文化・芸術

2020年10月 5日 (月)

ロジャー・ウォーターズ Roger Waters 映像盤「US + THEM」

幼い少女の死を描きつつ・・訴えるロジャーの世界が展開

<Progressive Rock>

[Blu-Ray DISC] Roger Waters 「US + THEM」
A FILM BY SEAN EVANS and ROGER WATERS

Sony Musuc / JPN / SIXP 40 / 2020

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 "Creative Genius of Pink Floyd(ピンク・フロイドの創造的鬼才)"と言われるロジャー・ウォーターズのまさしく史上最高のツアーの一つと評価された『US+THEM』ライブ映像版である。かねてから、世界各所限定劇場公開などで話題になった映像のBlu-Rayのサラウンド・サウンド集録盤だ。このツアーは全世界で230万人を動員したと言われるが、その2018年6月アムステルダム公演の収録である。

(Tracklist)

006 1.Intro
2.Speak To Me
3.Breathe
4.One of These Days
5.Time
6.Breathe (Reprise)
7.The Great Gig in the Sky
8.Welcome to the Machine
9.Deja Vu
10.The Last Refugee
11.Picture That
12.Wish You Were Here
13.The Happiest Days of Our Lives
14.Another Brick in the Wall Part 2
15.Another Brick in the Wall Part 3
16.Dogs
17.Pigs (Three Different Ones)
18.Money
19.Us & Them
20.Brain Damage
21.Eclipse
22.The Last Refugee (Reprise)
23.Deja Vu (Reprise)

ボーナス映像:
"FLEETING GLIMPSE" Documentary
"COMFORTABLY NUMB" (Live Performance)
"SMELL THE ROSES" (Live Performance)

収録2時間27分

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 ここでは何度か既に取上げてきたライブだが、2017年から世界各国1年半に及ぶ『死滅遊戯』以来25年ぶりの新作『イズ・ディス・ザ・ライフ・ウィ・リアリー・ウォント?』に伴うワールドツアーであったが、『狂気』『炎』『アニマルズ』『ザ・ウォール』等からのピンク・フロイド時代の名曲というか、彼が当時情熱を込めたメッセージが今にしても通用するところに焦点を当て、例の如く光の洪水、最新テクノロジーによる最新鋭の巨大LEDスクリーンに映し出される"幼き女の子の死においやられる世界"、そして人権、自由、愛を訴える映像とともに、最高のサウンドと一般のコンサートとは異なる劇場的な演出で甦みがえらせる。最後は突然スクリーンとは別に、観客の上部にアルバム『狂気』のジャケット・アートそのものの7色のレーザー光線が作り上げるピラミッドの美しいトライアングルが浮かび上がって、観衆を驚かせる。

一方この数年来のトランプ政治にみる情勢に痛烈なネガティブ・メッセージを、彼の世界観から訴えた。

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 このライブは、2017年5月26日米カンザスシティよりスタート、2018年12月まで約1年半に渡って行われたワールド・ツアー。北米、オーストラリア、ニュージーランド、欧州、ロシア、南米、中南米と(残念ながら日本公演なし)廻り全156回、230万人の動員を記録。このツアー・タイトルはピンク・フロイドが1973年に発表したアルバム『狂気(The Dark Side of the Moon)』の収録曲の"Us and Them"から来ているが、基本的に当時と変わらぬ"我々と彼ら"という分断に批判を呈して、我々も彼らも一緒でなければならないという訴えであり、そこにトランプ政策への戦いを宣言して、それで"Us +(プラス) Them"としての世界を訴えたのだ。又ここ何年間の彼のテーマである中東パレスチナ問題にも焦点を当てている。

 もともと彼の持つ疎外感に加え、人間社会に見る苦難・破壊・滅亡について彼が何十年も前から訴え続けている厳しい警告をも織り込んでいるところが恐ろしい。

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 さらに加えて、宗教、戦争、政治が引き起こす現在進行形のさまざまな問題への異議を唱えるメッセージが次々に映し出されていく。そこには特にここ何年と訴えてきたパレスチナ問題を中心に、中東で今起きている諸問題にも警告を発する。

 ロジャーが提示しているのは、社会悪の"戦争"というものである。今知るべきは、中東で難民化しているパレスチナ、シリア等の人民の姿だ。母国の独裁から逃れるべく幼い娘との逃避行で海辺へと向かうが、その最愛の幼き娘を逃避行の失敗により失ってしまう。自分は難民の生活の中からフラメンコの踊り子として生きているのだが・・・幸せは無い。こんな悲惨な一般市民の人々を生み出してゆく戦争の無残さ、悲劇をこのライブ全体を通して一つのテーマとして描いているのも、戦争で父親を幼きときに失ったロジャーの一貫した反戦思想の姿である。
 このことは、彼の近作からの曲"The Last Refugee"にみるスクリーンの映像に描かれる。そこにはAzzurra Caccetta(上)の見事な踊りと演技が会場に涙と共に訴える。

 とにかくライブ会場のトリックも見応え十分だ。曲"Dogs"では、想像もつかないアリーナのど真ん中を分断する壁を出現させ、かってピンク・フロイド時代にヒプノシスと決別して彼自身がデザインした『アニマルズ』のジャケットにみたバタシー・パワー・ステーション(発電所)が出現する。テーマは、アメリカ大統領への痛烈なメッセージである。なんとトランプを豚にたとえ「Fuck The Pigs」(ブタども、くそ食らえ)の看板も掲げる。曲"Pigs(Three Differrent Ones)"では、"トランプ大統領"を批判しこき下ろす映像に加えて"空飛ぶ豚"が会場中を旋回する。
  あの物議をかもした1977年という45年も前の問題作『アニマルズ』が、今にして生きていることに驚くのである。

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 ここまで演ずるものは、あらゆるロック・ショーではとても見られない「ロジャー・ウォーターズ独特の世界」であり、その迫ってくる会場においては飽きるところを知らないのである。

  このライブ映像は編集された作品として、2019年10~11月にかけて世界各所で映画上映として公開された。今回発売されるBlu-ray・DVDには、映画版には収録されていなかった曲の"コンフォタブリー・ナム", "スメル・ザ・ローゼス"のライヴ映像2曲、そして、ツアーの舞台裏を公開するドキュメンタリー・フィルム『ア・フリーティング・グリンプス』がボーナス映像として収録されているのも嬉しい。

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 ライブ・バンド・メンバーは10名編成バンドで、重要なギターはお馴染みのデイブ・キルミンスター(上左)に加えて人気のジョナサン・ウィルソン(上中央)のツイン構成。そしてジョン・カーリン(上右)がキー・ボードを中心にマルチなプレイヤーぶりを発揮。また、女性ヴォール陣はLUCIUSの二人、又サックスは長い付き合いになっているイアン・リッチー。2年間通して同じメンバーでやりきった団結力も見事であった。

 このライヴに見るものは、ロジャー・ウォーターズがミュージシャンであると同時に総合エンターテイナーであり、ミュージックを単なるミュージックに終わらせない政治的批判発言者であり闘争者でもある事実だ。しかし究極的にはUSとTHEMの「団結と愛」を訴えるところに悲壮感も見え隠れする。
 

(参考視聴)

 

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2019年2月26日 (火)

白の世界 (その1)5題 / (今日のJazz)大橋祐子Yuko Ohashi Trio 「BUENOS AIRES 1952 」

[白の世界]
雪中撮影行 2019  (1)

