた中西繁の「棄てられた街」作品群のうち、チェルノブイリ原発事故地域の立ち入り禁止区域に入って描いた数ある作品の中で、如何にも虚しさを感じさせられる一枚がある・・・・・

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小学校(チェルノブイリ・ウクライナ) F130 (中西繁作品集「LAND・SCAPE」より)

 中西繁がチェルノブイリ原発近くの廃墟と化したプリビシャジ村の小学校に入って描いたもの(これもF130号という大作である)。避難時に使用した防毒マスクの残骸が散乱していたという。ここで学んでいた子供達にとって、大人達が作った原子力発電所とは何に思えたのであろうか・・・。そして残念なことに日本でも同じ事が起きていることは・・・・我々は今何をしなければいけないのか・・・・・・。

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サラエボの丘(サラエボ ・ ボスニア・ヘルツェゴビナ) F150 (中西繁作品集「LAND・SCAPE」より)

 さて中西繁の「棄てられた街」作品群は多くの問題を提起しているが、もう一つはここに取り上げた作品のサラエボの事件、それはソヴィエト連邦崩壊の進行する中で起きた悲しい事件だ。1984年冬季オリンピックがこのサラエボで開かれ、我々には素晴らしいあこがれの美しい街であった。当時この街がこうした廃墟になろうとは誰が想像したであろうか?。この一枚のF150号の大作をみて俄然とする。林立する墓石の向こうには無惨に破壊された街を望むのである。この作品は私の脳裏に焼き付いて離れない。
 このサラエボの街を包囲した紛争は1992-1996年に起こったもの。所謂「ボスニア・ヘルツェゴビナ紛争」だ。ユーゴスラビア共和国の分裂、スロベニア、クロアチアの独立、それに続いてのボスニア・ヘルツゴビナも独立を宣言して共和国を建立。しかし、そこで起こった対立してのセルビア人のスルプスカ共和国の樹立を目指しての戦い。ムスリム人、クロアチア人そしてセルビア人の三つ巴の内戦。結果は破壊と殺戮。そして12000人以上が殺害され、50000人以上が負傷した惨事。更なる悲劇は死傷者の85%は軍人でなく市民であったことだ。
 サラエボの復興開発に関しては、1995年の和平合意であるデイトン・パリ合意があって、その後再興事業がスタートした。そして2000年に中西繁はサラエボを訪れている(チェルノブイリを訪れた前年)。彼の眼にはその無惨な人間の起こした惨劇の跡が焼き付いたことであろう。
 その後の2003年に旧ユーゴスラビア国際戦犯法廷で、スルプスカ共和国の第一司令官に対して人道に対する罪を認定した。

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廃屋II(サラエボ・ボスニア・ヘルツェゴビナ) 5454x2273の左約2/3 (中西繁作品集「LAND・SCAPE」より)

 中西繁は訪れたサラエボの街の廃屋を見て、その中に割れたガラス窓から進入してこの作品の題材を得る。”ミサイルでへし曲がった鉄骨が凄い破壊力を物語っている。壁には手榴弾の製造方法をレクチャーした痕跡が残っていた”と記している。この色彩の押さえた作品は、それによって一層この廃屋の無惨さを表現していると思えるし、私には非常に印象的である。そして大作であるだけに描写も細部に丁寧であるだけリアルだ。
 
 人間が造り破壊していった姿を描いた中西繁の「棄てられた街」作品群は、このように日本のみならず広く世界の各地に及んでいる。そして我々が知るべき何かがあることを訴えていると思う。卓越した絵画的才能と問題意識の産物であると言っていいだろう。そしてそこには実行力も伴っての活動の姿も見えてくる。
 現在活動中の多くの画伯の中で、最も私が注目しているところである。このブログを通して、紹介させていただいた作品に対して、私の独断的評価で三つのポイントを挙げさせていただいたが、これから人生の完成期に入る中西繁の更なる充実した活動を祈念して取り敢えずここで一つの締めとしたい。

(最後に)
 まずこのブログに絵画作品の掲載を許可していただき、更に書きたいことを好きかってに書かせていただいたことに、中西繁先生にお礼を申し上げます。寛大な配慮を有り難うございました。又先生の御名前に敬称を付けませんでしたのは、普遍性を期してのこととお許しください。更にもし何か無礼な点がございましたら”勝手気ままなブログの世界”として重ねてお許しいただきたいと存じます。又先生のブログでも、私のこの「灰とダイアモンドと月の裏側の世界」を取り上げていただいて(2011.6.21)感謝しております。最後に先生のホーム・ページ及びブログを紹介させていただきます。

