時代劇映画

2015年11月22日 (日)

映画 時代劇回顧シリーズ (7) 勝新太郎「座頭市物語」  -私の映画史(21)-

一世を風靡した勝新太郎の”座頭市シリーズ”

 1960年代前半に東映は既に時代劇に精細を欠き”任侠路線”に主なるところは切り替え、そこに来て1966年中村錦之助退社で時代劇は打ち切られた。一方大映は市川雷蔵の1963年”眠狂四郎シリーズ”と1962年「座頭市物語」をヒットさせ、その後1973年「新座頭市 笠間の血祭り」まで勝新太郎の”座頭市シリーズ”は25作と連続ヒットさせた。しかしその大映も1969年に市川雷蔵の死去などにより一次の華々しさは消え、なんと1971年は倒産している。
 しかしその座頭市は、勝プロによって1989年には勝新太郎が自らのメガフォンをとって「座頭市」26作目を制作した。

大映映画 勝新太郎「座頭市物語」
                         (1962年公開)

  • B
    企画:久保寺生郎
    原作:子母沢寛
    脚本:犬塚稔
    監督:三隅研次
    撮影:牧浦地志
    録音:大谷巌
    美術:内藤昭
    照明:加藤博也
    音楽:伊福部昭
  •  (キャスト)
    座頭市:勝新太郎
    平手造酒:天知茂
    おたね:万里昌代
    飯岡助五郎:柳永二郎
    笹川繁造:島田竜三
    松岸の半次:三田村元
    飯岡の乾分・猪助:中村豊
    飯岡の乾分・蓼吉:南道郎
    飯岡の乾分・政吉:千葉敏郎

     あの時代劇映画に新風を吹き込んだ勝新太郎の「不知火検校」から発展したという座頭市シリーズ。その第一作が1962年に公開されたのがこの「座頭市物語」であった。これもシリーズとして作られたのではなく、大ヒットでこの後次々と制作されるに至ったもの。

    Photo_2
     もともとこの座頭の市というのは、子母澤寛が雑誌「小説と読物」へ1948年に連載した「ふところ手帖」の一編「座頭市物語」が原作だという。しかしこの原作の座頭市像と映画ではかなり違いがあって、この映画にみる座頭市像は、脚本の犬塚稔や監督の三隅研次、そして勝新太郎によって作られたモノと言ってよいようだ。
     同じめくらと言っても、不知火検校のような悪人像で無く、世間からはまともに相手にされない者の生き様を描いたのであり、そんな中でのしぶとさとしたたかさ、そしてその強さには感服する。
     しかし、これはハンディを背負った人間の哀歌でもある。万里昌代演ずるおたねとの関係も決して対等に相対すことの出来ない市の一歩退いた哀しさを描いているのである。
     そして天知茂の平手造酒と勝新の座頭市との全く異なったタイプの対比とその運命の流れがこの映画では良いですね。いずれにしても人間ドラマなんですね。
     やっぱりヒットの要因は、盲目の市の瞬速の居合い斬りの迫力、そして仕込み杖・逆手刀殺法がお見事だったことでしょうね。それに人情味溢れた物語には、やっぱり痺れたんです。

    Photo_4
     この後、このシリーズは、次第に市の不気味さとスーパー・マン的強さを見世物に観衆を沸かせるシリーズとなって行くのであるが・・・・。
     最大のヒットは1970年の第20作「座頭市と用心棒」でした。人気の三船敏郎=用心棒を登場させたのには、ファンも驚きだった。しかも嵐寛寿郎までも登場して脇を固めた。これがこのシリーズの絶頂期と言って良いのであろう。

     勝新太郎は当時別に映画「悪名」「兵隊やくざ」などもヒットさせていたが、やっぱりこの座頭市は群を抜いて人気があり、彼の俳優生活の看板にもなったのであった。

     そして時代は劇場公開映画から茶の間のテレビ時代と変化する時でもあって、後にテレビでも「座頭市」をシリーズ化して、茶の間を湧かしたのである。

    <映画 座頭市シリーズ>

    ①座頭市物語(1962年)
    ②続・座頭市物語(1962年)   
    新・座頭市物語(1963年)
    ④座頭市兇状旅(1963年)
    ⑤座頭市喧嘩旅(1963年)
    ⑥座頭市千両首(1964年)
    ⑦座頭市あばれ凧(1964
    ⑧座頭市血笑旅(1964 
    ⑨座頭市関所破り(19641230日)
    ⑩座頭市二段斬り(196543日)
    ⑪座頭市逆手斬り(1965918日)
    ⑫座頭市地獄旅(19651224日)
    ⑬座頭市の歌が聞える(196653日)
    ⑭座頭市海を渡る(1966813日)
    ⑮座頭市鉄火旅(196713日)
    ⑯座頭市牢破り(1967812日)
    ⑰座頭市血煙り街道(19671230日)
    ⑱座頭市果し状(1968年810日)
    ⑲座頭市喧嘩太鼓(19681228日)
    ⑳座頭市と用心棒(1970年115日)
    ㉑座頭市あばれ火祭り(1970812日)
    ㉒新座頭市・破れ!唐人剣(1971113日)
    座頭市御用旅(1972115日)
    ㉔新座頭市物語・折れた杖(197292日)
    ㉕新座頭市物語・笠間の血祭り(1973421日)
    座頭市(198924日)