              ~ 別室「瞬光残像」(https://photofloyd.exblog.jp)との連携

  今年はやはり暖冬ということになりますね。何時もならこの2月の今頃はまだまだ冬の真っ最中で、私の家の周囲にも降った雪がなんらかの形で残っているのですが・・・・、今年はすでに春のような雰囲気とまではゆかなくとも、雪などが見えなくなってきている。

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 例年のことながら、周辺の高原などには雪はそれなりに積もっているので(それでも積雪量は例年に比して少ない)、私の一つのライフワークみたいな「雪中撮影行」は、今冬も四駆車で入り込み、あとは歩いての撮影です。すでに数回行ってきた。そんな中での数枚を登場させる。

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[1] 「紫電一閃」 ~ 光がきらめくほどの瞬間。

先ほどまで雪もちらついていた曇天だが・・・ほんの少し光も射した瞬間である。 

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[2] 「外柔内剛-1」

   雪に覆われ多くのものは埋もれてしまっているが、そうしたなかでも顔を出している植物はいかにも弱弱しいが、実は強い意志を持っていて芯が強く、決して負けてはいない。春になるとその強さを見せてくれるのだ。

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[3] 「外柔内剛-2」 ~ 外見は弱々しいが、この強さはまさに手強い植物である。

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[4] 「安心立命(あんじんりつめい)」 ~ 心安らかな境地にあること。

   いまにも雪が降り出しそうな曇天の空ですが・・・・・風はなく、シーンと静まりかえった世界です。心を休ませるには最適な空間。

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[5] 「沈思黙考」 ~ 黙り込んで物事をじっくり考えること。静かに思索にふける。

(撮影機材)
CAMERA : SONY ILCE-7M3
LENS : ZEISS Vario-Tessar FE4/16-35 ZA OSS,    FE4/24-105 G OSS
FILTER : Kenko PRO1D  C-PL(W)

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[今日のJAZZ]
Yuko Ohashi Trio 「BUENOS AIRES 1952 」
Terasima Records / JPN / TYR-1065 / 2018

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Yuko Ohashi : piano
Shinibu Sato : bass
Shinji Mori : drums

 寺島靖国お気に入りのイタリアの名エンジニアであるステファノ・アメリオによるリマスター・シリーズ。これは大歓迎である。

  このところ好評のピアニスト大橋祐子の2011年の『ブエノス・アイレス 1952』をリマスターしたアルバムである。スタンダード名曲群、そして彼女のオリジナル作品3曲を収録している。アメリオの手によるピアノの響きは確かに上品な繊細なしかもスッキリ迫ってくる音に仕上げてくる。演奏はそれほど凝っているわけでもなく、まあオーソドックスと言える範疇で非常に聴きやすいアルバムだ。ただし女性ピアニストでそれらしく非常に優しいタッチと評されているが、けっしてそうとは思わない。

(Tracklist)
1. Dark Eyes
2. Someday My Prince Will Come
3. Take Me In Your Arms
4. Inner Swing
5. Sol Cubano
6. St. Louis Blues
7. Fly Over
8. Copacabana
9. Waltz Part2
10. Buenos Aires 1952
11. Over The Mountain
12. Love Is A Many Splendored Thing

(評価)

□演奏 : ★★★★☆
□録音 : ★★★★☆

(視聴)

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2019年1月 8日 (火)

平成の終わりは平和の終わりでは困る? 2019年米国と日本の不安

「平成の最後の年」の始まりに・・・・・平成は何だったのか?

 新しい年を迎えてようやくここに来て新年の騒ぎから一段落。ふとこの新元号(年号)年の前途に想いを馳せると、何故か不安というか落ち着かない気分になるのは私だけであろうか。
 明治以来の「一世一元の制」による「平成」も、平成天皇の退位することから始まった歴史的意味論。”平成明仁天皇(1933-)は歳を取った、そして国民の象徴から降りる”という意味は何なんだろうかと、つまり「象徴論」にもふと疑問を持ちながらのこの日本の歴史に一つのけじめが付けられようとしている平成31年。

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 しかしそれ以上に世界は激動の様相を呈してきた。

① 米国トランプ政権の世界攪乱 

Donald_trump2w 歪んだポヒュリズムPopulismからの自国第一主義の成せる技。国際機関・機構の無視。大衆の欲求不満や不安を煽ってリーダーとしての大統領の支持の源泉とする手法が愚行にも行われれば、民主政治は衆愚政治と化し、一般庶民大衆のエネルギーは自由の破壊、集団的熱狂に向かってしまう危険性。
 
ナショナリズムNationalismの台頭を促進させるに至る。
 
リベラリズムLiberalism(啓蒙思想から生まれた近代思想の社会自由主義Social Liberalism)に相対する新自由主義neoliberalismの負の部分の露呈。
 
リバタリアニズムLibertarianism(古典的自由主義=自主自立、福祉政策の否定、所得再分配製作の否定)の蔓延。
 
米中貿易戦争=米国派遣の維持

 「新自由主義neoliberalism」
 特にこの「新自由主義neoliberalism」をよく知る必要がある。1979年英国サッチャー首相、1981年に就任したレーガン大統領以来の英・米国における主流的経済思想であり、日本に於いても小泉内閣がその顕著な姿を示したのだが、それは安倍内閣に繋がっている。
 価格統制の廃止、資本市場の規制緩和、貿易障壁の縮小などの下に、特に民営化と緊縮財政などの政府による経済への影響の削減などの経済改革政策であったものが、 国家による福祉・公共サービスの縮小(小さな政府、民営化)に繋がり、大幅な規制緩和、市場原理主義の重視は、それによって社会の一部の構成員への富の集中と貧困層の増大を生む結果となっている。

 世界的レベルで見ると、資本移動を自由化するグローバル資本主義は新自由主義を一国規模から世界規模まで拡大したものともみられている。しかしそれが丁度日本の平成時代に、あっと言う間に世界の主流となったのだ。しかしその結果、それに極端に相対する流れを生むきっかけにもなってしまった。”グローバリゼーションによって加速する人の移動や外国の文化的影響を排し、国民国家という枠に回帰しようという志向性をもつ思潮”が反グローバリズムであり、なんとこの数年急速に成長している。トランプ以来顕著となったのは、反EU(ヨーロッパ連合)や反自由貿易、反移民などを掲げる思潮・イデオロギーや政党などが世界各地に台頭したことだ。そして急速に勢いを得ている。これらの思潮は、ある意味では歪んだポピュリズムとしての性格を示してきたこのトランプ時代の産物でもあると言えるのか。

 しかし米国にはこの新自由主義は決して崩れない基調がある。そしてトランプの出現は何をもたらしているのか、彼の政策は国境を越えて経済活動拡大し利潤極大化を目指す多国籍企業とは別ものであり一見”反新自由主義”のように見えるが、それは”反グローバリズムを装った新自由主義に自己中心主義の上乗せをしているに過ぎない”との見方が正しいようだ。現に合法的移民は積極的に受け入れているし、不法移民は徹底的に否定している。"征服民族である彼の言うオリジナル米国人"の存在と利益を最優先しているだけだ。それにしてもあの暴言、不節操と言う表面(おもてづら)とは別に、国民の支持を得るアメリカ的何かが確実に存在している。それを我々は知らねばならないのではないか。

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 このところのミュージック界では”トランプ批判”が目立つ。先陣をきったロジャー・ウォーターズの2018年12月までの二年間に及んだ世界ツアー「US+THEM tour」上左)、 ラテン・アメリカの血の入ったインドラ・リオス・ムーアの叫びのアルバム「CARRY MY HEART」 (上中央)、そしてここに来てのアントニオ・サンチェスのアルバム「LINES IN THE SAND」(上右)の登場、更にあのアイドル・テイラー・スウィフト(右)ですら公然と批判を述べた。これらのこのようにトランプ批判の流れと犠牲になっている人々への想いを寄せる心は強まっている。これは何を物語っているかは自ずから知れるところである。