「中西繁 アートギャラリー」http://www7b.biglobe.ne.jp/nakanishi-art
「中西繁 アート・トーク」http://nakanishishigeru-art.at.webry.info/

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2011年7月 1日 (金)

絵画との対峙 : 中西繁の世界(4) 生涯テーマ「棄てられた街」<2>

人間の犯した悲劇の場を描く

 さて、中西繁の”生涯テーマ”を探っていると、やはり最も重要なものとしてこの「棄てられた街」をあげていいだろうと思う。そしてそのテーマは前回触れた日本においてのみならず、海外にも目を向け世界的規模で既に10年以上の歳月をかけて追求しているものである。

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終着駅(アウシュビッツ・ポーランド) F100 (中西繁作品集 LAND・SCAPEより)

 ナチス・ドイツによる第2次世界大戦下のポーランドの悲劇は、このアウシュヴィッツにて、28民族150万人以上(ほとんどがユダヤ人)が殺害されたという。この作品はその捕らわれた人々が列車でそのまま構内に入り降ろされ場所であるアウシュヴィッツ第2収容所ビルケナウの鉄道引き込み線を描いている。アウシュヴィッツには1940年から1944年にかけて3つの収容所が開所した。その中で最も殺害の多かった問題の収容所。殺害のためのガス室を持ったものが6棟もあったのがこの第2収容所と言われている。この引き込み線は1944年5月に完成し、ドイツ統治下の各国から貨車などで運ばれてきた被収容者をここで降ろし、その時点で”労働者”、”人体実験の検体”、”価値なし”の三群に分けられ、”価値なし”の老人、女性、子供などは7割の多くにのぼり、直ちにガス室に移動され殺害されたのである。
 現在ここをユネスコは「負の世界遺産」に認定され、現存するものは公開されている。
 この有名な引き込み線とその関連施設を描いたこの作品、まさに人間の犯した悲劇を印象づける空しさを観るものに訴えてくる。写真とは違って、絵画という世界でここまで”暗い過去”をこの一枚に収めたのには中西繁の執念を見る思いである。

Photo 左は、そのナチス・ドイツが1943年になると逆に連合国軍による空爆を受け、その結果ベルリンの中心部にあるネオ・ロマネスク教会は廃墟と化した。それが現在もそのまま残されている。ドイツ国民にとっても重要な”負の記念碑”である。それを中西繁は描いたものだ(「カイザー・ウィルフェルム教会(ベルリン・ドイツ)」 F120, 中西繁作品集「LAND・SCAPE」より) 

 ここに描かれた教会の印象は、日本人の我々にとってもあの第二次世界大戦の結末の惨めさが、この現在に迫ってくるのである(広島の原爆ドームを連想させるが、彼はその「広島」もF100号の大作を描いて残している)。多分中西繁もこの姿を絵にせざるを得ない気持ち、つまり人間の犯した空しさをこのF120号の大作で表現したのではないかと推測するのである。

 ここにドイツが関係した作品2点を紹介したが、中西繁にとってはそれに止まらず、地球上に起きている人間の犯した悲しき現象に対して鋭く迫ろうとしている。それは更にその他の作品を観るに付け理解出来るのである。

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進入禁止(チェルノブイリ・ウクライナ) F100  (中西繁作品集「LAND・SCPE」より)

 現在日本で最も重大で深刻な事件は福島第一原子力発電所事故であるが、この上の大作は、10年前の2001年4月に中西繁は通訳同行のみの単独行で、ウクライナ共和国危機管理省の許可をとってチェルノブイリ原子力発電所事故の地を視察したと記しており、その時の作品である。
 1986年に起きたこのソ連(現・ウクライナ)のチェルノブイリ原子力発電所の事故は、その悲惨さが今も進行している。現在半径30Kmは進入禁止となっており、その様子を描いたものだ。 このチェリノブイリ事故による被災者はベラルーシ、ウクライナ、ロシアだけでも900万人以上で、40万人が移住させられたと言う。現在短期間に大量被爆した80万人にものぼる若い事故処理作業従業員の多くは放射線障害により苦しんでいて、いずれこの人達の中から何万人という死者が出るだろうと予想されている。その他にも発電所近郊地域の被爆者の中の住民の特に子供に目立つ甲状腺癌、更には白血病などの多発など現在も問題は終わってはいない。この事故によって被爆の影響による全世界の癌死者数の見積もりとして2万~6万件と推測している学者もいる(京都大学原子炉研究所の今中哲氏による)。これを敢えて描こうとした中西繁は多分我々に作品を通してその哀しい虚しい事件を忘れてはならないと訴えてきているのは明白だ。しかし・・・福島第一原発事故は起きた。  (続く) 