    (参考)

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    2015年11月 7日 (土)

    映画 時代劇回顧シリーズ(6) 市川雷蔵「眠狂四郎 女妖剣」   -私の映画史(20)-

    1960年代の多様な映像時代、遂にエロティシズムeroticismの登場

     映画の下降線、そして更に時代劇の下降線に入った60年代。又社会も多様化して、映画に求めるモノも多様化した。
     時代劇の東映は、その線を繋ぎながらも人気の出てきた”任侠路線”に次第にシフトしてゆく。

     そんな中で華の50年代のスター中村錦之助は「関の彌太っぺ」「沓掛時次郎 遊侠一匹」と時代劇任侠路線と「反逆児」のような戦国武将ものを、三船敏郎は「椿三十郎」、「侍」など浪人モノなどで、まだまだそれなりの興行成績を上げていた。しかしここに剣術とエロティシズムとの新路線として市川雷蔵の「眠狂四郎シリーズ」、又勝新太郎のかっては考えられなかった兇状持ちで盲目の侠客という「座頭市シリーズ」が成功する。


    大映映画 市川雷蔵「眠狂四郎 女妖剣」 (1964年公開)
           監督:池広一夫、脚本:星川清司、音楽:斎藤一郎
            出演:市川雷蔵、藤村志保、久保菜穂子、城健三朗、春川ますみ、根岸明美

    Photo  「眠狂四郎」というのは、虚無主義なる浪人モノの世界を描くを得意とした柴田錬三郎の昭和31年5月から「週刊新潮」に連載された「眠狂四郎無頼控」(読切連作の形で書きつがれた狂四郎シリーズは、以後約二十年にわたって続いたから人気の度合いも解るところ)からのもの。

     映画化された中でも人気は1963年から1969年までの市川雷蔵で描いた大映映画12作。市川雷蔵の当たり役となった。
     実は1950年代にも東宝であの鶴田浩二で3作の「眠狂四郎」(1956-1958年)があるがあまり話題にならなかったモノ。
     又市川雷蔵の後に松方弘樹で続けたが当たらず(1969年2作)というところだった。雷蔵と松方ではちょっとイメージが違いすぎたのだろう。

    Photo_2 この市川雷蔵の眠狂四郎シリーズと言えども、第一作(1963年)は興行成績は不振。二作目は良く出来ていた割には、やはり売れず。三作目はボチボチであったが、しかしこの四作目からのエロティシズムの濃厚登場で人気沸騰。
     この4作目「眠狂四郎 女妖剣」では、久保菜穂子、春川ますみ、根岸明美ほか、藤村志保までもエロティシズムの役柄を披露しているし、物語としては、眠狂四郎の生まれの秘密に迫り、転びバテレンと武士の娘との間に生まれた宿命を教える。

     虚無の剣士の生き様を通して、暦年の時代劇の正義の剣の姿ではなく、武士の魂をも描くのでは無い。眠狂四郎は女性に対しては犯すこともあれば、凶器としての剣によって斬ることも容赦しない。そして虚無の意識と孤独感を更に深めて行く。こんな姿は60年代の日本の裏も表もある高度成長社会には見事に受け入れられたのだった。
     凶器の剣の円月殺法は相手を惑わす剣法で、その姿は見るものにとっては美しい。この4作目から狂四郎の円月殺法のシーンで初めてストロボ撮影が用いられ、剣の流れを見事に描写した。この手法はこれ以降の作品で使われるようになった。

    Photo_3  狂四郎の素性の説明があったこと、この後続くエロティシズムのスタートであったこと、そして円月殺法の描写が確立したこと、そして何よりもヒットしたことなどから、この作品が市川雷蔵の眠狂四郎のスタートとも言える作品であった。
     柴田錬三郎に言わせると”剣豪としての姿で無く、現代にある罪悪を背負った狂四郎という主人公が、ある意味では人としての感覚を抑えざるを得ない状況の中で、内面的には苦しみながらニヒルに生きていく姿を描いた”と言うことであったのだろう。
     
     つまり時代劇というものを背景にしてはいるが、最も社会の歪みが顕著になりつつある当時の60年安保闘争以降の日本社会の中で、現実的にはあり得ない人間像に思いを馳せた。こんな近代的な感覚を盛り込んだところに多くの関心と支持を得た作品になった。

    (市川雷蔵の「眠狂四郎」全作品)