800pxpresident_barack_obama_2 更に興味あることはバラク・オバマ元米国大統領が、アメリカの音楽チャートの上位に初登場したニュースだ。彼の名前は俳優でシンガーのクリストファー・ジャクソンChristopher Jacksonの曲「One Last Time (44 Remix)」に、ゴスペルシンガーのベベ・ウィナンスとともにフィーチャーされ、曲中には彼が、初代米国大統領のジョージ・ワシントンの辞任挨拶を引用した演説が盛り込まれている。ビルボードのHot R&Bソングチャートで急浮上したのである。このよって来たるところは・・・と問う事も、米国の良心を知る上に必要だ。

② 安倍政権下の諸問題

 あの昭和・平成時代では歴代総理の中でトップの圧倒的人気のあった小泉純一郎以来の「新自由主義neoliberalism」、つまり”小さい政府、規制緩和、社会保障費圧縮などの構造改革”と”市場原理主義の重視をする経済改革政策”は続いて来た。
 これは国家による富の再分配を主張する自由主義liberalismや社会民主主義Democratic Socialismと対立する面を持っている。そしてその性格はこの安倍時代に明確になり、その結果もたらしたものとして、格差の拡大、国富は1%の富裕層と大企業に集約が進んでしまっているのではないだろうかという批判に耐えられるか。

Photo_2  ▶誰もが認める安倍総理の独裁化、中央官庁エリート社会の墜落、企業の経営倫理の崩壊
 
安倍自民党のおごりと不誠実
 
官僚の文書改ざん・財務省の道義崩壊と腐敗
 
御用マスコミ、そしてテレビを代表する国民総無関心化路線へ
 
国防費の増大 
 
外国人労働者はまさか現代の奴隷制度なのか
 
対北朝鮮、対韓国の日本政策の危険性
 
北方領土問題と平和条約の意義
 
異常とも言える日本の自然災害
 
捕鯨問題と国際機関からの脱退の意味するもの
 
沖縄基地問題と対米関係
 
学問と教育の軽視、教育者・研究者環境の劣悪化

 まだまだ取りあげるとキリがない。新元号に期待して希望的に今年は全てが動く年であることは事実だが、しかし米国にそして日本に問題が山積みされている。さらに世界的には欧州には英国(EU脱退)からイタリア(政治的混迷)、フランス(反マクロン経済政策運動)、ドイツ(リベラル・メルケル首相の支持低下と新興右翼政党「AfD」)をはじめ新たな問題が山積みとなり、中近東、中国、東南アジア、南アメリカのどこをみても戦後の反省から築いてきたものの崩壊が進みつつある。
 少なくとも日本に於いては・・・・意外に大切なのは、ある人がいみじくも言った”この現実にみる西洋思想の弱点が浮き彫りの中では、原点の東洋思想の良い点に今こそ目を馳せ、極めるところ儒教の真髄である「仁・義・礼・智・信」ぐらいは基礎に持って動くべきだ”まさにそうあって欲しいものである。

(取り敢えず・・・・・)
Photo_3 こんな時代に間違いのない道を歩む為に今必要な事は、日本の昭和時代の戦争の反省からの再スタートとその経過から、平成の30年をしっかりそれなりに分析し、これからの時代を評価出来るものを持つ事だと思う。

 実はその意味に於いても、学者をはじめ歴史研究者の語ることは勿論それなりに重要であると思うところだが・・・もう少し砕けた話としては、昨年友人から紹介された本がある。それは右の赤坂真理という1964年東京生まれの女流作家の講談社現代新書「愛と暴力の戦後とその後」(2014年第一刷発行現在第11刷)(→)である。私からすると日本の戦後の歴史の一大事件「60年安保闘争」に関して全く関わっていない人達の書き物は評価が難しいところにある思って来た。しかし現在60年安保闘争に関わった人間は少なくとも75歳以上といってよい。早く言えば後期高齢者に当たる。今や昭和の時代の、平成の時代の若い人達こそ、現状の日本をリードする人間である。その為に現状を知るためにも日本の歴史を知り語るべきと思う。そんな時にこのような事を書く人間が居るということを含めて興味深く読んだ本であるので取りあげた。

(その他の参考書)
「新自由主義の自滅 日本・アメリカ・韓国」
    菊池英博 著            文春新書 2015
「アベノミクスの終焉」
    服部茂幸 著            岩波新書 2014
「新自由主義-その歴史的展開と現在」
    デヴィド・ハーヴェイ著      作品社   2007
「新自由主義の復権-日本経済はなせ停滞しているのか」
    八代尚宏 著            中公新書 2011

(試聴)

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2018年11月 3日 (土)

ロジャー・ウォーターズの世界~ストラヴィンスキー「兵士の物語The Soldier's Tale」

これは彼の生き様からの教訓の物語か?
     ~クラシックに迫るプログレッシブ・ロッカーの道

<Classic>
Roger Waters
IGOR STRAVINSKY'S THE SOLDIER'S TALE (兵士の物語)

Sony Classical / EU / 19075872732 / 2018

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(演奏)
ロジャー・ウォーターズ(語り)
ブリッジハンプトン室内楽音楽祭の音楽家たち

   スティーヴン・ウィリアムソン(クラリネット)   
   ピーター・コルケイ(ファゴット)
   
デイヴィッド・クラウス(トランペット/コルネット)
   デミアン・オースティン(トロンボーン)
   コリン・ジェイコブソン(ヴァイオリン)
   ドナルド・パルマ(コントラバス)
   イアン・デイヴィッド・ローゼンバウム(パーカッション)

Recorded at The Bridgehampton Presbyterian Church, December 11-12,2014

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 ここで先日取りあげた~このロジャー・ウーターズのクラシック・アルバムを聴くに、何故どうして今このストラヴィンスキーなのかと・・・・疑問はなかなか晴れるわけで無いのだが、しかし逆にそれであるから、いろいろと思い巡らしての面白い機会を持てたというところである。
 彼とクラシック・アルバムと言えば、難産の結果生まれた2005年のフランス革命を描いたリアル・オペラ「サ・イラ~希望あれ」がすぐ思い出すところである。そこにはウォーターズの意識というものが必ず存在していた訳で、たまたまこの「兵士の物語Soldier's Tale」の作曲家が、ロシアのストラヴィンスキーIgor Stravinsky(1882-1971)と来れば、まずはある意味での過激性のある問題の意識をどうしても持たざるを得ない。彼は20世紀クラシック界において、そこに大きな変革期を演じたその一人であるからだ。
 そしてしかもその彼の異色作と言われる「兵士の物語」であるからこそ、そこにウォーターズの意志を感ずると同時探りたくもなるのである。

 さてこのクラシック曲は3人のナレーション(語り、兵士、悪魔)と小オーケストラ(7人の器楽奏者)によって演奏される舞台作品で、1918年、第一次世界大戦直後の疲弊した社会環境の下で生み出された作品。ウォーターズの祖父は第一次世界大戦で戦死しており(また父親は第二次世界大戦、イタリア戦線・アンツィオの激戦で戦死)、そのことがこの作品を録音するきっかけになっているとの事とは言え、果たしてそれだけなのかと、単純に捕らえられないウォーターズのこと、一歩掘り下げてみたくなるのである。