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2011年6月21日 (火)

絵画との対峙 : 中西繁の世界(3) 生涯テーマ「棄てられた街」<1>

問題意識から生まれる作品

 私が中西繁作品に傾倒するのは、その絵画技法とセンスと才能に惚れ込んでいるからであるが、それに加えて一つはパリを代表する”欧羅巴の美”そして二つ目はプラハを代表する”哀愁の街”。続いて三っ目のポイントが実は重大なのだ。これが多分中西繁の生涯テーマであると私は思う。それは一連の「棄てられた街 DESERTED CITY」の作品群だ。

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軍艦島II(棄てられた島2001) (端島・長崎) F100 (中西繁作品集「LAND・SCAPE」より)

 私が驚愕したのは、この100号の大作である。今思い出せないが何かの雑誌でこの作品に遭遇して唖然とした。言葉がすぐに出ないほどの圧倒的迫力であった。(後にこの作品も何枚か彼は書き上げているが)日本にこんな風景の存在があったこと、それに挑戦していく画家としての問題意識の存在。そしてそれを表現していく卓越した技法(著書「油彩画プロの裏ワザ」には、この作品の作画過程で、木炭を絵の具にまぜたり、散乱する木材の表現に厚紙を切って貼ったりという工夫をしたり、無常観を表すに色彩をモノトーンに近く押さえたりしたというところが記されている)。素晴らしかった。ここに、中西繁の世界を見たと思った。

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軍艦島I(端島・長崎) 3240×1303の左1/2 (中西繁作品集「LAND・SCAPE」より) 

 この軍艦島は長崎半島沖の幅160m、長さ480mの小さな離れ島。戦前からの炭坑の島であるが1973年に閉山となったという。多いときは5000人以上が住んでおり、しかし労働者の環境はいわゆる搾取された状態で厳しく、又強制的に連れてこられた朝鮮人労働者もいたと言われる。今は作品「軍艦島II」の如く廃墟の島となっている。
 この作品群は”棄てられた街 DESERTED CITY”というテーマの日本版で、中西繁は彼の問題意識の一つを我々に示し、我々にも何かを問うているのだ。一連のこのテーマの作品は私にとっては”パリの美意識”、”哀愁のプラハ”とは又別次元での迫りくるものが感じられたのだ。

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瓦礫の街II(長田・神戸) F100  (中西繁作品集「LAND・SCAPE」より)

 更に、あの1995年の阪神大震災、5000人以上の命が失われた悲劇。直ちにその場に救助活動にはせ参じた中西繁は、彼の技術でその姿を描くことも忘れなかった。
 (実は今年の3.11東日本大震災直後にも彼は直ちに救助活動に身を投じている。もうそんなに若くないので周囲では心配していたが、彼の心がそうさせるのであろう。そしておそらく写真とは違った心で描く作品が我々に届くであろうと思っている)

 中西繁の一大テーマはこの「棄てられた街 DESERTED CITY」である。そしてそれは日本に止まらず世界を見る目で進行して来たのである。    (続く)

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2011年6月16日 (木)

絵画との対峙 : 中西 繁の世界(2) プラハの哀愁

プラハからの報告には哀愁があった

 私が中西繁の作品に魅力を感じたのは、まずはその”描かれた絵”そのものに惹かれたことによるが、別の観点から見た3っのポイントがある。その1っがプラハからの報告だ。
 私がそれに接したのは1998年2月号の「絵と随筆と旅の本~一枚の繪」に載せられた特集”逸楽と哀愁の街 プラハ”(画・写真・文 中西 繁)であった。