    1. 眠狂四郎殺法帖(1963年11月2日公開)  
          監督:田中徳三、脚本:星川清司、音楽:小杉太一郎
          共演:中村玉緒、城健三朗、小林勝彦、真城千都世
    2. 眠狂四郎勝負(1964年1月9日公開)
          監督:三隅研次、脚本:星川清司、音楽:斎藤一郎
          共演:藤村志保、高田美和、久保菜穂子、加藤嘉、須賀不二男
    3. 眠狂四郎円月斬り(1964年5月23日公開)
          監督:安田公義、脚本:星川清司、音楽:斎藤一郎
          共演:浜田ゆう子、丸井太郎、成田純一郎、毛利郁子
    4. 眠狂四郎女妖剣(1964年10月17日公開) 
          監督:池広一夫、脚本:星川清司、音楽:斎藤一郎
          共演:藤村志保、久保菜穂子、城健三朗、春川ますみ、根岸明美
    5. 眠狂四郎炎情剣(1965年1月13日公開)
          監督:三隅研次、脚本:星川清司、音楽:斎藤一郎
          出演:中村玉緒、姿美千子、島田竜三、西村晃、中原早苗
    6. 眠狂四郎魔性剣(1965年5月1日公開)
          監督:安田公義、脚本:星川清司、音楽:斎藤一郎
          出演:嵯峨三智子、長谷川待子、須賀不二男、明星雅子、稲葉義男
    7. 眠狂四郎多情剣(1966年3月12日公開)
          監督:井上昭、脚本:星川清司、音楽:伊福部昭
          出演:水谷良重、中谷一郎、五味龍太郎、毛利郁子
    8. 眠狂四郎無頼剣(1966年11月9日公開)
          監督:三隅研次、脚本:伊藤大輔、音楽:伊福部昭   
          出演:天知茂、藤村志保、工藤堅太郎、島田竜三、遠藤辰雄
    9. 眠狂四郎無頼控 魔性の肌(1967年7月15日公開)
          監督:池広一夫、脚本:高岩肇、音楽:渡辺岳夫
          出演:鰐淵晴子、成田三樹夫、久保菜穂子、金子信雄、遠藤辰雄
    10. 眠狂四郎女地獄(1968年1月13日公開)
          監督:田中徳三、脚本:高岩肇、音楽:渡辺岳夫
          出演:高田美和、田村高廣、水谷良重、小沢栄太郎、伊藤雄之助
    11. 眠狂四郎人肌蜘蛛(1968年5月1日公開)
          監督:安田公義、脚本:星川清司、音楽:渡辺宙明
          出演:緑魔子、三条魔子、川津祐介、渡辺文雄、寺田農
    12. 眠狂四郎悪女狩り(1969年1月11日公開)
          監督:池広一夫、脚本:高岩肇、宮川一郎、音楽:渡辺岳夫
          出演:藤村志保、江原真二郎、久保菜穂子、松尾嘉代、小池朝雄

    (参考映像) 「眠狂四郎」

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    2015年10月31日 (土)

    映画 時代劇回顧シリーズ(5) 中村錦之助「宮本武蔵」5作品   -私の映画史(19)-

    時代劇映画の更なる新しい道・・・・・・文芸路線へ

     とにかく映画の全盛時代の1950年代を経て、1960年代となると映画そのものが次第に下降路線となりつつある時、その時代を反映しつつそこには新路線が登場したわけだが、その一つがリアリズム映像であり、更にもう一つの方向として単なる痛快娯楽路線から一歩進んで、文芸的な世界を模索する路線も誕生してきた。

    東映映画 内田吐夢   監督
           中村錦之助 主演

              「宮本武蔵」            (1961年公開)
              「宮本武蔵 般若坂の決斗」 (1962年公開)
              「宮本武蔵 二刀流開眼」   (1963年公開)
              「宮本武蔵 一乗寺の決斗」 (1964年公開)
              「宮本武蔵 巌流島の決斗」 (1965年公開)

    B
     吉川英治原作の「宮本武蔵」の映画化である。なんと5年かけての製作、当時とすればこの5年間は非常に長く感じられたものだった。そしてこの映画は、監督内田吐夢の一つのロマンの作品と言われている。過去の時代劇と違って、人間の姿・心を描こうとするところに文芸作品と言われる所以である。
     又、武蔵を演ずる中村錦之助の代表作とも言われるところは、彼のこの5年間の役者としての進歩の姿がこの一連の作品に見えてくるところだ。特に第一作での気合いの入れ方は当時驚かされたものだ。

    Photo_3製作:大川博 
    企画:辻野公晴、小川貴也、翁長孝雄 
    原作:吉川英治 
    脚本・監督:内田吐夢 
    脚本:鈴木尚之、成沢昌成
    撮影:坪井誠、吉田貞次 
    照明:和多田弘、中山治雄
    録音:野津裕男、渡部芳丈 
    美術:鈴木孝俊 
    音楽:伊福部昭、小杉太一郎 
    編集:宮本信太郎 
    助監督:山下耕作、富田義治、杉野清史、鳥居元宏、加藤晃、篠塚正秀、野波静雄、鎌田房夫、菅孝之、大串敬介 
    記録:梅津泰子 
    装置:上羽峯男、館清士、木津博 
    装飾:宮川俊夫、佐藤彰 
    美粧:林政信 
    結髪:桜井文子 
    衣裳:三上剛 
    擬斗:足立伶二郎 
    進行主任:植木良作、神先頌尚、片岡照七、福井良春
    邦楽:中本敏生

