絵画との対峙-私の愛する画家(1) 「相原求一朗」-4-
抽象か?具象か?を乗り切った相原求一朗
まず、参考までに、相原求一朗が絵画の道に情熱を持ち、猪熊弦一郎に師事した直後の作品を見ておこう。
相原求一朗「白いビル」 油彩・キャンバス 1950 72.5×90.5㎝
(「相原求一朗作品集」1977 日動出版部 より)
これは彼の初期の作品(1950年)。第14回新制作派協会展出品作で、マチスの影響を受けた猪熊弦一郎(1902-1993, 東京美術学校にて藤島武二に師事、1936年新制作派協会設立、1955年ニューヨークに拠点を持ち、抽象の世界に移る)に師事しての直後で、初入選となったもの。
これは彼の一つのスタートとしての記念作といってもよいと思うが、抽象化の世界が見えている。この後次第に師の指導の下に更に抽象化は進んだ作品となる(参考:前回紹介「ハイライド」1956)。
(←) 相原求一朗「船台」1959 油彩・キャンバス 162.0×130.5㎝ (「相原求一朗作品集」1977 日動出版部 より)
相原求一朗の抽象化路線、それは見たものそのものを写実的に描くのでなく、対象を簡略化し造形の組み立てを重視した構成主義的作品と評されている。
しかしその流れが続く中で、彼自身には次第に絵画への姿勢や作品そのものの質に疑心暗鬼が生まれるのみで、そして彼の混迷期に突入したわけである。
混迷期に陥った要素はその他にもあったようだ。彼がモダニスム路線の新制作派協会にあって、当時海外からも新しい絵画のスタイルが押し寄せてくるという日本でも激動の美術界の中で、師の猪熊は米国に移ってしまい、自己を見いだせないままに作品は落選を繰り返していた。一方家業を継いでの日常生活で、絵画制作に生活が二股状況にもあり集中度に障害があった。絵画作家としての最大のピンチに陥ったわけである。
こんな時を脱出できたのは北海道の世界であった。その時の状況に焦点をあててみたい。まずは彼の当時を振り返っての著述をここに紹介する。↓
****** (1959年40歳) 私は昭和三十四年(1959)頃から絵画制作に対し、大きな疑問が次々と生まれて、思うように絵が描けなくなってしまった。この頃、抽象芸術が一世を風靡し、具象から抽象に転向する画家が多かった。時流におされて、私も当然抽象に傾いたが、それは自分本来の欲求と言うより風潮におくれまいとする安易な迎合の心理が作用した事も否定できない。
****** (1960年41歳) 相変わらず絵が描けない苦しい日々が続いた。画架に向かっても空虚で構想も湧かなかった。何故に描けないのかと考えてみても、根本的に解明されぬまま絵筆が握れなかったのである。抽象の金縛りにかかって、ただ悶々とした日々が過ぎていた。
私は1961年の秋、北海道旅行に出かけてみたのである。北海道の風土はおおらかで美しかった。そして、狩勝峠からのあの雄大な展望に接したのであった。その狩勝の展望こそ、私の今日に至る芸術思考に転機を与えてくれた唯一のモチーフであった。褐色の地面に点在する白樺や銀色に輝くすすきの穂波、紅に染まった灌木の林、鈍重な緑の蝦夷松群の色面構成はそのまま抽象の画面であった。しかし、そこに展開する風景は明らかに具象の世界なのである。私は、この雄大な抽象風景に心酔しながらそこに具象的な表現動機を見いだし、翻然として私の心象と融合し始めたのであった。
かって多感な青春時代を過ごした満州の広漠たる原野と、幼年時代に感じた関東平野の薄暮の幻影によって、失っていた自分を取り戻し、謙虚に自然への帰依となった。久しぶりに鬱ほつたる闘志が湧いてカンバスに向かったことである。翌年の新制作協会展には、この狩勝峠をモチーフにした「風景」(↓)を出品して新作家賞候補になり、さらにその翌々年、根釧の原野を描いた「原野」と「ノサップ」の二点を出品して新作家賞をとった。
(「相原求一朗作品集」1977 日動出版部 限定800部 より)
相原求一朗「風景」 1962 油彩・キャンバス 131.0×162.0㎝
(「相原求一朗作品集」1977 日動出版部 より)
これは北海道に自己を発見しての作品(新作家賞候補)。
この後、彼の精力的な活動は海外の至るところに広きに及んだ。しかし究極は北海道、北フランス(ブルターニュ、ノルマンディー)が彼の作品の中核をなすに至る。
相原求一朗「すけそうだらの詩(ノサップ)」 1968 油彩・キャンバス 130.0×193.8㎝
(「相原求一朗作品集」1977 日動出版部 より)
こうした流れで彼の第二期は充実し、詩情ある作品を多く残した(参照:相原求一朗-3- https://osnogfloyd.cocolog-nifty.com/blog/2012/05/post-a281.html)。この時代が私の最も好きな作品群である。(たまたま私が入手出来た作品もこの時代の1972年制作であった)
そして1980年以降(第三期)は、彼の総決算とも言える人生を達観したかのごとくの姿が表現されたガッシリとした抽象とは一線を画す世界が描かれるようになる(参照:相原求一朗-2- https://osnogfloyd.cocolog-nifty.com/blog/2012/05/post-6100.html)。
相原求一朗の絵画の三期の変化には目を奪うほどのそれぞれの個性ある強烈な世界がある。しかしそれが人ひとりの人生としてみるに興味深いのである。
(絵画の公開 : 著作権法第三十二条に準じています)
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