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中西繁「プラハ城遠望II」F15×2  (「一枚の繪」1998年2月号 特集”逸楽と哀愁の街 プラハ”より)

 もともとプラハというのは、私にとっての思い入れの都市であり、それは1980年、当時共産圏のチェコスロバキアであった時に訪れたことから始まる。このようなチャンスに恵まれたのは、私の職業の関係で、日本とチェコスロバキアのシンポジウムがプラハで開かれた事により歓迎されて入国したのだっだ。
 私から見た14世紀の神聖ローマ帝国の首都であったプラハは、実に美しい街であったが、重なる民族独立の挫折、第一次世界大戦後にはチェコスロバキア共和国が成立するも、その後ナチス・ドイツに占領され解体される。又ここに居住するユダヤ人約5万人の殺害が行われた。第二次世界大戦後は社会主義国チェコスロバキアとしてソ連支配の東欧諸国の共産圏国家となる。しかし1968年(私が訪れた約十年少々前)の「プラハの春」事件という自由国家運動に対しての弾圧としてのソ連を中心としたワルシャワ条約機構軍のチェコ侵攻のあった都市。そうした悲劇的な歴史が脳裏にある私の目から見ると何故かどこかに抑圧された人々の姿が見えてくる。まさに哀愁の街なのである。しかし当時は現在より治安は良く、夜でも平気に我々は無料の地下鉄に乗り移動が出来た。ただ市民からの私のような日本人は珍しいようで、視線はつよく感じたものだ。そんな中でただ救いは、夜の若者の集まるクラブでは、約半年前に発売した英国のロック・バンド”ピンク・フロイド”の「THE WALL」の中の”another brick in the wall”を合唱し、"we don't need no thought control "と叫んでいたところは、確実に自由への流れは進んでいたのである。

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中西繁「旧市街にて(プラハ)」F10 (「一枚の繪」1998年2月号 特集”逸楽と哀愁の街プラハ”より)

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中西繁「朝のレギー橋(プラハ)」F100   (中西繁作品集 「LANDS・CAPE」2009 より)

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中西繁「カレル橋にて(ピエタ像)」F8  (「一枚の繪」1998年2月号 特集”逸楽と哀愁の街プラハ”より)

 ここに挙げた中西繁の作品は、訪れたのが1997年と言うから1989年のビロード革命による共産党政権の崩壊後の1993年にチェコとスロバキアに分裂し、チェコの首都となってから4年後ということになる。そんな自由化の波の中であっても、単に美しい街の冬景色という捉え方だけでなく、美しい中に哀愁の部分を描いているように見れた。中西繁もこの特集で”中世からの芸術と文化の結晶としての華麗な都市空間と、その中に塗り込められた他民族の支配、宗教的対立による悲劇の歴史と哀感をみるからに他ならない”と書いている。この都市を描くときの感覚をそうしたところに焦点をあてていることに私は大いに共感を得ることが出来たのである。街であれ人間であれ、問題意識を持って描いていることが私の支持する作品である1っのポイントなのであった。しかし、それにつけても「朝のレギー橋」はさすが大作で圧巻である。
 ここに取り上げた作品の一つ一つが、何か心に浸みてくる哀愁感が感じられるのは私だけであろうか?。パリの世界から、それとは別に一歩問題意識の背景から描いたプラハの作品群に喝采を浴びせたのである。

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中西繁「リヒテンシュタイン宮殿付近(プラハ)」F10 (「一枚の繪」1998年2月号 特集”逸楽と哀愁の街プラハ”より)

 この作品は実は私が描く絵画の一つの技法の教材としても大切にしているもの。冬の世界は私の一つのテーマとして持っているものであるから(それは写真においても同様である)。又私のような素人にとってみれば、大きさも手頃なもの。ただ残念ながら実物にはお目にかかっていない。何時か何処かでと、願っているのだが・・・・・・。
 こうして絵画のセンスと技法とその根底にある描く対象と対峙する意識の意味などからも、私にとっては中西繁の作品群には感心を持たざるを得ないものとなっていくのである。      (続く)

(参考)中西繁作品集「-逸楽と哀愁の街-プラハ」は1997年に発刊されている。私がこのブログに取り上げた「一枚の繪」の特集にみられる以外の作品集となっている。その中に登場する「朝のレギー橋」もF60号の別バージョンで1997年作のこの特集の対象であった当時のものと思われる。

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2011年6月15日 (水)

絵画との対峙 : 中西 繁の世界(1)パリからの贈り物

絵画の道のスタートは、男のロマンか?