     出演:
    中村錦之助(宮本武蔵)
    高倉健(佐々木小次郎)
    片岡千恵蔵(長岡佐渡)
    三国連太郎(宗彰沢庵)
    月形龍之介(日観)
    田村高広(柳生但馬守)
    里見浩太郎(細川忠利)
    木村功(本位田又八)
    丘さとみ(朱実)
    入江若葉(お通)
    平幹二朗(吉岡伝七郎)
    江原真二郎(吉岡清十郎)
    岩崎加根子(吉野太夫)
    薄田研二(柳生石舟斉)
    浪花千栄子(お杉)
    木暮実千代(お甲)
    河原崎長一郎(林吉次郎)

     この作品は、内田吐夢監督の拘りが見事に描かれた。勿論吉川英治原作の意志は尊重されているが、内田吐夢自身の人間像に迫るところに魅力がある。 又キャストを見ても当時の東映の総力を挙げている。

     第一作「宮本武蔵」 (1961年公開)
     関ヶ原の戦いに敗れ、敗軍の兵として追われる錦之助の過去の美剣士錦之助像を殴り捨てた武蔵(たけぞう)の演技。それをみる三國連太郎の沢庵坊主の若き者への人間像への導きにポイントがあって、内田吐夢のこの映画への目的が明確に出る。

     第二作「宮本武蔵 般若坂の決斗」 (1962年公開)
     名門吉岡道場にて門弟を打ちのめして遺恨を残す。奈良の宝蔵院にての僧兵を一撃で即死させる。前半を静かに描いて、クライマックスの般若坂の決斗で爆発的にリアリスティックに闘いを描く。浪人の首が飛ぶところは、話題になった映画「用心棒」の壮絶さの上を行く。このあたりが内田吐夢の手法が見事に観客を虜にする。しかしこの二部でも”闘いの結果の殺人”と”僧の世界の真髄”に疑問を持つ武蔵。
    B
     
     第三作「宮本武蔵 二刀流開眼」
    (1963年公開)
     柳生石舟斉へと向かうも高弟との闘いとなり、二刀流が自然に生まれる。吉岡清十郎との洛北蓮台寺野に於ける決闘に勝利。名門の当主のプライドを守り通そうとする清十郎の悲壮感は壮絶に描かれる。勝利無くして武士の姿なしと剣の道に疑問を持ちながらも進む武蔵。

    Photo_7 第四作「宮本武蔵 一乗寺の決斗」 (1964年公開)
     吉岡一門の怨念は深く、平幹二朗演ずる吉岡伝七郎との三十三間堂の対決、そして73対1の一乗寺下り松の決死の闘いを描く。主題の一乗寺下り松の闘いでは、敵の総大将には子供が立てられ、武蔵はそれを殺す。その罪を武蔵は背負って生きる事になる苦痛を描く。又闘いのシーンは内田吐夢のリアリズムが展開する。とにかく武蔵は一本の田圃のあぜ道を走って走って走りまくり、追っ手と一対一の状態をつくり戦う。昔からの東映の踊りに近い大勢に囲まれてのチャンバラとは違う。勝負は一対一でないと勝てない姿が真実感を増す。しかもこのシーンだけがモノクロとなるとこに拘りが見えた。

     第五作「宮本武蔵 巌流島の決斗」 (1965年公開)
     佐々木小次郎との巌流島における宿命の決闘。常に勝利の為の方策、そしてその後の追っ手から逃走の道まで考えて闘いに望む武蔵の計算高いところを描きつつも、相手を殺したことへの勝者としての喜びは無い。ここでは武蔵の殺人への罪を実は内田吐夢は強調する。「戦う」ことから生まれる悲劇、剣の道から人間に迫ろうとした武蔵には・・・・残るは「空虚」のみ。

          ”この空虚・・・・所詮、剣は武器・・・・・・”

     この映画の制作中の5年間には又映画界には変化が起きていた。「時代劇の衰退」と「任侠映画の劉生」である。そんな時の時代劇の生き方への一つの回答であった作品でもあった。

    (視聴)

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    2015年10月24日 (土)

    映画 時代劇回顧シリーズ(4) 三船敏郎「用心棒」 -私の映画史(18)-

    もう一つの時代劇の新しい潮流

     1950年代は、時代劇は東映が一つの形を作っていて、基本はまさに若きも老いたる者も楽しむという娯楽映画という基本的パターンであった。それは立ち回りにおいても舞台で演じられるような舞踊に近い優雅さがあった。
     しかし1960年代となって、この黒澤明の時代劇によって日本映画の時代劇も一変する。

    東宝=黒沢プロダクション 「用心棒」
                    (1961年4月公開)

    監督:黒澤 明                Photo
    脚本:菊島隆三  黒澤 明
    撮影:宮川一夫
    美術:村木与四郎
    音楽:佐藤 勝


    (キャスト)
    桑畑三十郎 ・・・三船敏郎
    新田の卯之助 ・仲代達矢
    小平の女房 ぬい・・・司葉子
    清兵衛の女房 おりん・・山田五十鈴
    新田の亥之吉 ・・・加東大介
    馬目の清兵衛 ・河津清三郎
    造酒屋徳右衛門 ・・志村喬
    清兵衛の倅 与一郎 ・・太刀川寛
    百姓の小倅 ・・・・・夏木陽介
    居酒屋の権爺 ・・東野英治郎