79280004429d2dcf_2 そもそもこの「兵士の物語」は、ストラヴィンスキーがロシア革命後の政策下で資産没収により困窮し、その困難を打破するために仕事を展開した。かといって戦争直後の疲弊した状況下では大規模な作品の上演はまずもってあり得ない状況だった。そこで少人数の巡業劇団クラスで上演できるような作品を考えたことにこの曲は生まれることになったらしい。原作を民俗学者・アレクサンドル・アファナーシェフの編纂によるロシア民話集に求め、スイスの小説家・ラミュに脚本の執筆を依頼し、ストラヴィンスキーが曲を構成したと言う経過。

 [そしてその内容]は、ロシア民話の実は教訓をその実とした物語で、兵士ジョゼフが休暇をとってかって幸せであった故郷の母の下に婚約者に会いに行く。そこに悪魔が表れ彼の背にあったヴァイオリン(心)とお金やなんでも手に入るという本の交換をしてしまう。金持ちになった兵士は故郷に帰るも、たった3日間というのが騙され3年の経過があり、婚約者は結婚し夫と子供も居る。故郷では彼を相手にしない。彼は怒りヴァイオリンを悪魔から取り返し、その音色で王室の娘の病気を治して結婚し幸せになる。そこで兵士は昔の故郷の幸せも懐かしくなり結婚した姫と二人で、国境を越え故郷に向かうも又悪魔の仕業により、越えた瞬間に再び悪魔のヴァイオリンにより破綻する。

 (コラール)
   今持っているものに、昔持っていたものを足し合そうとしてはいけない
   今の自分と昔の自分、両方持つ権利は無いのだ
   全て持つ事は出来ない
   禁じられている
   選ぶことを学べ

   一つ幸せなことがあればぜんぶ幸せ
   二つの幸せはなかったのと同じ

You must not seek to add
To what you have, what you once had;
You have no right to share
What you are with what you were.

No one can have it all,
That is forbidden.
You must learn to choose between.

One happy thing is every happy thing:
Two, is as if they had never been.
 

673576878 さて、このような人間の生き方を教訓として歌いあげるこの「兵士の物語」は、ウォーターズの手による改変が成されているようだが、そこまで私は深めていない(私の手にあるアルバムは輸入盤で、当然ナレーションの英語の内容は記されているが、私にとって十分に訳せるものではない。日本盤には和訳があるのだろうか)。

 いずれにせよ、語り手、兵士、悪魔の3人をウォーターズが一人でナレーションしているその業には真迫感が有りお見事で脱帽だ。彼にはいまやそうした世界にも深める事を試み、そしてこの曲の教訓までも訴えているところが恐ろしい。
 目下の「US+THEM Tour」の延長による延長の成功も、今や彼はピンク・フロイドの頭脳として作ってきた時代評価の強者として、更に昇華して存在している。ここにはAnti-Warとしての共通点は見いだされるが・・・・。

 しかし、彼のロッカーとしての人生は、才能と努力によってその道による成功をもたらし財産家となってはいるが、少年期の父不在の不幸、戦争のもたらした人間的不幸を反省しきれない世情の不信感、これは一向に晴らすことは出来ないでいる。そして果たして家族的幸せも獲得できているのだろうか、それは度重なる離婚劇は彼にとって何なのか、ここにはこの「兵士の物語」を彼が熱演する何かがありやしないだろうか。

 The Soldier's Tale is a Modern Fairytale and at the sametime an Anti-War piece

 このアルバムの録音は2014年。その時のメンバーによって翌2015年にブリッジハンプトン室内音楽祭(ニューヨーク州)で実演にもかけられている。 採算性は全く考えられないこうしたアルバムをリリースするウォーターズの生き様は益々目を離せない。

「THE SOLDIER'S TALE」
Part 1:
1. “The Soldiers March”
2. “Slogging Homeword”
3. “Airs by a Stream”
4. “As You Can Hear…”
5. “The Soldiers March (Reprise)”
6. “Eventually, Joseph Reaches his Home Village…”
7. “Pastorale”
8. “The Soldier, Disconsolate…”
9. “Pastorale (Reprise)”
10. “The Soldier, Slowly Coming Back to Himself…”
11. “Airs by a Stream (Reprise) - To Stretch Out on the Grass…”
12. “Hey Satan, You Bastard…”
13. “Airs by a Stream (2nd Reprise)”
14. “Now to be Gained Here…”
Part 2:
15. “The Soldiers March (2nd Reprise) - Down a Hot and Dusty Track…”
16. “He Doesn't Even Know Himself…”
17. “The Soldiers March (3rd Reprise) - Will he Take the Road to Home…”
18. “He doesn't have a Home Anymore…”
19. “The Royal March”
20. “So all was Arranged…”
21. “Later that Night…”
22. “The Little Concert - Light Floods the Eastern Sky…”
23. “The Soldier, with a Confident Air…”
24. “Three Dances - Tango, Pt. 1”
25. “Three Dances - Tango, Pt. 2”
26. “Three Dances - Waltz & Ragtime”
27. “So First a Tango…”
28. “The Devil's Dance”
29. “The Devil, Confused…”
30. “The Little Chorale”
31. “The Devil Recovers Some of his Wits”
32. “The Devil's Song - All Right! You'll be Safe at Home…”
33. “Hm, a Fair Warning…”
34. “Grand Chorale (Part 1)”
35. “Spring, Summer, Autumn…”
36. “Grand Chorale (Part 2)”
37. “Steady Now…”
38. “Grand Chorale (Part 3)”
39. “Steady, Just Smell the Flowers…”
40. “Grand Chorale (Part 4)”
41. “Now I have Everything…”
42. “Grand Chorale (Part 5)”
43. “The Princess, all Excited…”
44. “Grand Chorale (Part 6)”
45. “And so, Off They Go…”
46. “Triumphal March of the Devil”

(視聴)

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2018年11月 1日 (木)

この10月は、ちょっと「城巡り」~その2

名城四国編

 昨年の10月に続いて、今年もちょっと城巡りの機会がありました。
 城でもやはりなんと言っても天守閣が魅力があるのですが、現在日本全国でも「現存天守」と言われるものは、寂しいことですが12城しかないわけで、そのあたりは全て見ておきたい気持ちがある。つまり再建した城はどうしても味わいに欠けると言うか、どこか空しいのですが、現存天守はやはり心に響きます。

 (参考1)「天守閣の分類」
    ■ そのまま現存している天守
     ①現存天守 : 江戸時代からのそのまま現在に残った天守
    ■ 復元した天守
     ②木造復元天守 : 図面をもとに忠実に復元
     ③外観復元天守 : 図面の外観のみ復元
    ■ 忠実な再現なし
     ④復興天守 : 天守はあったが忠実な再現はせず
     ⑤模擬天守 : 本来は天守なしの場合に作られたもの 
 
(参考2)「現存天守」
   全国見渡してわずか12城しかない。それは弘前城、松本城、丸岡城、
犬山城、彦根城、
   姫路城、松江城、備中松山城、丸亀城、松山城、宇和島城、高知城、の12城。

 

□ 高知城 (現存天守) 2018.10.19

Pa190567w2_4 好天の高知城を拝見できた。高知市の中央にある。規模は大きいとは言えないが、なかなか美しいたたづまいである。日本100名城に選定されている。別名鷹城(たかじょう)。
 江戸時代に建造された天守や本丸御殿、追手門等が現存している貴重な城。

 江戸時代初期(慶長8年1603年)に、関ヶ原の戦いの功績者・土佐藩初代藩主・山内一豊によって着工され、2代忠義の時代に完成したもの。3層6階の天守は、一豊の前任地であった掛川城の天守を模したといわれているらしい。名称は一豊により河中山城(こうちやまじょう)と名付けられたが、その後、高智山城と名を変え更に現在の高知城。 
 一度城下町の大火で焼失し、寛延2年1749年に再建されたもの。
 追手門が現存し、そのバックに天守が見られ、美しい。現在、自由民権運動の板垣退助の像も置かれている。