 絵画は私にとっては一つの大切な世界である。そしてそのよって来たるところは何なのか?、それについては未だに明確な説明が出来ない。ただ「ロマンroman」であるということだけは言える。

 ここに取り上げた中西繁(一般的には、敬称として”先生”とか”画伯”と付けるべきであろうが、ここでは普遍性を考えて敢えて敬称を付けないところをご理解いただきたい)も多分そうしたところから始まったのではないか?。何故なら東京理科大学工学部建築学科卒の学歴である(1946年生まれで現在多分65歳)。と、なると主たる職業と絵画の道を同一に求めるのは明らかに難しい。ただ建築学科という性格上、スケッチなどは必要な世界であったと言うから、まんざら別世界ということではなさそうだ。しかし絵画は中西繁にとっては「男のロマン」であったのでは?と、勝手に私は推測するのである(現在まさに現役で活躍中であるにもかかわらず、私が勝手に決めつけて良いかどうかと思うところであるが、それはこのブログを書く私のロマンなのでありお許しを)。そして能力・才能それに加えて努力のあるものは生かされるの原則で、現在の立場が築かれたのではなかろうか?。いずれにしても2000年に建築家の仕事を中断し、画家一本になったという経歴である。

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中西 繁 「雨のサンマルタン」F15 (中西繁著「油彩画プロの裏ワザ」2006より)

 私が中西繁の絵にお目にかかったのは、多分1990年代になって雑誌「一枚の繪」ではなかったかと思う。その魅力を知ったのはパリを描いた作品からだと思う。以降の一連の作品群に接して私の興味は高まるのみであった。
 上の絵は初期の一連のパリ作品のもので、私の好きな一枚。そしてこの絵は実は我々に教育のために製作手順を披露しての再現作品である。初期のものは中西繁作品集「哀愁のパリ」(1991)の表紙を飾っている。多分かなり思い入れのモチーフであり構図的にも好みであると思われる。従って更にこの大作(3636×2273)もある(中西繁作品集「LAND・SCAPE」2009年に載せられている)。
 確かにこの絵は夕方の雨に濡れた道路の鏡面の美しさ、車のヘッドライトの路面の輝き、右の太鼓橋、重なる建物の美しさ、信号、街灯、道を歩く女性と傘など私の好きな要素が盛り込まれ、そして散漫にならず、動きのある一つの夕刻の世界が描かれている。構図も絶品で、まさに一つ一つの描き方は私にとってはお手本そのものであった。
 私自身も全くの自己流で少々絵を描くときがある。そんな為か書く人間の目からしての好みが優先してくる。こう描きたいというものが見えた絵には感動してしまうのだ。

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中西 繁 「雨上がりのモンパルナス大通り(パリ)」F8  (中西繁作品集「光の回廊/欧州の旅II」2011より)

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中西 繁 「雨の歩道(パリ・フランス)」F130  (中西繁作品集「LANDS・CAPE」2009より)

 ここに挙げた3作品は、パリにて描かれた中西繁の世界である。全て道路や歩道が雨に濡れている作品だ。それは私の好みであると同時に多分中西繁の一つのモチーフであろうからである。もっと陽の指す明るい作品も多くあるが、私好みでこの3枚を取り上げたわけだ。それから私の好みとして葉のない街路樹が好きである。又、何か哀愁を感じさせる世界も好きである。「雨の歩道」の傘をさして歩く一人の女性の姿には華々しいパリにおける姿として別の面も私には感じられた。

 さて、ここに感動した中西繁のパリの3枚を紹介したわけだが、私がファンなってしまったポイントの感動したものというのは3つのポイントがある。その一つというのは、この一連のパリ作品であり、続いて実はもう何年か前になる1998年2月号の「一枚の繪」の特集:-画家の旅-「逸楽と哀愁の街 プラハ」にみる9枚の作品であった。これが2っ目のポイントであり、そして3っ目のポイントもあるわけで、これについては次回から更に続けてに書きたい。 (続く)

PS: ここに登場する中西繁先生の作品は、私なりに作品集などから取り上げていますが、著作権の関係から、中西先生に直接お願いして許可を得ています。

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