     黒澤明に作らせると、結論的には痛快時代劇なのだが、こうなるのかと・・・・、まさに新しさが詰まっていた。
     三船敏郎演ずる三十郎は、基本的には剣をとれば圧倒的に強い侍で、このあたりは東映時代劇となんら変わらないのだが、この映画のスタートには犬が人間の手首を加えて歩くところから始まって、その描写のリアリズムは当時の時代劇としては群を抜いていた。人を斬るにも実際にはこうするだろうと、その一太刀の神経の集中はすざまじい。そして血潮が飛び散るのも斬るというところを現実化しているし、その斬殺音も効果音として使われていて、その迫力は凄い。こんな時代劇を描いたところが如何にも黒沢だ。

    Photo_3 画面は、もう映画はカラーの時代なのだが、敢えてモノクロを生かしての陰影と、望遠レンズを使って緊迫感を出したり、かってなかった手法を取り入れて効果を上げている。
     お話は、ダシール・ハメットDashell Hammett(アメリカ 1894-1961)の「血の収穫Red Harvest」を元にしたものだという。三十郎がたまたま辿り着いた街には、二つの勢力があってまさに抗争の最中。その両者をうまく戦わせて両者を潰すという話だ。
     なかなかキャストも志村喬、山田五十鈴、仲代達矢そして司葉子などと充実していて、それぞれ納得の演技が展開する。

     この映画は、後にそのリメイク版としてイタリアでクリント・イーストウッド主演の『荒野の用心棒 A Fistful of Dollars』(日本1965年公開、エンニオ・モリコーネの主題曲”さすらいの口笛”が良かったですね)が作られたのは有名な話で、一世を風靡したマカロニ・ウェスタンの始まりでもあった。

     とにかく、チャンバラ時代劇というのは、人を斬るわけだから、そこにリアリティーを持ち込むとすざまじい映像となる。時に「60年安保闘争」という反対運動のデモ隊と警官隊との衝突という血みどろの闘いが現実の社会に起き、その時代背景の中から作られた映画には、リアリティーは自然に見る方にも求めるところがあったのかも知れない。それをやって見せた黒沢は、かってなかった時代劇の新時代を作り上げたのだった。

    (「用心棒」予告編)

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    2015年10月17日 (土)

    映画 時代劇回顧シリーズ(3) 勝新太郎「不知火検校」 / 60年安保闘争    -私の映画史(17)-

    「60年安保闘争」時代の映画(時代劇)の変化

     戦後のとにかく生きることを目的とした時代を経て、日本人は世界を、社会を、人間を、見つめる時代までようやく辿り着いた。その流れは、戦後のあの戦争を反省し、苦しい中にも人間らしく生きようとする事の意義を見つけること、そんな中で唯一の娯楽としての映画。しかもそのなかの時代劇は善と悪との対比によって悪を格好良く懲らしめる美徳に溢れた娯楽ものの世界でもあった。つまりそうで無ければ生きる事の意義が見つけられないほど戦後社会は厳しい環境にあったと言える。そして1950年代の後半には日本も一つの繁栄の兆しを感ずる社会の姿が進行する。又一般国民の生活にはテレビ社会の登場も広がつて、映画も一つの頂点を迎えそして下降の流れに入る。

     1960年は、歴史的国内大事件の所謂「60年安保闘争」の勃発である。その最中に作られ公開された時代劇には過去のパターンを覆す映画の登場を見るに至る。

    大映映画 勝新太郎「不知火検校」
                          (1960年9月公開)


    2c43b6b5s制作:武田一義 原作:宇野信夫 脚本:犬塚稔 監督:森一生 撮影:相坂操一

     

    (キャスト)
    杉の市/勝新太郎、 生首の倉吉/須賀不二男、 鳥羽屋丹治/安倍徹、 勘次/光岡龍三郎、 不知火検校/荒木忍、 おきみ/山本弘子、 浪江/中村玉緒、 岩井藤十郎/丹羽又三郎、 おはん/近藤美恵子、 房五郎/鶴見丈二

     もともとこの『不知火検校』は、宇野信夫が十七代中村勘三郎のために執筆した歌舞伎芝居である。そして、1960年2月歌舞伎座で、中村勘三郎が七兵衛と検校の二役を演じて評判を呼んだ四幕十四場の芝居であった。
     とにかくこの映画の主人公杉の市というのは、徹頭徹尾の悪人で、按摩として身を立てる一方で、泥棒、詐欺、強請(ゆすり)、強姦、人殺しと、何に付けても極悪な悪事を働き、その果てなんと盲人の最高位である不知火検校にまで上りつめるという悪漢物語である。
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     こうゆう物語を”ピカレスク小説”とも言うが、もともとは16世紀にスペインで始まった小説で、ならず者というか悪人が主人公で、封建貴族の偽善を風刺したものらしい。そんな意味では、この映画は若干意味合いは異なっているが・・・・。