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□ 松山城  (現存天守) 2018.10.20

 愛媛県松山市にある城。現在は「松山城」と呼ばれいるが、別名金亀城(きんきじょう)、勝山城(かつやまじょう)。(各地の松山城と区別するため『伊予松山城』と呼ばれることもある)。この10月好天の下、訪れることが出来た。

Img_1221trw 松山城は、松山市の中心部である標高132mの城山(勝山)山頂に本丸があり(今回宿泊した道後温泉から見た写真→)、裾野に二之丸(二之丸史跡庭園)、三之丸(堀之内)がある、広大な平山城だ。
 大天守(現存天守の1つ)を含む21棟の現存建造物が国の重要文化財に、城郭遺構が国の史跡に指定されている。
 昭和初期の1933年に大天守を残して焼失した。その為連立式天守群の小天守以下5棟をはじめとする22棟(塀を含む)が木造で復元された。したがって現在、かっての立派な威容を誇っている。

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*
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  天守は安政元(1602)年に落成したもので、三重三階地下一階の層塔型天守という様式で、江戸時代最後の完全な城郭建築だそうだ。
 天守と小天守、隅櫓を渡櫓で結ぶ天守建造物群は、連立式天守を備えた城郭と言われるもの。なかなかお見事な構造である。
 親藩・松平家によって建築されており、そのことを物語る「葵の御紋」が瓦などに見られる。

Pa200677tr3w 現在はこの城址は市民や観光のための公園の形で管理され、市の中心観光地である。私の訪れたのは秋の好天で、多くの観光客で賑わっていた。山頂の天守までは昇るのは大変なため、ロープウェイ、リフトが途中まで運行されていて、かなり観光客にとってはスムーズな鑑賞が出来る(右のように地元の大学生の暖かい歓迎を受けた→)。

 昨年、ここでジャズ・ブロガーのJamkenさんに勧められた城で、是非とも、と・・・・訪れた次第。     (click to enlarge)

(参考)

① 高知城

            *              *

② 松山城

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2018年8月 4日 (土)

懐かしの海外スナップ集(3)=ハンガリー・ペーチュ(3) & 「教会音楽」

ペーチュPécs(ハンガリー)にて  (2000年5月撮影)

「もう夏の訪れ」   Király Streetにて

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「ちょっとしたひととき」  ~親子の語らい           

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Mamiya 645AFD   Zoom AF 55-110mm 1:4.5
posi-color film KODAK E200

(これは当時のKODAKのリバーサル(ポジ)・カラー・フィルムであるが、前回のハンガリー・ペーチュ(2)のFujiのネガー・カラー・フィルムと比較してみると、明らかに清々しいFujiのネガの色に軍配の上がるという状態でした。Fujiのネガは優秀なのに驚きです)


 ペーチュは、ハンガリーの南に位置した農業地帯にある都市だが、ハンガリーでは人口から五番目の規模の都市(17万人)であるようだ。発展が遅かっただけ観光的にはなかなか魅力の都市である。ここにある教会は立派なホールとパイプ・オルガンがあり、音楽的にも引きつけるモノがある。

 (このシリーズは、私の別室ブログ「瞬光残像」http://photofloyd.exblog.jp/と連携しています)

(ペーチュの教会で聴いた音楽)

<Classic>
SZABOLCS SZAMOSI 「A PÉCSI BAZILIKA ORGONĀJA」
Lszl Dobos / Hungary / DLCD110 /1997

Apecsibazilikaorganaja

  Pécs Cathedral、この教会でハープオルガン演奏を聴いた。その荘厳たる響きに圧倒される。天井の高い空間に於ける響きは体の芯まで響く思いであった。こうした場所は残響も手頃で有りそこが又感動の世界である。
 このアルバムは、この時に、この教会で手に入れたものだ。

Listw

 Listは上記のとおりで、やはりバッハの”トッカータとフーガBWV565”が登場する。この教会での録音で有り、その荘厳たる音と響きが堪能できる。これも懐かしい思い出であった。

(参考視聴)

Bach「Toccata & fuga二短調 BVW565」

Pécs (Hungary)

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2018年7月 2日 (月)

(友人から勧められた本)與那覇 潤 「知性は死なない」

平成はもうあと少しで終わる・・・・リベラルの凋落
こんな時代で終えて良かったのか?

 雨の6月末に読んだ本です。
 私はなかなかこの手の本を自分で見つけて読むと言うことが苦手。それは普段は目的が偏って決まっている為にその方面に沿った本しか選べない為です。
 しかし有り難いことにこうして本を薦めてくれる友人が居るということです。そんなおかげで、最近はかなり多方面の本に接しています。

與那覇 潤 「知性は死なない--平成の鬱をこえて
(発行者:吉安章  発行所:(株)文芸春秋 / 2018 )

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 この著者與那覇潤とは私は知らなかった。彼は「日本の存在」ということにかなりの意欲で対峙していた東京大学教養部卒で、同大学院総合文化研究科博士課程を経て(2007年)、愛知県立大学日本文化学部准教授であった。
 この書は、「双極性障害(躁鬱病)」という精神疾患に襲われ彼が、無能化した状態からの再生、そして平成を振り返り現在の状況に彼らの「知性」は何故崩壊と言えるに状態に至ったかを問いながらも、「ポスト平成」にやはり”光”を求める書である。

W_2 與那覇氏は1979年生まれと言うから、私から見れば失礼だがまだまだ若い青年と言える年頃。そして生きてきた時代は主として「平成」である。だから「平成」こそ思想と人格形成の時であった訳で、そんな目から見た貴重な「平成」は何であったかと思い残す気持ちは大きいと思う。それは私のような「昭和」の人間からすれば「昭和」の激動をどう生かしてくれるかとむしろそうした目で見てしまうのであるが。

■ 精神疾患からの再生
 與那覇氏が精神的に調子を崩すに至った過程は主として大学という場であったと思うが、ちらっと見える大学人批判らしきところからも「平成の流れに迎合して行く知性とは?」と言う懐疑心の世界がみえている。彼の精神病下のやるせない悲哀感も伝わってくる中で、療養生活(障害者との共同生活も含めて)下で、今までに経験の無かった世界を眺めるようになったこと、「言語」と「身体」という二つの視点からリベラルの凋落を考察するところに至る話も興味深い。

I0455_03_01a■日本のリベラルの破綻と知性の崩壊
 この書では「平成の年表」も「日本編」「海外編」と分けて記しているが、日本に於いては、細川非自民政権発足(1993)から、村山自社さ政権(1994)、自民・公明連立与党(1999)、小泉純一郎政権(2001)、第一次安倍晋三内閣(2006)、民主党政権(2009)、第二次安倍内閣(2012)と、やはり30年となると大きな変化があったとも言えるが、この過程の中にリベラルの破綻と知性の崩壊の歴史をみることになる。それは昭和の「60年安保闘争」の念頭に置いての「集団的自衛権に反対して政権を倒す」という人たちの運動は、知識人も含めて完敗した現実。

■ コムニズムへの期待は?
 そして世界情勢では冷戦以降の資本主義と共産主義、宗教、民族と広く分析する。マルクスのコムニズムCommunismを「共産主義」と言うので無く「共存主義」と説くところに至る過程も興味深い。