     まあとにかくこの悪人検校を演ずる勝新太郎が、こんなにピッタリなのには驚きを呼んだのだが、この映画の最後には取り巻いた群衆に石を投げられ、捕り方に縄をかけられ大八車に仰向けにくくられて市中引き回しで、それでも”馬鹿野郎”と叫び連れて行かれるという激しさであった。徹底徹尾、反省も良心の呵責もないのである。最後にこんな悪人がのさばった形で終わらせなかったところだけでも救いであったということか。

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     この映画を”ピカレスク・ロマン”という表現もあったようだが、”ロマン”というものではないだろうと思う。盲というハンディキャップを背負った人間を如何に擁護しようとも、この悪行三昧は評価されるモノではなかった。つまり「”悪”が人間になった姿」にむしろ驚いたというところが我々の感覚であって、これが不思議に”60年安保闘争”の社会に生まれたというところは、時代的産物としての評価もしておく必要があろうと思うのである。
     戦後15年にして、社会の変化と共に・・・・結果としては時代劇映画の新しい方向が見えたと言っていい作品だった。

                    *       *      *      *      *      *

      < 60年安保闘争を振り返る >

     ちょっと今日のテーマの主軸が変わってしまった感がありますが・・・「2015年安保問題」が進行中の現在、取り敢えず参考回顧です。

    60 1951年に締結された日米安全保障条約(安保条約)は、岸信介内閣により新安保条約の締結へと向かう。1960年5月20日、この新安保条約を岸内閣の自民党議員のみでの強行採決が行われ、”戦後ようやく築き上げてきた民主主義の危機”、”あの苦しい戦争が再び再来する可能性に対する危機感”、”強行採決というファシズムへの危機感”などに、日本社会党、日本労働組合総評議会(総評)、 原水爆禁止国民会議(原水禁)などが安保条約改定阻止のために結成した国民会議と、全日本学生自治会総連合(全学連)そして多くの市民が反対運動を展開。国会議事堂の周囲は連日反安保を掲げるデモ隊が取り巻いた。そして全学連主流派は国会突入などの行動も展開。
     もともと岸信介は戦前の東条内閣の閣僚でありA級戦犯容疑者になったこともあって、岸内閣の危険性から60年安保闘争の展開は、倒閣運動の性格を帯びつつも、「民主主義の擁護」「議会主義の擁護」へと自己を守る国民的運動となった大衆運動そのものだった。
     確かに岸信介は、警察、右翼支援団体、全日本愛国者団体会議、戦時中の超国家主義者も擁する組織も含めて、この国民的反対運動に対抗した。又更に陸上自衛隊の治安維持出動要請も行ったが、これは当時の赤城宗徳防衛庁長官の勇気ある拒否により行われなかった。
     条約は参議院の議決がないまま、6月19日自然成立したが、かって無かった歴史的大衆運動に次第に追い詰められた岸内閣は6月23日に総辞職を表明し退陣に至る。そして7月19日池田内閣が成立して、この反対運動も退潮の一途をたどった。
    (写真:朝日新聞社「アルバム戦後25年」より

    (参考映像~60年安保闘争)

    (「不知火検校」予告編)

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    2015年10月 9日 (金)

    映画 時代劇回顧シリーズ(2) <仙台藩伊達家物語>中村錦之助「独眼竜政宗」・嵐寛寿郎「危うし!伊達六十二万石」    -私の映画史(16)-

    娯楽映画として、時代劇の華の時代(1950年代)の
         ”伊達六十二万石物語”2作

     とにかく1950年代というのは、最も映画界は華々しかったと言って良い。それは戦後1945年、日本は敗戦国としてGHQ(連合国軍最高司令官総司令部)の占領下で、CIE(民間情報教育局)、CCD(民間検閲支隊)などから日本映画は検閲を受け、特に戦前の娯楽映画の筆頭であったチャンバラ時代劇は、危険なもの(軍国主義)として禁止されていた。 そして1951年になって講和条約成立により、ようやく自由に映画が作れる時代に入り、娯楽映画の冴えたるものの時代劇映画の華々しい復活の時代を迎えることが出来た為だ。
     戦前の阪東妻三郎、大河内傳次郎、片岡知恵蔵、嵐寛寿郎、市川右太衛門、長谷川一夫らも復活したわけだが、若きニュー・スターの誕生もみた。その筆頭格が1954年デビューの中村錦之助(後に萬屋錦之介)だ。

    東映映画 中村錦之助「独眼竜政宗」
                            昭和34年(1959)作品

      監督:河野寿一    キャスト: 中村錦之助(伊達政宗)
      企画:辻野公晴          月形龍之介 (伊達照宗)
          小川貴也          岡田英次  (片倉小十郎)
      脚本:高岩肇                  大河内傳次郎 (勘助)
      撮影:坪井誠            佐久間良子 (千代)
      美術:鈴木孝俊          大川恵子   (愛姫)
      音楽:鈴木静一          浪花千栄子 (喜多子) 

    Web

     とにかく1950年代後半は、時代劇で花を咲かせた東映は映画業界トップに躍り出た。そしてその主役が中村錦之助で、娯楽チャンバラ時代劇の華であった。社会はようやく娯楽を求めることに向き合えた時代になった一つの姿であった。
     錦之助の戦国武将ものでは、これは織田信長役に次ぐもので、見事な演技を見せたのがこの「独眼竜政宗」であった。言うならば彼の演技派へのスタートでもあったもの。翌年には「親鸞」、その後は「宮本武蔵」と流れていく。戦後の時代劇の歴史は彼の流れをみれば解るとまで言われる。
    Photo
     この映画の物語は、戦国乱世から豊臣秀吉により統一に向かっていた時代のもの。秀吉にとっては陸奥の伊達家の知勇ともに優れた政宗(錦之助)は一つの難物であった。そこで秀吉は暗殺団を送り、政宗を襲う。政宗はその一味の矢を右眼に受けて重症を負いながらも壮絶な闘いを果たし、生き延びる。この壮絶な闘いシーンは当時話題になったもの。
     政宗は難をなんとか逃れ、その後父親照宗や侍医などから心配なく回復し失明は逃れるとの話で、期待を持ちつつ治療に専念。回復宣言の二日前に待ちきれず、期待して眼を被った包帯をとって刀に映してみると、そこには回復どころか無残にも潰れた右目の醜い傷のみが見えた。その驚きと周囲からは治ると期待を持たされた事に裏切られた政宗の哀しく空しい胸中を見事に錦之助は演じた。その悲劇から奮い立つ政宗の姿を描いたもの。
     この映画は原作は無く、そもそも政宗の右眼は幼少時の病によって失明したと言われているのだが、それとは別にこの物語を作り出しての錦之助の演技を見せるべく脚本は書かれたのであろうと思う作品であった。まあ典型的な娯楽作品そのものであったとも言える。

                   ◇        ◇        ◇

    新東宝映画 
    嵐寛寿郎「危うし!伊達六十二万石」
                        昭和32年(1957年)作品

    4脚本三村伸太郎
    監督山田達雄
    キャスト 嵐寛寿郎:伊達甲斐
          明智十三郎:松前鉄之助
          中山昭二:板倉内膳正
          高田稔:伊達安芸 
          日比野恵子:浅倉
          太田博之:亀千代

     さてこちらは、仙台藩伊達家の江戸時代に於けるお家騒動である”伊達藩3代伊達綱宗隠居事件”が物語。この物語の元は、日本の貴重な文化であった”講談”であり、お馴染みの逆臣悪役の原田甲斐を取り上げたもの。その悪人を正義の味方「鞍馬天狗」の颯爽とした格好良さを演じてきた嵐寛寿郎が演ずるところに、これも娯楽的には大きな興味が持たれた作品。

      とにかく嵐寛寿郎が演ずる頭脳明晰にして剣の腕は超一流の悪人である原田甲斐は、凄みと迫力においては満点。さすがは”アラカン”であった。
    Photo_2
     当時、映画制作の諸会社での話題は、嵐寛寿郎の殺陣の立ち回りにおいては、そのスピードと凄みなどにおいてNo1であったと評判であったとか。又この悪役を大スターが演ずることは、いろろいな意味でタブーとも言われたが、そこはアラカン、文句なく挑戦したようだ。そしてその脚本も甲斐の悪事が明確となり、伊達安芸邸での甲斐の刃傷のシーンが最も見せ場として作られている。
     伊達綱宗の江戸屋敷に於ける乱行により、幼き亀千代が家督を相続するわけだが、甲斐は亀千代を毒殺して兵部の息子市正を当主にと企てるが成功せず、老臣伊達安芸らの訴えにより窮地に陥いる。そこで甲斐は安芸を殺害の刃傷に及ぶも、松前鉄之助らに殺される。この刃傷沙汰から殺されるまでの甲斐を演ずる嵐寛寿郎の殺陣と立ち回りの迫力が、流れる浄瑠璃の音に乗って、見せ所として見事なシーンを作って終わる。

     映画の華々しい時代の仙台伊達藩に関する二つの時代劇を取り上げたが、これらは当時の日本に於ける「最高の娯楽であった映画」というもの姿が見て取れる作品である。つまり”文芸”・”芸術”というよりは文句なく社会が求めた”娯楽”なのであって、そうしたものが当時の多くの人達に求められ受け入れられたのであった。映画を評するに一流、二流という表現があるが、これらはまさに娯楽としての一流であったと言える。

     この後、戦後の混乱から立ち上がっての日本人は、ようやく社会に於ける自己を見つめることが出来るようになり、そして大衆運動の”60年安保闘争”が勃発。日本の戦後の最も重大な事件を経て、新しい時代を迎える。映画もそんな社会を反映して、次の時代に移ってゆくのであった。

    (参考視聴) Youtubeに中村錦之助「独眼竜政宗」が見当たらないため、同年公開された戦国武将ものの「風雲児・織田信長」

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    2015年9月26日 (土)

    映画 時代劇回顧シリーズ(1) 嵐寛寿郎 と「鞍馬天狗」 -私の映画史(15)-

    映画は唯一の娯楽の時代があった!!