 これは私が薦められて読んだ書であるが、多くの人に読んで欲しい書でもある。

(最後に280頁から)
 私たちはのこりわずか一年で、新しい元号を迎えます。しかしそれがどこまでほんとうに「あたらしい時代」となるのかは、私たち自身がどのように、古い時代をふりかえり、その成果と課題を検討して、なにを残しなにを変えて行いくと決めるのか--すなわち、どのように「知性」をはたらかせるかにかかっています。

(與那覇潤 著書)
『翻訳の政治学 近代東アジア世界の形成と日琉関係の変容』岩波書店、2009年
『帝国の残影 兵士・小津安二郎の昭和史』NTT出版、2011年
『中国化する日本 日中「文明の衝突」一千年史』文藝春秋、2011年
『日本人はなぜ存在するか』集英社インターナショナル、2013年
『史論の復権』新潮新書、2013
『知性は死なないー平成の鬱をこえて』文藝春秋、2018


(参考映像)

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2018年5月29日 (火)

最近のカメラ事情(1)・・・人気のミラーレス・カメラ「SONY α7シリーズ」

[My Photo Album (瞬光残像)]  Spring/2018

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作例
 (我家の庭から・・・薔薇の季節(2)) 
Sonyα7Ⅲ(ILCE-7M3)/ Sony SEL24105G(SEL24-105mmF4G OSS) /73mm, 1/200sec, F4.5/ ISO100

[カメラの話題]

サブ・カメラからメイン・カメラに?・・・・・・

ミラーレス一眼「Sonyα7Ⅲ ( ILCE-7M3)」
 35mmフルサイズ裏面照射型センサー2420万画素、ISO100-51200、
   AF 693点像面位相差AFセンサー(コントラストAF枠425点)、瞳AF
   AF追従高速連写10コマ/秒、177枚連写持続能、4k動画(QFHD:3840X2160)


このカメラの初代「Sonyα7」 が登場したのは2013年。小型でありながらセンサーは驚きのフルサイズ機ということで注目され、既に足掛け5年の経過であるが、昨年11月「SonyαR7Ⅲ」 、今年になって3代目のこのシリーズのベーシック機として「Sonyα7Ⅲ」が登場して、俄然その注目は高まって目下一つのブームを起こしている。
 それも昨年5月には最上級機「Sonyα9」を登場させ、目下のデジタル機の最高峰を伺ったため、この「α」シリーズがSonyの主力機器としての位置がほぼ認知され、ユーザーも安心して対応できるムードにも落ち着いたのだ。

(私も最近この「Sonyα7Ⅲ」に更新(レンズは話題のSony SEL24105G) ↓)

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 カメラもフィルムからデジタルの時代になって、その進歩は著しい。もともと一眼レフの主流となったことすら驚きであったが、今やそれが当たり前で、かってのフィルム・カメラは既に知らない若者が多くなってきたことで、我々自身も自分の歳を感ぜざるえないところとなっている。

 又、そのデジタル機も当初は簡便な「デジタル・コンパクト・カメラ」でスタートして、そのブームもすざまじかった。しかしそれも既に「スマート・フォン内蔵カメラ」にその道は譲ってしまっている。そしてカメラ業界もなんとなく低調時代に入ってしまった。
 しかし・・・時代は思わぬ展開がするもので、そんなスマート・フォン・カメラ流行で、今度はそれ以上を求めて、デジタル・コンパクト機も高価で高機能なモノは再び注目を浴び、若い連中にももてはやされる時代となった。

Column6_img_02 一方、既に本格的な高機能多機能なカメラとして主流になった「デジタル一眼レフ・カメラ」もここに来て危うい状況が生まれてきたのである。それが「ミラー・レス一眼」の高機能化である。
 もともと一眼レフ・カメラは、ハイレベルのファインダーが撮影者にとっては重要で、その撮影のための見える像はレンズを通して来た光をミラーで反射し、その光をプリズムを通してのファインダーで見ていた訳だが(右図:撮影時はミラーが跳ね上がって光がセンサーに当たる)、その為この性能を上げるためには、かなりの装置に費用が掛かっている。
 ところが、右図下のようなファインダーで見る像は、ミラー・プリズム装置を無くして、撮影用のイメージ・センサーで受けた光の像を電気的に直接見て撮影対象に相対するという方法がここに来て有力になった。それはそのセンサーの受けた像をエレクトリック・ビュー・ファインダー(EVF)で、かってのプリズムを通してみていた像に負けない像がほぼリアルタイムに見られるようになって来たと言うことが大きいのだ。こうして光学的装置からエレクトリックな装置でまかなうようになった「ミラー・レス機」が注目されているのだ。それは余計な装置が減少し、費用は下げられ、又フランジバック(レンズ・マウントからセンサーまでの距離)が短いなどもあって、カメラの大きさも小型化出来るというメリットが大きいためだ。

7konica もともとコニカ・ミノルタ・カメラの技術陣がソニーに移って、過去の遺産を受け継ぎながらカメラを製造していたわけだが、「デジタル・一眼レフ」は相変わらず、ニコン、キャノンの天下であった。しかしソニーは、このミラーレス機能を発展させ、もともと持っていたミノルタαシリーズ一眼レフの高技術を合体させ、エレクトリック機能の高度化による高機能「ミラー・レス一眼レフ」に力を注いできた。
 そして2013年に出現した「Sonyα7」機(私の初代機↑)は、レンズ群は、当時まだ十分揃ったとは言えないが、マウントを使うことによってほぼあらゆる過去の多くのメーカーのレンズを使うことが出来るように設計されていた為に人気機種となったのだった。

Img_1001tr そして今年発売されたこの新しい「Sonyα7Ⅲ」機も同様で、私の場合、右のように主にライカ・レンズを付ける事が多い(→)。それも「ニコン・フルサイズ一眼レフ」機のサブ機感覚なんですね。又キャノンの一眼レフ機用レンズはマウントでその機能を生かしたままこのカメラでも性能発揮して使えるのである。

 今やこのシリーズのベーシック機と言われているこの「α7Ⅲ」が、なんと像を感知する”デジタル・センサー”と”オート・フォーカス機能(瞳AFが話題)”更に”シャッター機能(10コマ/秒)”などにトップ・レベルの優秀な機能を発揮しており、しかもフルサイズセンサー機として驚きの小型化が成功して、人気も最高潮に達しているのである。

Sel24105gtr こんな人気の中で、ソニーも、このαシリーズ・カメラへの純正レンズのラインナップをもかなり充実しつつある。中でも驚くことに最近発売したこのカメラ対応のレンズである「Sony SEL24105G(SEL24-105mmF4G OSS) (→)は、値段もリーズナブルで、性能も手頃。又ズームは一般標準利用範囲での24-105mmとカヴァー範囲が広く超人気レンズとなった。そしてこの春から異常状態で、なんと現在も生産が間に合わず、注文から手に入るまで2ケ月位待たされるという事態となっている(事実私も1ケ月半待たされた)。そして今時は価格は発売から次第に下がるのが通例だが、これは2017年11月発売し6ヶ月の経過があるにも関わらず、下がらずにいて、ソニーの希望価格よりも高値で動いているところもある始末だ。

Slide_01w 又、このαシリーズに対応用として初めてレンズ・メーカーのタムロンも、ここに来て新レンズ「TAMRON Model A036(28-75mm, F/2.8)」(←)を発売。これも手頃の価格で、性能も良好と言うことで好評。なんとこれも注文が多く、製造が追いつかず、やはり購入するには、待たされるという事態が起きている。
 今時、こんな事態はカメラ販売では珍しく、如何にこの”Sonyαシリーズ”の人気が高いか解る。当に「一眼レフ・カメラ」から「ミラー・レス・カメラ」への流れが本格化してしまった訳である。
 そこで既にキャノンもミラー・レス機に着手。多分ニコンもおそらくこの流れに追従することになるだろうと思われる。いよいよカメラ業界も又々大きな転換期となって来たのである。
 そして私の場合でも、・・・・・どうもこのミラーレス機がサブ・カメラからメイン・カメラになりつつある事を感ずる今日この頃なのである。