     私の映画好きは、小学生時代にその原点がある。隣に住んでいたお兄さんが映画好きで、よく私を連れて行ったのだ。私がまだ幼い小学校低学年の時であり、当時の映画館では入場料は私の分は取らなかった。そんなこともあったのか、よく連れて行ってもらったのである。・・・・こんな事が私と映画の関わり合いの始めであったのだが。

    Kuramatengu1_2 その記憶にある中で、主たる映画は、なんとアラカン(嵐寛寿郎)の「鞍馬天狗」(左)。今思えば多分その映画は日活版の「鞍馬天狗」(1938-1941 8本制作)なのではなかったか?、と推測するのだ。と言うことは、戦前の映画になる。多分旧作の映画上映館であったと思うから。
     なにせ、勿論テレビなども無い時代であったから、その映される映像はモノクロではあっても、動く映像を観るというそのものにも感動があった。そして時代劇のその内容には、幼き私にとっては強烈な印象があり、帰ってきて夜寝ても恐ろしく夢に見てうなされるぐらいインパクトがあったものである。このような”痛快時代劇”なんてところは、成人に近い人に言えることで、とにかく幼き子供には恐ろしい映画であったのです。

     私が映画をその額面通り楽しむものとして、アラカンの「鞍馬天狗」を観たのは、美空ひばりの杉作少年の登場する松竹版(4本)以降のことである。それは1951年の「鞍馬天狗 角兵衛獅子」からだ。当初この映画は映画館で観たのではなく、とにかく戦後娯楽も無くただただ民衆は働いて生活する世の中であった為、これはどこのどういった企画かは知らないが、駅前広場に夜になると大きな白幕を張ってスクリーンとし、そこに投影して多くの人が集まって楽しむというものである。だからおそらくこれは映画館での一般公開も済んでの作品であって、こうして娯楽というものも殆ど無い市民の”憩いの場作り”として行われた上映であったと思う。劇場で演芸を観るのと同じに皆拍手をして観たものだった。

    松竹映画 「鞍馬天狗 角兵衛獅子」 (昭和26年(1951年))

    Kuramax_2
    制作 小倉浩一郎
    原作 大佛次郎
    脚本 八尋不二
    監督 大曽根辰夫
    撮影 片岡 清
    出演 嵐寛寿郎 (鞍馬天狗)
        美空ひばり (杉作)
        山田五十鈴 (礫のお喜代)
        月形龍之介 (近藤勇)
        川田晴久 (黒姫の吉兵衛)

     「鞍馬天狗」というのは大佛次郎原作ものであり、大衆小説の冴えたるもので、そこで作られた勤王の使命感を持った主人公。大正13年(1924年)にスタートして、47作ある。その中で人気のあるのは、この少年向きとして書かれた「角兵衛獅子」は「少年倶楽部」に連載(1926~27)されたもの。
     この鞍馬天狗の物語の時代背景は、幕末の混乱期に於ける尊皇攘夷派らの王政復古、武力討幕路線の台頭期にある。娯楽的には幕府側の新撰組(近藤勇)と鞍馬天狗の勤王の志士との闘いを描いたもの。
     佐幕派の勝海舟や勤皇派の西郷隆盛、桂小五郎、木戸孝允といった実在人物が登場するところも面白い。

     とにかく「鞍馬天狗」と言えば「アラカン」と誰もがと言ったもので、「アラカン」こと「嵐寛寿郎」の演ずるものが抜群に支持されてきた。マキノ映画の1927年から最終は宝塚映画の1956年の作品まで、なんと40本のアラカンの「鞍馬天狗」映画があるのだ。

    Photo_2 この美空ひばりの杉作少年が登場する映画は、戦後の映画復興の最先端を行ったもので、嵐寛寿郎にしてみれば、一連のシリーズの最後の1/3に入った頃のものだ。とにかく格好良いアラカンの鞍馬天狗と可愛い美空ひばり、そして魅惑の山田五十鈴、武士の姿を最も格調高く演ずる月形龍之介と役者が揃っている。これほどの娯楽映画は過去に無かったといってよいほどのもの。
     今はDVDものとして鑑賞できる数少ない鞍馬天狗ものの一本だ(左)。
     この映画でも、美空ひばりは凄い。子役ながらも、とにかく圧倒的な支持を得た。有名な話だが、なんと子供ながら山田五十鈴の色気に負けないところを見せたとアラカンは感じたということだ。その後、映画の制作上、人気維持のため「鞍馬天狗 鞍馬の火祭」(1951年)、「鞍馬天狗 天狗廻状」(1952年)と続けて彼女の出演が望まれ、そして制作された。
     
    147949_m2 こんなことから、私が映画ファンとして最も好きだった俳優がこの嵐寛寿郎であった。そして最も映画に夢中になった年頃では「明治天皇と日露大戦争」(1957年)が最大の作品。とにかく日本初の大型シネマスコープ作品作成として注目され、明治天皇役ということに恐れおののいたアラカンであったが、結果的には絶賛の嵐(笑)であった。
     その後、もうアラカンも映画界では一歩下がって、別の味を出してくれたのだが、それがあの高倉健の「網走番外地」シリーズでの登場であった。嵐寛寿郎が演じた“八人殺しの鬼寅”は映画史に残る名キャラクターとして語り継がれている。

    (参考映像)

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