(参考)

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2018年5月26日 (土)

中西繁傑作作品「雨の舗道」

[My Photo Album (瞬光残像)]  Spring/2018

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(我が家の庭から・・・・薔薇の季節)

[絵画の話題]   中西繁作品

縦位置構図と横位置構図の意味するところは・・・・

  中西繁画伯の数多い傑作の中の一枚と私は思っている「雨の舗道」(F130号大作)という作品がある。これは画伯が2004年から2年間フランスへ留学した(モンマルトルの100年以上前にゴッホの住んだ部屋にアトリエを構えた)時に、その構想と作製に関係した作品と推測しているが、2007年の日展に出品されたものだ。
 サクレクール大聖堂のあるモンマルトルの丘、その北側の周回する並木道コーランクール通りの一枚だ。

□ 雨の舗道 (F130号) 2007年作品

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 この作品は130号という大作ですが、夕方であろうか、雨の降る葉も落ちた季節のコーランクール通りの舗道を一人の婦人が笠をさして歩いて行く。着ているコートからもう寒い季節を迎えての冷たい雨だろう。手には赤い袋を提げている(これが又一つのポイントになってますね)。私は個人的な勝手な決めつけで、これは決して若い婦人ではないと思っている。まだ明るさの残った空が濡れた舗道に反射し、そこに移る婦人の影は華々しいフランスの通りにしては、後ろ姿であるだけに何故か陰影のある哀感を感ずるところだ。左の人間謳歌の時代を反映する若者のビキニ姿の看板。これとの対比が更にその印象を強めていると思っている。
 私はこの葉の落ちた木の枝によって描かれるパリ風景が好きであって、この作品のように周りの建物などが更に味わい深く感じられる。路面の車のライトの反射など気分を盛り上げている。又、雨に濡れたベンチ、舗道には孤独な鳩が一羽歩んでいるのも印象的。心に感じさせる叙情詩的な素晴らしい作品である。

 とにかく中西繁先生のフランス・パリに纏わる一連の作品は、このように素晴らしいのであるが、ここに「雨の舗道」を取りあげたのには、ちょっと理由がある。

 次の作品を見て欲しい。

□ 雨の舗道 (3.5m× 2.5m 大作)  2018年作品

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 さてこの上の作品は、中西繁画伯による今年製作されいるなんと3.5メートル(6.5X2.5mと記されていたがおそらく 3.5x2.5mだと思いますが)を越える大作のようでである。それは、先日先生のブログ「中西繁アート・トーク」でほぼ完成したと書かれていたのを見ただけであるので確実のところは言えないのですが・・・。

Photo 今作はなんと横位置の大作であった。少しづつ2007年作と比べると描いたところに異なる場所もある。まず気になるのは婦人の正面奥の街路樹が大きく描かれていること、左のベンチが無くなっていること、この舗道の車道寄りの街路樹の幹の形が異なっていること、画面が縦構図から横になり左右に広くなったため、車道にはむこうに向かう車が描かれた。広い舗道もやや昇り坂に見えたモノが、横に広く構図をとって、やや平らになった。そしてこれは意味があるのかどうか、婦人の持っているバッグもしくは下げ袋の赤がやや派手さが押さえられた。やはり舗道の手前には孤独な鳩がいる。


 そこで私が最も問題としたいのは、縦位置から横位置に変わった構図である。これはおそらく3メートル以上の大きさの大作であるから、縦も2.5mあって、物理的に横にせざるを得なかったのかも知れないが・・・・・?。
 ・・・・と、思いつつも実は私は縦位置が好きであるため、ここに少々その変化を書きたかったのである。もともと人間がこうして見たときには、横位置の方が安定感があると言われている。しかしこの2007年の原作品の方は、縦位置の構図であって、それが又私は好きなのである。更に、縦構図では画面半分から下は舗道を描いているのであるが、これを広く取った意味は大いにあると思っているからである。その遠近感がたまらないのです。
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 まあ昔から右のような黄金図形(長方形)(縦横比1:1.618=この黄金長方形から右の図のように、最大の正方形を除くと、残った長方形がまた黄金長方形の比率になり、そこからまた最大の正方形を除くと、永遠に相似な図形ができていく)と言うのがあって、最も人間が安定して見れる構図はこの横位置長方形なんですね。そしてどのような比でも横位置が安定感がある(この絵画は1:1.4か?)。
 しかし私は縦位置の不安定感に実は凄く惹かれるのです。まあこれは私個人の感覚ですからどうしようも無いのですが・・・・。しかしこの絵はやや暗さも一味あって、ならばこそ安定感にない縦位置であって欲しかったと思うのは偽らざる気持ちなのでした(しかし大きさから無理な話と思いますが・・・)。・・・しかし見方によっては、この大きさですから前に立った鑑賞者にとっては、この横位置の中に入っての臨場感は凄いと思います(「赤レンガ倉庫展」に向けたものでしょうか)、その為の横位置かも知れません。画伯は今回はそれを狙ったのかも・・・・とも推測されます。

そこでもう一枚(↓)。

□ 雨のコーランクール (F130号)  2007年

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 これは上の「雨の舗道」と対をなすコーランクールの一枚ですね。これも傾斜のある道路の広い舗道の一枚です。雨上がり直後のようです。舗道の描写が素晴らしく圧巻です。これも素晴らしい作品ですね。しかし私の眼から見ると、「雨の舗道」とは全く印象が異なります。その決定的なところは、やはり舗道を歩く婦人が描かれていますが、この作品では、こちらに向かってくるところが印象を変えていると思ってます。こちらはやはり夕方と思いますが同じ暗さでも、見る印象は明るいのです。ここにも孤独の鳩が登場しますが、ここでは孤独と言うよりは、可愛く感じます(不思議ですね)。そして私はこの作品の場合はこの横位置が良いと思います。不安感の無い光景なのです。

 ・・・・と、縦位置横位置の構図というのは私にとっては大いにそれぞれ意味有りで楽しいのです。

<参考までに・・・>
W 中西繁先生の絵画では、実は縦位置はそう多くない。しかし右に見るように・・・・
「終着駅(アウシュビッツ・ポーランド)」(F100号)(→)という作品があるが縦位置である。
 あの忌まわしい第二次世界大戦の虐殺の代名詞だ。このビルケナウの収容所に入った線路と向こうにゲートの建物。これを描いた日本人画家は他に私は知らないが、これを描かなければならなかった中西繁画伯の心を知らなければならないだろう。この大部分を締める線路と遠くのゲートであった建物とのバランスのこの構図が、縦位置での印象を倍増している。
 戦争は許せない。(現在ポーランドでは、ここは「負の遺産」として公開している。数年前に私も訪れてみたが、あえて現在は暗い印象の無い景色となっている。しかし絵には心がある。見るとおり、この絵には明るさは無い)

中西先生へ・・・・先生の肖像および絵画を無断で掲載させて頂いて申し訳ありません。問題がありましたらご連絡ください。対応いたします。

(参考)

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2018年3月 5日 (月)

抵抗の巨匠・アンジェイ・ワイダの遺作映画「残像」

画家(芸術家)の生きる道は?、芸術の表現の自由は?

<ポーランド映画>
アンジェイ・ワイダAndrzej Wajda監督 「Powidoki (残像)」
DVD / ALBATROS / JPN / ALBSD2157 / 2017

1

 ポーランドの映画「灰とダイヤモンド」で知られる抵抗の巨匠アンジェイ・ワイダ監督(1926-2016)の遺作である。第2次大戦後のソビエト連邦下におかれたポーランドで社会主義政権による圧政に不屈の精神で立ち向かった実在の前衛画家ブワディスワフ・ストゥシェミンスキ(1893-1952)の生涯を描いたドラマ。日本では昨年6月公開映画だが、DVDで私の愛蔵盤としたいために昨年末にリリースされたDVDにより鑑賞したもの。

2008_04_22__andrzej_wajda_2監督 アンジェイ・ワイダ (→)
製作 ミハウ・クフィェチンスキ
 
脚本 アンジェイ・ワイダ、アンジェイ・ムラルチク
撮影 パヴェウ・エデルマン(映画「戦場のピアニスト」)
音楽 アンジェイ・パヌフニフ
美術 インガ・パラチ

 (キャスト)
ヴワディスワフ・ストゥシェミンスキ : ボグスワフ・リンダ
ハンナ(学生) : ゾフィア・ビフラチュ 
ニカ・ストゥシェミンスカ(娘)  : ブロニスワバ・ザマホフスカ
ユリアン・プシボシ(詩人) : クシシュトフ・ビチェンスキー
ヴウォジミェシュ・ソコルスキ(文化大臣) : シモン・ボブロフスキ
ロマン(学生): トマシュ・ヴウォソク

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 とにかく90歳になろうとしていたアンジェイ・ワイダの作品である。彼はこれを最後の作品と思って制作したのだろうか?、あの名作「灰とダイヤモンド」(1958年ポーランド映画)をオーバーラップしてしまう同時代の「己の芸術の魂には妥協が許しがたいという生き様の芸術家」を描くことにより、自らの人生をも描ききったのであろうか。

 映画は、自然の緑の美しい草原にて「絵画と芸術」を語るところから始まる。あのナチスドイツに支配され、アウシュヴィッツ収容所にみるがごとき忌まわしいホロコーストの時代をようやくのこと克服してきたポーランドの平和な姿が描かれているのだ。
 しかし彫刻家の妻カタジナ・コブロと共にポーランド前衛芸術の基盤を築いた主人公の画家ストゥシェミンスキは、アトリエにての描こうとしているキャンバスは、真っ赤な色に変わった(この映画の不吉な「赤」からのスタートは上手いですね)。これはソ連共産主義社会のスターリン像の赤い旗が窓を被ったからであった。
 これは戦後のソ連の属国化したポーランドに於いて、スターリン全体主義思想に支配された中で、自由な表現活動を追求しようとする芸術家の抵抗の孤独な闘いを描いた作品である。欧米の自由主義思想を敵視し、それを根絶しようとする国家主義による圧政の恐ろしさは、主人公の芸術家人生が追い詰められていく姿、又生きるために自己を否定してゆかざるを得ない一般庶民の姿、これらを観るものに現実の厳しさをもって迫ってくる。

640b<アンジェイ・ワイダのテーマは?>
 一方、この映画に出てくるセリフには多くの考えさせられる言葉が・・・・
▶「”わたし(芸術)”は”イデオロギー(社会に支配的集団によって提示される観念=ここでは国家)”より優先する」
▶「残像とは、人がものを見た後の網膜に残されるイメージと色だ」
▶「人は認識したものしか見ていない」
・・・・などなど。
 単に芸術にまつわる含蓄のある言葉と捉えて良いものか、多分単純にそうではないと思うのである。
 共産主義の「赤」、娘のまとうコートの「赤」、妻の作品にみる「赤」など、おそらくここでは「赤」は一つのテーマにしているのだと思う。そして愛妻の美しい瞳の「青」と対比している。そしてこの「青」は「残像」として認識される「赤」の補色(緑みの青=シアン)であるからだ。そしてその補色関係にある両者の色にワイダは意味づけを込めているだろう事を知るべきだ。補色により色は輝くのである。このあたりは単純では無い。
 
800pxdmitri_shostakovich_2<スターリンの圧政>
 この映画を観るに付け、一方私の頭をよぎるのは、ソ連の作曲家ショスタコーヴィチ(→)の生き様である。やはりスターリン時代に生き抜いた彼の人生も、属国となったポーランドのみならず本国に於いても当然その圧政との闘いであった。「私の交響曲の大多数は墓碑である」(ソロモン・ヴォルコフ編「ショスタコーヴィチの証言」)と言わしめた彼の作品。避難と呪詛を浴び、恐怖にとらわれながらも、音楽だけが真実を語れると信じて生きようとしたショスタコーヴィチ。ソ連の芸術家の抵抗と絶望的なまでに困難な状況の過酷さは、ポーランドにおいてもこの前衛画家ストゥシェミンスキにみることが出来る。

<この映画の流れ>
 とにかく政府当局の迫害は更にエスカレートし、この画家は社会主義リアリズムを求める党規則に反する独自の芸術の道を進んだ為、名声も尊厳も踏みにじられ、教授職を解かれ身分保障も剥奪され、更に作品をも破棄され、食料配給も受けられないばかりか画材すらも入手困難に追われる。
 病気の身となり、死が迫ってきた彼は、失った妻の為に最後にすることがあると、妻の墓地に敢えて白い花を赤の対立する補色の「青い花」に染めて捧げる。困窮の果てに彼は動くことすら容易でない身で職を求め、裸体のマネキンが並ぶショウウインドーの中で倒れ込み、悲惨な死を遂げる。
 しかし・・・・ここには救いはないのか?、抑圧によるこんな困窮の生活の中で母を喪い、尊敬する父をも喪った幼き娘ニカ(1936-2001)(↓)の姿にみえるたくましい生き様が私には印象深く救いでもある。(参考:実際には、彼女は後に精神科医となり、回想録『芸術・愛情・憎悪――カタジナ・コブロ(母)とヴワディスワフ・ストゥシェミンスキについて』を遺したとのこと)

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★ 監督アンジェイ・ワイダは・・・・
 一般に言われるとおり「レジスタンス」の人と言って良いだろう。彼の90歳の人生の中で、彼が求めた「祖国への愛」「自由」は、”ドイツ・ナチの残虐性に対する抵抗”でもあったのは当然だが、むしろ更なる国家全体主義による人民を抑えつける圧制、特にスターリンに代表される国家の名の下に行われる独裁政治による粛正と圧政、そして残虐行為、これらに対する抵抗が人生の全てであったと思われる。何故なら彼は亡命して生きる道もあったにも関わらず、一時は所在・生死すら解らない状態で(事実は解らないが、一時投獄されているという噂もあった)自国ポーランドにて闘い、ようやくにして1989年以降の解放のポーランドを迎えたのであった。
 既に哀しき時代に生きた彼も亡くなって今年で2年になろうとしているが、過去ばかりで無く現在においても、この作品にみる共産主義国の国家的統制社会のみでなく、如何なる国に於いても何処に於いても国家主義・全体主義の名の下に起こりうる悲劇を我々に教えているように思う。

一人の人間がどのように国家に抵抗するのか。
表現の自由を得るために、どれだけの代償を払わねばならないのか。
全体主義の中、個人はどのような選択を迫られるのか。
これらの問題は過去のことと思われていましたが、
今、ふたたびゆっくりと私たちを苦しめ始めています。
・・・・これらにどのような答えを出すべきか、私たちは既に知っているのです。
このことを忘れてはなりません。
                      (アンジェイ・ワイダ 2016年初夏)

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